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第八十話『封印の間』

 大陸暦一三五八年、九月十二日――


 ラキーテ砂丘の遺跡地下、地竜の領域はかつてないほどの緊張感に満ち、また活気に溢れていた。キュリール王国建国戦争以来、七百年以上に渡った地竜と水竜の因縁に終止符が打たれた事は、非常に大きな収穫だったと言ってよい。手を取り合った地の竜王コッティスと水の竜王ソキュラの使者ロゼの姿は、多くの地竜から支持を得るに至った。


「これで、四元素の竜王は結託したに等しい。私の時代で乱してしまった結束が、時を経て戻ったと言う事か」

「今後の関係構築や詰めの協議はこれからの話だろうが、新たな一歩を踏み出せたのは大きい……当時を知る竜など、お爺様やツアンカ様くらいだ」


 その光景を見ながら、サイクスは人のためとはいえ、竜に長年の負担を掛けたのではないかと負い目を感じていた。それを知ってか、ティットルが応じる。それを横目に捉えたリンダは、ふとした疑問を覚えていた。


「よし、これで父祖の代から続いたいざこざは片付いた。まず我々がすべきは、魔王をなんとかする事だ。ついて来てくれ」

「分かりました。皆さん行きましょう」


 コッティスが遺跡の奥へとロゼを招く。シルドーもそれに倣い、リンダ達を手招きした。未だざわつきの収まらない地竜の群衆を尻目に、一行は闇の向こうへと足を踏み入れていた。


「……ねぇ、サイクス。一つ聞いていい?」

「どうした、リンダ」

「私、島を一通り回って色んな竜を見てきたけど、風竜を全然見てない気がするの」

「あぁ……」


 マニティ山地のドワーフ坑道ど見たものと同じような、色とりどりの灯火でも照らし切れない闇を進む中、リンダはサイクスに一つの疑問をぶつけた。ティットルに直接尋ねる事は流石にはばかられたようだ。本当に触れてはいけない核心は避けるという、リンダらしい立ち回りだった。


「風竜は魔王ルハーラの時代で大きく数を減らしてしまった。それ以前に、風竜は元より数が少ない。生まれにくいのだ」

「生まれにくい?」

「本来、竜は産まれた時は元素の力を一切持たない、無垢の状態だ。成長に応じて周辺から元素の影響を受ける事で体にその性質を宿す事で、元素の竜となる」


 サイクスは竜についてもある程度の造詣があるようだった。後ろで小耳に挟むエリックは、彼が元はメーシア大陸の生まれだった事を思い出した。特に南東のハーム王国では、元素の力を持たぬ代わりに知能と飛行能力に特化した飛竜を軍用に用いていた。そんな話をイェリアやニールから聞いていたのだ。


「火竜はヌンカル火山、水竜は東の海、地竜はラキーテ砂丘って事よね……風竜は?」

「一般的には高い山、空の上、雲の中だ。リンダも見たように、この島の高い山はマニティ山地で、それはそのままヌンカル火山に繋がっている」

「風よりも、火の方が強そうね」

「だから、私達は妖精の森から生まれるのだ」


 リンダは心臓が跳ね上がった。右肩に手を回し、左側に回り込む形でティットルが絡み付いてくる。一瞬の驚きの後に、申し訳ない気持ちが溢れた。


「グリンクパースの妖精は火と地の力を苦手とする。それでいて森ならば水の力は及ばない。そうなると、風竜が生まれるのだ。だから、私達は妖精竜とも呼ばれている」

「妖精竜……お爺さん達も?」

「いや、お爺様やワイヨールは純粋な風竜よ。昔はマニティ山地から妖精の森に抜ける風が、風竜の源となっていたと聞くわ」


 ティットルの言った内容を、リンダは上手く想像出来なかった。マニティ山地と妖精の森の間には、首都ジョーギンから北のローディン岬へと抜ける幹線道路が通っており、物理的に分断されているからである。サイクスの時代でも、この二点間には馬車道や平野があったほどだ。


「……だから、私はワイヨールの風には勝てない、妖精魔術では竜には及ばないのよ」

「うーん……それでもティットルの方が若いし、付け入る所はあると思うよ」

「そうかな、ありがとう」


 珍しくしおらしいティットルの横顔に、リンダは違和感よりも親しみを覚えていた。話しながらだったので、どれほど歩いたのかはよく分からなかったが、遺跡の地下でも相当な深さの場所である事は把握出来た。蒸し暑さが先程と比べて段違いだからだ。


「僕もそう思いますよ」


 ふと、前から歩調を合わせたシルドーが横に並び、声を掛けてきた。思わず、リンダもティットルも目を丸くする。


「先日、砂丘に現れた砂塵獣を倒したのはあなた達でしたね。風と水の魔術による見事な合わせ技でした」

「あれを見ていたのか」

「えぇ、あれほど巧みに妖精魔術を操る風竜は初めて見ました」


 シルドーの賞賛に、ティットルはどこかむず痒いような気分になった。あまり慣れていないのだろう。それからシルドーは再び前に出て、無言の行軍に戻った。


「私達地竜の一族は、この地下居住区に逃げ延びた魔王ルハーラの残党を倒すべく、幾度となく攻撃を仕掛けた」


 しばらくして、コッティスが語り出した。こちらの様子を伺っていたらしい。


「封印されてもなお、魔王から放たれる魔力は眷属に力を与えており、地竜は攻めあぐねていた。そこで、持久戦のために私の大伯父は居住区の区画ごと封鎖し、地竜もこの地に住まわせた。そうする事で、魔王と眷属をまとめて封印、監視していたのだ」


 竜王の語るところによると、この地下遺跡の奥に、魔王ルハーラが封印されているようだった。眷属がどのような者を指すのかは定かではないが、少なくとも四天王や大部分の魔族に類する者達は封印から逃れていた。


「しかし、長く続いた人間の治世に、我々はそれがもたらす平穏に甘んじていたらしい。力のある眷属は封印を逃れ、密かに魔王の復活を目論んでいたのだ。特に、水の四天王イミノッキは狡猾だった」


 リンダの目付きが険しくなった。水の四天王の名は、彼女にとって浅からぬ因縁がある。元より、一連の出来事全ての原因と言ってよかった。


「ですが、水の四天王が父を煽動したからこそ、父は討ち取られ、諸々あって兄が竜王ソキュラを受け継ぐ事が出来ました」


 コッティスと並んで歩くロゼが言葉を返した。水竜からすれば、自他の多大な損失の果てに、か細い吉報を得られたと見る。ヴァイスは何も言わなかった。傍らを歩くカーンの表情が、決して明るいものではなかったからである。先代ソキュラが港湾都市ニプモスで何をしたのかは、彼らが最もよく知っている。しかし、人と竜では立場も視点も異なる。それが不要な諍いの種となるのであれば、黙っている事が吉という判断だった。


「さて、ここが封印の間だ」


 どれほど歩いたのか定かではないが、四半刻は確実だった。その歩みが止まった先に、見た事のない術式陣が縦横に刻み込まれた石壁がある。それは石壁に見えるほどの、巨大な一枚岩の扉だった。


「シルドー、ロゼ、ティットル、ヴァイス。力を貸しておくれ。魔力を注ぎ込む」

「私達にも手伝える事ってありますか?」

「いや、魔法使いでもない人間が無理をすると、壊れてしまう。下がっていてくれ」


 コッティスに言われて、リンダは大人しく下がった。写し身を使う手もあったが、魔法使いの魔力を引き出す事の負担も、竜の力を写し身する事の負荷も、どちらも経験済みだったためだ。下手な事をすると、コピーした相手にも余計な負担が掛かる。

 地と水と風の竜が合わせて五頭、各々の魔力を扉に注ぎ込んだ。術式陣が青白く輝き、扉が正中線に沿って左右に分かたれる。重苦しい音を立てながら、扉は横滑りするように開いた。


「この奥に、魔王ルハーラが……」


 開かれた封印の扉の向こう、闇の奥底から吹き付けるような冷たい空気の流れに、リンダは思わず身震いした。そして、鋭い目付きでその先を見据える。サイクスの記憶を奪い、カーンをこの時代に呼ぶ事となった全ての元凶が、この先にいる。リンダは四肢を奮い立たせていた。


「待っていたよ、我が主に歯向かう者共よ」


 待っていたのは、リンダにとって最も因縁深い相手であった。


「ジェリム野郎……!」

「めでたいものだな、今更になって現れるとは」


 敵意を剥き出しにしたリンダを前に、イミノッキはまるで意に介していないかのように振る舞った。封印の施されていたはずの部屋は、暗いはずなのに自分と相手がはっきりと見えるという、摩訶不思議としか言いようのない状態だった。あたかも、自分達が闇の中に浮いているような錯覚さえある。


「今更、とはどういう事だ」

「どうもこうも」


 一歩踏み込んだカーンに対しても、この水の四天王は大きな反応を見せなかった。


「事情はよく分からんが、奴の余裕からすると、状況はこっちがだいぶ不利らしいな」


 ダジラが応じた。イミノッキの表情は読めない。ふと、入り口から吹き込んだ風が、四天王の体を揺らめかせた。松明の灯りと合わせて、まるで波打つようであった。


「これは……!」


 ロゼが勘付いた。ヴァイスから目配せを受けたティットルが、妖精剣を投げ付ける。それは突き刺さる事もなく、イミノッキの体を弾けさせるだけだった。水が石床に叩き付けられる音だけが闇の中に響き、出し抜けに辺りが暗くなった。代わりに、松明で照らされている足元や壁も見る事が出来る。


「どうやら、この部屋全体に妨害系の術式が張り巡らされていたようね。それに、水を使って伝言を残す術式……かなり厄介よ」

「いえ、あれは伝言ではありません。大量の水を用いて鏡のような幕を介して通信する術式です」


 ロゼに返され、イェリアはさらに歯噛みした。詰まる所、イミノッキは現時点でここから離れた場所にいるという事が分かったためだ。単なる伝言なら、タイミングを細工する事が出来るが、それが無い状態でこれだけの水が用意出来ると言う事は、それ相応の場所にいる事を意味している。


「コッティス殿、この辺りに地下水脈はあるか?」

「この下に。遠くに行ったと見せ掛けて、まだ近くにいる可能性もある」


 サイクスが一足早く動き出した。カーンも警戒心を露わにする。


「ロゼさん、さっきの水を使った通信は、周りの音も拾うのか?」

「えぇ、周囲の空気にある水分にも反応するから、話してる時は出来る限り大人しくするのが決まりよ」


 カーンの表情が一気に険しくなった。


「サイクス、さっきの通信、奴の声以外は何も聞こえなかった。ロゼさんの話を加味すれば、奴は静かな場所で通信していた事になる。地下水脈なら他の水音がするはずだが、それが無い」


 リンダ達の慌ただしさに、コッティスは状況の把握が追い付いていなかった。慢心していたわけではないが、想像以上に逼迫している事がかろうじて理解出来た。


「私の見通しが甘かったと言う事か……!」


 コッティスが少し遅れて事態を重さに気付いたのは、松明や灯火の届かないほどの暗闇、人間一人分の大きさの穴だった。


『ダジラ、あの穴の奥から水音がする』

『地下水脈があると言ってたからな。恐らく、先程の幕みたいなヤツに必要な水を調達してたんだろう』

『それなら、今までイミノッキ……先程のジェリムが水鏡の通信を使えた理由が分かりますわ』


 ネジムがダジラに囁くように言うと、それを聞き付けたロゼが返した。一瞬、呆気にとられたネジムだったが、ロゼがヴァイスの姉だと分かると納得した。


「ところで皆さん、本題の魔王はどちらに?」


 ニールの言葉に、誰もが静まり返っていた、

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