第七十九話『地竜の領域』
大陸暦一三五八年、九月十二日――
ラキーテ砂丘の遺跡の行き止まり、わずかな光を頼りに、壁に書かれた文字の解読に難儀していたリンダ達の背後から、耳慣れない声が聞こえてきた。その場の誰もが振り向くと、そこにはハイエナを思わせる肉食獣の亜人に似た、竜が立っていた。獣ではない、竜独特の鼻筋や手脚の鱗が灯火に照らされている。
「驚かせてしまい、申し訳ありません。私は地竜シルドー、地の竜王コッティスの息子です」
シルドーと名乗った地竜が一行にお辞儀する。見た目はヴァイスの倍、人間で例えると十歳と少し、竜で言うなら百歳ほどであった。
「君がコッティス様の子か。私は風竜ティットル・ソグ、風の竜王ミュルコ・モースの孫だ。こちらは水竜ヴァイス、水の竜王ソキュラの弟にあたる」
「ご丁寧にどうも。火竜の方はいないのですね」
「火山都市の方が色々と手放せなくてな。ツアンカ様も火竜達も、我々には同行していない」
そうですか、と返したシルドーは、竜と行動を共にしている人間達を一瞥した。エリックの灯火が少し眩しいらしく、目を細める。その時の瞼もまた、爬虫類を思わせる硬質的な照り返しがあった。それでいて、砂の大地に適応した豊かなまつ毛が、言いようのないミスマッチを醸し出している。
「どなたが、人間の方の代表ですか?」
「えっと、ルビィ隊の隊長はお兄ちゃんよね」
「しかし、隊は解散になった。ここはサイクスでは」
「私よりも、リンダやカーンの方が適任と思うが」
「すみません、私からすると大した違いに見えないのですが……」
義勇兵という枠組みを失った途端、一行の統率は今ひとつなものになっていた。魔王ルハーラの討伐という目標を明確にしたのはリンダだが、それがそのまま彼女がリーダーであるという認識に至ってはいなかった。
「君は人間を見慣れていないようだな。とりあえず、あの緑の髪の娘が代表だ。名前はリンダ、雌だ」
「えっ」
割って入ったティットルがシルドーに手短な紹介を済ませる。リンダは反論するよりも早く押さえ込まれてしまい、何も言えずにリーダーに担ぎ上げられる事となった。
「分かりました、よろしくお願いします、リンダさん」
「えー……うん、分かったわ。よろしく」
気を取り直したリンダは、改めてシルドーに向き直った。今になって、女ではなく雌と言われた事への微妙な気持ちが沸き上がったが、子供の竜にそれを言った所でどうにもならなかった。
「では、皆さんを母の元へと案内します」
「どこへ行くのだね。この遺跡で向かえる場所など、既に調べ尽くしたとも思っている」
「いえ、そこの壁に書いてありますよ」
怪訝な表情を浮かべるニールに対し、シルドーはあっさりとした口調で答えた。その壁に書いてある内容というのが、誰にも解読出来ない文字で書かれているのだ。
「神代竜言語、大陸暦が始まる前に使われていた竜族の言語です。私もすべてが読めるわけではないのですが、このくらいなら」
「何と書いてあるのだね?」
「ネズミ籠の使い方です」
シルドーが慣れた手付きで壁に並んだ突起に撫でるように触れると、壁の向こう、地の底から蠢くような連続音が聞こえてきた。
「ネズミ籠という名前の由来は分からないが、エレベーターのようなものという認識で良さそうだね。しかし、大陸暦が始まる以前というと、あっても滑車式のはずだが……これの動力は何なのだね?」
「竜魔法と聞いています。籠の中央に竜血晶石が置かれていて、それが発する魔力で縦穴内の浮力を調整するんです」
音が止み、壁だと思われていた扉がスライドする。淡い紫色の煙が漏れ出るように足元に広がると、シルドーは一行を籠に入るよう促した。
「この煙も、魔力性のものなのかね」
「はい。ネズミ籠はこの煙の中で浮力を制御する事で、階層を行き来する乗り物なんです」
興味津々といった表情で辺りを見回すニールの質問に、シルドーの答えを聞いたサイクスが、何か勘付いたような仕草を見せた。それを見たリンダの脳裏にも、存在しない記憶が過ぎる。
「なるほどな、昔……べクォンの乱でこれに近い物に乗った事がある」
「私の中のミリアムも記憶してるみたい。銀の巨人?」
「そうだ。『流れる銀』で形成された巨人の内部を移動する際に用いた、水に浮く骨のような足場だ」
サイクスとリンダのやり取りに、エリックとイェリアが渋い顔をした。直接的にも間接的にも、覚えがあるらしい。
「魔晶流体で出来た巨人か……お爺様やツアンカ様なら知っているかもしれんが、あまり気持ちのよいものではなさそうだな。シルドー殿、この籠には紫の煙は入って来ないのだな」
「はい。この竜血晶石から防護の魔力が放出されているので、浮力に関わらず煙が入って来る事はありません」
まるで巨大なネズミの巣のような縦穴を、浮遊する籠はゆっくりと降りてゆく。十節(十分)ほど降り続け、籠は下降を止めた。中心に置かれている竜の血のように赤い晶石から光の筋が岩壁に向かって伸びると、岩壁は熱したナイフを入れられたバターのように分かたれ、左右にスライドした。
「行きましょうか。母が待っています」
シルドーに促され、いの一番に降りたのはニールだった。長年、この遺跡を研究してきた人間にとって、未踏の領域である。湧き立つ気持ちを抑えられずにいたが、それは誰の目にも明らかだった。エリックは続きたがったが、先にリンダを降ろした。シルドーにリーダーとして紹介された以上、彼女を差し置く事は良い事ではないという判断だった。
「この先は、地竜の住処です。我々地竜はあまり他種族と交流しないため、人間を見た事がない者も少なくありません」
「警戒されている……って事ね」
「あ、いや。私の記憶の通りなら……」
暗闇からの少なくない視線を幾つも感じながら、リンダは固唾を飲んで一歩を踏み出した。ここから先は、シルドーの言う地竜の領域。今まで接してきた竜やその領域では、火竜を除いて概ね歓迎されてはいなかった。険しい表情のリンダをよそに、サイクスは視線から何かを感じ取っていた。
「シルドー……そこにいるの、人間?」
「そうだよ、そこの緑の頭毛の雌が代表のリンダ」
シルドーと同年代らしき地竜の雌が、興味深い視線をリンダに向けていた。なまじ言葉が通じるだけに、シルドーの説明にリンダの表情は複雑なものになる。ふと、視線が増えている事に気付いた。住処を照らす灯火が増え、辺りはたちまち明るさを増していった。
「人間だ」
「怖くない?」
「大丈夫そうだ」
地竜のものと思わしき声も同様に増え、やがて姿を見せる者も現れた。まるで暗闇の中から湧いて出るかのように、小柄な地竜が近寄って来る。そのほとんどがシルドーと近い年代の、言わば子供の竜であると思われた。人間の目からすればまだ暗く、さらに地竜の外見は年齢や性別による差異が少ない。ティットルとヴァイスは何となく見分けが付いているようだった。
「地竜の皆様方、申し訳ないが、我々は竜王に呼ばれて参じた次第。興味は分かるが道を開けて貰えないか」
ティットルが妖精珠の術式で光る玉を浮かせながら、地竜の一団に分け入った。地竜達も風竜はそこまで珍しくないのか、どこか見慣れた顔で道を開ける。後に続いたヴァイスは地竜と水竜の関係が芳しくない事を聞いていたため、目を伏せながら歩いていたが、地竜から向けられる視線にさほどの敵意は無かった。
『ヴァイス、どうした?』
『キュリール王国建国戦争において、当時の竜王が刺し違えるほどの激戦を繰り広げた事から、水竜と地竜はあまり交友関係がなかったんです』
『……なるほどな』
ネジムはそれとなく、ヴァイスを守るように位置取った。暗闇に道を示すかのように等間隔に置かれた松明の灯りを目印に、一行は竜王コッティスの待つ場所へと向かっていった。
「しかし、この遺跡をここまで深く入り込んだ人間は我々が初めてだね、エリック君」
「そうですね、先生。しかし、遺跡と呼べるのは僕達が調査している地表に近い方だけかもしれません」
「ふむ、確かに。松明は道を示す目印で、他にもマニティ山地のドワーフ洞窟に似た、光石による照明が用いられている。家と巣の中間とも言うべき住処は、ことのほか整えられている。遺跡ではないね」
ニールは興奮が幾分か和らいだようだった。穿った見方をすれば、冷めたとも言っていい。前人未到の遺跡と思っていた場所は、地竜が生活している居住区だった。時折、家と思わしき建物から香りのよい煙が漂ってくる。昼食の準備をしているのだろう。ふと、イェリアはその様子に違和感を覚えた。
「妙ね。あの煙は恐らく昼食の支度。でも、それが少ないわ。シルドーさん、地竜は集団生活なのかしら」
「はい、一区画ごとに炊事と集まって食事するための建物があるんです」
「人間でも集団生活になる者は少なくありません。私も昔は兵士と同じ食堂で済ませていた事もありましたし」
イェリアの疑問に、サイクスが付け加えた。彼の言う昔とは、恐らくキュリール島の前身となる、魔の島に来るよりも前の話だろう。イェリアは自分の知らなかった、あるいは忘れていた息子の一面を垣間見たような気分になった。
「皆さん、もう少しで母の待つ祭壇に着きます」
先行して歩き、一行と間が空いた事に気付いたシルドーが振り返り、手招きした。リンダ達の足取りは少しずつではあるが、重くなっている。空気が悪いわけではないが、照明があるとはいえ地下深くを四半刻ほども歩かされれば、体力の消耗もあって然るべきだった。今までの道中と比べて、明らかに空気そのものが重さを帯びているのを感じている。すると、闇の向こうから足音が聞こえてきた。
「ようやく来たわね、シルドー」
「あっ、母上。遅くなりました」
現れたのは、シルドーよりも一回り大きい程度の地竜で、彼が母上と呼んだ事から、地の竜王コッティスと見てよかった。そして、その傍らに立つもう一頭の竜の姿に、カーンとヴァイスは思わず声を上げた。
「姉上!」
「ロゼさん、どうしてここに?」
水の竜王ソキュラの妹にしてヴァイスの同じ腹の姉、ロゼだった。彼女は雌としてもかなり背が高い方で、コッティスと並ぶと姉妹を通り越して母娘に見えるほどだった。
「長年に渡った水竜と地竜のまだかまりを解消するため、竜王ソキュラより遣わされました」
「新しい水の竜王は、今までとは違って穏健派のようでね。情勢が不安定ではあるものの、妹を使者として寄越すくらいには気に掛けて貰えたよ」
コッティスの口調にも声色にも、齢幾百を経たとは思えないほどの若々しさがあった。
「さて、あなたが人間の代表、リンダね。この子からだいたいの話は聞いた。記憶を無くしたサイクスのために風と火の竜王に会い、水の竜王の一族と二度も事を構え、西の港湾都市アーカルの奪還作戦にも参加……まったく、これをわずか二月でやってまうとはね」
「色々と、苦労はありました……」
「だが、まだ一つ二つの苦労はしてもらう。魔王ルハーラの一味と、ケリを付ける時が来たんだ」
コッティスの声に鋭さと重さが加わる。リンダは分かりきっていた事ながら、改めて顔を引き締めて身構えた。




