第二十三話『泥濘の鎧』
大陸暦一三五八年、八月二日――
精霊の森の半ば、妖精の暮らす村の入り口広場にて、突如として現れた招かれざる客。それはエルフに化けて門番を欺いて忍び寄った、オルウークの女魔術師であった。泥濘を思わせるローブの腰飾りに下げた、きらびやかな宝石の数々が、異様に浮いて見えた。
「カーンにサイクス、それにお爺さんまで、どうしたの?」
「あたしを見て構えない奴もいるもんだねぇ、時代は変わったよ」
オルウークの女が気持ち珍しそうな視線をリンダに向ける。かつてオルウークは人類の敵とされていたが、蒸気文明時代を経て、今では知恵と力で足りないものを補い合う関係にある。その仲介を買って出たのが、ドワーフやゴブリンとされている。そのため、リンダやエリックにとって、オルウークと見たらすぐに敵、という判断は異質であった。しかし、カーンもナイフを構え、敵対的な睨みをきかせている。
「俺達の時代ではな、オルウークは略奪者だ。人や亜人と違って、奴らは物作りが下手だ。だから、ゴブリン共と徒党を組んで略奪に走るんだ」
「なるほど、あんたがイミノッキの言っていた、未来からの敵という奴ね。なるほど、なるほど……あんたの時代は、魔法文明時代……あたし達の最も栄えた時代と同じようになっているんだね」
イミノッキの名を出した途端、リンダとカリエが得物を構えた。ようやく、目の前のオルウークの女を敵と見なしたらしい。エリックとニールは少し遅れて動いた。先程までのぶつかり合いによる消耗だけではなく、イミノッキの名が意味する相手が誰であるかを思い出すのに時間が掛かったのだ。
「ニプモスではあたしの仲間が世話になったね。あたしは魔王ルハーラが四天王、土のヨイカフツ。黒い鎧の戦士、そして占いにあった運命の娘、ここで消えてもらうよ」
ヨイカフツと名乗ったオルウークの女魔術師は、自らのまとうローブの一部を切り離して浮遊させ、高速回転と共に砲弾状に成型すると、矢のような速さで撃ち出した。狙いはリンダとサイクス、二発の土砲弾はすんでの所で避けられると、そのまま広場の奥に架けられた、村の入り口アーチの支柱に突き刺さった。
「上手い事、避けたね。まぁ、イミノッキやソキュラと戦って生き残ってるんだ。コケ脅しが通じる相手じゃないね」
彼女のローブは泥のようなものではなく、魔力を含んだ泥そのものであった。切り離して成型する事で、武器に変える事が出来る。それがこの四天王の能力だと暫定された。
「泥を使うというなら、これでどうかな。炸裂火の術式!」
ニールが蒸気機関拳銃で炸裂火を撃ち出す。森の道中での戦闘でも用いていたこの銃は、蒸気文明時代に開発された武器で、圧縮蒸気カートリッジを装填し、その放出によって弾丸を発射する。火薬を使うところに蒸気を使っているのだが、火薬を用いない事で晶石魔術を弾丸代わりに撃ち出せるという点が異なっていた。火のエネルギーを受けないので、変質しないのだという。もちろん、この銃も法に触れている。
元々の火力が高い術式だが、それを杖の先端から投げるように放つのとは異なり、銃身で加速された炸裂火は、まさに砲弾のような威力だった。その必殺の一撃は、泥のローブから作り出した楯によって阻まれた。
「炸裂火とは、また中々にやるねぇ」
「先生の炸裂火を防ぐなんて……」
ヨイカフツの目の前に浮かび上がった泥の楯は、ニールの炸裂火を押し包むように受け止め、爆発さえも防いでいた。しかし、高熱に曝された泥は水分を飛ばされ、ほとんど砂のように崩れて消えた。そして、砲弾や楯を作り出すために泥を切り離した分、ローブが減っている事に気が付いた。
「いや、奴の泥も無限じゃない。火で攻めれば泥を崩せるぞ」
カーンは努めて冷静に状況を見ていた。銃弾はニプモスでの戦闘で使い切っているが、まだ打つ手は残されている。
「奴の気を引き付けて欲しいんだが……」
「私がやるわ。ティットル、一緒にいい?」
「分かったわ。この状況で動けるのは私だけのようだし」
時間稼ぎを買って出たのはリンダとティットルだった。サイクスが取り落とした妖精の細剣を拾い上げ、構える。呪縛の鎧に囚われていた時とは、明らかに別人の気配を放っていた。彼女と契約を結んだ精霊や、協力的な妖精の魔力がそこかしこに感じられる。
「カリエ、状況がよくない。ひとまずオレ様と一緒に来い。精霊石をやる」
「分かったよ。急いで」
ミュルコ・モースがカリエを掴んで、一息に飛び立った。飛び上がったばかりの相手など格好の的だったが、ヨイカフツは目の前の敵を片付ける事に注力した。竜王が抜けた以上、相手の戦力は大幅に下がっていると判断したためだ。敵の言うように、泥の量には限りがある。当たるか分からない弾を無駄撃ちする余裕などなかった。
「どこを見ている!」
「私達が相手よ!」
突き掛かったリンダとティットルの剣先が、ヨイカフツの泥に触れる。羽衣のように軽く、粘土のように硬い。銃剣も細剣も、その泥を突き抜ける事は叶わなかった。重さを感じて、取り込まれる前に引く。反撃に繰り出されるのは槍を思わせる棘で、後ろ跳びに避ければそれ以上は追ってこない。泥を干からびさせずに操れる距離には制限があるようだった。
「さっきのニール先生の一撃、けっこう効いてるみたいね」
「元より、炸裂火の術式は軍用の強力なものよ、民間人が使ってはいけないものだったわ」
道理で、軽く口笛混じりに再び地面を蹴ったリンダが、銃剣を上手から打ち下ろす。泥に弾かれるが、その隙を衝くようにティットルが姿勢を低くして突っ込む。泥の棘で迎撃するも、横跳びで交差するように避け、飛び込み、突き掛かる。リンダの時と同様に、丸盾のような泥に阻まれる。攻めては防がれ、攻められては避ける応酬が繰り広げられた。
「あの二人の実力からして、長くは持ちそうにないな……」
リンダとティットルの戦いぶりを見ていたカーンが懐から取り出したのは、以前にエール村の遺跡で使った応急処置キットとは別に持ち歩いていた消毒用のボトルだった。強力圧縮ボトルを用いているため、手の平に収まるサイズでも数倍の容量を有する。そして、中身の消毒液は高濃度アルコールを含む、揮発性の高い可燃物だった。
「ニール先生、火の術式を含む銃弾で、こいつを狙えるか?」
「狙撃は得意ではないが、やってみよう」
「風の魔術で、弾の軌道を変える事は出来るのか?」
「出来なくはないが、使い手は今あそこにいるね」
ニールが示した先にいたのは、ヨイカフツと一進一退の攻防を繰り広げるティットルだった。術式のために彼女だけを呼び戻せば、リンダはたちまち討ち取られる。しかし、二人とも戻してしまえば、また泥の砲弾を撃ち込まれる可能性がある。よし、と頷いたカーンは、ナイフとボトルを両の手にそれぞれ持つと、土の四天王に向けて走り出した。
「オルウーク女、今度は俺が相手だ!」
「いいねぇ、掛かって来な」
棒状の泥で弾き飛ばされたティットルと入れ替わるように、カーンが切り込んできた。泥で繰り出す棘も棒も、より細やかな動きで回避し、鋭く滑り込んでくる。得物は刃渡りにして半分ほどのナイフになったが、実力ならばカーンの方が上回っていた。
「ティットル、ニール先生の元へ!」
「えっ、あ、分かった!」
ティットルは一瞬迷いを見せたが、今はそんな場合ではない。蒸気機関拳銃に圧縮蒸気カートリッジを装填し、身構えるニールの元へと駆け寄った。
「何をすればいい」
「彼が左手に持っているボトル、あれをこの銃で撃ち抜くために、弾の軌道を調節して欲しい。チャンスは一度切りだ」
「分かった」
リンダが注意を引く為に、カーンがより間近まで踏み込む。泥の棘が、左側面に回り込んでいたリンダのスカートを掠めた。破れた隙間から覗く右脚が、鞭のようにしなる。決して重い蹴りではなかったが、それはヨイカフツの泥がわずかに見せた左の膝裏を狙っていた。四天王がバランスを崩す。すぐさま丸盾型の泥がリンダを突き飛ばした。その隙を衝いて、今度はカーンが右側から泥にボトルをめり込ませた。
「今だ、撃て!」
カーンが叫び、一気に距離を置いた。ニールがヨイカフツの右肩付近に貼り付いた、カーンのボトルを狙う。ティットルの術式も準備が出来ていた。
「炸裂火の術式!」
「導く螺旋の風!」
蒸気機関拳銃から、炸裂火を帯びた銃弾が放たれる。それはティットルの精霊魔術によって螺旋の風に包まれ、軌道を微調整されながらヨイカフツの右肩へと吸い込まれていった。その先にあるのはカーンが貼り付けた圧縮ボトル。燃やした程度では効果がなく、拳銃弾でも壊れる事はない。だが、その二つが合わさった力なら――
「くっ、動きが……!」
土の四天王とされる程の実力者であれば、拳銃程度の弾は充分に見切る事が出来た。しかし、リンダに膝裏を蹴られてバランスを崩した瞬間である。身動きが取れず、回避も迎撃も間に合わない。そうなれば、やる事は一つだった。泥のローブを右肩付近にかき集め、守りの態勢に入った。右肩部分にめり込んだ物体の正体は分からないが、考えられるのは爆弾の類だった。炸裂火の銃弾が、ボトルに突き刺さる。
「うおっ!?」
炸裂によって生じた閃光と轟音が辺りを染め、遅れて衝撃波と高熱が放射状に吹き荒れた。強力圧縮された可燃物は、その瞬間的な解放と引火によって凄まじい爆発を引き起こした。泥で押し包んで爆発を閉じ込めると踏んでいたカーンは、後方から急速に迫った風圧で吹き飛ばされ、情けない声を上げた。
「まさか、爆発を包まずに受け流したのか!?」
数回地面を転がり、起き上がったカーンが振り向く。視線の先には、ほとんどの水分を吹き飛ばされ、乾いて砕け散る泥だった砂煙に包まれるヨイカフツの姿が見えた。包まなかったのではなく、包もうとしても泥が足りなかったのだ。やった、カーンの表情がほころぶ。攻防一体の泥のローブを打ち破った今、状況は有利になった、そう思われた瞬間。彼のすぐ左の空間が裂けた。
「な、なんだ?」
厳密には、想像を絶する切れ味の刃物が高速で突き抜けた感覚に近い。ふと地面に触れると、草も地肌も定規で引いたようにまっすぐ切れていた。
「見てごらん、あれがオルウークの戦化粧だ。私が描いたものとは違う」
「言ってる場合か」
ニールの言葉に、ティットルが目を細めて呆れた調子で返す。砂煙が晴れると、そこにはオークの戦化粧を全身に施し、薄布をまとい宝石の胸当てと腰飾りだけを身に付けたヨイカフツが立っていた。
「あっはっは、やるねぇ。戦車の砲弾でも喰らったような気分だよ。泥が弾け飛んじまった。それじゃ、あたしも本気でいくかねぇ……!」
ヨイカフツが魔力を込めると、砕け散った泥の中に潜ませていた、きらびやかな宝石が姿を見せる。宝石も泥と同様、土の魔力によって操られる。カーンの真横を抜けた斬撃も、磨かれ研ぎ澄まされた宝石の刃によるものである。土の四天王との戦いは、第一段階を抜けたに過ぎなかった。
オルウークの戦化粧
古くは人類の敵とされていたオルウークに伝わる化粧のうち、戦の時に施すもの。
旧き時代に存在したとされる、(神々からすれば)邪悪なる闘神の力が宿るとされ、施すのは職人技とされていた。
物作りが不得手なオルウークやゴブリンは歴史上の長い間、略奪者もしくは戦士としてしか生きる道が無く、
蛮行のために化粧を施して気持ちを切り替える事は大切とされていた。戦化粧の他にも、狩化粧、祭化粧などが存在する。
また、化粧を施す職人にもまた専用の化粧があるとされているが、最初に誰が施すのかははっきりしていない。




