第二十四話『恍惚の刃』
大陸暦一三五八年、八月二日――
精霊の森の奥、硬化した巨大キノコが織り成すアーチが目印の、妖精の神殿に連れられたカリエは、本来あるべき所作を全て飛ばして、所定の一年分より多めの精霊石を受け取った。普段通りに使っていれば、数月分ほど余りが出る。精霊魔術師が魔術の行使や精霊との契約維持に必要な精霊石は、この森のように元素エネルギーの集約する地でしか生成されない。
「まずは、ここ数日何もなしに働いていた、お前の精霊達にくれてやるんだ」
「あぁ、分かってる。あのお嬢ちゃんのおかげで、こっちはカツカツだったんでね」
カリエの杖に備えられたランタンの光源を担っていた精霊達の光が弱まっている事に気付かないほど、ミュルコ・モースという竜王は衰えてはいない。建国の際にこの森の妖精や精霊の長を引き受けて以来、七百年間に渡って守り続けている。精霊とは命を持った元素であると言っていい。そのためにも、エネルギーの結晶である精霊石は欠かせない物だった。
「畏れながら、申し上げます」
「なんだ、オーヴェル。言ってみろ」
「一人の精霊魔術師に与えるにしては、いささか量が多過ぎるのでは、と前々から思っていましたが、今回の量は……」
「心配いらん。魔法が主体となる文明が過去の物となって、精霊魔術師の数も減った。需要は減って精霊石にも余裕がある。この国の精霊魔術師が倍になっても充分に賄える」
精霊の森の奥、妖精の郷を治める領主オーヴェルが心配そうに進言したが、竜王はそれを退けた。実際の所、精霊魔術は晶石や言霊と比べて術者の素養を求められる部分が多く、比率で言えば晶石が二〇ならば言霊は九、精霊は一と言ってよかった。魔法文明時代からその比率は概ね変わっておらず、全盛期を過ぎて魔術師の数そのものが減っている今、精霊石の需要はほとんど皆無と言ってよかった。
「しかしながら、カリエと行動を共にしているリンダという娘が気になります。精霊使いとしての契約も何もしていないのに、彼女の精霊石を媒体に精霊魔術を行使したと聞きます」
オーヴェルの妻タニアが続いた。流石に妖精は耳が早い。命を持った元素が精霊なら、知性と自我を得た精霊が妖精であった。そして、妖精の中でも人のように魂の宿る肉体を得た者が、エルフを始めとする亜種である。オーヴェルとタニアは魂の宿る肉体こそ持たないが、精霊石を用いて自身を人に近い姿で実体化させられるだけの技術は有している。風の魔力と人に近い力を併せ持っているのだ。
「それは既に本人達から聞いてる。だが、リンダはある種のトランス状態に陥らないとその力は出せないらしい。先代ソキュラとの戦いで何があったかは、オレ様の耳にも入っている」
「ならば、尚更に注意を払うべきでは……」
「オーヴェル、タニア。お前達の気持ちは分かる。あのリンダという娘っ子が得体の知れない存在である事が、不安要素になっているんだろう。だが、先日の襲撃事件以降、キュリール王国各地は不安定な状態にある。安全な所など、今この国のどこにもない。現に、妖精の郷の入り口広場にまでルハーラの手下が来ている」
ミュルコ・モースの言っている事は正しかった。妖精や精霊を束ねる長としてのオーヴェルの立場もあるが、今は安穏としていられる時ではない。カリエは精霊石を小石ほどの大きさの粒を削り出してはランタンにかざし、精霊達に食わせている。精霊石は石と言っても鉱物ではない。集約して高密度に圧縮された元素エネルギーであり、その性質はメーシア大陸南東部で多く採掘される物質に似ていた。
「あとはロア、あんただよ。そうだ、ゆっくり。みんな、済まなかったね。これからはまた、働いてもらうよ」
「行けるか?」
「あぁ。あたしも精霊達も大丈夫だ。オーヴェル、タニア、いきなりで迷惑掛けたね。次に来る時は、何か喜ぶ物を持ってこよう」
完全に自分のペースで言い終えたカリエは、そのままミュルコ・モースに捕まって飛び去った。オーヴェルは嫌味の一つでも返してやろうと思ったが、魔王ルハーラの手が伸びている事を思うと、そうも言ってられなくなっていた。タニアに側近を集めるよう指示を出すと、自身も妖精騎士の主立った面々を呼びつける。今になって、この神秘の森にも緊張が走った。
「む、これはどういう事だ……何故、ティットル・ソグの鎧がここにある? 彼女は侵入者を迎え撃ちに行ったはずだったが……」
「あなた様。もしかして、敵は思った以上に早く深く、私達の中に潜んでいたのかもしれません」
ふと、オーヴェルは壁に掛けられたままの、ティットルの鎧を見つけた。妖精騎士が鎧も着けずに出撃する事はない。しかし、それはオーヴェル達の目の前にある。では、彼女が出て行く時に着ていたのは――オーヴェルは判断の遅さを痛感しながらも、まだ手遅れではないと自分に言い聞かせていた。
入口広場は、至る所が斬り刻まれていた。土の四天王という二つ名から、泥や土、岩の類を中心に操ると思い込んでいた事が、痛撃に見舞われるという結果を生んでいた。ヨイカフツの繰り出す宝石の刃は、触れるものをことごとく切り裂いていた。リンダ、カーン、サイクスは細かな刀傷を幾つも作り、息も上がっていた。
「サイクス、お前は奴に関して覚えてないのか?」
「済まないが、知らないんだ。昔に戦った土の四天王は、名こそ同じだが別のオルウークだった」
「ソキュラの時みたいなものか」
サイクスは鎧の肩当てや胸甲に幾筋も傷を刻まれ、カーンは急所への直撃こそ避けながらも、ナイフを叩き折られている。リンダも飛来する宝石の刃を弾いた際に、銃剣の刃が欠けていた。頬や左肩を掠めた事で出血し、ブラウスに赤く染みを作っている。致命傷こそ避けているが、四天王と称されるほどの者が相手では、長くは持ちそうもなかった。
「あたしの泥の鎧を吹き飛ばしたまでは良かったけど、後が続かないねぇ」
ヨイカフツの声は高慢さに満ちており、表情は心の内に収まりきらなかった高揚感で溢れていた。黒い鎧の戦士を含め、敵する者のほとんどが膝を付いている。動けなくなった者を料理の下ごしらえでもするかのように切り刻む瞬間、この四天王は心身を快楽で満たすのだ。その恍惚感は、どれほどの優男に抱かれた時でも得る事の出来ないものであった。
「避けるだけで精一杯で、足元が見えていなかった……これは厳しいね」
「言ってる場合か……息を切らした、私が言うのも難だが……」
「浮石の術式……使い手次第でここまで恐ろしいものになるとは」
距離を置いていたニール達にも、宝石の刃は届いていた。エリックの言う浮石の術式は、任意の石を浮遊させて飛ばす程度のものだが、熟練者によっては飛距離や速度を銃弾レベルにまで引き上げる事も出来る。ヨイカフツはそれをさらに上回り、硬度と切れ味を極限まで高めた宝石の刃を、意のままに操っている。それも一個や二個ではなく、六個であった。不規則に飛び交う刃は回避だけでも困難、その上で足元の地面を切り崩してきたのだ。
「さて、トドメといこうかね。まずはあんただ!」
宝石の刃が二個、ニールに迫った。交差を繰り返しながら急速に迫る軌道で、見切る事さえ難しい。
「銃を寄越せ!」
「何するんだね、それは蒸気文明時代の年代物で」
「言ってる場合か!」
「あっ」
ティットルはニールから蒸気機関拳銃をひったくると、迫り来る宝石の刃に向かって放り投げた。古めかしい真鍮の輝きに覆われた銃身が、まるで肉食獣に弄ばれるように突き上げられ、切り刻まれた。ニールが愕然とする中、宝石の刃が装填されていた蒸気カートリッジを刺し抜いた。その破裂で二つの刃は吹き飛び、その付近には蒸気が立ち込めた。
「ふん、蒸気で幕を張ったつもりかい?」
ヨイカフツが再び二個の刃を浮かべ、ニール達に放とうとした、その時だった。蒸気の幕をも捲り上げるようにして吹き飛ばし、火炎弾が押し寄せてきたのだ。エリックの放った炸裂火の術式だ。泥の鎧はなく、宝石の刃は守りには向かない。そして、炎を斬る事は出来ない。
「ちっ、そう言う事かい!」
着弾前に横っ飛びで避ける。爆発で火柱を吹き上げる炸裂火に気を取られ、ヨイカフツは横から来る伏兵を見過ごしていた。リンダが、欠けた銃剣で突き掛かっていた。使っていない宝石の刃は残り二個。一直線に向かってくるリンダに向け、二個とも放たれた。リンダは身を捩って回避、左肩を前に出す半身を刃が払い抜ける。うち一個が左脇腹を斬った。表情がかすかに曇るも、勢いまでは止められなかった。
「リンダ!」
カーンが叫ぶ。彼女の傷口からの出血は、今までよりも明らかに多い。ブラウスもスカートも、あっという間に赤く染まった。致命傷の可能性もある。それでも、突き出された刃は止まらなかった。脂汗で顔を満たしたリンダの雄叫びと共に繰り出された突きは、ヨイカフツが咄嗟に出した左手の平によって受け止められた。銃剣の刃は手の甲にまで突き抜けている。
「がっ! こ、この小娘が!」
ニール達に投げようとしていた宝石の刃をリンダに向ける。先に飛ばした二個と合わせて四個、これで目の前の小娘を切り刻み、二目と見られぬ姿にしてやる、そう右手を振り上げた瞬間、腕と腹に衝撃が走った。鉤爪が食い込むような感触に、強烈な冷気。カーンとサイクスの手にあったのは、凍った多肉カマキリの脚だった。水分を多量に含み、身を守る棘を有する脚は、即席の氷の剣になったのだ。
「サイクス、よく思い付いたな」
「考えてはいた。皆が時間を稼いでくれたおかげだ」
右腕と腹を斬られ、左手を刺し抜かれたヨイカフツは、なおも鋭い視線に殺気を織り交ぜながらリンダ達を見回した。憤怒と憎悪に歪んだ顔には男も女もなく、ただただ昔話に伝わる醜悪なオルウークそのものであった。リンダを突き飛ばし、左手に刺さった銃剣を引き抜く。殺してやる、殺してやると呪詛を吐いていたが、突然動きが止まった。死んだわけではない。
「……分かった、ここは引く」
歪んでいたはずの表情が元に戻り、嘘のように落ち着き払っている。残った四個の宝石の刃を集め、身の回りに浮かべた。
「なるほど、イミノッキが苦戦しただけの事はある……だが、この間にも我らの計画は進んでいる。黒い鎧の、次はその首貰い受ける」
「ま、待て!」
カーンが止めようとするも、宝石の刃はいつでも放たれるように向けられている。その間に、ヨイカフツは足元の地面に潜るように消えていった。しかし、穴が開いた痕跡はない。土の中を移動する魔術のようだった。イミノッキ同様、四天王ともなれば逃げる手段も万全だった。束の間の静寂は、エリックによって破られた。
「リンダ、しっかりしろ、リンダ!」
エリックが動かなくなっていたリンダを抱き起こし、呼び掛けている。ほとんど絶叫に近い声だった。難を逃れていたフィズがゆっくりと近寄り、彼女の顔に頭を撫で付ける。しかし、撫で返す手はなかった。顔からは血の気が引き、ほとんど青白さを含んだ土気色になっていた。手を取ってもひどく冷たい。リンダの意識は、命ある者の世界と最も遠い場所にあった。
蒸気機関拳銃
ニールが違法に所有していた銃火器。かなりの年代物だが、型式や年代は不明で、蒸気文明時代のとある時期に粗製乱造された物とも。
火薬の爆発の代わりに、圧縮した蒸気を瞬間的に解き放つ事で銃弾の推進力にする構造で、その爆圧に耐えるため、全体が硬く重い。
また、火薬を用いない事で術式に干渉しないという性質もあるため、術式爆弾のような弾を変質させずに撃ち出す事が可能。
同様の事を火薬式の銃で行うと、火の術式ならば火力が上がり過ぎて暴発、氷の術式ならば火で相殺されて不発になるなどの問題がある。
蒸気カートリッジも銃と同様に硬く重いが、一定以上の傷や負荷で破裂してしまうため、取り扱い注意。




