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第15話 流恋情花⑤


 それからしばらくして、私も別邸での生活にも慣れてきた。


 火も起こせるようになったし、粥の作り方も覚えた。

 里の市に行けば、薪は売れなかったが、生木の材木で米や大根や芋を交換してくれた。

 何でも生木で桶や樽を作るそうだ。

 生木なら私は取り放題だったから、市で野菜や花の苗を貰った。

 これで別邸の土地で畑が耕せる。

 食事の内容も変化していった。

 樹ばかり切っていても飽きてきたので、山に入って、猪や鹿を弓矢で狩った。

 分け前をやるから、捌き方を教えてくれと村の者に聞いたら丁寧に教えてくれた。

 肉の半分は取られたがな。

 おかげで食事の品に肉が添えられた。

 しかし、味付けが薄い。

 今度シュエに料理の仕方を教わることにしよう。


 汗だくの泥まみれになりながら畑を耕していたら、シュエが薄らと微笑んでいた。

「フフ、主様、意外に馴染んでますね。太守の頃よりお似合いですよ」

「まだまだだ。昼間は忙しいから、夜に書物を読もうとしたら、部屋に藪蚊や蛾が入ってくる始末だ。虫除けの香はないのか?」

「よもぎを素鉢で焚いてみては? あとは部屋に蚊帳を張っておけば蚊に食われずにすみますよ」

「ふむ、用意を……、いや作り方を教えてくれ。それとこないだ、熊を退治しただろう? 里の連中がお礼にと馬と鶏を寄越してきた。全く世話するのに、小屋を作らねばならんではないか」

「……主様。里の人達からなんて呼ばれてるか知ってます?」

「知らん」

「……郷の守り人だそうです。健陽の太守だった頃より評判良いですよ」

「……太守の頃はなんて呼ばれていた?」

「……健陽の大蛇です。過激な政策と厳しい取り締まりのせいで民衆からは恐れられてましたよ」

「……雨が降る前に苗を植えるぞ」


 地震や水害、不幸というものは不意に訪れる。

 虫の知らせや予兆もなく、突如、目の前に立ち塞がるものだ。


 桜の木には花が咲き、春の訪れを知らせた。

 不幸の知らせと共に。

 隠遁生活も落ち着いて来た頃に、それは突然やってきた。

 シュエに手紙が届いた。

 どうやらここから離れた故郷からのものだ。

 内容は最悪だった。

 祖父の危篤を知らせるものだった。

 珍しくシュエが狼狽えていた。

 聞けば健陽の田舎で、徒歩で二週間はかかる遠く、山も険しいらしい。

 女人の一人の長旅など山賊や輩の格好の的だ。

 どうも勘違いしている。

 シュエは一人で歩いて行くつもりなのか?

 私は村人から貰った馬を用意させ、シュエの重くるしそうな荷物を床に置くように伝えた。

「早馬なら一晩で着くわ! 後ろに乗れい!」

 震えていたシュエは涙を隠して、黙って私の後ろに乗った。

 私は全力で馬を走らせた。

 そう、飛ぶが如くのように。


 道中、祖父がどんな御仁なのか、シュエに聞いた。

 茶道に通じていて、陶芸職人であるらしい。

 孫はシュエだけだったらしく、シュエの両親も他界し、大層可愛いがられたそうだ。

 シュエの教養が豊かだったのも祖父の教えの賜物だそうだ。

 私の使用人の娘の正体が茶人の子息だったとは驚きだ。

 だからあれほど弁も達つ訳だ。

 佇まいも気品が滲み出ていた訳だ。


 夜通し馬を飛ばしたおかげで、間一髪、死に目には間に合った。

 シュエは溢れる涙を隠そうとせず、祖父の枝のような手を握っていた。

 シュエの親戚連中が集まって、皆が顔を俯かせ、なんとも辛気臭い場であった。

 中には病に移るのを恐れてか、顔に頭巾をする臆病者までいた。

 私はそれに無性に腹が立った。

 そして初めてシュエを叱りつけた。

「シュエ! 大事な祖父の最期の景色をつまらぬ天井で終わらせるつもりか! これが茶人の最期に相応しき場か!!」

 シュエはなに言ってんだこいつは、とも言いたげな呆れた顔していた。

 だが私は寂しく布団を枕に黄泉路へ迎える光景に苛立ちを覚えた。

 しかも坊主が先走りながらお経を唱えている。


 線香なんぞ焚いておって。

 まるで早く死ねとでも言わんばかりだった。

 あんな散り際があってたまるか。

 とても許せなかった。


 私はシュエの祖父の屋敷を出て、道端に咲く見事な山桜を怒りに任せて引っ越抜いた。

 それを背負い、屋敷の庭先に力任せに埋め込んだ。

 そして屋敷の畳を二つ取り外し、山桜の前に並べた。

 すぐに茶の準備を始めた。

 やがて茶を立てる支度が整ったところで、三味線を奏でた。

 春に相応しい曲調を弦にぶつけた。


 庭先で謎の音色が流れていくのを不思議に思ったシュエが戸を開けると、口をポッカリと開けていた。

 目の前には満開の桜が花吹雪を上げて、茶間が用意されていたのだ、驚くのも無理もない。

 シュエは咄嗟に声を上げようとしたが、それは制止された。

 なんと、先程まで今際の際であった祖父がシュエの手を力強く握ったのだ。

 そしてシュエの祖父は息を吹き返したかのように立ち上がった。

「何と華やかで見事な茶席じゃ……。……三味線まで奏でるとは祭りのようじゃの……」

 私は楽器をしまい、祖父に呼びかける。

「ご老人、渾身の一服を進ぜましょう!」

「フハハ……。……何とも傾奇よるわ、この小僧……。頂こう、最後の茶を楽しもう……」

 先程まで寝たきりだった祖父が即席の茶会で見事に正座し、優雅に佇まい、茶ができるのを待つ。


 シュエは溢れる涙が止まらなかった。

 山桜の散り花が祖父の最期を予見させた。

 私は腕に湯を注ぎ抹茶を点てる。

 泡立てさせ、泡が細かくなったところで、茶筅を静かに抜く。

 点てた茶をシュエの祖父の前に置く。


 シュエの祖父は悠然と一礼し、両手で茶碗を持って感慨深く、それを眺めていた。

 そしてシュエに向かって言葉をかける。


「……シュエ、祖父の最期の茶の道、しかと見よ……。最期のお手前、頂戴致す……」

 シュエは涙を溢しながら、その立派な姿に心を奪われた。

「……お祖父様、あの世でもお元気で……」

 シュエの祖父はゆっくりとその茶を飲み干す。

 そして空の茶碗をウェンの前に置く。

「……ふぅー……。……見事な、そして良き茶であった」

 私は涼しげに笑みを浮かべた。

「お気に召していただき、光栄に存じます」


 シュエの祖父は糸が切れたように、私の胸に倒れ込む。

 その顔は非常に満足そうであった。

 息を引き取ったことを悟るとシュエは駆け出して、祖父の遺体を抱いた。

 人目も憚らず涙を流し、祖父の名を叫んだ。

 俺はシュエに告げた。

「今は泣け。好きなだけ泣くのだ。お主の祖父は見事な茶人であった。立派な徒花であった。この山桜の花弁のように」


 悲しみに暮れるシュエを優しく包むように花吹雪が舞い散り、空の彼方へと飛んでいった。

 まるで雲の彼方へ向かうように花弁は風に運ばれた。

 

 帰り道で後ろに跨るシュエがポツリとこぼす。

「……主様、ありがとうございます……」

 私は聞こえない振りをして、馬を力強く走らせた。


 そして誓った。


 シュエを二度と泣かすまいと。



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