第13話 流恋情花③
健陽の僻地の里の奥の山林に囲われた別邸で私の隠棲生活が始まったんだ。
ボロ屋敷だったな。
一緒に来たシュエはまず大掃除を始めたぞ。
私はせっかくゆっくりできると思って書物でも読もうかと思った。
だが屋敷の中は暗かったので、灯りをつけるために、シュエに火を分けてくれないか、と尋ねたら、埃まみれで床掃除をしていた彼女に叱られたよ。
「主様、自分の家の明かりぐらい、自分でつけて下さい!」
そう言われても、火をくれなければ蝋燭に灯りをつけられないじゃないか。
そのことをシュエに伝えたら、ゲンナリした顔で呆れられたよ。
「主様は火の起こし方も知らずに、火計で倭寇の船を焼いたのですか!?」
物凄く馬鹿にされた気分になった。
シュエは持っていた小さな火打石と火打金を見事に叩いて、麻紐と枯草の束に火を起こしたよ。
けど彼女は意地悪だった。
すぐにふっと息を吹いて、せっかくの火種を消してしまった。
「何故消す!?」
「主様もこれぐらい一人でやってもらわないと困ります。火打道具は置いておきますから、一人で出来るようになって下さい。こんなの庶民の子供でもできることです。本なんて読まずに、暖炉に火をつけて下さい」
意地の悪い娘だ。
私もムキになって火打石を叩いた。
だがいくらやってもシュエのように火は起こせなかった。
百回ぐらい叩いたところで、やっと麻紐が焦げて、やっと枯草が燃えてくれた。
暖炉の中を暖めようと思ったが、中が空だった。
私はシュエに尋ねた。
「暖炉に薪がないぞ?」
「空き家の暖炉に薪なんて入ってる訳ないじゃありませんか。薪も用意せずに火を起こそうとしたんですか?」
だったら最初に教えてくれてもいいじゃないか。
薪か、確か木を小さく切ったものだな。
私は屋敷の側にある雑木林の中に入った。
一番デカい巨木があれば、暫く薪に困ることはない。
帯刀していた大剣で、林の中でも飛び切り大きな巨木を一太刀で両断して見せた。
あまりに大きかったから、大樹が倒れる時に大地が揺れたな。
驚いたシュエが屋敷から何事かと飛び出した。
「主様何やってるんですか?」
「シュエ、見よ。この大木を。これで暫く薪に困らんぞ!」
ポカンとした顔をしたシュエが何か思いついたように、口角を上げて、微笑みかけた。
「では鉈を用意しましょう。その大剣では木を細く切れませんよ」
「みくびるなよ! それぐらい我が剣の技量があれば容易いわ!」
シュエの前だから張り切って、私は自慢の絶技を披露しようとした。
しかし、太い枝は切断できても、巨木を細く斬ろうとすると、どうやっても太さや大きさがバラバラになる。
普段から見ている薪のように均等な丁度いい大きさにならなかった。
汗塗れになった私を見て、シュエは意地悪そうな笑みを浮かべて鉈を差し出す。
最初からこれを使え、と言わんばかりに。
私は項垂れて、鉈を手に取った。
やっと大量の薪ができたので、さっそく暖炉に入れて、また火打石に手こずりながら火種を起こす。
なかなか火がつかん。
せっかくの火種が消えてしまっては元も子もない。
私は落ち葉や枯れ枝を暖炉に入れて必死に火を起こした。
すると暖炉からとてつもない白煙が舞起こり、部屋が煙まみれになる。
いや、部屋どころか、屋敷中が白煙に包まれた。
このままでは死ぬと思って、急いで屋敷から飛び出した。
煤まみれになった私を、埃まみれのシュエが笑いを堪えていた。
「シュエ、いつの間に避難していた?」
「主様に鉈を手渡した時には。ホントに生樹の薪で火を起こそうとしたんですね。主様がいつも見る薪はこんな新鮮な色合いでしたか?」
「いや、もっと硬くて、古びていたな……」
「薪は切ってから、一年は乾燥させないといけません。水分を含んでいますから。屋敷の物置に乾燥してある薪や炭があるのに、なんでこんなことしたんです?」
「……木なら何でも燃えると思ったのだ……」
「庶民の常識がない主様は早く隠居生活を諦めた方が世の為だと思いますが?」
「やってみなければわからぬではないか! まだ始まってもおらん!」
本当に意地の悪い娘だ。
最初から教えてくれれば良かったではないか。
喉が渇いて、沢の水を汲んだ時もそうだった。
何も知らぬ私が飲むのを止めずに、相変わらず意地悪な笑みを浮かべていた。
私が厠に駆け込むことを予見してた癖に。
そして、説教臭く忠告するのだ。
「沢の下流の水は洗濯用です。飲み水は上流から汲んで、水瓶に入れて下さい。これも庶民の常識ですよ」
何より苦痛だったのが食事だ。
雑穀米の味気のない粥を用意したのだ。
「シュエよ、白米は? しかも何故粥にする? おかずは無いのか?」
「これが庶民の食事です。粥があるだけありがたいんですよ? 白米なんて贅沢な食事がしたければ、お城に戻って下さい」
「お主は我に嫌がらせをしているのか?」
「主様、今日は何をしましたか? 屋敷を煙まみれにしてただけじゃないですか。庶民の暮らしは働かざる者、食うべからずです。主様のおっしゃる晴耕雨読がどんなに大変か身を持って知るべきかと思います」
シュエはそう言って不味そうな粥を旨そうに食べていた。
私も仕方なく粥を啜った。
このまま、おめおめと城に戻っては家臣共に馬鹿にされるではないか!
というか、すでにシュエには馬鹿にされている気がする。
おかしい。
私は伏龍のように、世俗から離れて、優雅に暮らすはずだったのに。
そうだ、支度金を多少持って来ていた。
これで明日は白米を食べて、好きな書物を読んで快適な暮らしをするのだ!
目論見は外れた。
里の市では銭が流通していなかった。
物々交換とは石器時代ではないか。
シュエが相変わらず意地悪そうな笑みを浮かべていた。
「僻地の里の村の市で銅貨や銀貨が使われてると思ってたんですか? フフフ、昨日切った薪で、頭を下げて人参でも分けて貰えばいいじゃないですか? 多分呆れた顔して同情してくれるかも知れませんね。もっとも今日は村長に挨拶しに行かなければなりません」
私は首を傾げた。
「何故だ?」
「里から離れた屋敷でも村に住むことになるんですから、挨拶するのは常識です」
「我が農民に頭を下げねばならんのか?」
「嫌ならやらなくてもいいですよ。村八分にされて、市も利用できなくなるでしょうね」
「グヌヌ……」
私は天を仰いだ。
太守の仕事より面倒ではないか。




