第12話 流恋情花②
私の名前はウェン=リンヤン。
10年前には紅皇國の健陽の太守をしていたんだ。
齢は25ぐらいか、父が病弱でね、早くに隠居したから、その歳でリンヤン家の当主の座が転がりこんできた。
もっとも太守になる前も軍役で成果を上げてたし、朝廷でも官吏の仕事で立身出世を遂げていた。
順風満帆だったんだ。
ただ一つだけ思い通りにならないことがあった。
あれはいつだったか、確か港湾都市で暴れていた倭寇を討伐した時だったな。
将として一軍を率いて、港を荒らす海賊衆を蹴散らして、健陽の城に凱旋した時だ。
執務室に向かう途中、取り巻きの副官と家宰と会話しながら、勇み足で歩んでいた。
「飛ぶが如く、飛ぶが如く! 大戦果だ! 副官、この勝利は何を意味する!?」
「は、ウェン太守の将軍としての地位を名実共に明らかになったこと、朝廷の帝もお喜びになると存じます」
「たわけ! 家宰、お前はどう見る?」
「殿に不信を抱く、古参や譜代の家臣、一門衆も殿の政策に従うことになりますな。また、港湾都市安寧は朝廷の直轄領です。その地の倭寇を討伐し、治安を回復させたことは大きな貸しができます。以前奏上した五箇条の政策請願も通り安くなるでしょう。それだけではありません。彼の地はルオ一族が守護代を務めておりました。ルオ家が朝廷内で殿の傘下に入ることも意味します」
「困るぞ、副官! 城を取り仕切る家宰ぐらい頭を働かせろ! その才能を買って若くして取り立てたのだ! ぼやぼやしてると、地方に飛ばすぞ!」
「猛省して、政を学びます! しかし、朝廷、特に保守的な丞相が南蛮交易を我が国で取り入れるでしょうか? 我が健陽では盛んですが、流民問題も関所の警吏では限界があります」
「いいところに気がついた! 五箇条を、十箇条に請願しよう。半分却下されても、これで五箇条は取り入れられるわ! 流民問題については徹底的に取り締まれ! ただし、刑罰を変える。棒打ちなぞ無駄で原始的だ。罪を犯した者は鉱山、開拓の強制労働に従事させろ。労働力の確保だ。家宰、申したい顔をしてるな?」
「恐れ多くも具申致します。流民問題については現在兵役についている常備兵を、平時は警吏や街道の整備、開拓事業に当てれば労働力の確保に繋がりましょう」
「流石だな! 兵を遊ばせないわけか。いいだろう。副官、すぐに家宰と草案を作って、健陽で施行させろ。この地で成功すれば他の太守達も真似しだし、朝廷に奏上出来やすくなる。いいこと尽くめだ! 他にはあるか、副官!?」
「南蛮交易の進捗ですが、西方は香辛料だけでなく、茶葉に関心を示してるようです。ただ、ここ健陽は茶葉の産出量が芳しくなく、他の県から取り寄せる形になります」
「何? 南蛮人は茶葉を欲しがっているのか!? なら開墾政策だ。この健陽の茶葉特産地にしてやろうではないか! そなたらは先に執務室に行ってこい。私は大事な用がある!」
「奥方への挨拶でしょうか?」
「たわけ! あんな政略婚で正室した、鼻が曲がりそうな香と死体のように真っ白な化粧をした女狐なぞ眼中にないわ! 炊事場に咲く白い紫陽花を愛でるのだ! 家宰、申したそうな顔をしておるな!」
「殿もあの娘が気に入ったのなら側室でも、妾でもすればいいではありませんか……。ただの使用人の娘ですぞ……」
「たわけ! 私はあの娘の心を奪いたいのだ。身分なんぞ、知ったことか! 副官、何かいい手土産はないか!? 年頃の娘が気に入るヤツだ!」
「でしたら花などはいかがでしょうか? 薔薇とかが喜ばれるとか……」
「何色の薔薇がいい!?」
「屋敷に珍しい黄色の薔薇が咲いておりました。なかなかの珍種かと?」
「すぐに持ってこい! 包装紙で贈呈用に包め! 両手いっぱいの薔薇であの娘の心を奪ってやるわ! ワハハハハハッ!」
炊事場で働く、白い紫陽花のような娘。
歳の頃は17と聞いた。
紅も化粧もなく、使い古された作務衣でススで顔を汚しながら、釜の火を焚べていた。
その肌は汚れていながら白いのが分かり、切り揃えられたこの国特有の長い黒髪を一つにまとめているが、サラサラと頬にかかるのを少し鬱陶しそうに耳に掛けている。印象的なのはその切れ長の目元で、背が低く、細身であることも合わさってどこか儚げに見える。
その野に咲く健気な花のような美しさに、私の心は奪われていた。
ただ炊事をする彼女の姿に見惚れていた。
彼女の名前はシュエ。
この城で仕える、ただの使用人の娘だ。
当時、私には正室も側室もいた。
だが、私の側にいる女達は政略で結ばれた者達だ。
正直に言う。
嫌いを通り越して、興味が皆無だった。
目の前の白い紫陽花にしか私は動かなかった。
そんなシュエは私がいることに気付くと、物凄く嫌そうな顔をして、訝しんだ。
私の両手いっぱいの黄色の薔薇の花束を見て、大きく溜息を吐く。
「また主様ですか……。どうしたんです? 馬鹿みたいに黄薔薇を大量に持って……」
「其方の贈り物ものじゃ。珍種の薔薇だ。見よ、この黄昏のような色、其方を彩るには相応しいと思わんか!?」
シュエはうんざりしたような顔をした後、無理矢理微笑む。
「主様は黄色の薔薇の花言葉を知ってますか?」
「知らん」
「嫉妬と愛情の薄らぎ、後は友情です。博識なら花言葉を勉強してから、花を贈ることを忠告します」
私は顔を真っ赤にして赤っ恥をかかされたよ。
あの副官、辺境どころか、最前線送りにしてやる!
「花は受け取っておきます。このままだと、怒りに任せて地面に散らされそうなので、そこの花瓶に入れておいてくださいね」
「お前ぐらいだな、この地の太守を当たり前のように指図するのは……」
「いいんですよ、私が炊事をサボって花を愛でても。夕飯が食べられず、飢えるのは主様です」
私は肩を落として、シュエの言うことを聞いたよ。
彼女は正論しか言わない。
ご機嫌伺い、言葉選びもしない。
太守であろうと、全く臆さない。
だが、その正直な態度が当時の私には好ましく映った。
「そうだ! 先日、倭寇退治をしたぞ! 見せたかったな、我の勇姿をな!」
「ふーん」
そんなこと聞いてねーよと、言わんばかりに炊事にシュエは集中していた。
「祖国のために戦ったのに、その態度はないだろう?」
「槍働きしたのは前線の兵でしょ。それに主様のことです。きっと卑怯な手を使って海賊達を懲らしめたんでしょう」
図星だった。
倭寇討伐のために、港湾地区に焦土策を取り、倭寇の大半が陸に上がったのを見計らい、手薄な倭寇の船を火計で沈めたのだ。
シュエは追い打ちをかける。
「そもそも倭寇が暴れるのは裕福な港湾都市だけです。この内陸の健陽に関係ありません。まぁ海賊が山賊に転職するなら話しは別ですが、フフフ」
「何故笑う?」
「そんなこと、主様が職を辞して、平民になるぐらいありえないでしょうね」
シュエは確かに聡い娘であった。
下働きの者なのに、文字の読み書き、書物と読める、教養もある。
化粧や香にしか興味がない奥の女共とは違った。
「そうそう、近いうちに、この健陽で茶葉を大量に収穫するぞ」
「? この地は米の穀倉地帯のはずですが?」
「南蛮人どもが茶葉を欲しがってな。茶葉の開墾開拓を行う予定だ」
「絶対失敗しますね。茶葉の生産法も知らずに……。そもそも茶葉の育つ土地じゃありません。もしそうだったら、祖先は何故健陽で田植えをしてたか、勉強した方がいいですよ」
流石にその時、シュエの指摘には私も腹を立てたよ。
「やって見なければわからぬではないか!」
結果はシュエの読み通りだったよ。
慣れない茶葉の生産、生産方法は書物で読んだ。
だが失敗だった。
土地の相性も悪かった。
何より予想外だったのが、生産方法を教えようにも、肝心の農民や開拓者に文字の読み書きができなかったのが致命的であった。
慣れないことはさせるべきじゃないと心の底から悟ったな。
それからしばらくして、私の官位が上がった。
家臣達の美辞麗句なぞよりも、シュエに聞かせたかった。
「シュエ! やったぞ! 朝廷から平東将軍と太史令に任ぜられたぞ!」
シュエは相変わらずススで儚げな顔を汚しながら、平然としていた。
「主様は帝都で星占いや暦の記録をしに行くんですか?」
「いや、名誉職だ。健陽の太守の任があるからな。それより朝廷の発言力が上がった。我の奏上も通り易くなる!」
シュエは呆れた顔をしていたな。
「名ばかり官職で喜んでるんですか? いい機会だから、星座の勉学でも励んだらどうですか?」
「それだけか!?」
「主様がいくら偉くなっても、私も、この城中、街の人々も豊かになってはいませんよ? それとも主様は自分の出世祝いに、民草に金銀でもばら撒くつもりですか?」
「ぐぬぬ……」
「私は主様の机上の政策の方が心配ですね。主様は上ばかり見て、下の者を見る目がありませんから」
まぁシュエの心配もあったが、健陽は南蛮交易で発展していったよ。
それを目の当たりにした朝廷も南蛮交易政策を取り入れた。
全てが順調だった。
そんな折だ。
皇帝が崩御されたんだ。
そんな時でもシュエは相変わらずだった。
「暦が新しくなって仕事が忙しくなりました」
天下万民が喪に服してる中、知ったこっちゃないと言わんばかりに、炊事や洗濯に取り掛かっていた。
当の私は厄介なことに、次の帝を巡っての跡目争いに巻き込まれてね。
いやー、あの時は大変だった。
普段大人しい副官が言葉を荒げて、
「家臣一同、次期紅皇國の帝は第二王位継承者、ホンファイ殿下を推挙します! 殿のお心を伺いたい!」
私は保守的な第二王位継承者が好きになれなかった。
ただ面倒なことに、一門衆は第一王位継承権を持つホンルー殿下を祭り上げようとしていた。
正直面倒だった。
というか厄介だった。
下手したら、家中を割る惨事になる。
このままだと、宮中の跡目争いで、私の健陽が大混乱に陥ることになる。
すがるように家宰に目配せすると、家宰は両手をあげてていた。
そもそも私の後ろ盾は先帝であり、朝廷も互いにいがみ合っていた。
これでは私がどんな革新的な政策を打ち出したところで、取り下げられる。
このまま大人しく健陽の太守になるか、いや家中が割れたら、太守の座すら危うい。
私の立身出世は終わった。
その頃にはもう政りごとに虚しさを覚えていた。
あまりに家臣達が声を荒げるものだから、私もブチキレた。
「太守の座は弟に譲る! 私は下野する! この健陽の奥地にある別邸で隠遁生活をする! 弟よ、後事を託す。副官も家宰も、家臣一同、皆一丸となってリンヤン家を支えよ! 妻共は実家に帰らせろ!」
私の決断に一番反対したのは家宰だった。
「いくらなんでも下野とは……。殿は下々の暮らしなぞできるとは思えません……」
「やってみなければわからぬではないか! かの伏龍のように晴耕雨読の生き方をしてやるわ!」
啖呵を切った私を見兼ねて、家宰が、下働きのシュエに目配せして、嘆願する。
「シュエ、殿は短気なだけだ。どうせ一月で根を上げる。暫く面倒見てやってくれ」
シュエは心底嫌そうな顔をしながら、渋々承諾した。
その日から私はただのウェンになったんだよ。
シュエが付いて来てくれたことに、新生活に胸が躍った。
あの時は想像もしなかった。
現実の壁にぶち当たる日々がこんなにも困難だったとは。




