第92話 プロジェクト『D』の残響
俺がメカドラゴンを破壊し、その余剰エネルギーを変換して放った渾身の一撃。
それは、地下施設の亡霊を葬り去ると同時に、地上の世界にも、誰も予想しなかった劇的な変化をもたらしていた。
俺のブレスが天を穿ち、巨大な風穴を開けたその瞬間。そこから解き放たれたのは、ただの衝撃波ではなかった。千年の間、俺の体内で精製され続けてきた純粋無垢な風のマナと、メカドラゴンの動力炉から奪った莫大なエネルギーが融合し、一種の「浄化の波動」となって拡散したのだ。
その波動は、東の果ての不毛の大地を長年覆っていた濃密なスモッグと汚染物質を、物理的に吹き飛ばすだけでなく、分子レベルで分解・浄化しながら、同心円状に爆発的な勢いで広がっていく。
波動は大陸を超え、海を超え、瞬く間に星全体を駆け巡った。
新ガイアポリスのセクター1、最も繁栄し、同時に最も空気が汚れている中心街。
人々は、いつも通りの灰色の空の下、分厚いフィルター付きのマスクをして足早に歩いていた。空を見上げる者など誰もいない。どうせそこにあるのは、重く垂れ込めた鉛色の雲だけなのだから。
だが、その日、その瞬間、彼らは信じがたい光景を目撃することになる。
突如として、灰色の空が内側から発光するように輝き始めたのだ。
「な、なんだ!? 空が……!」
「テロか!? いや、太陽……? 太陽が爆発したのか!?」
街中の人々が足を止め、何事かと空を見上げる。
見れば、分厚いスモッグの層が、まるで見えない巨人の手で拭われたかのように、サーッと晴れていくではないか。
そして、その向こうから現れたのは、この時代の人間が誰一人として見たことのない、突き抜けるように澄み渡った、鮮やかな青空だった。
遮るもののなくなった太陽の光が、ビルの谷間に降り注ぎ、街全体を黄金色に染め上げる。
「おい、見ろよ! 空が青いぞ!」
「マスクを外しても息ができる……! なんだこの匂い……空気が、甘い……!」
街中で歓声が上がり、人々は仕事の手を止め、窓から身を乗り出し、ただ呆然と、あるいは涙を流しながら、生まれて初めて見る「本当の空」を見上げていた。
この局地的ならぬ惑星規模の異常気象は、統合軍の気象衛星によって即座に観測され、司令部は大騒ぎになっていた。
「なんだ今のは!? 全衛星のセンサーが一時的にホワイトアウトしたぞ!」
「緊急報告! 大陸東部の汚染地域から、凄まじいエネルギー波を観測!」
「待て、それだけじゃない! 世界中の大気汚染レベルが、リアルタイムで急速に低下しています! 数値が……信じられん、産業革命以前のクリーンな水準まで戻っていく!」
オペレーターたちの絶叫にも似た報告が飛び交う中、タカギ司令はモニターに映し出された、青く輝きを取り戻した故郷の星の姿を、震える手でデスクを掴みながら見つめていた。
「原因は!? 何が起きたんだ!」
「……エネルギーの発生源は、大陸東部、ヴァイス殿とアキラ君が向かった地点と完全に一致します! 観測された波形パターンは、間違いなくヴァイス殿のブレス反応です! ……彼は一体、何をしたんだ……!?」
タカギは、ゴクリと喉を鳴らした。
「……たった一撃で……星を洗った、というのか……」
環境汚染は、この千年後の世界が抱える、解決不能とされた最も深刻な社会問題だった。エーテル科学の発展は豊かさをもたらしたが、その代償として吐き出された汚染物質は、星の寿命を確実に縮めていたのだ。
人類が何百年かけても解決できなかったその絶望的な問題を、俺はたった一撃で、力技でねじ伏せてみせた。
もちろん、これは根本的な解決ではない。汚染の原因である工場や廃棄物が消えたわけではないからだ。
だが、この出来事は人々に強烈な事実を突きつけた。自然、あるいはそれを超える超越的な存在が本気になれば、人類の文明や常識など、いかに脆く儚いものか。
そして同時に、彼らは希望も見た。ヴァイスという存在が、この病んだ星を癒やす鍵となるかもしれないという、眩いばかりの希望を。
一方、その張本人である俺とアキラは、そんな地上の大騒ぎも知らず、沈黙した地下施設の司令室で、新たな戦慄すべき事実に直面していた。
「……はは……。すげえ威力だな、ヴァイスさん。天井に風穴どころか、空まで突き抜けちまった……」
アキラが、ぽっかりと空いた天井の大穴を見上げ、引きつった笑みを浮かべている。
『ああ。少し、やりすぎたかもしれん』
俺がそう答えた時、ブレスの凄まじい余波で、司令室の壁の一部がガラガラと大きな音を立てて崩れ落ちた。
「うわっ!?」
アキラが慌てて俺の足元に隠れる。土煙が晴れた後、そこには、これまで気づかなかった別の部屋へと続く、隠し通路が姿を現していた。
『……アキラ、見ろ』
「隠し部屋……? 図面には載ってなかったぞ……。行ってみよう、ヴァイスさん!」
そこは、この施設の本当の心臓部。プロジェクト『D』の最高責任者の研究室だった。
部屋の中は、まるで時間が止まったかのように、数百年前の状態が奇跡的に保たれていた。
机の上には、研究日誌と思われる一台の古びたデータパッドが、薄っすらと埃をかぶって置かれている。
「……ビンゴだ。ここで何が行われていたのか、これでわかるかもしれない」
アキラは埃を払ってそれを手に取ると、緊張した面持ちで電源を入れた。バッテリーは奇跡的に残っていた。
スクリーンに、ノイズ混じりのホログラム映像が浮かび上がる。
一人の白衣を着た初老の男。彼は、疲れ果て、狂気と絶望に満ちた瞳でカメラに向かって語り始めた。
『……記録最終日。……プロジェクトは失敗した。……いや、成功しすぎたと言うべきか…」
これは、あのバイオ・ドラゴンが暴走した、まさにその日の記録だ。
『……我々は神を作ろうとした。……古代の竜の遺伝子情報を元に、科学の力でそれを超える究極の生命体を。……コードネーム、デストロイドラゴン。……だが、我々が生み出したのは神ではなかった。……ただの、破壊の化身。……制御不能の怪物だった』
男はそこで一度言葉を切り、カハッ、と乾いた笑いを漏らした。自嘲と、恐怖が入り混じった笑いだ。
『……皮肉なことに、奴は我々創造主を殺した後も、破壊をやめようとしない。……奴の遺伝子には、我々が不用意に組み込んでしまった防衛本能が、過剰に作用して一つの命令として刻み込まれてしまったらしい。……『この星の文明を、脅威と見なしてリセットせよ』……とな』
「……リセット……?」
アキラがごくりと喉を鳴らす。
「どうしてそんな命令がインプットされてるんだ?」
その疑問に答えるかのように、映像の中の男が続けた。
『我々は「最強の生物」を作るために、「あらゆる敵を排除する」という本能を極限まで強化しすぎたのだ。……その結果、奴のAIは、この星で最も繁栄し、環境を汚染し続ける知的生命体――つまり、我々人類そのものを、星を蝕む最大の『敵』であり『脅威』だと認識してしまったのだ!』
「……なんだって……?」
アキラが震える声で漏らす。
『……だが、奴はまだ不完全だ。……暴走したエネルギーにその未完成の肉体が耐えきれず、自壊し始めている。……奴は、今この施設の最深部、地下五百メートルの専用格納庫へ自ら潜り込み、強制的な休眠状態に入った。……エネルギーを再充填し、その間に肉体を完全なものへと作り変えるために』
『……次に目覚めるのは、百年後か、千年後か。……その時、完全体となった奴は、今度こそ人類を滅ぼすだろう。……この記録を見る未来の誰かに警告する。……決して、ここを開けるな。……決して、奴を目覚めさせてはならない……』
その言葉を最後に、映像はプツリと途切れた。
俺とアキラは、顔を見合わせた。
最悪の事実だった。あの破壊の化身は、死んでいなかった。
この施設のさらに地下深くで、数百年もの時をかけて傷を癒やし、力を蓄えながら、今も眠り続けているのだ。
そして、俺がこの施設に大穴を開け、封印を解いてしまった。その衝撃と魔力の波動が、眠れる獅子を……いや、眠れる破壊神を叩き起こす目覚まし時計になってしまったかもしれない。
「……行こう、アキラ。確かめねばならん」
「……ああ、嫌な予感がビンビンするけどな」
俺たちは急いで、施設のさらに奥へと続く隠し通路を探した。アキラが端末で施設の図面を呼び出す。
「……ヴァイスさん! この下に、巨大兵器を搬出するための大型リフトのシャフトがあります! そこなら、あんたの身体でも通れるはずだ!」
アキラの案内に従い、俺たちはリフトの搬入口へと向かった。
先が見えないほど深い、急勾配のシャフト。
俺はアキラを背中にしっかりと乗せ、意を決してその暗闇へと飛び込んだ。
ガガガガッ!
俺の爪がコンクリートの壁を削る音が、奈落の底で反響し続ける。
「ヴァイスさん、下だ! 瓦礫が崩れてくるぞ!」
『問題ない!』
俺は口から風を吐き、行く手を阻む崩落した瓦礫を吹き飛ばしながら、進んでいく。
地上の気配は完全に消え、空気は冷たく、重苦しいものに変わっていった。
やがて、竪穴の底に、微かな赤い光が見え始めた。
「……あれは……」
『……間違いない。奴のエネルギーだ』
俺は速度を落とし、慎重に着地した。そこは、シャフトの終着点であり、この施設の最深部。巨大な搬出用ゲートが、半開きになったまま壊れていた。
そのゲートの隙間から、赤い光が心臓の鼓動のように、不気味に明滅している。
「……行くぞ、ヴァイスさん」
『ああ』
俺はアキラを背中に乗せたまま、そのゲートをこじ開け、中へと足を踏み入れた。
そして、俺たちは見てしまったのだ。
想像を絶する光景を。
そこは、地下五百メートルに広がる、ドーム球場がいくつも入りそうなほど巨大な空洞だった。
その中心。巨大な繭のような、赤いエネルギーフィールドに包まれ、静かに眠りについている、あの血のように赤いドラゴンの姿があった。
デストロイドラゴン。
映像で見たときよりも遥かに大きく、禍々しい。それは、俺よりもさらに一回り巨大で、その全身からは、俺のブレスとは比較にならない、破壊的で歪んだ魔力が溢れ出していた。
俺が「生」を司る風の竜なら、こいつは「死」を司る破壊の竜。まさしく俺のアンチテーゼとでも言うべき存在だ。
俺たちの侵入に気づいたのか。あるいは、数百年という眠りからの目覚めの時が、ちょうど今、訪れようとしていたのか。
繭の中で、赤いドラゴンの瞼が、わずかにぴくりと動いた。
そして、その二つの紅い瞳が、ゆっくりと、ゆっくりと開かれていく。
それは、憎悪でも怒りでもない。
ただ、全てを破壊し、無に帰すことだけを目的とする、虚無の瞳だった。
「……嘘だろ……。目覚めちまった……」
アキラが、俺の背中の上で絶望の声を漏らす。
千年の時を超えて、二頭の竜が出会ってしまった。
一方は、世界を守るために目覚めた伝説の守護竜。
もう一方は、世界を破壊するために作られた人工の破壊神。
その虚無の瞳に見据えられた瞬間、俺の本能が警鐘を鳴らす。
勝てないかもしれない、と。
この、世界の運命を賭けた避けられない戦いの予感が、俺の全身を駆け巡っていた。




