第90話 千年の亡霊
ウウウウウウゥゥゥゥーーーーーッ!!!!
突如として司令室全体に鳴り響いたけたたましい警報音と、壁や天井で激しく点滅する赤い非常灯。それは、俺たちがこの施設の予備電源を復旧させたことで、数百年ぶりに防衛システムが再起動したことを告げる、絶望のファンファーレだった。
ガコンッ! ズシンッ!
俺たちが破ってきた背後の扉が、何重もの分厚いロックバーが下りる重々しい音を立てて、完全に閉鎖された。
「くそっ、退路が……!」
アキラが焦って振り返るが、もう遅い。
だが、俺はまだ動じていなかった。あの程度の扉、もう一度こじ開ければいい。
本当の問題は、出口ではない。目の前の深い闇の奥から、静かに、しかし確実に近づいてくる、未知の敵の気配だった。
カシャ……カシャ……ウィーン……。
規則正しく、冷たく、そして明確な殺意を帯びた、機械の駆動音。
まるで、長い眠りから覚めた機械が、関節の錆を落としながら身体を慣らしているかのような、不気味な音だ。
ライトの光が、闇の中からゆっくりと現れるその影を捉えた。
影は、通路の入り口でピタリと止まり、その全身を俺たちの前に晒す。
先ほど映像で見た、醜悪な肉塊のようなバイオ・ドラゴンではない。
全長五メートルほど。山のような俺の巨体に比べれば、はるかに小さい。だが、その全身は黒光りする未知の特殊合金で隙間なく覆われ、関節部のシリンダーからは、数百年溜まった油と冷却用の蒸気が、プシュー、プシューと不規則に漏れ出ている。
まさしく「機械の竜」。古代の竜のフォルムを模して造られた、完璧な殺戮機械。メカドラゴンとでも呼ぶべき存在だ。
その顔面にある、ただ一つの真紅の単眼が、ギョロリと動き、俺とアキラの姿を正確にロックオンした。
『―――侵入者ヲ確認。生体反応、2。危険度判定……測定不能。……プロトコル7ニ従イ、直チニ排除ヲ開始シマス』
感情のない合成音声が、冷え切った司令室に不気味に響き渡る。
「おいおい、マジかよ……。数百年経ってもまだ動く警備システムが残ってたのか……!」
アキラが顔を引きつらせ、俺の巨大な前足の影に隠れる。
「ヴァイスさん! 気をつけてくれ! あいつ、タダモノじゃないぞ! あの時代の科学力で作られた兵器だ、何をしてくるかわからない!」
『……ふん。心配するな、アキラ』
俺は余裕たっぷりに鼻で笑った。
『ただの古臭い鉄屑が。少々頑丈そうだが、この前の軍の兵器と大差あるまい。俺がブレスを放つまでもない。前足の一振りでスクラップにしてくれるさ』
俺は、悠然とメカドラゴンに向かって一歩を踏み出した。この程度の相手、魔力で強化した爪で叩き潰せば、一撃で終わる。
だが、俺がその一歩を踏み出した、まさにその瞬間だった。
ブウウゥゥゥン……!!
メカドラゴンの背中にある放熱板が音もなく開き、その機体全体から、青白い不可視の光の波動が放たれた。
そして、司令室全体に、空気が鉛のように重く澱むような、奇妙な圧迫感が満ちていく。
その波動を浴びた瞬間、俺は、身体の芯が急速に凍りついていくような、これまで一度も経験したことのない異変を感じた。
「……なっ……!?」
力が、入らない。
俺の体内に、まるで海のように満ち溢れていたはずの、あの熱く滾る膨大な魔力が、蛇口を捻られた水道のように、急速に霧散し、消えていくのを感じた。
まるで、俺の身体から血を抜き取られるように、魂のエネルギーだけが根こそぎ抜き取られていくような、おぞましい脱力感。
視界の端で、白銀に輝いていた俺の鱗が、その神秘的な光を失い、ただの白い皮膚に戻っていくのが見えた。身体を強化していたマナのオーラが、陽炎のように掻き消えていく。
「……こ、これは……『アンチ・マナ・フィールド』……!?」
アキラが、腕の端末に表示された異常な数値を見て、驚愕の声を上げた。
「……ヴァイスさん! 気をつけろ! そいつ、周囲の魔力を完全に無効化するジャミングフィールドを張ってるぞ! この空間じゃ、魔法が一切使えない!」
アンチ・マナ・フィールド。
それは、この時代の軍ですら理論上でしか存在しない、対魔法兵器の究極系。
魔法の根源であるマナの粒子そのものを分解・中和してしまう、まさに「魔法殺し」の結界。千年前、魔王軍ですら完成させられなかった禁断の技術だ。
竜である俺にとって、魔力は血液と同じ。それを封じられた俺は、このフィールドの中では、ただの巨大で頑丈なだけのトカゲと何ら変わらなくなってしまったのだ。ブレスも、身体強化も、蜃気楼の盾も、そして飛行能力さえも、全てが完全に失われた状態で。
『……対象ノ魔力反応消失ヲ確認。……物理攻撃フェーズヘ移行シマス』
メカドラゴンは、無慈悲にそう告げると、その鋼鉄の顎を大きく開いた。
口内には、生物的な牙ではない。無数の銃口が束になった、回転式の六銃身ガトリング砲が装備されていた。
「やばい! 伏せろ、ヴァイスさん!」
アキラが叫ぶが、もう遅い。
ダダダダダダダダダッ!!
鼓膜を破るような凄まじい発射音と共に、マッハの速度で回転する銃口から、無数の特殊徹甲弾が火を噴き、俺の巨体に撃ち込まれた。
魔力による強化ができていれば、軍のパイルバンカーすら耐えたこの鱗だ。弾き返せただろう。
だが、今の俺はただの生物。
「ぐっ……!!」
バキン! グシャッ!
いとも容易く、自慢の白い鱗が砕け散り、その下の分厚い皮膚と肉がえぐられる。
熱い、焼けるような痛みが全身を走る。
千年ぶりに、俺は本物の、生々しい「痛み」を味わっていた。
「ヴァイスさん!!」
アキラが悲鳴を上げる。
まずい。このままでは、ただの的だ。
俺は痛みをこらえ、後退してなんとかフィールドの効果範囲外へと逃れようとした。
だが、メカドラゴンはその機械的な思考回路で俺の意図を正確に先読みし、足元のスラスターを噴かして高速で回り込み、閉ざされた扉の前を塞いだ。
『……逃ガシマセン。ココデ死ンデモライマス』
「くそっ! なんて動きだ……!」
そして、メカドラゴンは今度はその長い尻尾を、鞭のようにしならせた。
その先端には、青白く発光する高周波ブレードが装備されており、キィィィンと空気を切り裂く不快な振動音を立てている。
ヒュンッ!
尻尾が、俺の右前足に叩きつけられた。
高周波で振動する刃は、俺の肉を、まるで熱したナイフでバターを切るように、いとも容易く、そして深々と切り裂いた。
「ぐおおおおっ!」
俺はたまらず、苦痛の咆哮を上げた。傷口から鮮血が噴水のように床に飛び散る。
信じられない。
魔王ゼノンと互角に渡り合い、数々の伝説を打ち立ててきた、最強の種族であるこの俺が、ただの機械人形一体に、これほどまでに一方的に追い詰められるとは。
これが、科学の力。人類が、神の領域にまで踏み込んで作り出した、禁断の技術の力なのか。
『……ヴァイスさん! 諦めないでくれ! なんとか時間を稼いでくれ!』
その時、アキラの必死な声が、俺の頭ではなく、耳に直接届いた。
彼は、この絶望的な状況の中、恐怖に震えながらも、決して諦めてはいなかった。
彼は再び施設のメインコンソールに向かい、猛烈な勢いでキーボードを叩いていたのだ。
『こいつのシステムを直接ハッキングしてる! ……ここの制御権を奪えば、敵の動きを止めるか、あるいはこの忌々しいフィールドを解除できるかもしれない! ……だからそれまで、なんとか持ちこたえてくれ!』
アキラの言葉に、俺はハッとして我に返った。
そうだ。俺は一人ではない。
俺には、この千年後の世界でできた、最初の、そして最高の相棒がいる。
魔力が使えなければなんだというのだ。
俺には、この千七百年の時を生き抜いてきた巨体と、鋼のような筋肉と、鋭い牙と爪がある。
そして、何よりも、数々の死線を潜り抜け、最強の敵たちと渡り合ってきた、戦闘の経験がある。
俺は、ただの巨大なトカゲではない。
俺は、風竜ヴァイスだ。
「……なめるなよ、鉄屑が」
俺は、傷口から流れる血の混じった唾を吐き捨て、低い唸り声を上げた。
ズシン、と大地を踏みしめ、再びメカドラゴンに向き直る。
その青色の瞳には、もはや慢心も、焦りも、恐怖もない。
ただ、目の前の敵を屠るための、絶対的な王者の闘志が、静かに、しかし激しく燃え盛っていた。
ここからが、本当の戦いだ。
魔法を封じられた伝説の竜と、竜を狩るために作られた千年の亡霊。
原始の力と、究極の科学。
二つの力が今、地下深くの闇の中で激突する。
『来い! 貴様のその装甲、俺の牙で噛み砕いてくれるわ!』




