第88話 東の果て、森の残照
自由の身となった俺と、正式に俺の相棒となったアキラの世界を巡る旅が、いよいよ始まろうとしていた。
出発の日の朝、人工島の巨大格納庫は、いつになく賑やかな空気に包まれていた。
統合平和維持軍は、タカギ司令の約束通り、俺たちの旅に全面的な協力を惜しまなかった。
「いいかアキラ、これが最新型の全環境対応サバイバルキットだ。食料から医療品、小型のテントまで全部入ってる。それからこっちの端末は、軍用の量子暗号通信機能付きだ。どんな辺境からでも、俺たちと連絡が取れる」
タカギ司令自らが、山のように積まれた装備品を一つ一つ指差し、アキラに説明している。
その横には、なぜかガストンとシルビアの姿もあった。
「おいおいアキラ、お前がヴァイス様と二人きりで旅に出るって聞いたから、心配で見に来てやったってのによ。ただの豪遊じゃねえか」
無骨なドワーフのガストンが、最新鋭の機材を眺めて軽口を叩く。
「馬鹿なこと言わないの。アキラ、あんたヴァイス様と一緒だからって油断するんじゃないわよ。何かあったら、この私たちがいつでも駆けつけるから。……わかってる?」
銀髪のエルフ、シルビアがアキラの襟を正しながら、母親のように釘を刺す。どうやら、俺たちの出発の噂を聞きつけ、わざわざ休暇を取って駆けつけてくれたらしい。
「うおお……! 最新型の地層探査ドローンまであるじゃないですか! これ、市場じゃ一千万クレジットはしますよ!?」
二人の心配をよそに、アキラは子供のようにはしゃいでいた。
「へへっ、サンキュー、二人とも! でも大丈夫さ。俺の相棒は、世界最強の竜なんだからな!」
アキラが俺を見上げて、ニッと笑う。
その代わり、というわけではないが、俺たちの旅の記録――訪れた場所の地理データや、発見した遺跡の情報などは、リアルタイムで軍のデータベースに送信されることになっている。
「協力」という名の体裁の良い「監視」でもあるが、タカギのような男がトップにいるなら、そう悪いようにはされないだろう。俺にとっては、アキラの飯の心配をしなくて済むだけで十分だ。
「ヴァイス殿。準備はよろしいかな?」
タカギが俺を見上げ、問いかける。
『ああ。いつでも行ける』
「では、お気をつけて。……アキラ君、ヴァイス殿を頼んだぞ」
『逆だ、タカギ。こいつが俺の世話を焼くんだ』
俺がそう言うと、その場にいた全員がどっと笑った。
俺は、背中に専用のハーネスで固定されたアキラを乗せ、大きく翼を広げた。
見送る仲間たちに別れを告げ、俺は滑走路を力強く蹴って、青空へと舞い上がる。
最初の目的地は、大陸の東の果て。
千年前、そこには「アーベル亜人連合」の首都があり、エルフたちが守る美しい世界樹の森が広がっていたはずだ。
ルシルとの約束の地。
俺は一路、東を目指して翼を動かした。
何日も、何日も飛び続けた。
眼下に広がるのは、どこまでも続くメガロポリスの光の海だ。
夜になれば、地上はまるでひっくり返した宝石箱のように煌めき、それはそれで美しい光景ではあったが、俺の心はどこか満たされなかった。
「すごいなあ……。こうして空から見ると、本当に人間って星を埋め尽くしちまったんだな」
俺の背中の上で、アキラが感慨深げに呟く。
「千年前は、ここらへん、全部大森林だったんですよね? カイルさんたちが馬車で何日もかけて旅したっていう……」
『ああ。木々の間を吹き抜ける風の匂いも、せせらぎの音も、もうどこにもない。……ただ、排気ガスの匂いと、機械の駆動音だけだ』
「まあまあ、そう言わずに。これはこれで、人類の努力の結晶ですよ。……あ、見てくださいヴァイスさん! 自然保護区だ!」
アキラが指差す先には、周囲を高層ビル群に囲まれた、巨大なドーム状の施設があった。そのガラス張りのドームの中には、人工の太陽光の下で青々とした森林が広がっている。
ところどころに、そういった「自然保護区」として厳重に管理された山や森が見えるが、それはまるでガラスケースの中の盆栽のようで、俺にはどこか息苦しさを感じさせた。
かつて俺が自由に飛び回っていた、あのありのままの広大な大地は、もうどこにもないのだろうか。
数日間の飛行の後、都市の光が途絶え、景色は一変した。
やがて、俺たちは大陸の東端にたどり着いた。
眼下に広がるのは、都市化の波から完全に取り残されたかのように、ただただ荒涼とした灰色の大地。そして、その上空は、都市部とは比較にならないほど濃密で、有毒な化学物質を含んだ黒いスモッグに覆われていた。
『アキラ、マスクを装着しろ。空気が悪い』
「了解! ……うわっ、本当にひどいな、このスモッグ。視界がほとんどないや」
俺は速度を落とし、厚い雲の中を慎重に降下していく。
やがて雲を抜けると、そこに広がっていたのは、息を呑むほど絶望的な光景だった。
大地は乾ききってひび割れ、立ち枯れた木々が墓標のように点在しているだけ。草一本生えていない。
まるで、巨大な爆弾でも落ちて、全ての生命を根こそぎ奪い去ったかのような、完全な不毛の土地。
「……ひどいな……。いったいここで何があったんだ?」
アキラが、高性能フィルター付きのマスク越しに絶句している。
「トレジャーハンターのギルドじゃ、この辺りは『呪われた土地』って呼ばれてるんです。公式記録じゃ、数百年前の大規模な環境再生計画が原因不明の失敗に終わって、以来、草木も生えない死の大地になったって……。それにしても、これは異常すぎる」
『……呪い、か。あながち間違いではないかもしれんな』
俺は、大地に残る微かな魔力の残滓を鼻で感じ取り、そう断言した。アキラの言う「再生計画の失敗」などという生易しいものではない。
『……何か、とてつもなく巨大で、歪んだエネルギーが、この土地の生命力そのものを、根こそぎ喰らい尽くした後のようだ』
その魔力の質は、俺の知っているどの精霊魔法とも違っていた。人工的で、無機質で、どこかおぞましいエネルギーの臭い。
『アキラ、降りるぞ。中心部を調べる』
「了解!」
俺たちは、その不毛の大地の中心部と思われる場所へと慎重に降り立った。乾いた土と岩が、俺の着地の衝撃で音もなく砕け散り、砂埃となって舞う。
かつて、天を突くように聳え立っていたはずの世界樹。その面影はどこにもない。
ただ、その跡地と思われる場所に、直径数キロにも及ぶ巨大なクレーターが、ぽっかりと口を開けているだけだった。
「……クレーター……? 自然にできたものじゃないな。隕石の落下跡にしては形が整いすぎてる。まるで、巨大な爆発が内側から起きたみたいだ……」
アキラが訝しげに呟く。
『いや、違うな。これは外からの攻撃によるものだ。……それも、とてつもなく強大な』
「え?」
『俺が底を調べてくる。お前は上から周囲を警戒していろ』
「待ってください、ヴァイスさん。その前に、試してみたいことがある」
アキラは背中のバックパックから、掌サイズの球形のドローンを取り出した。
「最新型の広域エネルギー探査機です。こいつでスキャンすれば、地下に何かあるかどうかわかるかもしれない」
アキラが端末を操作すると、トンボは静かに浮上し、クレーターの上空でホバリングを始めた。そして、目に見えないスキャンパルスを地面に向かって照射し始める。
数分後。アキラの端末が、ピピピピッ!と甲高い警告音を発した。
「……ビンゴだ! ヴァイスさん! ……このクレーターの地下、深度数百メートルに、何か巨大なエネルギー反応がある!」
アキラが興奮して画面を覗き込み、声を張り上げる。
「自然の地熱じゃない、今も稼働している人工的な動力炉のような、規則正しいパルスだ! 間違いない、この下に何かある!」
『……よし。ならば、道を作るまでだ』
俺はアキラに合図し、クレーターの底へと降下した。壁面を注意深く観察し、人工的な構造物を探す。
そして、俺はそれを見つけた。
壁面の一部、周囲とは明らかに材質の違う、風化して苔むした巨大な金属製の扉。何十年、いや何百年も人の手で開けられた形跡はなく、完全に土砂と岩に埋もれて隠されていた。




