第87話 新たな共存の形
オオトリ将軍とその一派による愚かな反乱劇は、司令官タカギの迅速かつ的確な対応によって、あっけなく鎮圧された。
だが、その爪痕は統合軍の内部に、深く、そして静かに刻み込まれることとなる。
数日後。新ガイアポリスにある統合軍本部の、窓一つない地下深くの法廷。
この場所は、国家に対する最も重大な反逆行為を犯した者を裁くためだけに存在する、特別な軍法会議室だ。
冷たく無機質な部屋の中央に、被告人席がポツンと置かれている。そこに座らされているのは、数日前まで軍の最高幹部として権勢を誇っていたオオトリ将軍と、彼に与した十数名の将校たちだった。
彼らはもはや将官のきらびやかな軍服ではなく、囚人を示す簡素な灰色の衣服に身を包み、その手首には魔力封じの機能までついた重々しい電子手錠がかけられていた。
かつての傲慢な光を失い、死人のように項垂れる彼らの前に、検察官役を務めるタカギが静かに立った。
「……検察側より、最終論告を行う」
タカギは、手元のデータパッドには一切目を落とさず、オオトリの虚ろな瞳を真っ直ぐに見据えながら、淡々と、しかし一言一句に重みを込めて語り始めた。
「……被告人オオトリは、統合軍将軍というその絶大な権限を私的に乱用し、正当な指揮系統を無視して一個基地を不法に占拠。……あまつさえ、我が軍の賓客であり、人類の友であるヴァイス殿に対し、明確な殺意をもって攻撃を加えた」
法廷が静まり返る。
「……彼の独断専行は、基地の壊滅的被害だけでなく、ヴァイス殿の逆鱗に触れ、我々人類そのものが殲滅されるという、最悪の事態を招きかねない愚行であった。……幸い、ヴァイス殿の寛大なる御心によって我々は許されたが、一歩間違えば、我々全員が今ここに存在していなかった可能性は極めて高い」
タカギはそこで一度言葉を切ると、最後の、そして最大の罪状を告げた。
「……さらに彼は、追い詰められた末に、国際条約で固く禁じられている戦略級殲滅兵器『フェニックス』の起動を試みた。……これは、対岸の都市に住む数百万の無辜なる市民の命を、自らの野心のための盾にしようとした、断じて許されざる非人道的行為である」
「……異議あり」
オオトリの弁護人がか細い声で立ち上がったが、白髪の裁判長はそれを手で制した。
「異議を棄却する。続けなさい、タカギ司令」
オオトリは、その場で初めて顔を上げ、獣のように唸った。
「……タカギ……! 貴様……!」
「……黙れ、被告人」
タカギは冷たく言い放つ。
「貴様に、もはや発言する権利はない。……以上の事実に基づき、検察側は、被告人オオトリ、並びにその共犯者たちに対し、国家反逆罪の最高刑を求刑する」
法廷内に、誰かが息を呑む音が響いた。
最高刑。それは、この管理社会においては銃殺刑よりも残酷とされる「記憶消去の上での再社会化」――つまり、人格の完全な死を意味していた。
しかし、裁判長は数分の審議の後、意外な判決を言い渡した。
「……判決を言い渡す。……被告人オオトリ、並びに共犯者たちよ。貴様らの独断専行は、タカギ司令の言う通り、人類存亡の危機すら招きかねない重大な背任行為である。本来であれば、最高刑をもって処断されるべき事案だ」
裁判長は、オオトリを憐れむような目で見つめた。
「……だが、今回に限り、ヴァイス殿御本人より『寛大なる処置を望む』との、直々の嘆願があった。……友であるタカギ司令に刃を向けた者を、これ以上罰することは望まない、と。……その温情に鑑み、本法廷は、貴官らの階級を全て剥奪し、極刑に代わり終身刑に処す。二度と日の目を見ることはないと思え」
その判決を聞いた瞬間、オオトリは力なくその場に崩れ落ちた。自分を殺そうとした相手に、命を救われた。その皮肉な事実が、彼のちっぽけなプライドを完全に粉砕したのだ。
「連れて行け」
裁判長の冷たい声と共に、警備兵がオオトリの両脇を抱え、引きずるように法廷から連れ出していった。彼は最後まで、一言も発することはなかった。
この一件は、統合軍の恥部として「内部機密」扱いで厳重に処理され、世間に公表されることはなかった。
だが、軍の内部では、この出来事は決して忘れられない大きな教訓として深く刻まれた。
士官学校の食堂、訓練場の片隅、あらゆる場所で、兵士たちは囁き合った。
「……聞いたか? オオトリ派の連中、全員地下の永久懲役施設送りになったらしいぞ」
「当たり前だ。あのヴァイス様に手を出そうとしたんだからな。……第一、あの飛行テストのデータを見ただろ? 俺たちの兵器じゃ、赤子扱いだ」
「ああ。……俺たちは、神話の生き物と、危うく戦争するところだったんだ」
―――竜を怒らせてはならない。
そして、ヴァイスという存在は、人類の科学力で管理・制御できるレベルを遥かに超えている。
その、厳然たる事実を、上層部から末端の兵士に至るまで、誰もが骨身に沁みて再認識したのだ。
事件の後処理が一段落した数日後。
タカギがアキラを伴って、再び俺の格納庫を訪れた。
俺が派手に吹き飛ばした格納庫の巨大シャッターや、レーザーで穴だらけになった天井は、軍の工兵隊による昼夜を問わぬ突貫工事で、ようやく応急処置が終わったところだった。
溶接の火花が散り、クレーンが鉄骨を運び込む騒々しい音の中で、タカギは俺の前に進み出ると、軍人として最大限の敬意を示す直立不動の姿勢で、深々と頭を下げた。
「……ヴァイス殿。……この度の、我が軍の一部の愚かな暴走……。心よりお詫び申し上げる。……管理不足の極みであり、弁解の言葉もない」
俺は、寝そべったまま片目を開け、その真摯な謝罪を受け止めた。何も言わない。ただ、黙って彼を見下ろしている。
タカギは顔を上げると、真っ直ぐな瞳で続けた。
「……今回の一件で、我々は思い知った。……貴殿を我々の狭いルールで縛り、この基地という鳥籠に留めておくことは、もはや不可能であり、そして何より、貴殿に対してあまりにも無礼なことだと」
彼は一度言葉を切り、一つの決断を俺に告げた。
「……我々は、貴殿との関係を根本から見直すことにした。……もはや貴殿は、我々の監視対象でも、管理下の生物でもない。……貴殿はこの世界の、我々と対等な一員だ」
「……ほう?」
俺は興味深そうに首をもたげた。
「……まず、貴殿を「保護下」という、軍属の立場から解放する」
タカギは言った。以前、俺とアキラに与えられた暫定的な肩書きだ。
「……代わりに、貴殿をどの国家にも属さない、完全な独立主権を持つ『特別調停官』として遇したいと考えている。……これは単なる肩書ではない。貴殿には完全な自由を保証する。……この世界のどこへ行こうとも、何をしようとも、我々は一切干渉しない。移動の制限も、調査への強制もない」
『……ずいぶんと気前のいい話だな。俺がその自由な力で、第二のオオトリにならんとも限らんぞ?』
俺が試すように言うと、タカギはふっと笑みを浮かべた。
「貴殿は、そのようなお方ではない。我々は、この目で見て、それを確信している。それに……」
彼は言葉を続けた。
「……我々が貴殿を縛ろうとすること自体が、傲慢な思い上がりだったのだ。貴殿の力は、我々の物差しでは測れない。ならば、我々がすべきは管理ではなく、信頼だ。……貴殿の善意を信じ、この星の未来を共に歩むパートナーとして、敬意を払うこと。……それが、我々が出した結論だ」
『……自由、か』
千七百年以上生きてきて、初めて与えられる絶対的な自由。それは、心地よくもあり、同時に重い響きを持っていた。
「そうだ。だが、ただ一つだけ……個人的な『願い』として聞いてほしいことがある」
タカギの表情が、少しだけ崩れた。司令官ではなく、一人の人間としての顔になる。
「……もし、この世界が再び、我々人類の手には負えない危機に瀕した時……。その時だけは、どうか我々に力を貸してはくれまいか?」
それは、もはや命令でも取引でもなかった。ただの、純粋な「願い」だった。
千年前、魔王との決戦を前に、グランツ皇帝ヴァルカンが俺に言った言葉と、どこか似ている。人間は、愚かで過ちを繰り返す。だが、彼らはその過ちから学び、反省し、そして未来を託す誰かを信じることもできる生き物なのだ。タカギのような男がいるなら、この時代も決して悪くはない。
『……よかろう』
俺は短く答えた。
『……我は我の気まぐれで動く。誰の指図も受けん。……だが、もし我が愛したこの世界が本当に危機に瀕したなら……。その時はまた、気まぐれに翼を広げてやってもいい』
俺のその言葉に、タカギは張り詰めていた緊張が解けたように、心からの安堵の表情を浮かべ、再び深く頭を下げた。
「……感謝する、ヴァイス殿。その言葉だけで、我々は百人力だ」
こうして、俺と千年後の人類との、新たな共存の形が決まった。
俺は、鉄の鳥籠から解放され、完全な自由を手に入れたのだ。
タカギが満足げに去った後、アキラが目をキラキラさせながら俺に駆け寄ってきた。
「……よかったですね、ヴァイスさん! これで晴れて自由の身だ! どこへでも行ける! 好きな時に寝て、好きな時に飛べるんだ!」
『……そうだな』
俺は、まだ工事中の天井の隙間から見える、どこまでも広がる青い空を見上げた。
『……まずは、この変わり果てた世界を、空の上からゆっくり見て回るか。……千年前の名残が、まだどこかに残っているかもしれん。おとぎ話になった遺跡の真実を、この目で確かめるのも悪くない』
「……いいねそれ! 俺も行くよ!」
アキラが、待ってましたとばかりに目を輝かせる。
『……お前も来るのか? 軍の仕事はどうする? なかなかの給金だったのだろう?』
「辞表ならもうタカギ司令に叩きつけてきたさ! 当たり前だろ! 俺はあんたの専属の世話役なんだからな!」
アキラは胸を張った。
「……それに、伝説の竜と一緒に、世界中の古代遺跡を巡る旅なんて、トレジャーハンターとしてこれ以上の夢はないぜ! あんたの背中なら、どんな秘境だってひとっ飛びだ!」
こいつの探求心と行動力は、底なしか。
俺は呆れながらも、口元が自然と緩むのを感じていた。
孤独なはずだった、千年後の見知らぬ世界。だが、気づけば俺の隣には、また奇妙で、頼りないが憎めない、賑やかな相棒ができていた。
風竜ヴァイスと、歴史オタクのトレジャーハンター・アキラ。
一人と一匹の、新しい冒険が今、始まろうとしていた。
『さて、アキラ。……まずはどこへ行く?』
「うーん、そうだなあ……。やっぱり、まだ地図に載ってない未踏の遺跡がいいよな! 南方大陸のジャングル地帯とか、北極圏の氷の中に眠る古代都市とか……」
アキラが地図データを広げ、興奮気味に指を滑らせようとした時、ふと、俺の脳裏にある記憶が鮮やかに蘇った。
それは、五百年前に交わした、あるエルフの女性との約束。
―――『俺が眠りから覚めたら、真っ先にこの森の風を浴びに来るさ。その時は、お前が育てた新しい森の姿を、空から自慢してくれ』
―――『ええ、きっと。……あなたが眠りから覚める未来の世界が、今よりももっと美しく、緑豊かな場所であるように……。私たちエルフが、この森と、ルナミリア様の意志を、永遠に守り続けます。……約束ですわ、ヴァイス様』
五百年前。二度目の眠りにつく直前に、当時のエルフの長であったルシルと交わした約束。
彼女は言っていた。未来の世界を、緑豊かな場所にすると。
『……東だ』
俺は、アキラの言葉を遮るように、静かに、しかし力強く言った。
『大陸の東の果て。かつて「アーベル亜人連合」があった場所。……そこに、エルフの森があるはずだ。約束があるんだ』
「エルフの森……? 東部って言ったら、今は大規模な環境再生プロジェクトが頓挫したまま放置されてる、不毛の荒野だって聞いてるけど……」
アキラは首を傾げたが、俺の瞳に宿る真剣な光を見て、すぐに何かを察したように頷いた。
「……わかった! 行ってみようぜ、ヴァイスさん! そこに、あんたの探してる何かがあるかもしれない!」
俺たちは、まず手始めに、かつてエルフの森があったという、大陸の東の果てを目指してみることにした。
そこに、俺の知らないどんな謎が、あるいはどんな景色が待っているのか。
俺の胸は、久しぶりに冒険への期待に高鳴っていた。
ルシル、そしてルナミリア。
お前たちが守った森は、千年後の今、どうなっているのだろうか。




