第84話 力の天秤と愚者の野心
たった一度きりの、俺のデモンストレーション飛行。
それは、統合平和維持軍という巨大な組織の根幹を、地殻変動のように激しく揺さぶる出来事となった。俺が地上に舞い戻った瞬間から、上層部の空気は一変し、俺という存在の処遇を巡って、二つの巨大な思惑が水面下で激しくぶつかり合うことになったのだ。
一つは、現場の最高指揮官であり、俺と最初に対話した男、司令官タカギをはじめとする穏健派の反応だった。
彼の執務室には、飛行テストの直後から、軍のトップクラスの科学者や戦略分析官がひっきりなしに出入りし、喧々囂々の議論が夜通し続けられていた。
「……司令、これがヴァイス殿の飛行データを基にした、最新の戦術シミュレーション結果です」
疲れ切った顔の分析官が、ホログラムスクリーンに膨大な数値を映し出す。
「……結論から申し上げます。……現行のいかなる迎撃システムも、彼の機動力の前では意味を成しません。マッハ3を超える速度と、物理法則を無視した三次元機動……我々のミサイルは追尾すら不可能です」
「装甲強度はどうだ? パイルバンカーでようやく傷をつけられたが」
「あのパイルバンカーの一撃は、戦艦の主砲を零距離で受けるに等しい衝撃です。それを、わずかな傷だけで耐えきった。仮に核ミサイルを直撃させても、あのマナの障壁で威力を減衰され、致命傷には至らないでしょう。……むしろ、放射能で周囲の環境を汚染するだけの、最悪の結果を招く可能性が高い」
絶望的なデータが次々と並べられていく。
タカギは、組んだ指の上でこめかみを揉み、深く長い溜息をついた。
「……つまり、我々人類は彼に対して、有効な攻撃手段を何一つ持っていない、と。……そういうことか」
「……遺憾ながら」
その重苦しい沈黙を破ったのは、タカギ自身だった。
「……だが、諸君。発想を転換すべきだ。……なぜ我々は、彼を『敵』として想定している? なぜ『倒す』ことばかりを考えている?」
タカギは立ち上がり、スクリーンに映る俺の雄大な飛行写真を見つめた。
「……ヴァイス殿は、我々の想像を絶する戦略級の存在だ。だが、同時に理知的で、対話が可能で、そして何より、我々人類に明確な敵意を持っていない。……ならば、我々が取るべき道は一つしかない」
彼は幕僚たちを見渡し、断固たる口調で告げた。
「……決して敵に回してはならない。……今後も友好関係を維持し、彼の協力を得られるよう、最大限の配慮をすべきだ。……彼は、我々が管理すべき危険生物ではない。敬意をもって接するべき、隣人であり、そしてこの星の未来を共に歩むパートナーなのだ」
彼らは、俺の力を正しく理解し、恐怖ではなく敬意をもって、俺との共存の道を模索しようとした。それは、弱者が強者に媚びるのではなく、未知なる存在の尊厳を認め、対等な関係を築こうとする、極めて理性的で、勇気ある選択だった。
しかし、光が強ければ、その影もまた濃くなる。もう一つの反応は、全く異なる、どす黒い粘性を帯びたものだった。
軍の中でも特に、好戦的で野心的な派閥。タカギの長年の政敵であり、「力による支配」こそが絶対の正義だと信奉する、オオトリ将軍を中心とする一派だ。
彼らは、俺の圧倒的な力を目の当たりにして、タカギと同じようにその危険性を認識した。だが、彼らがそこから導き出した結論は、「共存」ではなく「支配」か「排除」の二択。そして、その根底にあったのは、国家を守るという使命感などではなく、自らのちっぽけなプライドを傷つけられたことへの強烈な「嫉妬」と、その規格外の力を我が物にしたいという、底なしの「欲望」だった。
彼らにとって、自分たちの科学力や軍事力を赤子のようにあしらう俺の存在は、人類の万能感を脅かす、許しがたい侮辱そのものだったのだ。
統合軍本部、地下三十階。盗聴も電波妨害も完璧な、オオトリ派の幹部だけが集う秘密会議室。
紫煙が立ち込める薄暗い部屋には、タカギの穏健な方針に不満を抱く十数名の将校たちが集まり、テーブル中央のホログラムモニターを、獣のような目で食い入るように見つめていた。
そこには、俺がスモッグの雲を突き破り、青空の下で自由に舞う映像が、何度も、何度も、スローモーションで繰り返し流されている。
「……見たか、諸君」
分厚い革張りの椅子に深く身を沈めたオオトリ将軍が、高級な葉巻をくゆらせながら、地を這うような低い声で言った。
贅肉のついた恰幅の良い体躯に、ギラついた野心を隠そうともしない血走った目。その指には、彼の権勢を象徴するかのように、これみよがしに宝石の指輪が輝いている。
「……あの怪物はまさしく、生きる戦略兵器だ。……あんなものが一頭いるだけで、大陸間の軍事バランスは完全に覆る。我々が血税を注ぎ込み、何十年もかけて配備してきた核ミサイルなど、もはや玩具に等しいほどの力だ」
彼は、忌々しげにホログラムの俺の翼を指でなぞり、吐き捨てた。
「……タカギの奴め、この好機を逃すはずがない。あんな化け物を手懐け、手柄を独占し、自らの政治的地位を不動のものにするつもりだ。……『平和的共存』だと? 笑わせるな。奴はあの竜を巨大な虎の威を借る狐となり、我々を中央から追い落とす腹積もりに違いない」
「……しかし将軍。僭越ながら申し上げます」
幹部の一人、痩身で神経質そうな男が、不安げに口を挟んだ。
「……仮にタカギを出し抜いて、我々があの竜を制御下に置こうとしても……果たして、我々の現代兵器があの怪物に通じるものでしょうか? 先ほどの公式データを見ましたが、鱗の硬度は戦車砲どころか、巡洋艦の主砲ですら貫通は不可能かと。パイルバンカーの一撃すら、かすり傷で終わっています」
「……愚か者め!」
オオトリはその部下を一喝した。灰皿に葉巻を叩きつけ、火花が散る。
「貴様は、人類が千年かけて築き上げたエーテル科学の進歩を見くびっている! いつからそんな弱腰になった! タカギの平和ボケが感染したか!」
彼は席を立ち、ホログラムを睨みつけながら言った。
「……確かに、通常兵器では傷一つつけることも難しいだろう。生半可な攻撃は、奴を刺激するだけで終わる。……だが、我々には『切り札』があるではないか。神をも殺せる、禁断の力が」
オオトリは不敵な笑みを浮かべ、机の上の虹彩認証パネルに自らの目をかざした。
ピッと電子音が鳴り、モニターの映像が切り替わる。そこに表示されたのは、とある雪深い山脈の地下深くに建造された、極秘研究施設の設計図だった。
「……統合軍最高機密。……プロジェクト『P』。対消滅エンジンを搭載した、戦略級殲滅兵器『フェニックス』。……あれならば、あの図々しいトカゲを一匹、骨も残さず焼き払うことなど、赤子の手をひねるより容易いわ」
その言葉は、彼の揺るぎない確信と、破滅的な計画の始まりを告げる残酷な警告だった。
いつも本作をお読みいただき、そしてたくさんの応援ありがとございます。
突然で申し訳ないのですが、皆様にお知らせがあります。
私、新学期が始まりまして、作者のリアルが少々忙しくなってしまいました…(涙)
そのため、これまで頑張ってきた「毎日2話投稿」の維持が難しくなってしまいました。
つきましては、更新ペースを「基本、毎日1話投稿」とさせてください!
ただ、書きたくてウズウズしている気持ちは変わりません!
なので土日祝日などのお休みの日には、溜まった分を一気に「3話投稿」します!
(平日で時間がある日には2話投稿の場合もあります。)
ペースは少しゆっくりになりますが、物語はここからさらに加速していきます。
この物語は全九部構成を予定しておりまして、これから第四部、第五部……と、あと六部ほと続いていきます。
文字数にすると80万文字くらい、話数にすると200話以上は確実に続いていく超大作になる予定です。
これからもヴァイスたちの冒険にお付き合いいただけると、とても嬉しいです。




