第80話 神話の要求
アキラという予期せぬ仲介者の登場は、俺と統合平和維持軍との間に漂っていた一触即発の空気を霧散させ、対話を飛躍的に円滑なものへと変えていった。
司令官タカギの指示により、装甲車の陰に臨時の前線指揮所が手早く設営される。彼はそこに立ち、アキラを介して俺への本格的な聴取を開始する構えを見せていた。
当然ながら、そのやり取りは上空に群がる何十機もの報道ドローンを通じ、全世界のネットワークへとリアルタイムで生中継されている。人類が初めて神話の存在と「対話」を行っている、まさに歴史的瞬間であった。
少し離れた封鎖線の内側。そこでは、車で強行突破を図って拘束されたドワーフのガストンとエルフのシルビアが、武装した兵士たちに半ば監視されるようにして座り込んでいる。二人は、まだ現実を受け入れきれないといった顔で、俺とアキラのやり取りを遠巻きに見守り続けていた。
「……ねえ、ガストン。私の耳も目も、どうやらこの瓦礫の埃でいかれちまったみたいね。私たちがたった今、地下で掘り当てたばかりの『生きた神話』が……軍のトップと世間話をしてるように見えるんだけど」
シルビアが、呆れたようにため息をつきながら隣のドワーフをつつく。
「安心しろ、シルビア。俺も今、自分の髭を思いっきり引っこ抜いて確かめたところだ。痛えからどうやら夢じゃねえらしい。……とんでもねえ厄介事に首を突っ込んじまったな」
ガストンは抜けた髭を指先で弾き飛ばし、天を仰いだ。
彼らの表情には恐怖よりも、自分たちがとてつもない「歴史の転換点」の特等席にいるという興奮と、ただの労働者には荷が重すぎる事態への困惑が入り混じっている。彼らもまた、アキラの熱意に巻き込まれたとはいえ、根底には「ロマン」を追う冒険者の血が流れているのだろう。
「……まず、確認したい」
タカギ司令官は、手元のモニター越しではなく、真っ直ぐに俺の瞳を見据え、アキラを通して問いかけてきた。その顔には、一国の軍隊を指揮する者としての重い緊張の色が濃く表れている。
「……貴官は本当に、千年前の古文書に登場する『守護竜ヴァイス』本人で間違いないのか?」
『……いかにも』
俺はテレパシーで、短く、しかし竜としての威厳を込めて答える。
だが、その声はアキラの頭の中だけでなく、波長の調整がうまくいかず、その場にいるタカギや周囲の兵士たちの脳内にも直接響き渡ってしまった。
「うわっ!?」
「な、なんだ!? 頭の中に直接声が……!」
数人の兵士が驚愕して銃を落としそうになり、耳を押さえて顔をしかめる。タカギもまた、予期せぬ脳内への直接干渉に一瞬顔を歪めた。
無理もない。直接脳に響く「異種族の声」や「魔力の波長」は、魔法の存在しないこの時代の人間にとっては精神的な圧迫感が強すぎ、強烈な不快感や頭痛を伴うものなのだ。それが、俺のような強大な存在の放つテレパシーなら尚更である。
それに気づいたアキラが、すかさず両手を振ってフォローに入る。
「司令、大丈夫ですか!? すみません、ヴァイスさんのテレパシーはマナの塊みたいなものなので、慣れない人間には刺激が強すぎるんです! 俺が言葉を要約して伝えますから、皆さんは俺の翻訳を聞いてください!」
タカギは額の冷や汗をハンカチで拭うと、小さく頷いた。
「……助かる。直接脳を揺さぶられる声は、どうも慣れん。……よし、続けよう」
アキラというフィルターを通すことで、俺の意思は得体の知れない「侵略者の声」ではなく、人間の言葉に翻訳された「対話可能な相手の言葉」として、安全かつ正確に彼らに届くようになったわけだ。なるほど、こいつはなかなか気の利く男である。
「……貴官がヴァイスであるという、明確な証拠はあるか?」
タカギが問う。アキラがそれを俺に伝える。
『……証拠だと?』
俺は少し呆れて、鼻から白く熱い煙をフゥーッと吐き出した。その熱気に、前列の兵士たちがビクリと後ずさる。
『……この我の存在そのものが、最大の証拠だろう。他にこれほどの竜が今の世にいるというなら、連れてきてみろ。……どうしても信じられないというのなら、お前たちの歴史書でも地質データでも、何でも調べ直すがいい。我が眠りについたエルロードの山と、俺が先ほど飛び出してきたこの場所の座標が一致することくらい、すぐにわかるはずだ』
アキラがその傲然とした言葉を、少しマイルドな表現に変えてタカギに伝える。
「……彼自身の存在と、この場所の座標が証拠だと言っています。千年前の古文書と照らし合わせればわかると」
その絶対的な自信に満ちた俺の言葉に、タカギは背後の情報幕僚に視線を送った。幕僚たちは即座に携帯端末を叩き、政府の機密アーカイブと照合を行っている。
数分後、戻ってきた情報将校が、興奮で顔を上気させながらタカギに耳打ちをした。
「……司令。彼の出現ポイントと、古代文献にある『風竜の聖域』の推定座標が完全に一致しました。また、彼の放つ生体エネルギーの波長は、現存するいかなるエーテル生物とも合致しません。……本物です」
その報告を受け、タカギの表情が、厳しくも確信に満ちたものに変わる。
「……わかった。……信じよう。貴官は、本物のヴァイスだ」
タカギは居住まいを正し、先ほどよりもさらに鋭く、探るような視線を俺に向けた。ここからが、この会談の最大の山場だ。
「……では、次の質問だ。我々にとって、これが最も重要だ。……貴官は、この千年後の世界で何を望む? ……我々人類に、何を要求する?」
彼の声には、強い警戒心と、隠しきれない緊張がこもっていた。
当然だ。もし俺が、この世界の支配権や、あるいは「かつて自然を破壊した人類への復讐」などという見返りを要求すれば、彼らは即座に俺を「人類の敵」と見なし、全戦力を以て排除にかかるだろう。
周囲の空気が凍りつく。包囲網を敷く戦車やガンシップの砲口が、俺のわずかな動きを捉えようと微かに駆動音を立てた。
『……要求など、何もない』
俺は、正直に、そして淡々と答える。
『……我は、ただ静かに暮らしたいだけだ。……千年ぶりに目覚めたこの変わり果てた世界を、少しのんびり見て回りたい。……かつての友の子孫たちが、どんな世界を作ったのか。……ただそれだけだ』
アキラがそれを伝えると、タカギをはじめ、周囲の兵士たちは揃って目を丸くし、信じられないという顔をした。
「……静かに暮らすだと……? 見物したいだけだと……?」
「はい、そう言っています。……拍子抜けするくらい、普通ですよね」
アキラも、緊張が解けたように苦笑いしている。
「……しかし、貴官ほどの力を持つ存在が、何の野心も持っていないと言うのか? その気になれば、世界を統べることも、巨万の富を得ることもできるというのに」
『……野心なぞ、とうの昔に捨てた。……我はもはや、ただの年老いた隠居竜に過ぎんよ』
俺のその言葉は、軍という組織で闘争と防衛を前提に生きてきた彼らにとって、あまりにも意外で、計算外の答えだったらしい。
指揮所のテントの中で、何人もの参謀たちがモニターを見ながら慌ただしく議論を交わしている声が漏れ聞こえてくる。
「罠ではないか!?」
「いや、心理解析AIでは嘘をついている反応は全く出ていません!」
「しかし、あれほどの戦略級生物を野放しにするのは危険すぎる!」
人類と神話の存在。圧倒的な力を前にして、鋼鉄の街の指導者たちは究極の選択を迫られていた。




