第79話 神話との対話
統合平和維持軍が何重にも敷いた絶対の封鎖線。
工事車両で強行突破を図り、アスファルトに組み伏せられていたアキラは、現場の最高指揮官であるタカギの命令によって拘束を解かれた。
泥と埃にまみれた顔を上げ、アキラはタカギの鋭い眼光を真っ直ぐに見返しながら、早口でまくし立てた。
「あの竜の名前はヴァイス! 千年前の神話に記された伝説の守護竜です! 地下の神殿で目覚めた時、彼は俺の頭の中に直接語りかけてきたんです! 高度な知性があり、テレパシーが使えるんですよ!」
「テレパシー……?」
周囲の兵士たちがざわめく。未来の科学社会を生きる彼らにとって、それはSF映画かオカルトのような話だ。
「本当です!俺を使ってくれれば、彼の言葉を通訳できます!彼には敵意なんてない、ただ長い眠りから覚めて、外の様子を見に来ただけなんです!」
そのあまりに突拍子もない申し出に、タカギは油断なくアキラの瞳を見定めた。
嘘をついているようには見えない。何より、彼の瞳には巨大生物への恐怖ではなく、奇妙な親愛の情と、歴史的瞬間に立ち会っているという熱烈な興奮が宿っていた。
後ろに立つガストンとシルビアも、渋々といった様子で頷いている。
「こ、こいつは頭がイカれたトレジャーハンターですが……言ってることは本当です。俺たちも、地下であの竜が話すのを聞きました」
タカギは、交差点の真ん中でじっと頭を下げたままの竜の方を一瞥した。
彼は先ほど、あの竜が示した「騎士の礼」を直接この目で見ている。あの理知的な行動と、この若者の「彼には知性と名がある」という証言が、タカギの中でピタリと符号した。
「……よかろう。……試してみる価値はある」
タカギは決断した。もしこれが嘘であれば後で重罰に処せばいい。だが、もし本当であれば、この絶望的な膠着状態を平和裏に解決する唯一の糸口となる。
「通信士、彼に予備の軍用ヘッドセットを渡せ。音声は全軍のチャンネル、および記録班の回線に共有する」
「はっ!」
兵士からヘッドセットを渡されたアキラは、震える手でそれを頭に装着した。
「……もし、君が嘘をついて我々を混乱させていたら、どうなるかわかっているな? 国家反逆罪だぞ」
タカギの低い脅しに、アキラは力強く頷いた。
「……ああ、覚悟の上だ! それに、嘘なんかじゃない!」
アキラは兵士たちの包囲網を抜け、タカギと共に最前線へと進み出た。
見上げるような白い壁。伝説の守護竜の巨大な鼻先が、すぐそこにある。
アキラは深呼吸を一つして、大きく両手を振った。
「……ヴァイスさん! 聞こえるかい!? 俺だ、アキラだ! お待たせ!」
俺は、その懐かしい声に、伏せていた巨大な瞼をゆっくりと開けた。
視線の先には、泥だらけになりながらも満面の笑みを浮かべるアキラと、緊張した面持ちのタカギ司令の姿があった。
俺は、彼のその無謀で、しかし勇気に満ちた行動に、思わず口の端を緩め、喉の奥でゴロゴロと笑い声を漏らした。
地下に取り残されたから、どうやって這い上がってくるかと思えば……まさか車を奪って軍の封鎖線を突破してくるとは。なかなかの根性と行動力だ。
俺は、周囲の兵士を驚かせないよう、アキラの頭の中にだけ、直接テレパシーを繋いだ。
『……ああ、聞こえているぞ、アキラ。……ずいぶんと派手な登場をしてくれたものだな。車を暴走させる音がここまで聞こえていたぞ』
「……ッ! やった! 聞こえた!やっぱりヴァイスさんだ!」
アキラは嬉しさのあまりガッツポーズをすると、ヘッドセットのマイクに向かって興奮気味に叫んだ。
「司令! 繋がりました! ヴァイスさんは聞こえていると言っています! 俺が通訳します!」
この瞬間。
ただの歴史オタクだったしがない青年アキラは、伝説の竜と千年後の人類を繋ぐ、世界で唯一の架け橋となった。
俺と人類の、千年ぶりの本格的な対話が、今、始まろうとしていた。
世界中が、画面の向こう側で固唾を呑んで、その一言一句に注目している。
タカギ司令官が、マイクを通じて、威儀を正して問いかける。
「……では、問わせてもらおう。……貴殿の、名は?」
アキラが俺を見上げる。俺は静かに答える。
『……我が名はヴァイス。かつてエルロードの山に棲まいし、風を司る竜だ』
アキラがそれを、誇らしげな声で復唱する。
「彼の名はヴァイス! かつてエルロード山脈に住んでいた、風の竜だそうです!」
その名が通訳され、中継を通じて全世界に流れた瞬間。
世界中の大学や研究所でモニターにかじりついていた歴史学者や考古学者たちが、それぞれの場所で椅子から転げ落ち、歓喜の悲鳴を上げた。
ヴァイス。
それは、おとぎ話や神話の中だけの存在だったはずの、伝説の守護竜の名前。教科書の挿絵でしか見たことのない、救世の象徴。
それが今、現実に、鋼鉄の街のど真ん中に生きているのだ。
「……なぜ、ここに現れた?」
タカギがさらに問う。
『……ここは我が故郷だ。千年ぶりに目が覚めたら、寝床の山がなくなり、妙な鉄の森になっていたのでな。驚いて外の様子を見に来ただけだ』
アキラが、その意図を正確に汲み取り、通訳する。
「ここは彼の故郷だそうです。目が覚めたら自分の住処だった山が完全に消え去って、見知らぬ街になっていたので、驚いて外に出てきただけだ……と」
その答えが中継を通して響き渡った瞬間。
タカギ司令をはじめ、最前線で銃を構えていた兵士たち、そして画面越しに見守っていた世界中の人々が、一斉に「あっ」と息を呑んだ。
新ガイアポリスのセクター7地区。ここは確かに、古い地理的データによれば、かつて『エルロード山脈』と呼ばれた巨大な山岳地帯であった場所だ。数百年前の都市開発の波によって、山はダイナマイトで無残に削り取られ、谷はコンクリートで完全に埋め立てられてしまった。
誰もが、巨大な化け物による「都市への侵略」を疑わなかった。
だが、現実はまったく逆だったのだ。
彼は、自分の家で寝ていただけだ。そして目を覚ましたら、勝手に家が壊され、見知らぬ鉄の箱が立ち並んでいた。だから「なんだこれは?」と顔を出してみた。ただそれだけのこと。
侵略者などではない。むしろ、家を勝手に奪われた被害者であり、壮大なスケールの「迷子」だったのだ。
その事実を理解した瞬間、タカギの顔から険しい表情が抜け落ちた。敵意と恐怖でガチガチに固まっていた現場の空気が、急速に戸惑いと、ある種の申し訳なさへと変わっていく。
「……貴殿の、現在の目的は?」
タカギが、少しだけ声を和らげて、最も重要な核心を突く。人類への敵意はあるのか、と。
『……千年の眠りより覚めしのみ。目的などない。……ただ、少し腹が減ったな』
俺が付け加えた冗談に、アキラが吹き出しそうになりながら、そのまま軍の回線に伝える。
「……特に目的はないそうです。ただ……お腹が空いた、と」
その人間臭い、あまりに拍子抜けする回答に、張り詰めていた現場の空気が、風船がしぼむように一気に緩んだ。
引き金に指をかけていた兵士たちの中からも、思わずといった様子で安堵の失笑が漏れる。
「ドラゴンも腹が減るのかよ……」
「なんか、急に親近感が湧いてきたな……」
「俺、携帯用のエナジーブロックなら持ってるけど、足りるかな?」
質疑応答が進むにつれて、人々は完全に理解した。
今、目の前にいるこの圧倒的な存在は、都市を破壊しに来た侵略者でも、理性のない怪獣でもない。
千年前の世界から、時を超えてやってきた、まさしく生きる「伝説」そのものなのだと。
そして、意外と話のわかる、理知的でユーモアのある隣人なのだと。
恐怖は、完全に畏敬と、そして未知への純粋な好奇心へと変わっていた。
未知との遭遇。
それは、人類の歴史が新たな、そして誰も予想しなかった一歩を踏み出した瞬間でもあった。
俺は、眼下で懸命に通訳を続けるアキラの小さな背中を見下ろしながら、密かに微笑んだ。
(こいつとなら、このわけのわからない未来の鋼鉄の世界でも、なんとか楽しくやっていけるかもしれないな)




