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白き風竜はときをゆく〜ドラゴンに転生した俺の悠久譚〜  作者: やまぐっち
【第二部 偽りの平和と伝説の再臨編】真の平和

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第69話 別離の風と新たな旅立ち

 どれほど強く、心の底から願おうとも、時間は全てのものに対して等しく、そして残酷なまでに過ぎ去っていく。

 どんなに穏やかで幸福な時間にも、必ず「変化」という名の幕引きは訪れるのだ。


 そしてそれは、悠久の時を生きる竜である俺ではなく、俺の周りに集った愛すべき短き命の者たちに、避けられない「老い」という形をとって、確実に、そして静かに忍び寄っていた。


 平和の祭典を襲った、あの『朱の調印式』の悲劇から、およそ三十年の月日が流れた頃。

 俺の周囲の世界は、俺自身の感覚が追いつかないほどの速さで、その姿を変えていた。

 かつて俺と共に血を流して戦い、平和協定機構という新しい時代の基盤を必死に作り上げた青年や壮年の者たちは、今やすっかり腰の曲がった、白髪の混じる老人となっていた。


 共に機構を立ち上げた盟友、リンドブルム国王アルフレッドは、その長きにわたる激務と心労がたたったのか、数年前に静かに病でこの世を去った。


 彼の葬儀には大陸中から種族を問わず数万の人々が集まり、俺もまた、王都を見下ろす空から深い哀悼の咆哮を捧げたものだ。

今は、彼によく似て誠実で、それでいて若さゆえの情熱に溢れた優秀な息子が、立派にその重い玉座を継ぎ、機構のまとめ役として大陸を走り回っている。


 かつて俺の背中で転げ回って遊んでいた無邪気な子供たちは、今ではすっかり逞しい体躯の大人になり、自立し、今度は自分たちの小さな子供を連れて俺の元へやってくるようになった。


「ほら、見てごらん。お父さんが昔、よくお昼寝をさせてもらった、空飛ぶ白い神様だよ」


 彼らが我が子にそう語りかけるのを耳にするたび、俺は、逃れようのない時の流れの残酷さと尊さを、痛感せずにはいられなかった。

 そして、俺の最も親しい友であり、最高の話し相手であるリリもまた、その例外ではなかった。


 初めて出会ったあの日、薄暗い洞窟で腰を抜かしていた華奢で小さな狐の少女。彼女は今、すっかり落ち着きと威厳を備えた、美しい壮年の女性へと成長を遂げていた。


 探検家としての活発な足取りや、未知の真実に対する貪欲な好奇心は失われていなかったが、その柔和な顔立ちには深い経験に裏打ちされた優しいシワが刻まれ、燃えるようだった栗色の髪には、いくつもの銀の糸が美しく混じり始めている。


 三十年という月日。

 それは、人間や獣人にとっては、人生の半分以上を占める途方もない重みを持つ年月だ。


 だが、竜である俺の姿は、あの目覚めの日から、何一つとして変わっていない。白銀の鱗の艶も、岩を砕く牙の鋭さも、身体の圧倒的な質量も。

 俺だけが悠久の時の流れから一人取り残され、周囲の命がろうそくの火のように激しく燃え上がり、そして静かに老いて灰になっていくのを、ただ隣で見送るしかない。


 それが、長命種である竜という生き物が背負うべき、決して逃れることのできない孤独と寂しさの本質だった。


 そして、時を同じくして。

 俺は自分の肉体と生命力が、竜としての周期的な『休眠期』に入ろうとしているのを、魂の震えとして確信し始めていた。


五百年の眠りから覚めて、まだわずか三十年余り。本来の竜の生命周期からすれば、あまりにも早すぎる休息だ。

 だが、その理由は俺自身が一番よくわかっていた。


あの日、リンドブルムの城跡で軍勢の攻撃を無防備で受け続けたことで負った、肉体へのダメージ。その傷を再生させるために、俺は自らの生命力とマナを激しく消耗し続けていたのだ。

 さらに、死の呪いに侵されたリリを救うために最も濃密な生命力である「竜の血」を大量に分け与え、怒りで魔力核(コア)を自爆寸前まで暴走させたこと。

それらの蓄積された極限のダメージと過負荷が、俺の枯渇しかけた魂を強制的に修復しようと、竜の防衛本能として「休眠」を前倒しで呼び寄せたのだ。


 抗いがたい、泥のように重く甘い眠気。

 身体の芯から徐々に力が抜け、思考がゆっくりと、深い海の底へ沈んでいくかのように鈍くなっていく感覚。

 それは病気などではなく、竜という種族が、大気中のマナを全身の細胞に取り込み、魂を次の時代へと適合させるために行う、神聖で不可避の脱皮のような儀式なのだ。これに逆らうことは、いかなる強大な竜にもできない。


 もし無理に抗って起き続けていれば、やがて魔力回路が過負荷で崩壊し、理性を完全に失った、ただの破壊の魔獣へと成り下がってしまうだろう。


(……そろそろ、潮時だな)


 俺は、渓谷の岩場に横たわり、夕陽に照らされる自らの巨大な前足を見つめながら、静かに、そして穏やかに悟った。

 俺が少し目を離しても、もうこの世界は大丈夫なはずだ。

 俺が圧倒的な力で守らなくとも、人々は自らの足で大地を踏みしめ、種族の壁を超えて対話によって問題を解決する術を学んだ。

 カイルやアルフレッドが遺した平和の種は、この三十年でしっかりと大陸中に根を張り、芽吹いている。


 俺は、自分がこの時代で果たすべき役割を、全て終えたのだ。

 俺は、自分の「永い眠り」が近いことを、素直に受け入れた。

 だが、その前に一つだけ、どうしても為すべきことがあった。


 俺の大切な仲間たちに、一人ひとり直接会いに行き、きちんとした別れを告げることだ。

 俺は重い身体を奮い立たせて起こし、三十年間留まり続けた渓谷の涼やかな風を、深く肺の奥底まで吸い込んだ。


 さあ、最後の旅に出よう。

 俺が愛した、この不完全で愛おしい世界と、友たちへの、感謝を伝えるための旅に。


 まず俺が向かったのは、大陸東部の険しい岩山にある、ドワーフ族が治める堅牢な地下都市だった。

 かつての戦士団長ボルガは、今や一族を束ねる偉大な『ドワーフ王』となっていた。

 彼はこの三十年間、その圧倒的な豪腕と柔軟な発想で古い因習を次々と打ち破り、人間やエルフとの積極的な技術交流を最前線で推し進めてきた。彼の指導の下、ドワーフの地下都市はかつてないほどの経済的繁栄を謳歌している。


 王城の奥にある、溶岩の熱気が漂う広大な中庭で、俺は彼と再会した。

 彼のトレードマークだった、立派な髭は、今や完全に冬の雪のような純白に変わっていた。

顔には数え切れないほどの深い皺が刻まれ、かつて大岩を砕き、俺の鱗を戦斧で叩き割ったあの太い腕には、年齢相応のシミが浮いている。

 だが、その岩山のような筋肉の厚みと、周囲の空気を震わせる豪快な笑い声だけは、三十年前と少しも変わっていなかった。


「ガッハッハッハ!よく来たな、竜の旦那!お前さんが自ら足を運んでくるなんて、明日は空から槍でも降ってくるんじゃねえか?」


 俺たちは、かつて幾度となくそうしたように、彼が用意したドワーフ秘伝の極上の火酒が入った巨大な樽を挟んで、静かに酒を酌み交わした。

 その強い酒は、俺の竜の喉を心地よく焼き、胃の腑を温めてくれる。


『……そうか。お前も、もうそんな歳か。髪が真っ白じゃないか』


 俺が、白くなった彼の立派な髭をしみじみと眺めながら言うと、ボルガは酒樽をドンと置き、自嘲するように鼻を鳴らした。


「早えもんだな。ついこないだ、あんたと一緒にリンドブルムで暴れ回った気がするんだがな。……わしの孫も、もうすぐ成人して戦士の試練を受ける歳だ。生意気にも、人間の街へ行って魔導技師になりたいだなんて言い出してよ。全くな、新しい時代ってのはワシの想像を軽々と超えていきやがる」


『……お前が作った新しい時代の証だな。立派な王になったものだ、ボルガ』


「へっ、柄じゃねえよ。だが、爺さんたちや、あんたが命懸けで残してくれたこの世界を、簡単に終わらせるわけにはいかねえからな。意地でこのクソ重たい玉座に座ってるだけさ」 


 ボルガは、空になった酒樽を置き、俺の大きな瞳を真っ直ぐに見上げた。

 その瞳には、かつての荒々しい戦士の光ではなく、全てを慈しむような、深い知性と穏やかさが宿っていた。

 彼は、俺がなぜわざわざこんな辺境の地下都市までやってきたのか、その本当の理由を、すでに戦友としての直感で察しているようだった。


「……そろそろ、眠くなる頃かい?」


 彼の直球の問いに、俺は少しだけ驚いたが、隠す必要などない。ゆっくりと重い首を縦に振った。


『ああ。……永い、周期的な休眠期に入る。次にいつ目覚めるかは、俺にもわからん。数百年後か、あるいはもっと先か』

「……そうか。……ついにか」


 ボルガは寂しそうにその立派な白髭を指で撫で、小さく息を吐いた。

 長年、俺と共に死線を越え、時に酒を酌み交わした唯一無二の悪友との別れ。ドワーフの王の目に、一瞬だけ、微かに光るものがあったのを俺は見逃さなかった。


「……まあ、安心しな。お前さんがいなくても、もうこの世界は大丈夫だ。俺たちが、あんたの寝顔を拝めるような平和を、死ぬ気で守ってやるさ。爺さんたちとの約束も、俺たちの約束も、ドワーフの誇りにかけて絶対に忘れねえ。……だから安心して眠れ、相棒」


 彼はゆっくりと立ち上がり、俺の巨大な顔の前まで歩み寄ってくると、俺の鼻先に、ゴツンと自らの硬い額を力強くぶつけてきた。

 ドワーフ族において、最大の親愛と敬意を示す別れの儀式。

 俺もまた、彼の温かい体温と、揺るぎない魂の響きをその身に感じながら、軽く鼻を押し返して応えた。


『……達者でな、ボルガ。次に会う時も、美味い酒を造って待っていろ』


 次に俺が訪れたのは、エルフの森の聖域、大樹の都エアレンディルだった。

 かつては森の掟に縛られ、俺の巨体を怯えた目で遠巻きに見ていた少女のようなルシルは、今やルナミリアを彷彿とさせるような、凛とした美しさと圧倒的な威厳を備えた『大長老』として、森の民を導いていた。


 エルフの成長は極めて遅いが、彼女もまた、この三十年という激動の月日の中で、外の世界との交流を通じて多くの知恵を学び、立派な指導者へと成長を遂げていた。

 彼女の粘り強い尽力により、エルフの森はもはや排他的な秘境ではなくなっていた。人間の学者が森の植生を学び、ドワーフの職人が精霊銀を鍛えるために訪れる。森の自然魔法と外部の技術が穏やかに融合した、全く新しい文化がこの地で花開いている。


 彼女は俺の訪問を予期していたかのように、世界樹の広場の中心で、静かに待っていた。


「ヴァイス様。……お別れの時が来たのですね」


 彼女は、俺の姿を見るなり、全てを悟ったように静かに、そして悲しげに微笑んだ。その緑色の瞳には、溢れそうになる涙が、朝露のように光っている。


『ああ。お前たちは、もう俺の翼がなくとも、十分に高く飛べるようになった。……本当に、立派になったな、ルシル』

「……すべてはあなた様のおかげです。あなたが、私たちの閉ざされた目を力ずくでこじ開け、ルナミリア様の本当の願いを思い出させてくれたからです。あなたがいたから、私たちは今、こうして空を見上げることができるのです」


 ルシルは、かつてルナミリアが身につけていたという、美しい翡翠のペンダントを震える両手で強く握りしめた。

 彼女は、エルフ族が抱えていた数百年分の過去の罪と向き合い、それを乗り越えるという、途方もない重責をたった一人で背負い続けてきたのだ。その苦労は、俺の想像を絶するものだっただろう。


「……またいつか、お会いできますよね?」


 彼女は、こぼれ落ちそうな涙を必死にこらえながら、気丈に、しかし縋るように尋ねた。


『ああ。俺が眠りから覚めたら、真っ先にこの森の風を浴びに来るさ。その時は、お前が育てた新しい森の姿を、空から自慢してくれ』

「ええ、きっと。……あなたが眠りから覚める未来の世界が、今よりももっと美しく、緑豊かな場所であるように……。私たちエルフが、この森と、ルナミリア様の意志を、永遠に守り続けます。……約束ですよ」


 彼女は深く、深く一礼し、俺が大きく翼を広げて空へと舞い上がるまで、ずっと頭を上げてはくれなかった。

 東の仲間たちへの全ての別れを済ませた俺は、俺の旅の出発点であり、そして三十年間暮らした魂の安住の地、リンドブルムの渓谷へと再び翼を向けた。

 そこで待っている、世界で一番大切な相棒との、最後の別れのために。





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