第60話 未来創造会議
風竜ヴァイスの名の下に召集された『大陸未来創造会議』は、大陸中央の要衝であり『大陸平和協定機構』の中心都市となったリンドブルム王国の王城にて、華々しく、そして異様な緊張感の中で開かれることになった。
この前代未聞の会議が開催されるという噂は、風に乗り、魔法通信のネットワークを駆け抜け、瞬く間に大陸中へと広がっていった。
最初は、誰もがその報せを半信半疑で受け止めていた。
「守護竜様が、政治の真似事をして人間どもの会議を開くというのか?」
「王侯貴族と平民、ましてや最近街で暴れているような不満分子の代表までが、同じテーブルにつくなど、ありえるはずがないだろう」
彼らがそう疑うのも無理はない。それは、この大陸の数百年の歴史において、決してあり得なかったことだからだ。
身分、生まれ、そして財力とは、それほどまでに人々を厳格に隔てる、分厚く冷たい壁だった。
だが、俺がリンドブルム王城の広い中庭に、その巨体をどっしりと腰を据え、この会議の静かな後見人となることを、その姿をもって明確に示すと、人々の疑念は本物の期待と畏怖へと変わっていった。
中庭に横たわる俺の姿は、王城の城壁よりも高く、その圧倒的な存在感は、五万の軍隊の槍の林よりも遥かに雄弁だった。
俺という絶対的な力の象徴がそこにいること。
それが、この会議がただの綺麗事を並べるお題目ではないことを、そしてこの場におけるすべての者の身分と安全を、竜の名において完全に保証することを、何よりも力強く物語っていたのだ。
会議の当日。
かつては煌びやかな祝宴や舞踏会ばかりが開かれていた王城の大広間には、歴史上あり得なかった信じられないような顔ぶれが、それぞれの思惑を胸に秘めて集まっていた。
上座に並ぶのは、リンドブルム国王アルフレッドをはじめとする、機構に加盟した各国の王や代表者たち。彼らは威厳を保とうとしているが、その表情には隠しきれない緊張が浮かんでいる。
その向かいには、金糸銀糸で彩られた豪華な衣装をまとい、その圧倒的な財力で大陸経済を牛耳る大商人ギルドの長たちが、ふんぞり返るようにして座っている。
そして、その対極。広間の末席には、着古して色褪せた粗末な服をまとい、職を失った元兵士や、スラム街の代表者たちが、まるで処刑を待つ罪人のように固い表情で座っていた。
彼らは普段の生活において、決して交わることのない人々だった。
交わるどころか、お互いを蔑み、搾取し、時には路地裏で憎み合うことさえあった者たちだ。
彼らはお互いに不信と警戒の眼差しを向け合い、広間はまるで火花が散る寸前の弾薬庫のような、ヒリヒリとした張り詰めた空気に包まれていた。
誰もが固唾を飲んで、この歴史的な会議の始まりを待っている。
俺は中庭に面して大きく開け放たれた窓から、その異様な光景をただ静かに見守っていた。
俺はこの会議の内容に、直接口を出すつもりはない。
俺はあくまで、彼らが暴力に怯えることなく、安心して語り合うための「場」を守る「守護者」なのだから。
やがて定刻となり、会議の議長役を任されたリリと、補佐役のリンドブルム国王が議長席に着いた。
「これより、『大陸未来創造会議』を開会します!」
リリの凛とした声が、緊張した空気を切り裂くように響き渡る。
彼女は獣人としての耳と尻尾を堂々と見せながら、怯むことなく参列者たちを見渡した。
「本日は守護竜ヴァイス様の御心の下、皆さまにお集まりいただきました。議題はただ一つ。『全ての民が、真に幸福に暮らせる世界を作るにはどうすればいいか』。これから数日間、皆様にはその立場や身分を忘れ、一人の『この世界に生きる民』として、自由にご意見を述べていただきたく思います!」
しかし、その高らかな開会宣言の後も、最初は誰も口を開こうとはしなかった。
貴族は平民を、商人は兵士を、兵士は貴族を。
互いに腹の探り合いをし、誰が最初に口火を切って弱みを見せるのかを牽制し合っている。誰もが自分の立場と利益を守ることに必死で、対話の糸口すら見つけられないのだ。
その重い、重すぎる沈黙を乱暴に破ったのは、末席に座っていた元兵士の代表だった。
無骨で顔に古い傷跡を持つ、大柄な男だ。彼は我慢の限界とばかりに椅子を蹴立てるようにして立ち上がり、商人ギルドの長たちを憎悪に満ちた目で睨みつけた。
「……綺麗事をッ!」
彼の怒声が、広間の空気をビリビリと震わせた。
「あんたたちが、俺達の血と汗で築かれた平和の上で富を独占し、俺たちのような弱者から搾取している限り、幸福な世界など訪れるものか!俺たちには仕事がない!妻や子供を養うためのその日暮らしの金もないんだ!まずはその醜い腹に溜め込んだ富を、俺たちに分け与えるのが筋だろうが!」
「無礼な!」
対する商人ギルドの長、恰幅の良い男が顔を真っ赤にして即座に反論する。彼は分厚い手を机に叩きつけた。
「我らの富は、海賊や盗賊の危険を冒し、日夜知恵を絞って築き上げた正当な対価だ!お前たちのような、過去の栄光にばかりすがり、新しい時代で努力もしない怠け者に恵んでやる金など、一銭たりともないわ!」
「なんだと!?俺たちが戦場で血を流していた時、あんたたちは安全な後方で金勘定をしてただけだろうが!」
「言葉を慎みたまえ!我々の経済活動がなければ、国は成り立たんのだ!」
案の定、会議は最初からお互いの立場を主張し、相手を罵るだけの醜い非難の応酬となった。
元兵士たちは商人や貴族の傲慢さを糾弾し、商人や貴族は元兵士たちの怠惰と無知を嘲笑う。互いの主張はどこまでも平行線を辿り、議論は一向に進まない。彼らは同じ言語を話しながら、全く異なる世界に住んでいるかのようだった。
「だからお前たちはダメなのだ!少しは頭を使え!」
「そちらこそ、明日のパンにも困る民の苦しみがわかっているのか!」
「この泥棒どもが!」
「この守銭奴が!」
彼らは自分たちの正しさを主張することに躍起になり、相手の言葉に耳を傾けることを、とうの昔にやめてしまっていた。
俺は窓の外から、その醜くも、あまりにも人間らしい罵り合いを、ただ黙って聞いていた。
そして、議論が白熱の極に達し、元兵士代表が怒りのあまり拳を振り上げ、貴族の胸倉を掴もうとまさに暴力沙汰になりかけた、その時。
ハァ……。
俺は一つ、大きなため息をついた。
それは威嚇を意図したものではない。ただ、彼らの変わらない愚かさへの、深い失望から漏れた自然な吐息だった。
だが、竜の吐息はそれだけで嵐を呼ぶ。
ゴオオオオオオッ!!
俺の吐いた息は、目に見えない風の塊となって会議室の窓から吹き込み、分厚い扉や天井のシャンデリアをガタガタと激しく揺らした。
まるで見えざる巨人が、その部屋を鷲掴みにして乱暴に揺さぶっているかのようだった。
広間にいた全員が、ハッとして動きを止め、その怯えた視線を一斉に窓の外の俺の方へと向けた。
俺は、青色の瞳で彼らを見据え、テレパシーで静かに、全ての者の心に直接響くように語りかけた。
『五百年前……』
俺の言葉に、広間は水を打ったように静まり返った。
『我の友に、ドワーフの戦士がいた。頑固で、酒好きで、口の悪い男だった。』
『また、我の友に、エルフの精霊使いがいた。気高くて、お人好しで、いつも仲間を案じている女性だった』
俺は脳裏に浮かんだ、懐かしい仲間たちの顔を思い出しながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
『彼らは、種族も考え方も全く違った。いつも些細なことで口喧嘩ばかりしていた。ドワーフはエルフの堅苦しさを嘲り、エルフはドワーフの野蛮さを嘆いていた。……だが、彼らは、魔王という巨大な敵の前に、一つの目的のために手を取り合ったのだ。互いの違いを認め合い、互いの力を信じ合った。だからこそ、我らは勝てたのだ』
俺は会議室にいる全ての者を、一人一人見渡した。王も、商人も、兵士も、俺の視線からは逃れることはできない。
『お前たちの敵は、誰だ?そこに座っている商人か?兵士か? ……違うだろう』
俺の声に、熱がこもる。
『お前たちの真の敵は、貧困であり、無理解であり、そして互いを信じようとしない、その心そのものだ』
『もう一度問う。お前たちは、いつまで互いをいがみ合うつもりだ?手を取り合うことを、最初から諦めるのか?』
俺のその静かな問いかけは、何よりも重く、彼らの胸に響いた。
俺は彼らに「どうしろ」と命令しているわけではない。俺はあくまでも、彼らが自分で気づくための「問い」を投げかけただけだ。
元兵士の代表も、商人ギルドの長も、皆うつむき、自らの発した言葉を、その浅はかさを、心の底から恥じているようだった。
「……申し訳ありません、ヴァイス様」
最初に口を開いたのは、商人ギルドの長だった。彼は真っ赤になっていた顔を青ざめさせ、深々と頭を下げた。
「我々は、目先の利益に囚われ、この平和を支えてくれた者たちへの敬意を忘れておりました。……ですが、我々にも商会を維持し、多くの従業員を養う責任がある。ただ無計画に財産を分け与えるだけでは、経済は破綻し、結局は皆が不幸になります」
「……俺たちだって、ただ施しを受けたいわけじゃないんだ」
元兵士の代表も、拳を下ろし、絞り出すように言った。
「俺たちは誇りある戦士だった。自分の腕で稼ぎ、家族を養いたい。だが、剣を振るうことしか知らない俺たちには、今の平和な世でどう生きていけばいいのか、その道筋が見えないんだ……」
彼らの本音が、初めて怒号ではなく、切実な訴えとして広間に響いた。
互いの立場を理解し、歩み寄ろうとする姿勢。俺が望んだのは、これだった。
彼らが竜の力で強制されるのではなく、自ら気づき、自らの足で変わろうとすること。
やがて、重い沈黙を破り、議長補佐として議論の行方を見守っていたリンドブルム国王アルフレッドが、静かに手を挙げた。
「……では、私から一つの提案がある」
彼の声には、確かな覚悟が宿っていた。
彼は用意していた大陸の地図を、テーブルの上に大きく広げた。
「職を失った兵士たちに、新たな『誇りある仕事』を与えるというのはどうだろうか」
国王は、地図の上の何も描かれていない荒野を指差した。
「例えば、この機構内のインフラ整備だ。新しい街道を作り、川に橋を架け、街を整備する。そのための莫大な資金は、我が王家と商人ギルドで共同出資し、その労働力として、元兵士たちをはじめとした失業者を『正規の労働者』として正式に雇用する。これならば、皆が益を得られるのではないか?」
その具体的で、かつ全ての者に配慮した提案を皮切りに、会議の空気は一変した。
俺の言葉はあくまで「きっかけ」にすぎない。彼らは自らの頭で考え、対話の扉を開いたのだ。
「なるほど……。街道が整備されれば、我らの物流も円滑になり、輸送コストも下がる。大陸全体の経済が活性化すれば、我らにとっても長期的な利益は大きい。……ただ金を配るより、出資する価値は十二分にある!」
商人ギルドの長が、顎を撫でながら、初めて相手を尊重する目で国王と元兵士を見た。
「俺たちに、誇りある仕事を与えてくれるというのか……?一時的な施しではなく、仕事として……?」
元兵士の代表が、信じられないという顔で呟く。その目には、失いかけていた希望の光が戻りつつあった。
非難の応酬は、建設的な対話へと変わっていった。
「街道のルートはここが良い。昔の行軍路を使えば基礎工事が楽だ」
「いや、こちらの村にも通すべきだ。あそこは物流から取り残されていて貧しい。新しい街道が通れば、村も潤うはずだ」
「おい!その街道整備の事業、我らドワーフにも一枚噛ませてくれ!」
会議の様子を水晶球越しに見守っていた東方のドワーフ、ボルガからも、たまらず通信が入る。彼ら亜人連合にとっても、この会議の成功は他人事ではなかったのだ。
「橋の建設や岩盤の削岩なら、我らドワーフの技術が役に立つはずだ! 人間どもだけでやるより、ずっと早く、頑丈な道ができるぜ!」
「おお、それは心強い!ぜひ技術協力を頼みたい!」
彼らは、ついに同じ方向を向き始めた。
会議はその後も何日も続いた。
俺はただ黙って、窓の外からその全てを見守っていた。
全ての民が幸福になるための完璧な結論が出るまでには、まだ長い長い時間がかかるだろう。多くの困難もあるに違いない。
だが、確かな一歩が、この日、この場所で踏み出された。
力ではなく、言葉によって、対話によって世界を変えようとする、小さいが、何よりも力強い一歩が。
俺はその光景に静かに満足し、ゆっくりと目を閉じた。
俺の守るべきものが、また一つ、この世界に生まれた瞬間だった。




