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白き風竜はときをゆく〜ドラゴンに転生した俺の悠久譚〜  作者: やまぐっち
【第二部 偽りの平和と伝説の再臨編】新たな敵

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第59話 竜の見る夢

 スラムでの過激派組織の暗躍、そして貧困と格差という社会の歪みに直面してからも、俺はなお、自らの「力」の無力さに苛まれ続けていた。

 『真実の暁』という、社会の不満の受け皿となって肥大化する悪意の集合体は、日ごとにその勢力を増している。


 彼らは俺という強大な「抑止力」を警戒し、決して表立って軍事行動を起こそうとはしない。その代わり、地下深くへと潜り込み、より陰湿で巧妙な手口で、ゆっくりと、しかし確実に人々の心を蝕み始めていた。


 平和協定機構の領域内では、治安が目に見えて悪化していた。

 各地で不満分子による小規模な暴動や、裕福な商人の荷馬車を狙った襲撃事件が頻発している。夜の街では、職を失った荒くれ者たちが酔って剣を抜き、流血の沙汰になることも珍しくなくなっていた。


 リンドブルム国王アルフレッドは、衛兵の巡回を増強し、貧困者への炊き出しの回数を増やすなどして、懸命にこの事態に対応しようとしている。

 だが、それは沈みかけた船から溢れ出す水を、小さなバケツで必死に汲み出しているようなものだった。


 すべては対症療法に過ぎない。

 病の根源はもっと深く、暗い場所。社会構造の歪みと、人の心の闇の中にあるのだ。

 俺は守護者として、この実体のない事態にどう対処すべきか、答えを見つけられないまま、ただ無力に時間だけが過ぎていくのを感じていた。

 季節は巡り、渓谷の夜は芯から冷え込むようになっていた。


 俺は巨大な身体を丸め、鼻先に尻尾を巻きつけるようにして、重い瞼を閉じた。

 その夜、俺は久しぶりに夢を見た。

 ひどく懐かしい、五百年前の夢だった。

 長きに渡る血みどろの戦いの末、ついに魔王ゼノンを討ち果たし、俺たちがグランツ帝国の賑やかな酒場で、勝利の祝杯を上げている夢だ。

 不思議なことに、夢の中の俺は巨大な竜ではなく、人間の姿になっていた。黒髪に黒目の、ごく普通の青年の姿だ。かつての「レン」としての姿なのかもしれない。


 俺は戦友であるカイルやギルバートたちと小さな円卓を囲み、肩を組んで心の底から笑い合っていた。


『それにしても、ヴァイス! お前さんのあのブレスは反則だろう! 魔王の結界ごと、城を半分吹き飛ばしやがって! もう少し手加減ってもんを知らんのか!』


 ギルバートが、強いエールで顔を真っ赤にしながら、俺の背中を遠慮なくバンバンと叩く。その分厚い掌の感触と、痛いくらいの衝撃が、やけにリアルに感じられた。


『ええ、本当に。あなたとカイル様のあの合体技は、世界を滅ぼしかねない危険な代物でしたわ。後始末がどれだけ大変だったことか、少しは考えてくださいませ』


 エルフのルナミリアが、呆れたようにため息をつきながらも、その緑色の瞳には慈愛に満ちた優しい微笑みを浮かべている。


『だが、そのおかげで我々は勝てたのだ』


 パーティの中心で、一際静かながらも強い存在感を放つ勇者カイルが、真面目な顔で言った。その碧眼は、どこまでも澄み切っている。


『ヴァイス殿の力なくして、この平和はなかった。改めて礼を言う。……ありがとう、友よ』

『よせやい、柄にもない』


 夢の中の俺は、仲間からの真っ直ぐな称賛に、ひどく照れくさそうに頭を掻いていた。

 あの頃の俺は、こんなふうに、素直に感情を表に出すことができたのか。

 仲間たちの温かい笑い声。運ばれてくる酒と、香ばしい肉の焼ける匂い。暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音。


 そこには、種族の違いも、身分の差もなかった。ただ、共に死線を乗り越え、命を預け合ったかけがえのない仲間たちがいる。

 その幸福な空間が、永遠に続くかのように思えた。


『……だが、戦いはまだ終わったわけではないぞ』


 ふと、カイルが窓の外に広がる、平和を取り戻した街の無数の灯りを見つめながら、静かに言った。

 彼のその一言で、浮かれていた場の空気が、心地よい緊張感に引き締まる。


『本当の戦いは、これからだ。この平和をどう維持していくか。失われたものをどう取り戻していくか。……そして、次の世代にどんな世界を残していくか』


 彼はグラスの中の赤ワインを揺らし、その水面を見つめながら独り言のように呟いた。


『……魔王という巨大な敵を倒すことよりも、そちらの方が遥かに困難で、長く、泥臭い戦いになるだろう』

『……全くだな』


 夢の中の俺は、カイルの言葉に深く、そして静かに頷いていた。俺もまた、彼と同じ予感を感じていたのだ。

 破壊するのは一瞬だが、築き上げるのには途方もない時間と労力がかかる。


『……だが、俺は信じている』


 カイルは顔を上げ、俺たち仲間一人ひとりの顔を、その誠実な瞳で見渡し、力強く言った。


『俺たちならできる。人間も、エルフも、ドワーフも、そして竜も。こうして種族を超えて手を取り合える俺たちなら、どんな困難な未来も、必ず乗り越えていけるはずだ』


 その力強い言葉と共に、仲間たちの笑顔が、眩い白い光の中に溶けていく。

 光の中で、ルナミリアが最後に何かを言いかけた気がした。


『忘れないで、ヴァイス。あなたは一人じゃないわ。』


 そして、俺は夢から覚めた。

 渓谷の冷たい朝の空気が、火照った肌をチクリと刺す。

 仲間たちの温かい笑い声は、もうどこにもない。

 俺の隣には、穏やかな顔で丸くなって眠るリリの寝息だけが、静かに聞こえていた。

 夢の中の幸福感と、目の前の現実とのあまりの落差に、一瞬胸が締め付けられるような激しい喪失感を覚えた。


 だが、それと同時に、俺の心の中を長年覆っていた濃い霧が、朝日を受けてゆっくりと晴れていくのを感じていた。


 ……そうか。

 俺は、忘れていたのだ。

 あまりにも当たり前で、何よりも大切なことを。

 俺は、一人ではない。

 あの絶望的な魔王との戦いも、俺一人で勝てたわけではなかった。


 そこにはいつも、かけがえのない仲間がいた。

 カイルの揺るぎないリーダーシップ、ギルバートの不屈の闘志、ルナミリアの深い知恵。それぞれの得意な分野で力を合わせ、互いの不得意を補い合って、俺たちは勝利を掴んだのだ。

 俺はなぜ、この平和がもたらした「社会の影」という難問も、自分一人で抱え込もうとしていたのだろう。


 俺は竜だ。

 圧倒的な破壊と守護の力はある。

 だが、社会をより良く変えていくための政治的な知恵も、経済を動かす経験も、俺にはない。

 人の心の機微を、その複雑さを、本当の意味で理解することはできない。

 それは、俺の役割ではないのだ。

 では、今の俺の役割とはなんだ?


 俺は、守護竜。

 翼を広げ、理不尽な暴力から人々を守る絶対的な「盾」となること。


 そして、もう一つ。

 カイルが言っていたように、種族を超えて人々が手を取り合うための、その「象徴」となること。

 俺という、この世界の誰よりも強く、誰にも与しない絶対的な中立存在がハブとなって、バラバラになった人々の心を再び一つに繋ぐこと。

 それこそが、今の俺が本当に成すべきことなのではないか。


『……リリ』


 俺は、隣で丸くなって眠っているリリを、前足の爪の背で優しく揺り起こした。

「ん……。ヴァイス様……?どうしましたか……? まだ夜が明けたばかりですよ……?」


 眠い目をこすりながら、彼女は不思議そうに俺の巨大な顔を見上げる。

 その寝ぼけ眼の奥にある、俺への絶対的な信頼。彼女もまた、俺の立派な相棒だ。


『頼みがある』

「え……?いったい、何を……?」


 俺は決意を固めた。もう迷いはない。


『大陸平和協定機構の全ての代表者たちを集めてくれ。リンドブルム国王も、各国の王たちも、商人ギルドの長も……そして、職を失った元兵士や、スラムの代表者たちもだ』

「え……?」


 リリの動きが止まった。俺の唐突な言葉に、彼女は完全に目が覚めたようだった。


『会議を開く』


 俺は力強く言った。


『我の名において、『大陸未来創造会議』を開催すると宣言しろ。議題はただ一つ。『全ての民が、真に幸福に暮らせる世界を作るにはどうすればいいか』。……だ』


 俺はブレスで「貧困」という実体のない敵を倒すことはできない。

 だが、俺には人々を集め、同じテーブルにつかせる力がある。

 富める者も、貧しき者も、騎士も、傭兵も。俺の前では、誰もがただのちっぽけな、対等な「人間」だ。


 それぞれの立場や利害を超えて語り合わねばならない。彼らが互いの立場を理解し、知恵を出し合い、痛みを分かち合い、解決策を見つけ出す。

 俺がやるべきことは、その「対話の場」を作り、その話し合いが決して暴力や脅迫によって妨げられることのないよう、絶対的な力で守り抜くこと。

 それこそが、この新しい時代における、俺の新しい戦い方なのだ。


 リリは俺のその壮大な提案に、最初こそ目を白黒させて驚いていた。

 だが、やがて俺の真意を理解すると、その顔に朝日のような満面の笑みを浮かべた。


「すごい……!ヴァイス様!それこそがきっと正解です!あなたにしかできない、最高のやり方です!」


 彼女はすぐに行動を開始した。通信機を手に取り、各方面への連絡に奔走し始める。

 風竜ヴァイスの名の下に、大陸中に前代未聞の会議の召集がかけられる。


 それは王侯貴族だけでなく、市井の民、果ては不満分子の代表者までもが一堂に会するという、誰もが想像し得なかった歴史的な会議だった。

 見えざる敵との戦いに、俺はついにその答えの一端を見出した。


 それは力でねじ伏せるのではなく、対話によって未来を切り開くという、あまりにも地味で根気のいる、しかし唯一の正しい道だった。

 俺の胸には、夢で見た仲間たちの笑い声が、確かな希望の響きとなって、再び力強く鳴り響いていた。









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