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白き風竜はときをゆく〜ドラゴンに転生した俺の悠久譚〜  作者: やまぐっち
【第二部 偽りの平和と伝説の再臨編】新たな敵

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第58話 見えざる敵

 平和がもたらした、社会のどうしようもない歪み。

 リリの震える声からその悲痛な報告を受けて以来、俺の心は、まるで分厚い雨雲に覆われたように一向に晴れないままだ。

 魔王という絶対的な悪を倒し、教国の理不尽な侵略を体を張って止めた。あれほどの犠牲と覚悟を持って手に入れたはずの平和が、今度は「格差」や「貧困」という、新たな種類の苦しみを生み出している。


 その皮肉な事実が、目に見えない重いくさびとなって、俺の胸の奥深くに打ち込まれていた。

 俺は住処である静かな渓谷を離れ、機構に加盟した街々を頻繁に見て回るようになった。

 もちろん、俺の巨体で堂々と街中を歩くわけにはいかない。俺は風の魔力を薄いベールのように展開し、周囲の光を屈折させる『光学迷彩』の魔法を用いて、完全に姿を消した状態で空を飛んだ。

 この高度な隠密魔法は魔力の消費が激しく、この俺でさえ長時間は維持できない。


 それでも、誰かから上がってくる文字だけの報告書ではなく、この目で直接、現実を確かめる必要があった。俺が守るべきものたちの、「本当の顔」を見るために。


 上空から見下ろす街の姿は、リリの報告の通り、悲しいほどに正確な光と影を描き出していた。

 街の中心に位置する大市場は、俺が眠りにつく前の時代では考えられないほど、かつてない活気に満ちている。


 大陸中から集まった珍しい品々、東の森で採れた果実や、ドワーフの精巧な細工物が所狭しと並べられ、それを求める人々の熱気で溢れかえっている。

 色鮮やかな絹の服をまとった大商人や、教国のくびきから解放された地方貴族たちが、昼間から高級なワイングラスを片手に楽しげに笑い合っている姿が見えた。彼らの顔は、平和の恩恵を一身に浴び、文字通り輝いている。


 しかし、その華やかな大通りから、わずか数本裏路地に入っただけで、世界は急激に色を失うのだ。

 そこには、日雇いの安仕事を求めて力なく壁に寄りかかる、職を失った元兵士たちの姿があった。

 彼らの瞳は、市場の喧騒とは対照的に、何の光も宿していなかった。かつて戦場で輝いていたであろう誇りは、すり減ったブーツや泥にまみれた服と共に、見る影もなく薄汚れている。

 子供たちの元気な笑い声が響く、日当たりの良い公園。


 その片隅の冷たい日陰では、着古したぼろぼろの服を着た母親が、やせ細った幼い子どもを抱きしめながら、道行く人々に静かに頭を下げ、物乞いをしていた。


 彼女の隣を通り過ぎる裕福な人々は、その存在に気付かないかのように、あるいは「見たくない不浄なもの」として意識的に視線を逸らし、無関心に歩き去っていく。


 光と影。そのコントラストは、上空から見下ろす俺の目に、あまりにも鮮やかで、そして残酷に映った。


 そんなある日の午後。

 俺は光学迷彩を展開したまま、街の中央広場の片隅で、奇妙な一団を見かけた。

 黒いフード付きのローブを深く被り、顔の半分を隠した数人の男たち。


 彼らは、広場の隅で不満を募らせている元兵士や、日々の糧にも困っているような貧しい者たちを巧みに集め、簡易な木箱の演説台の上で何やら熱弁を振るっていた。

 最初は数人だった聴衆は、彼らの巧みな言葉に惹きつけられるように、みるみるとその数を増し、すでにかなりの人だかりができつつあった。


「……聞け、同胞たちよ!」


 一団の中心に立つ、ひときわ体格の良い男が、よく通る扇動的な口調で叫んだ。


「我らは、この世界から忘れ去られたのだ! かつて国のために、家族を守るために命を懸けて戦ったこの我らが、平和になった今の世では、ただの厄介者、穀潰し扱いだ! これが、我々が血を流して望んだ未来だったのか!?」


 その言葉に、集まった人々が「そうだ、そうだ!」「許されるものか!」と、行き場のない怒りを込めて拳を突き上げる。


 彼らの瞳には、これまで心の奥底に抑え込んでいた怒りと不満の炎が、男の言葉を薪にして、危うい光を放って燃え盛っていた。


「誰のせいだ!?この平和に浮かれて、我らの汗と血で得た富を独り占めにする、肥え太るだけの商人どもか!?我らの苦しみを見ようともしない、高飛車な王侯貴族どもか!?」


 男は一度、スッと声を潜め、聴衆の顔を一人ひとり見渡すようにして、ゆっくりと、呪いをかけるように言葉を続けた。


「……いや、違う!」


 男は、まるで恐ろしい真実を打ち明けるかのように、誰にでも聞こえる低い声で言った。


「……全ての元凶は、あのドラゴンだ。あの偽りの守護竜ヴァイスが現れたせいで、我らの世界は、あるべき秩序は、完全におかしくなってしまったのだ!」


 その言葉に、透明化して上空に浮かんでいた俺の心臓が、氷水に浸されたかのように冷たくなった。


「あのドラゴンは、本当に我らの味方なのか?奴は我らを戦争から救ったと見せかけて、その実、我らから戦士としての誇りを、仕事を、そして生きる意味を根こそぎ奪ったのではないのか!?」


 男の言葉は、恐ろしいほどに巧みだった。

 彼は人々の複雑な不満や、どうしようもない嫉妬を巧みにすくい上げ、そして意図的に誘導し、その全ての矛先の結論を、俺という最もわかりやすい「巨大な異物」に向けさせようとしていた。

 彼は、人々の心に巣食う最も暗く、最も弱い部分を的確に突いていたのだ。


「我ら、『真実の暁』は、この偽りの平和を打ち破る!我らの手で、真の秩序を取り戻すのだ!弱肉強食こそが自然の摂理!強き者が報われる世界こそが、正しい姿である!」


 『真実の暁』。

 それが彼らの組織の名前らしい。

 俺は、その集団から立ち上る、ただならぬ危険な匂いを感じ取った。

 これは単なる不満分子の集まりではない。明確な思想と目的を持ち、人々の絶望を利用して扇動する術を知り尽くした、極めて悪質な過激派組織だ。

 そして、彼が蒔いた憎悪の種は、俺が思っている以上に深く、そして広く、この平和な社会の土壌に毒の根を張り始めていた。


 俺はあの広場での一件を見て以来、誰にも見つからないよう慎重に光学迷彩を解きながら、直ちに渓谷の住処へ戻った。

 重い足取りで洞窟の奥へと進むと、入り口近くで羊皮紙の束と睨み合い、書類を整理していたリリがいた。


『リリ、いるか』


 俺が念話で呼びかけると、彼女は顔を上げた。俺の纏う空気がいつもより鋭く、冷たいことに気づいたのか、彼女の表情がサッと強張る。


「はい、ここに。……何かあったのですか、ヴァイス様?」

『ああ。……街の広場で、妙な連中を見た。黒いローブを深く被り、不満を抱えた民衆や元兵士たちを集めて、大規模な演説をぶっていた』


 俺は、広場で見た光景をリリに詳細に語り始めた。


『奴らは自らを『真実の暁』と名乗っていた。そして、俺がもたらした平和こそが諸悪の根源であり、力による真の秩序を取り戻すべきだと、人々を扇動していたのだ』


「『真実の暁』……。まさか、そんな組織が堂々と街中で演説をするまでに、事態が進んでいるとは……」


 話を聞き終えたリリは、悔しそうに唇を噛み締め、青ざめた顔で俯いた。


『……リリよ。単なる不満の捌け口ならまだいい。だが、奴らの言葉には、明確な悪意と誘導があった。俺を、この世界から戦士の誇りや仕事を奪った『悪』として仕立て上げ、人々の憎悪を一点に集中させようとしていたんだ』

「そんな……! ヴァイス様がどれだけ身を削ってこの世界を守ってくださったか、あの方たちは……!」

『彼らには関係ないさ。飢えや絶望の中では、正しい歴史よりも、自分たちを肯定してくれる都合の良い敵が欲しいだけだ』


 俺は重く息を吐き、強い口調で命じた。


『放置すれば、彼らの思想は毒のように社会に広まり、やがて取り返しのつかない暴動を引き起こす。……手遅れになる前に、奴らの正体と目的を暴く必要がある。リリ、頼めるか。お前の探検家仲間たちのネットワークを使って、奴らの動向を探ってほしい』

「はい、もちろんです! すぐに手配します」


 彼女は探検家として、大陸中の裏道や情報屋に独自のパイプを持っている。表の兵士たちには集められない情報も、彼女のルートなら掴めるはずだ。


『それから、ボルガにも連絡を取ってくれ。ドワーフ族が持つ「職人ギルド」の繋がりを使ってもらいたい』


 ドワーフたちが中心となって運営する職人ギルドは、武器、防具、建築から細工に至るまで、あらゆる生産職の職人たちが技術交流や利益保護のために結成した巨大な互助組織だ。


 彼らのネットワークは表の流通経路だけでなく、裏社会の闇市や、素材の横流しルートにまで深く根を張っているため、情報の精度と速さは冒険者ギルドよりも遥かに高い。

 彼らが暴動のために武器を大量に必要とする過激派組織なら、必ずどこかで職人ギルドの網に引っかかるはずだ。


『さらに、大陸平和協定機構の情報部にも、俺の名で公式に協力を要請しろ。あらゆる手段を駆使して、この不穏な組織の正体を徹底的に洗うんだ』

「承知いたしました!」


 リリは力強く頷くと、すぐに通信用の水晶球に向かい、各方面への手配を始めだした。


 それから数週間後。

 俺の住処である渓谷に、各地から情報をかき集めたリリが、分厚い報告書の束を抱えて駆け込んできた。その顔は蒼白で、息が上がっている。


「ヴァイス様……! 調査の報告が、上がってきました……!」

『どうだった。奴らの正体は掴めたか?』

「はい。……お聞きください、ヴァイス様。事態は、私たちが想像していたよりも、遥かに深刻でした」


 リリは震える手で報告書を開き、重苦しい声で読み上げ始めた。


「『真実の暁』の中心メンバーは……やはり、元教国の過激派でした。それも、あの失脚したマルクスの残党や、教国の平和的降伏に納得できなかった、聖騎士団の元・過激派幹部たちです」

『……やはりか。あの狂信者どもが、大人しく引き下がるわけがないとは思っていたが』

「彼らは教皇庁が権威を失墜させ、国内が混乱する中で水面下に潜伏し、あなた様がもたらしたこの平和な世界を、根底から転覆させる機会を虎視眈眈と窺っていたのです」


 リリは次のページをめくり、さらに絶望的な事実を口にした。


「そして、彼らは社会からこぼれ落ちた不満分子に対し、『お前たちは悪くない、悪いのは世界だ』『全ては竜のせいだ』という甘言と、偽りの救済を囁いて巧みに誘導し、急速にその勢力を拡大させています。……その触手は、もはや一つの街にとどまらず、機構内のほぼ全域の裏社会に伸びていました」


『……まるで、見えない病魔だな』


「彼らの最終目的は、混沌と戦争を再びこの世界に呼び戻し、その混乱の中で自分たちが新たな支配者となることです。まさしく教国でも連合でもない、第三の勢力。ですが、ヴァイス様が目指すものとは全く異なる、破壊と支配だけを望む、邪悪な陰謀です」


 報告を終えたリリは、報告書の束を胸に抱きしめ、すがるような目で俺を見上げた。


「……どうすればいいのでしょうか、ヴァイス様」

『…………』

「彼らの主張は危険です。テロ組織です。ですが……彼らに同調し、集まっている人々もまた、この平和が生んだ被害者なのです。力で押さえつけ、彼らを犯罪者として処罰すれば、それは新たな火種となり、さらなる反発を生むだけかもしれません」


 彼女の言う通りだ。

 彼らは、俺がブレスで焼き払うべき明確な「悪」ではないのかもしれない。

 彼らは、社会の歪みが生み出した哀れな怪物なのだ。


 飢え、尊厳を傷つけられ、未来への希望を失った者たちが、すがるようにして見つけた歪んだ光。それが『真実の暁』の正体なのだから。

 だが、放置すれば彼らの思想は毒のように社会に広まり、やがて取り返しのつかない暴動や内戦を引き起こすだろう。


 憎しみは、容易く人の心を支配する。一度火がつけば、消すのは容易ではない。

 俺はかつてないほど難しい選択を迫られていた。

 武力でその芽を完全に摘み取るべきか。

 それとも、彼らを生んだ社会の歪みそのものを正すべきなのか。


 だが、竜である俺に、そんな社会改革のような真似ができるのだろうか。

 貧しい者に富を分け与え、失業者に仕事を与える。それは、王や政治家が為すべきことであり、守護者である俺の役割ではないはずだ。

 俺が下手に力で介入すれば、それは「竜による新たな独裁の始まり」と見なされかねない。

 俺は再び、自らの力の限界を、そのどうしようもない無力さを痛感していた。


 俺のブレスは国を一つ滅ぼすことはできても、たった一人の人間の心に巣食う闇を晴らすことはできない。

 俺の翼は、大陸をひとっ飛びに横断できても、貧しい親子に明日のパンを届けることはできないのだ。


 『見えざる敵』。

 その正体は貧困、格差、嫉妬、そして人が人であるかぎり決してなくならない、心の弱さそのものだった。

 俺はこのあまりにも巨大で、厄介で、そして実体のない敵にどう立ち向かえばいいのか。

 その答えを、俺はまだ見つけられずにいた。

 俺はただ静かに目を閉じた。

 そしてかつてないほど深く、暗い思索の海へとその意識を沈めていった。


 光が強ければ影もまた濃くなる。

 ならば俺が為すべきことは、光を消すことではない。


 影の中にいる者たちにも、等しく光を当てる方法を探すことだ。

 それは、途方もなく困難な道に思えた。

 だが、俺は諦めるわけにはいかなかった。

 なぜなら、俺はこの世界の「守護者」なのだから。


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