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白き風竜はときをゆく〜ドラゴンに転生した俺の悠久譚〜  作者: やまぐっち
【第二部 偽りの平和と伝説の再臨編】教国の傲慢

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第54話 竜の血が流れる大地

 空を覆っていた土煙が風に流され、戦場の熱がゆっくりと引いていく。

 俺が翼を広げて空へと去った後、リンドブルム王国の城壁の下に広がる荒野には、奇妙なほど静かで、重苦しい沈黙だけが残されていた。

 そこには、俺が耐え抜いたことで戦意を喪失し、自ら武器を投げ捨てた五万の教国軍兵士たちの姿があった。


 彼らは皆、座り込むか、あるいは呆然と立ち尽くし、ただ虚ろな目で自分たちの足元に転がる剣や槍を見つめている。

 自分たちが信じていた「正義」とは何だったのか。

 神の御使いであるはずの聖獣が、なぜ「悪魔」であるはずの異端の民を守り、無抵抗のまま自分たちの攻撃を受け続けたのか。

 そして、なぜ自分たちは、何の罪もない女子供までを焼き殺そうとしていたのか。

 熱狂的な信仰と洗脳が解けた彼らの心には、今、計り知れない罪悪感と、深い喪失感だけが重くのしかかっていた。

 そしてその中で、ただ一人、聖騎士団長マルクスだけが、狂気と屈辱に顔を醜く歪ませたまま立ち尽くしていた。


「……馬鹿な……。こんなことが、あってたまるか……」


 彼は血走った目で周囲を睨みつける。自分に従わず武器を捨てた部下たちを、そして、無傷で残ったリンドブルムの城壁を。

 そんな勝者なき戦場の後始末に、誰もが答えを出せずにいた、その時だった。

 ギギギィィ……。

 リンドブルム王国の重厚な城門が、軋んだ音を立ててゆっくりと、完全に開かれた。

 五万の敵軍がすぐ目の前にいるというのに、城門を開け放つなど、軍事的には自殺行為に等しい。教国軍の兵士たちに、再び緊張が走る。

 だが、中から現れたのは、武装した軍隊ではなかった。


 国王アルフレッドと、護衛の武器すら持たない数人の侍従たちのみだった。

 彼らは鎧すら脱ぎ捨て、簡素な平服の衣だけで、敵であったはずの教国軍兵士たちがひしめく広野へと、たった一人で、静かに歩みを進めていく。

 その足取りには、恐怖も、敵意もなかった。あるのは、一国の王としての、そして一人の人間としての深い慈愛と覚悟だけだった。

「……お前たちもまた、被害者なのだろう」

 アルフレッド国王は、怯えるように身構える若い教国兵士たちに近づくと、静かに、諭すように語りかけた。


「偽りの教えに心を惑わされ、上からの命令に縛られ……本当は望んでいなかったはずの戦いに、その身を投じさせられた若者たちよ。……君たちの震える瞳を見ればわかる。誰も、人殺しなどしたくはなかったはずだ」


 その言葉は、教国軍の兵士たちの胸の奥、最も柔らかい部分を正確に射抜いた。

 緊張で張り詰めていた何人かの若い兵士が、耐えきれずに顔を伏せ、肩を震わせて声を殺して泣き始めた。


「……もう、争いはやめにしよう」


 国王は、彼らに対して深く頭を下げた。


「……怪我をした者がいるのなら、我が城へ入るがよい。我らには戦うための武具は少ないが、傷を癒すための薬草と、温かいスープなら十分に用意してある。冷たい荒野で震える必要はないのだ」


 国王のそのあまりにも慈悲深い申し出に、教国の兵士たちは言葉を失い、呆然と顔を見合わせた。

 自分たちが数刻前まで大砲を撃ち込み、滅ぼそうとしていた国の王が、自分たちを断罪するどころか、温かい手を差し伸べている。

 彼らはこの時、初めて自分たちが何と戦っていたのかを理解した。

 彼らは「悪魔」などではなく、ただ平和を願い、他者を思いやることのできる、自分たちと同じ温かい血の流れる人間であったことを、本当の意味で理解したのだ。


「……王よ……。我らのような大罪人に、なぜそこまで……」


 一人の部隊長が、涙を流しながら膝をついた。

「我らを救ってくださったあの偉大なる竜が、そう望んでいると思ったからだ。……それに、憎しみからは何も生まれないことを、我々は五百年前の歴史から学んでいるはずだ」


 国王アルフレッドが、敵である兵士たちに優しく微笑みかけた、その時だった。


「お、おい! なんだこれ……!?」


 前線で、負傷してうずくまっていた教国軍の兵士の一人が、足元を見て驚愕の声を上げた。

 彼が震える指で差した先。

 そこは、先ほどまで俺が身を挺して、彼らの放つ無数の岩石や魔法を受け止めていた場所だった。

 傷ついた俺の身体から流れ落ちた純白の竜の血が、渇き、荒れ果てた赤茶けた大地に深く染み込んでいた、その場所。


 そこから、あり得ない現象が起きていた。


 プツ、プツプツ……。


 俺の血が染み込んだ地面のひび割れから、いくつもの小さな緑の芽が、まるで早回しの魔法の映像を見ているかのように、一斉に芽吹き始めていたのだ。


「植物が……こんな速さで育っているのか!?」


 教国軍の従軍魔道士が、信じられないものを見るように目を剥いた。

 通常ならば荒れ地であるその場所に、俺の純度が高すぎる魔力と生命力を含んだ血が「極上の栄養」として供給されたのだ。


 ザワザワ……と葉擦れの音が響く。

 その成長速度は異常だった。芽は見る見るうちに茎を伸ばし、葉を広げ、蕾をつけ、そして瞬く間に、透き通るような純白の花を咲かせた。

 一つ、また一つと、光の連鎖のように花が咲き乱れていく。


 俺が盾として伏せていた数十メートル四方の範囲が、わずか数分の間に、戦いの痕跡や焦げた土の匂いすらも全て飲み込んで、どこまでも清浄な『純白の花畑』へと姿を変えてしまったのだ。


「……なんだこの香りは……。ひどく暖かくて、それに……」


 一人の、腕に深い切り傷を負い、血を流していた教国の若い兵士が、何かに導かれるように、恐る恐るその白い花の一つに触れた。


 シュウゥゥ……。

 花弁から淡い光の粒子が立ち上り、彼の傷口を優しく包み込んだ。

 ただの花ではない。俺の濃密なマナを含んで咲いたその花は、触れた者の細胞の治癒力を極限まで活性化させる力を持っていたのだ。


 劇的に一瞬で傷が塞がるわけではない。だが、彼を苛んでいた焼けるような痛みが、春の雪が溶けるようにスーッと引いていく。そして代わりに、身体の奥底から、戦いの疲労を吹き飛ばすほどの温かい活力が湧いてくるのを感じた。


「痛みが、消えた……。傷が治っていくぞ……!」


 その一言が合図だった。

 戦いで傷ついていた両軍の兵士たちが、次々とその花畑へと歩み寄り、その奇跡の力を目の当たりにする。


 ある者は肩の痛みが和らぐのを感じ、ある者は疲弊した心に平穏が戻るのを感じた。

 彼らの身体の苦痛が和らぐと共に、花が放つ清浄な香りは、彼らの心の中にあった教国への疑念や、異端への恐怖といった負の感情もまた、洗い流していくようだった。


「これが聖獣様の……いや、真の守護竜、ヴァイス様の御心……」

「我らは、なんと愚かだったのか……。こんなにも優しく、生命の力に溢れた方に、我々はただの石や鉄を投げつけていたというのか……」


 ただの血痕から生み出された、この世のものとは思えない美しい花畑。

 それは単なるおとぎ話の奇跡ではない。

 一頭の竜の血が、大地そのものの環境を書き換え、死の戦場を命の揺り籠に変えてしまったという、生物としての「格」の違いを見せつける、圧倒的な事象だった。


 兵士たちは花畑の中心、俺が立っていた場所に向かって、一人また一人と武器を捨てて膝をつき、祈りを捧げ始めた。

 それは教国で教え込まれた偽りの信仰や、恐怖による服従ではない。心からの純粋な感謝と、自らの愚かな行いへの深い懺悔の祈りだった。


 だが、その神聖な光景を、ただ一人、聖騎士団長マルクスだけが鬼の形相で睨みつけていた。


「奇跡だと……? 癒やしだと……? 馬鹿な……! こんなもの、悪魔のまやかしだ! 幻術に決まっている!」


 彼は狂ったように叫び、目を血走らせて、最後まで無傷で残っていた一台の巨大な投石機に駆け寄った。


「貴様ら、騙されるな! 目を覚ませェッ! 教国の騎士としての誇りを忘れたか!」


「こうなれば、あの忌まわしき花畑ごと、この裏切り者どもと異端の王を吹き飛ばしてくれるわ! 神の正義は、ここにあるのだ!」


 彼が投石機のレバーに手をかけ、強引に作動させようとしたその時。

 彼の背後に、音もなく数人の影が現れた。

 マルクスの腹心だったはずの、聖騎士団の副官たちだった。


「団長。……もう、おやめください」

「我らは、これ以上、あなたのその狂気には従えません」


 冷ややかな、一切の感情を排した声。


「何……? き、貴様らまで私を裏切るというのか! 私は教皇陛下より全権を委任された団長だぞ!」

「裏切ったのは、あなたの方です」


 副官たちは静かに剣を抜き、その鋭い切っ先を、かつての上官であるマルクスに向けた。


「神の名と、聖獣様の名を騙り、我らを欺き、罪なき人々に剣を向けさせた罪。……そして、我々の誇りを血で汚した罪。ここで償っていただきます」


 マルクスは腰の剣を抜いて抵抗しようとしたが、あっけなく自らの部下たちに取り押さえられ、地面に組み伏せられた。


「離せ! 私は神の代行者だぞ! 貴様ら、全員火あぶりにしてやる!」と喚き散らす彼の姿は、あまりにも惨めで、哀れだった。


 彼の狂信と傲慢が招いた、当然の結末だった。

 この日、この場所で起こった奇跡は、後に『白竜の贖罪』と呼ばれ、商人や旅人たちの口伝によって、瞬く間に大陸中へと語り継がれていった。

 リンドブルム王国の城壁の下に広がる、決して枯れることのない白き花畑。


 それは、聖アルド教国の掲げる「正義」がいかに虚飾に満ちたものであるかを静かに、しかし強烈に告発する証となった。

 そして風竜ヴァイスの名は、もはや教国のプロパガンダである「人間だけの聖獣」ではなく、「全ての弱き者を守る真の守護竜」として、人々の心に新たに、そして深く刻まれ始めた。


 俺が望んだわけではなかったが、俺の流した血は、この歪んだ世界を少しだけ、本来あるべき正しい方向へと導くきっかけとなったようだった。





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