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白き風竜はときをゆく〜ドラゴンに転生した俺の悠久譚〜  作者: やまぐっち
【第二部 偽りの平和と伝説の再臨編】教国の傲慢

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第55話 教国の動揺と第三の道

 リンドブルム王国での理不尽な包囲戦に、血を流して「耐え抜く」という形で終止符を打った俺は、熱狂する人間たちを背に、再び大空へと舞い上がった。

 目指すは、人間たちの喧騒が届かない、静かな場所。


 風を切り裂きながら大陸中央部を北上すると、やがて視界の先に、雲を突き抜けるような険しい山脈の連なりが見えてくる。そこは、人間も亜人も足を踏み入れることのない、魔獣たちのテリトリーだ。

 俺は、その中でも一際高く切り立った断崖絶壁に、ぽっかりと黒い口を開けている巨大な洞窟に狙いを定めた。


 ズシン、と重い音を立てて岩場に降り立つ。

 そこは、かつて俺がこの世界を巡っていた際に目をつけていた、巨大な飛竜の巣穴だった。


 奥を覗き込むと、主の姿はなく、風化した骨と乾いた獣の臭いが残っているだけだ。どうやら、随分前にどこかへ縄張りを移したらしい。


 風雨を凌ぎ、俺の巨体をすっぽりと隠すには十分すぎる広さがあり、隠れ家としては申し分ない。以前、五百年もの眠りについていたあの地下神殿に戻らなかったのは、そこがすでに聖アルド教国に知れ渡り、聖地扱いされてしまっているからだ。今の俺には、面倒な追っ手や狂信者どもを気にせず、静かに羽を休める場所が必要だった。


 ドサリと、冷たい岩肌に巨体を横たえる。

 その瞬間、全身の筋肉の緊張が解け、五万の軍勢から受けた一時間以上にも及ぶ集中砲火のダメージが、遅れて強烈な激痛となって襲ってきた。


『……くそっ、思ったより効いてるな』


 思わず低く唸る。

 特に、大型の投石機から放たれた無数の巨石は、俺の魔力障壁を削り切り、鋼鉄の如き白い鱗を何十枚も砕いて、その下の肉を深く抉っていた。竜の強靭な再生能力をもってしても、すぐに元通りというわけにはいかないらしい。


「ヴァイス様! ヴァイス様! お願いです、お返事を……!」


 浅い呼吸を繰り返し、意識が微睡みに沈みかけたその時、洞窟の入り口から必死な足音と共に、悲鳴のような声が飛び込んできた。

 リリだ。

 俺の指示通り、安全なこの場所で、一人不安に耐えながら俺の帰りを待っていたのだ。

 彼女は、血にまみれて横たわる俺の顔の前に駆け寄るなり、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。


「無事に戻られてよかった……! でも、なんてお怪我を……! 血が、血がこんなに……!」


 彼女の小さな手が、俺の砕けた鱗の縁に触れる。まだ温かい血が彼女の手を濡らすのも構わず、その小さな肩は小刻みに震えていた。


『騒ぐな、リリ。この程度の傷、竜にとっては掠り傷だ。唾でもつけておけば治る』

「嘘です! 嘘おっしゃらないでください!」


 俺の強がりをあっさりと見抜いたリリは、普段の控えめで理知的な態度からは想像もつかないほど、声を荒げた。


「私にはわかります……! 風を自在に操るヴァイス様が、本気で戦ってこんな傷を負うはずがありません。人間ごときの攻撃など、空を舞えば全て避けられたはずです……!」


 彼女は、俺の身体に刻まれた、逃げ傷一つない無数の打撃痕を見つめ、ハッとしたように息を呑んだ。


「……背中で、受け止めたのですね。反撃もせず、避けることもせず……ただひたすらに……」


 現場を見ていなくとも、彼女は俺が何をしてきたのかを、その聡明さで正確に悟っていた。


「どうして、そこまでなさるのですか……。教国の人たちは、ヴァイス様を悪魔と呼び、本気で殺そうとしていたのに……」

『背後に、守るべき弱き者たちがいたからだ。それだけのことだ』


 俺が短く答えると、リリは一瞬言葉を失い、そして、せきを切ったように再びボロボロと涙をこぼした。


「ヴァイス様は、本当に……本当に伝説の通りのお方なのですね……。いえ、伝説以上です……」


 それから数週間。

 リリは俺の傍らを片時も離れず、甲斐甲斐しく傷の手当てを続けてくれた。危険な崖を登って薬草を採取し、石で磨り潰して、俺の巨大な傷口に丁寧に塗り込んでくれる。

 小さな人間の手で、山のような竜の傷を癒そうとする姿は、どこか滑稽でもあり、同時に胸が締め付けられるほど温かく、愛おしいものだった。


「本当に、無茶をなさるのですから」


 彼女は俺の傷口に治癒の魔法をかけながら、呆れたようにため息をつく。だが、俺を見上げるその金色の瞳には、以前にも増して深い尊敬と、絶対的な信頼の色が宿っていた。


「でも……すごかったです。リンドブルムの王都に咲いたあの白い花畑のことは、ここにも噂が届いていますよ。ヴァイス様は、本当に五百年前の伝説の英雄なのですね」


『買いかぶりだ。俺はただ、馬鹿な真似をした連中に、少しお灸を据えてやっただけだ』


 その真っ直ぐな尊敬の眼差しが、正直、俺には少し気恥ずかしかった。だが、彼女の手当てと気遣いのおかげで、身体の痛みと共に、人間の身勝手さで荒んでいた心までが、ゆっくりと癒やされていくのを感じていた。


    

 俺たちが飛竜の巣でそんな穏やかな療養生活を送っている間にも、外界では、俺が落とした一滴の雫が、巨大な波紋となって世界を激しく揺り動かしていた。


 大陸西部、『聖アルド教国』。

 リンドブルム王国での理不尽な侵略戦争が、あろうことか自らが崇める「聖獣」の妨害と、前線兵士たちの集団離反によって失敗に終わったという事実は、絶対の権威を誇る教皇庁に未曾有の大パニックを引き起こしていた。


「何をしておるのだ、貴様ら!あの忌まわしき噂を、今すぐ止めろ!」


 聖都の宮殿、豪華絢爛な玉座の間で、教皇グレゴリウス七世は顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。普段の慈悲深き老人の仮面は完全に剥がれ落ち、そこにあるのは権力にしがみつく見苦しい老醜だけだ。


「あれは悪魔の幻術だ!竜の血から癒やしの花が咲くなど、ありえるはずがない!吟遊詩人どもを全員捕らえ、異端審問にかけよ!噂を広める者は、誰であろうと容赦なく処刑せよ!」

「し、しかし聖下……」


 側近の一人が恐る恐る口を開いた。


「すでに噂は国中に広まっております。それに、リンドブルムから命からがら逃げ帰ってきた兵士たちが、自らの目で見た奇跡を、そして『聖獣様は我々を守ってはくださらなかった』『教皇様の聖戦は間違っている』と、街角で語り始めておりまして……」

「ならば、その兵士どもも黙らせろ! 口を縫い付けてでも黙らせるのだ!」

「で、ですが、五万の兵士全員をですか……? そのようなことをすれば、それこそ民衆の暴動が起きます!」

「うるさい! できぬと言うのか! 貴様も悪魔に唆されたか!?」


 玉座の間に響き渡るヒステリックな怒号。

 そして、その教皇の足元には、両手を鎖で縛られ、泥と血にまみれた一人の男がひれ伏していた。

 かつて栄華を極めた聖騎士団長、マルクスだ。


「……教皇猊下。申し訳……ありません。あの竜は、やはり悪魔の化身……私の言葉に耳を貸さず、部下たちまでたぶらかし……」

「黙れ、無能者が!」


 教皇は、すがりつこうとするマルクスの顔面を、容赦なく蹴り飛ばした。


「神の軍勢を率いながら、一匹の獣すら従えられず、あまつさえ兵の離反を招くとは! 貴様の失態で、教国の権威は地に落ちたのだぞ! この役立たずめ、地下牢にぶち込んでおけ!」


 衛兵たちに引きずられていくマルクスの背中を見ながら、教皇は荒い息を吐き捨てた。

 彼による必死の情報統制にもかかわらず、一度広まった奇跡の噂は、野火のように止まらなかった。

 教国の絶対的な一枚岩だった支配体制に、初めて深い亀裂が入ったのだ。


 教皇はこの事態を収拾するため、国内の反対派への粛清を強化し、さらに強硬な恐怖政治を敷き始めた。だが、それは火に油を注ぐだけの結果となり、民衆の不満は地下に潜って、やがて教国の根幹を揺るがす大きな反乱の火種として、静かに燻り始めていた。



 一方、大陸東部の『アーベル亜人連合』でも、この出来事は大きな波紋を広げていた。

 リリが持ってきた通信用の魔法道具、小さな水晶球を通して、俺は議会での激しい議論の様子を静かに聞いていた。


「あのドラゴンは、本当に人間の国を守ったのか?」

「それも、一発のブレスも吐かず、自らの身を盾にして……?」

「彼が流した血が、大地を癒やしたというのも真か?」


 亜人たちの間で、俺に対する「人間の兵器」「かつての敵の遺産」という見方は、大きく揺らぎ始めていた。


 その議論の中心にいたのは、ドワーフの戦士団長ボルガと、エルフの長老代行となったルシルだった。


「諸君、よく聞いてくれ!」


 ボルガは議場の壇上に立ち、太い腕を振り上げて熱弁を振るっていた。


「わしは、あの竜と共に戦った爺さんの話を信じている! エルフの森で、彼がどれほどの覚悟で真実を暴き、ルナミリア様の遺志を蘇らせたか、この目ではっきりと見た! そして今回、リンドブルムでの出来事だ! 彼は五万の敵軍を相手に、一発の反撃もせず、ただ弱き者を守り続けたのだ!」


 議場が大きくざわめく。


「これが『人間の兵器』のやることか!? 否! これこそが、我らが本当に求めるべき『真の守護者』の姿ではないのか!」


 続いて、ルシルが前に進み出た。彼女の手には、曾祖母エリアーナの日記がしっかりと握られている。


「エルフの森は、もはや孤立を捨て、連合と共に歩む決意をしました。……それは、ヴァイス様との対話があったからこそです。彼は力で我々を屈服させたのではありません。真実と誠意で、我々の心を動かしたのです」


 ルシルは議員たちを真っ直ぐに見渡した。


「今こそ、連合は正式にヴァイス様との対話を続けるべきです。彼を過去の遺恨で敵視するのではなく、未来を共に歩む同志として迎え入れるべきです!」

「その通りだ!」


 ボルガが力強く頷き、提案する。


「わしは提案する! ヴァイス殿を、アーベル亜人連合に正式に迎え入れることを!」


 議場は賛否両論で騒然となったが、ボルガたちの熱意により、穏健派の発言力は確実に増していた。

 俺はその全ての情報を、洞窟の中で水晶球越しに聞きながら、深くため息をついた。



 教国と連合。二つの巨大な勢力が、俺という一つの存在を巡って、大きく揺れ動いている。


「ヴァイス様は、これからどうなさるのですか?」


 傷の手当てを終え、手を拭いたリリが、俺の顔を覗き込んで尋ねた。


「このまま教国が内乱で弱体化すれば、連合にとっては最大の好機です。今こそ長年の恨みを晴らし、教国を攻め滅ぼすべきだと主張する過激派も、連合内には少なくありません。……ヴァイス様が連合の旗頭になれば、教国を滅ぼすことも不可能ではないかもしれません」

『……愚かなことだ』


 俺は吐き捨てるように言った。


『憎しみが憎しみを生むだけだ。教国を滅ぼせば、今度は教国の残党が連合を憎む。そんなことを続ければ、五百年前の過ちを繰り返すことになる。……かつて、魔王大戦の後に起こったことと同じだ。共通の敵を失った時、人は一番身近な者を憎み始める』


 俺は洞窟の入り口から見える空を見上げた。

 雲の切れ間から、どこまでも青く澄んだ空が覗いている。


 教国も、連合も、どちらも完全な正義ではない。

 そして、どちらも完全な悪でもないのだ。

 教国にはマルクスのような狂信者たちもいれば、リンドブルムで武器を捨てた兵士たちのような良心を持つ者もいる。


 連合には復讐に燃える過激派もいれば、リリやボルガのように対話による平和を望む者もいる。

 どちらか一方の勢力に与することは、火種を消すどころか、更に大きく燃え上がらせることになるだけだろう。それは真の解決にはならない。

 ならば、俺が進むべき道は一つしかない。


『……リリよ』


 俺は決意を固め、ゆっくりと身体を起こした。まだ傷口が軋み、鈍い痛みが走るが、構わない。


『……我は、我の道を行く。教国でもなく、連合でもない。第三の道を』


「……第三の道……?」


『ああ。かつて我の友、カイルが目指した道だ』


 俺は洞窟の外へと歩み出た。

 風が心地よい。じっとしてはいられない。


『リンドブルム王国のような、大国の狭間で苦しむ者たちがいる。人間にも亜人にも属さず、ただ平和を願う者たちがいる。……我は、そういう者たちのための翼となる』


「……!」


 リリの瞳が、驚きと感動で大きく見開かれた。

 俺は巨大な翼を広げ、天に向かって宣言した。

 それは誰に聞かせるでもない、俺自身の魂への誓いだった。


『我は宣言する。この大陸に、国家や種族に縛られない、全ての自由な民のための新たな旗を掲げると』


 風が俺の翼を撫で、山々に俺の声を運んでいく。


『その名は、『大陸自由協定』。この大陸に住む種族や国家の垣根を超えた、すべての自由な民のための連帯組織だ。……我は、その守護者となる』

 それはあまりにも壮大で、無謀とも思える宣言だった。

 強大な二つの勢力を敵に回しかねない、茨の道。

 だが、俺の心は驚くほど晴れやかだった。

 ようやく見つけたのだ。この五百年後の世界で、俺が本当に成すべきことを。


 ただ過去の悲劇を嘆くのではなく、ただ目の前の火の粉を払うのでもなく、この世界の歪みそのものを正す。

 これこそが、ルナミリアとカイルの遺志を継ぐ、俺の使命なのだ。


 教国と連合。

 二つの巨大な天秤の上に、俺は今、「第三の選択肢」という新たな重りを乗せようとしていた。

 この歪んだ世界のバランスを正しい形へと導くために。正すために。


『リリ、行くぞ』


 俺は翼を広げたまま、隣に立つ小さな友に声をかけた。


「はい! どこまでも、ヴァイス様と共に!」


 リリは満面の笑みで力強く頷くと、慣れた様子で俺の背中の定位置へと飛び乗った。

 俺の本当の戦いは、ここから始まる。

 純白の鱗を持つ古の竜と、一人の狐の獣人の少女。

 そして彼らの意志に惹かれて集うであろう、まだ見ぬ仲間たち。

 後に「第三の道」と呼ばれ、大陸の歴史を大きく塗り替えることになる新たな物語。


 これが、その始まりの1ページだった。





第44話に挿絵を追加しました!

お待たせしてしまい申し訳ありません。ぜひ遡ってチェックしてみてください!

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