第52話 聖騎士団の傲慢
俺の巨大な身体は、一筋の黒い流星となって大気圏を突き破り、リンドブルム王国の絶望的な攻城戦が繰り広げられる戦場の、まさにその中心へと降下した。
巨大な質量と空気圧による凄まじい衝撃波が、地面の砂埃を天高く巻き上げ、一時的な真空を作り出した。
突如として、何の前触れもなく空から降ってきた、圧倒的で絶対的な「理不尽」。
攻撃を仕掛けていた教国軍も、崩れかけの城壁の上で必死に抵抗していたリンドブルムの防衛軍も、誰もがその動きを止め、呼吸すら忘れて呆然と空を見上げた。
「……な、なんだ、あれは……!? 空が……空が落ちてくるぞ!?」
「……だ、ドラゴン……!? まさか、あの伝説の……!」
兵士たちの驚愕の悲鳴や、歓喜の声が戦場のあちこちから沸き起こる。
俺は、両軍のちょうど中間地点、誰の攻撃も届かない絶妙な位置にズシン、と地響きを立てて着地した。
ドォォォォォンッ!
大地が悲鳴を上げ、深い亀裂が走る。
俺は着地の衝撃を殺すことなく、あえて見せつけるように巨大な白銀の翼を広げた。太陽の光を反射してプラチナのように輝くその威容は、それだけで両軍の戦意を一時的に完全に麻痺させた。
俺は無言のまま、その場に織りなされる死の行進を静かに睥睨した。
最初に我に返ったのは、教国軍の司令官、聖騎士団長マルクスだった。
彼は最初こそ、予期せぬ「規格外の強敵」の出現に驚きに目を見開き、手にしていた軍配を落としそうになった。だが、やがて俺の姿をじっくりと観察すると、その目に狂気じみた歓喜と興奮の色が浮かんだ。
彼は、俺の純白の鱗と、青く澄んだ瞳を確認したのだ。
「白い鱗……青い瞳……。間違いない……!教皇猊下が予言された通りだ!」
マルクスは馬上で体を乗り出し、天を仰いで高らかに叫んだ。その声は、魔法の増幅器がなくとも、狂信という名の熱を帯びて戦場全体に轟き渡った。
「見よ、教国の誇り高き兵士たちよ!我らの祈りは神に届いたのだ!神は我らと共にある!我らの聖戦の始まりを祝福し、教皇陛下の祈りに応え、守護聖獣ヴァイス様が降臨なされたのだ!」
その言葉に、五万の教国軍兵士たちが、
「おおおおッ!ヴァイス様だ!お導きを!」
と、地鳴りのような歓声を上げた。
彼らは微塵の疑いも持っていない。俺が彼らの味方として現れ、神に背いたリンドブルムをその聖なる炎で焼き払ってくれるのだと、深く信じ込んでいるのだ。
プロパガンダとは、これほどまでに人の目を曇らせ、理性を奪うものか。俺は心底、呆れ返った。
一方、城壁の上のリンドブルム王国軍は、さらなる絶望の底に突き落とされた。
自分たちの希望の矢が放たれる前に、神の名を借りた悪魔が、最強の敵の援軍として舞い降りてきたのだから。
「……終わりだ……」
「教国の伝説の聖獣が、奴らの側に現れたとあっては……。我らに万に一つの勝ち目もない……」
「国は……ここで終わるのか……」
兵士たちは、もはや弓を引く気力も失い、剣を手放してその場にへたり込む。
王国の国王アルフレッドも、顔面を蒼白にさせ、天を仰いだまま立ち尽くしていた。彼の目には、理不尽な暴力に蹂躙されていく我が国と民の姿が、はっきりと幻視されていたのだろう。
マルクスは、勝ち誇ったように俺に向き直ると、白馬から飛び降り、恭しく、そして大げさに膝をついた。だが、その瞳の奥には、俺を「最強の手駒」として支配し、自らの功績にしようというドス黒い下心が見え隠れしていた。
「おお、偉大なる聖獣ヴァイス様!よくぞお越しくださいました!この聖騎士団長マルクス、あなた様の御身の安全を全軍をもってお守りいたします! さあ、ご覧ください! 神に背きし、愚か者どもの哀れな末路を!」
彼はそう言うと立ち上がり、再びリンドブルムの城壁に向かって攻撃命令を下そうとした。
まるで、俺がその一方的な虐殺を黙って見ているとでも言うように。あるいは、俺が「聖獣」として、当然奴らに加勢して先陣を切るべきだと信じ込んでいるのか。
そのあまりの傲慢さ。
そして目の前で無力な命が奪われていくことを何とも思わず、むしろ「正義」として肯定するその残虐性に、俺の我慢は限界に達した。
「待て」
俺は静かに、戦場の全ての音を圧殺するほどの威圧感を込めて、テレパシーを送った。
マルクスの、攻撃を指示しようとして振り上げられた手が、空中でピタリと止まる。
「……は? ……聖獣様……? 今、何か……」
「我は言ったはずだ。待てと」
俺は、ゆっくりと首を彼に向けた。巨大な首の関節が、ギギ、と重々しい音を立てる。
俺の瞳が、明確な怒りの炎を宿して彼を射抜く。それは彼らが崇める「聖獣」の慈悲深い瞳ではなく、獲物を定める捕食者の冷徹な瞳だ。
「……貴様、我の言葉が聞こえなかったか?」
俺のその敵意に満ちた言葉と、隠しきれない殺気を感じ取ったマルクスの顔から、狂気じみた歓喜の色が完全に凍りついた。
彼はようやく、事態が自分の思った通りに進んでいないことに気づいたようだった。額に脂汗が浮かび、声が上擦る。
「……せ、聖獣様……? ……い、一体何を仰っているのです……? 我らはあなた様の御名において、神の敵を討伐しようと……」
「神の敵だと?」
俺は鼻で笑った。白い煙と共に、熱い呼気が吐き出される。
「貴様らの言う神とやらは、無力な者を大軍で踏みにじれと教えているのか? 血を流すことを喜ぶのか? だとしたら、それは神ではない。ただの悪魔だ」
「なっ……!?」
マルクスは絶句した。
俺の言葉は、彼が信じてきた信仰の根幹、教国の正義を根底から揺るがすものだったからだ。彼の顔が、怒りと混乱で醜く歪む。
「……き、貴様……! さては、聖獣の名を騙る偽物か!? いや、まさか……悪魔に誑かされておられるのか!?」
彼は混乱のあまり、腰の聖剣を抜き放ち、あろうことかその切っ先を俺に向けた。
滑稽だ。竜に向かって、人間の剣を向ける愚かさよ。
「目をお覚ましください、ヴァイス様! その悪魔の囁きを振り払い、我らと共に正義を執行するのです! さもなくば、いかに聖獣様であろうと、異端として断罪せねばならん!」
……もういい。
こいつらには言葉は通じない。
信仰に狂い、正義を騙って自らの欲望を満たそうとしているだけの、詐欺師めいた集団だ。対話など、最初から無意味だったのだ。
ならば、行動で示すしかない。
俺が誰の味方なのかを。俺が何を「正義」とするのかを。
俺はマルクスを完全に無視した。
彼の喚き声など、羽虫の羽音以下だ。
俺はゆっくりと身体を回転させ、リンドブルム王国の城壁に向き直った。
城壁の上の兵士たちが、俺が近づいてくるのを見て恐怖に縮み上がる。
「やめるんだ!」「神の聖獣が来るぞ!」と悲鳴を上げるが、俺は止まらない。
俺が向かったのは、教国軍の投石機によって一部が崩落しかけている、城壁の最も脆い部分の前だった。
そこは、少しでも衝撃を与えれば完全に崩れ落ち、教国軍の侵入を許してしまう致命的な弱点だ。
俺は、その崩れた壁の巨大な穴を完全に塞ぐように、自らの巨大な身体を横たえた。
ズズズズ……と大地が軋む音が響き、俺の白い巨体が、見る見るうちに鉄壁の障壁へと変わっていく。
俺の硬い鱗に覆われた広い背中が、今や彼らの城壁の代わりとなったのだ。
その無言の行動が、何よりも雄弁に俺の意思を物語っていた。
「……な……」
「……ドラゴンが……我らを、庇って……?」
リンドブルムの兵士たちが、信じられないという顔で俺の背中を見ている。さっきまで絶望に染まっていたその瞳に、微かな、しかし確かな希望の光が灯り始めていた。
だが、それに対して、マルクスの反応は激怒と屈辱だった。
自分たちの後ろ盾だと思っていた「聖獣」に、踏みつぶすはずだった獲物を守られたのだから。彼の薄っぺらいプライドは粉々に砕け散った。
「……貴様あああああッ!!」
マルクスが、顔を真っ赤にして、血管を浮き立たせて絶叫した。
「……裏切り者め! 聖獣の皮を被った悪魔が! ……もはや容赦はせん! 全軍に告ぐ!」
彼は、完全に理性を失ったように、狂気に駆られて叫んだ。
「目標変更! あの裏切りの竜を攻撃せよ! あれこそが、我らの討つべき神の敵だ!異端の獣よ、神罰を受けよッ!一斉攻撃だああああッ!!」
その命令一下、五万の教国軍の憎悪が、一斉に俺一点に向けられた。
空が暗くなるほどの無数の矢が、雨霰となって降り注ぐ。
魔法使いたちが繰り出す、赤や青の破壊魔法が、俺の魔力障壁に激突する。
そして、山のような巨石を投げ飛ばす数十台の投石機が、重い音を立てて岩を放つ。
それら全てが、俺の巨大な身体に殺到する。
ドガガガガガッ!
ババババンッ!
煙と爆炎、そして絶え間なく打ち付ける岩の衝撃。
だが、俺は微動だにしなかった。
俺の頑丈な鱗は、人間が用いる弓など、傷一つつけない。魔法の爆発も、俺の魔力防御膜をかすめる程度だ。
上等だ。
もっと来い。
俺はその全ての攻撃をその身に受け止めながら、背後で震える小さな者たちを守り続けた。
俺の背後には、か弱き者たちがいる。
ならば、俺が盾となる。
かつて、我が友カイルがそうであったように。
彼は、誰かのために自分の背中を晒すことができる、最強の騎士だった。
俺のたった一人と、五万の軍勢。
俺の『耐え抜く戦い』が、今、始まった。




