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白き風竜はときをゆく〜ドラゴンに転生した俺の悠久譚〜  作者: やまぐっち
【第二部 偽りの平和と伝説の再臨編】教国の傲慢

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第51話 理不尽な天秤

大陸中央部に広がる緩やかな丘陵地帯。

 そこには、強大な二つの大国――西の聖アルド教国と、東のアーベル亜人連合――のどちらにも属さず、独自の文化と伝統を守りながら暮らす、いくつかの中小王国が点在する「緩衝地帯」が存在していた。


 かつて五百年前、この一帯は『グランツ帝国』という、百万の精鋭を擁する強大な覇権国家の領土であった。

 しかし、皇帝ヴァルカンの死後、愚かな後継者争いと教国の狡猾な政治介入によって帝国は内部から瓦解し、広大な領土はいくつもの小さな国へと切り刻まれてしまった。

 現在、この地に生きる人々は、かつての栄光の影を引きずりながらも、大国同士の冷戦の隙間で巧みな外交術を駆使し、互いに同盟を結び合って細々と、しかし平和な営みを続けていた。

 

 その中の一つ、豊かな水源と緑に恵まれ、かつての帝都の面影をわずかに残す美しい田園風景が広がる国、リンドブルム王国。

 今、その慎ましい平和は、無慈悲な白銀の鉄靴と、教皇という一個人の狂った野望によって、泥濘ぬかるみの中に踏みにじられようとしていた。

 王都を囲む、苔むした古びた城壁の外。

 見渡す限りの平原を完全に埋め尽くすように、白地に金の太陽と剣の紋章を掲げた大軍勢が展開していた。

 白銀の重装鎧で統一された聖アルド教国の侵攻軍、その数およそ三万。


 朝日を浴びて氷のように冷たく煌めく槍の林、城壁を容易く打ち砕くであろう整然と並ぶ数十台の巨大な投石機、そして地平線まで続く白い天幕の海。

 それは、一国の軍隊というよりは、この世の全てを神の名の下に飲み込み、白一色に塗り潰そうとする「銀色の津波」のようだった。

 対するリンドブルム王国の兵力は、正規の近衛兵と、急遽かき集められた農民あがりの義勇兵を合わせても、わずか五千に満たない。


 六倍以上の絶望的な兵力差。おまけに装備の質も練度も大人と子供ほどの違いがある。勝敗は、戦う前から火を見るより明らかだった。


「最後の通告だ! リンドブルム国王、アルフレッドよ!」


 教国軍の先頭に立つ司令官、教皇の右腕とも言える聖騎士団長マルクスが、真っ白な軍馬の上で拡声の魔道具を使い、城壁に向かって傲然と言い放った。

 その声は、魔力によって不自然なほどに増幅され、王都の隅々、逃げ惑う民衆の耳にまでビリビリと響き渡る。


「貴様らリンドブルムは、神の教えに背き、我ら教国が禁じているにもかかわらず、東の汚らわしい亜人どもとの不明瞭な交易を続け、異端の思想を国内に広めた!その罪は、万死に値する!本来ならば、この街ごと浄化の炎で焼き尽くすべきところだ!」


 マルクスは、わざとらしく天を仰ぎ、両手を広げた。


「だが、慈悲深き教皇グレゴリウス七世陛下の思し召しにより、迷える子羊たちに最後の機会を与えよう!今すぐ城門を開き、武器を捨てて無条件降伏せよ!さすれば、王族以外の愚かな民の命だけは、教国の奴隷として生きることを条件に保証してやる!」


 それは慈悲などではない。

 ただの脅迫であり、絶対的な暴力を持つ勝利者の、悪趣味な驕りだった。

 城壁の上で、冷たい風に吹かれながらその言葉を聞いていた初老のリンドブルム国王アルフレッドは、悔しさに唇を強く噛みしめ、バルコニーの手すりを握りしめた。爪が木に食い込み、指先から血が滲む。


「……我らは、ただ、生きるために交易を行ってきただけだ」


 国王は震える声で、誰にともなく呟いた。


「かつての帝国の栄華はもうない。この国は資源が乏しいのだ。東のドワーフからは農具となる鉄を買い、エルフからは流行り病を治す薬草を分けてもらった……。民の生活を守るために、彼らの助けを借りたのだ。それが……飢えた民にパンを与え、病で苦しむ子供に薬を与えることが、なぜ『異端』なのだ! なぜ、このような一方的な侵略の理由になるのだ……!」


 国王も、そして背後に控える絶望に顔を染めた兵士たちも、理解していた。

 教国の主張する「異端」など、ただの些細な言いがかりであり、彼らの蛮行を正当化するための口実に過ぎないことを。

 彼らの真の狙いは、この国を見せしめに制圧し、焦土と化すことで、大陸中央部の他の諸国に「教国に逆らえばこうなる」という恐怖を植え付け、絶対的な覇権を示すことなのだ。


「……兵士たちよ! そして我が愛する民よ!」


 国王アルフレッドは顔を上げ、自らの弱音と涙を拭うと、城壁の上に設置された拡声魔法の陣に立ち、腹の底から呼びかけた。


「聞いたか!彼らは我々を『異端』と呼び、浄化すると言った!だが、我々が代々守ってきたのは、異端の思想などではない! 隣人と手を取り合い、汗を流して大地を耕し、家族と笑い合う……そんな当たり前の、尊い『日常』だ! 彼らは、神の名を騙り、その日常を奪いに来た略奪者にすぎない!」


 国王の悲痛な声に、恐怖で震えていた兵士たちの目に、微かな、しかし確かな意志の光が宿り始める。


「我らは最後まで抵抗する! この国の誇りと、愛する者たちの未来のために! 城門を開き、彼らの奴隷となって鎖に繋がれたまま生きるくらいなら、人間として誇り高く、剣を握って死のうではないか! たとえ、ここで我らが滅びようとも、その不屈の魂は必ず歴史に刻まれ、後世の希望となるだろう!」


「「「おおおおおっ!!」」」


 五千の兵士たちが、涙を流しながらも槍を突き上げ、雄叫びを上げた。

 それは、死を覚悟した者たちだけが放てる、美しくも悲しい魂の咆哮だった。

 だが、その勇気ある決意も、圧倒的な暴力の前ではあまりに儚い灯火だった。


「……愚かな選択だ。身の程を知らぬ虫ケラどもが」


 司令官マルクスは、冷たく呟き、軽蔑の笑みを浮かべると、右手を高く掲げた。


「交渉は決裂した!総員、攻撃を開始せよ!神の敵を一人残らず殲滅するのだ!」


 その無慈悲な号令の下、教国軍の陣地に並ぶ数十台の巨大な投石機が一斉に重い唸りを上げた。

 人間の胴体ほどもある巨大な岩石が、次々と放物線を描いて、青空を切り裂き城壁に向かって飛来する。


 ドォォォォォン!! 

 ガガァァァンッ!!


 凄まじい衝撃音と共に、長年王都を守ってきた城壁の一部が飴細工のように崩れ落ち、悲鳴を上げた兵士たちが瓦礫と共に宙を舞う。

 絶望的な攻城戦が、幕を開けた。

    


 その地獄のような光景の全てを。

 俺は上空数千メートル、遥か分厚い雲の上から、鋭い竜の眼で冷徹に俯瞰していた。


 俺は森を飛び立った後、風を切る最速の飛翔によって、この大陸中央部の小王国群へと向かい、戦いの火蓋が切られる寸前にこの地上空へと到着していたのだ。


 眼下では、白い波濤のような教国の大軍勢が、無力な小舟のようなリンドブルム王国軍を、今まさに飲み込もうとしていた。

 巨大な投石機が唸りを上げ、放たれた岩が城壁を粉砕する。魔道士たちの放つ火球が街の屋根を焼き、蟻のように小さな兵士たちが逃げ惑い、あるいは瓦礫に押し潰されていく様が、ここからでもはっきりと見て取れた。


 風に乗って、微かだが、しかし確かな絶叫と、鉄と血の匂いが、空高くいる俺の鼻腔まで漂ってくる。


 あまりにも一方的な蹂躙。

 あんなもの、戦争ですらない。ただの、圧倒的な力を持つ者が、弱い者を一方的に痛めつけるだけの「虐殺」だ。


「……愚かな」


 俺は短く吐き捨て、黙って眼下の惨劇を見つめ続けた。

 無力な者が、強大な力によって理不尽に踏みつけにされ、命を奪われる。

 それはかつて、俺の母が人間の騎士団の欲望のために殺されたあの夜と、全く同じ構図だった。

 違うのは、今度は人間同士が、神という見えもしない存在の名を騙り、自分たちの利益のために同じ人間を殺しているという、どうしようもない醜悪さだけだ。


 俺の胸の奥で、冷たい怒りの炎が燃え上がる。

 俺は、すぐにでも降下して、あの白銀の鎧を着た偽善者どもを吹き飛ばしてやりたかった。最大火力のブレスを一発お見舞いして、あの忌々しい投石機ごと、マルクスという男を消し炭に変えてやりたかった。


 だが、俺はまだ動かなかった。いや、動けなかったのだ。

 俺がここで感情に任せて介入すれば、どうなる?

 確かに、目の前のこのリンドブルム王国は救われるだろう。教国軍は竜の恐怖に撤退し、マルクスとやらは死ぬ。


 だがそれは、アーベル亜人連合のレオニダス議長たちが最も恐れていた事態……「聖アルド教国」と「亜人連合に与する最強の竜」との、全面戦争の引き金を、俺自身の手で引くことになる。


 教皇は狂喜するだろう。


 「見ろ、やはり竜は人間の敵だった!我が国の精鋭を焼き殺した悪魔だ!」と、俺の介入を逆手にとって都合の良いプロパガンダを流し、全人類を扇動して、亜人連合との世界を二分する大戦を引き起こす。


 そうなれば、この大陸中央に点在する他の平和な小王国たちも、否応なく戦火に巻き込まれ、今のリンドブルム以上の、数万、数十万という血が流れるかもしれない。


 俺の激情に任せた「正義」の行動一つで、被害は数千倍に拡大する可能性があるのだ。

 目の前の五千の命を助けるか。

 それを見過ごして、数万、数十万の未来の平和を守るか。

 小さな正義を取るか、大きな災いを避けるための「大義」を取るか。

 俺の心の中で、冷徹な理性の天秤が、激しく揺れていた。


 俺は目を閉じた。

 冷たい上空の風が、火照る鱗を撫でる。

 脳裏に蘇るのは、五百年前に共に戦った、懐かしい友の、太陽のような屈託のない笑顔だった。

 もし、カイルがここにいたら、どうしただろうか。


 考えるまでもなかった。

 彼はきっと、俺のように天秤にかけて迷うことなど、微塵もしなかっただろう。

 たとえ、それがどんなに無謀で、どんなに政治的に困難な道であろうと。


『後先なんて知るか!目の前で泣いてる奴がいるのに、黙って見てられるかよ!』


 そう叫んで、たった一人で、剣一本で、三万の軍勢の中に飛び込んでいったはずだ。

 それが、勇者カイルという男だった。

 彼のやり方は、不器用で、時には政治的な混乱を招き、周囲の大人たちを呆れさせたかもしれない。

 だが、その計算のない真っ直ぐな想いと行動こそが、多くの人々の心を動かし、種族の壁を越えさせ、不可能を可能にして、世界を救ってきたのだ。


「……ふっ」


 俺は、自嘲気味に、鼻で笑った。

 いつから、俺はこんな賢しらな、人間のように臆病な物言いをするようになったのだ。

 未来の政治的リスクを計算して、目の前で蹂躙される命を見捨てる?


 そんなものは、俺のやり方ではない。

 そんな、小難しい政治の算盤弾きは、王都の賢者どもや、どこかの国の王様が勝手にやっていればいいことだ。


 俺は竜だ。

 理不尽に怒り、感情で動き、その圧倒的な力で、腐った世界の理を真っ向から捻じ曲げる、最強の生物だ。


 俺はカッ、と目を見開いた。

 青色の瞳には、もう迷いの色はなかった。あるのは、かつての友と同じ、理不尽を許さない熱い怒りの炎だけだ。

 俺は巨大な翼を半ばたたみ、身体を空気抵抗のない弾丸の形にして、地上に向かって一気に急降下を開始した。


 ゴオオオオオオオオオオオッッ!!


 俺の巨体が大気を切り裂く音が、まるで天の怒りの咆哮のように轟く。

 理不尽な天秤など、この爪で真っ二つに叩き壊してやる。


 俺は、ただ俺が信じる道を行くだけだ。

 我が友がそうであったように。

 空から降るは、敵を滅ぼす天災か、それとも弱者を守る救世主か。

 その答えは、間もなく明らかになる。







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