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白き風竜はときをゆく〜ドラゴンに転生した俺の悠久譚〜  作者: やまぐっち
【第二部 偽りの平和と伝説の再臨編】新たな時代へ

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第45話 教皇の目論見

 亜人スラムの地獄のような惨状を目の当たりにした夜、俺とリリは一睡もせずに朝を迎えた。

 大聖堂の一角に用意された、豪奢な天蓋付きのベッドの隅。そこでリリは小さな膝を抱え、同胞たちの置かれたあまりにも過酷な現実に、ただ静かに、声も出さずに涙を流し続けていた。

 華やかな聖都の地下で、希望も尊厳も奪われ、ただ死を待つように生かされている獣人やエルフたち。彼女の震える背中を見るたび、俺の胸には焼けるような痛みが走った。

 俺の心の中では、聖アルド教国に対する冷たい怒りと、失望と、そしてどうしようもないやるせなさが、どす黒い渦となって渦巻いていた。


 この国は、根の底から腐っている。

 表面だけを純白の大理石で塗り固め、その下には無数の死骸と怨念が埋まっている。

 カイルや仲間たちが命を削って築いた平和は、五百年という歳月の中で、完全に踏みにじられていたのだ。


 翌朝。俺たちの元に、教皇グレゴリウス七世が、数名の枢機卿を従え、柔和で穏やかな笑みを浮かべてやってきた。


「聖獣様、おはようございます。聖都でのご滞在、お楽しみいただけておりますかな?本日は信者たちが、あなた様の御名にちなんだ祝祭の準備をしておりまして……」


 その白々しい態度に、俺は明確な殺意すら覚えた。

 俺が昨夜、光学迷彩を使ってどこへ行き、何を見てきたかなど、この老獪な老人は全てお見通しのはずだ。街中に張り巡らされた魔法の監視網が、俺のような巨大な魔力体の行動を見逃すはずがない。

 知っていて、なお、この「慈悲深い聖職者」の仮面を被り続けているのだ。


『……教皇よ』


 俺は、彼の言葉を遮り、感情を氷のように凍らせた冷たい声で、テレパシーを送った。


『街の北の外れにある、あの巨大な壁に囲まれたスラムはなんだ?我らがかつて命懸けで守ろうとした者たちの子孫を、家畜のように閉じ込め、尊厳を奪って……。それが、お前たちの崇める「神の教え」とやらか?』


 俺の直接的な糾弾に、教皇の張り付けたような笑みが、一瞬だけ凍り付いた。

 俺の足元にいたリリも、教皇を睨みつける。彼女の金色の瞳には、恐怖を上回る強い怒りが宿っていた。

 だが、教皇はすぐに、悲しみに打ちひしがれたような、実に芝居がかった表情を作ってみせた。


「……ああ、亜人居住区のことですな。聖獣様は、あのような穢れた場所をわざわざご覧になられましたか」


 彼は、わざとらしく胸に手を当て、深くため息をついた。


「……心が痛みます。我らも、彼らを救おうと、常に慈悲の手を差し伸べているのですよ。神の偉大なる教えを説き、悔い改めさせ、清浄なる人間へと生まれ変わる機会を与えようと……。しかし、彼らは頑なにそれを拒むのです。野生の血が、神の光を拒絶するのでしょうな」


『拒む、だと?』


「さようです。彼らは自ら獣の道を選び、神の愛を拒絶し、あの汚れた場所で暮らすことを望んでいるのですよ。我々の慈悲を理解できない、実に哀れな魂なのです」

「……嘘をつかないでください!」


 たまらず、リリが前に進み出て叫んだ。彼女の尻尾の毛が、怒りで逆立っている。


「あなたたちは、彼らから仕事も、土地も、学ぶ機会も全て奪っておきながら!壁から一歩でも出れば殺すくせに、何が『彼らが望んでいる』ですか! それはただの詭弁です!」

「おやおや、汚らわしい獣が人語を話すとは。聖獣様のお情けで生かされている身分で、教皇たる私に意見するなどと」


 教皇はリリを、まるで道端の汚物でも見るかのような冷酷な目で見下した。そこには先程までの慈悲深さの欠片もない。


 ……吐き気がした。

 この男は、どこまで腐っているのだ。

 自分たちの差別と迫害、構造的な搾取を棚に上げ、さも「相手の無知や頑迷さが原因」であるかのようにすり替える。

 その、あまりの欺瞞に満ちた言葉に、俺は、もうこいつと言葉を交わす価値もないと判断した。


『……用件はそれだけか?ならば、我はもう巣に帰らせてもらう。ここの空気は我には合わん。腐臭がひどすぎる』


 俺がそう言って身を起こそうとすると、教皇は慌ててそれを制した。


「お、お待ちください、聖獣様!本題はこれからにございます!」


 彼の穏やかだった仮面が、ついに完全に剥がれ落ちた。

 その濁った瞳に宿るのは、狂信と、隠しきれない野望のギラギラとした不快な光。


「聖獣様。あなた様がこのタイミングでお目覚めになられたのは、まさしく神の御心! 天啓なのです! 今こそ、我らが五百年前の聖戦を完遂させる時が来たのです!」

『……聖戦?』

「さようです!」


 教皇は両手を広げ、狂気に満ちた顔で演説するように声を張り上げた。


「東の地に巣食う、劣等なる亜人ども。彼らは神の教えに背を向け、魔王の残滓を崇拝し、我ら清浄なる人間を脅かす災いの元凶!彼らをこの地上から一掃し、全大陸を神の教えの元に統一する! それこそが、我ら選ばれし人間に課せられた、偉大なる使命なのです!」


 そして、彼は俺に向かって、恭しく、しかしその強大な軍事力を背景にして強制するかのように深く頭を下げた。


「聖獣様。どうか、我らにお力をお貸しください! あなた様が我らが聖騎士団の先頭に立ってくださるだけで、兵士たちの士気は天を突くでしょう! あなた様のその聖なるブレスで、亜人どもの穢れた街を焼き払っていただきたいのです!」


 ……ああ、そうか。

 これこそが、こいつの本心か。

 俺を伝説の聖獣として祭り上げ、民衆の信仰心を極限まで扇動し、そして亜人連合への侵略戦争を「聖戦」として正当化する。

 そのための最強の兵器として、そして絶対的な神輿として、俺を利用する。

 それが、こいつの腹の内だったのだ。


「……ふざけるな……!」

 リリが、教皇に向かって歯を食いしばりながら唸った。


「ヴァイス様は、そんなことのために目覚めたんじゃない!あなたたちの戦争の道具じゃない!」


 俺は、黙って教皇を見下ろした。

 その、あまりの愚かさと浅ましさに、怒りを通り越して、底知れぬ哀れみすら感じていた。

 こいつは、何もわかっていない。

 俺が誰で、何を大切に思っているのか。

 俺の友が誰で、彼が何を願い、何のために戦ったのか。


 その何一つを理解しようともせず、ただ自分たちの都合の良い偶像を、俺に押し付けている。


『……教皇よ』


 俺は、静かに告げた。

 その声は低く、地底から響くような重低音となって、謁見の間を震わせた。


『……お前は、取り返しのつかない大きな間違いを犯した』

「……は? と、申されますと……?」


 教皇が訝しげに顔を歪める。


『我を、怒らせた』


 その一言と共に、俺は翼を大きく広げた。


 バサァッ!!


 俺の身体から解放された、純粋で強大な怒りの魔力が、可視化するほどの暴風となって大聖堂の中庭を吹き荒れる。

 周囲の空気が凍りつき、気温が一気に下がる。


 衝撃波で、大聖堂の自慢である巨大なステンドグラスが、パリーン!と甲高い音を立てて粉々に砕け散り、色とりどりの破片が雨のように降り注いだ。


「ひぃっ……!?」


 教皇も、周囲を固めていた近衛兵たちも、その圧倒的なプレッシャーの前に立っていることすらできず、無様にその場にひれ伏した。


『……聞け、愚かな人間どもよ』


 俺は、自らの魔力を極限まで増幅させ、この聖都アルドの隅々にまで響き渡るように、最大出力のテレパシーを空に向かって放った。

 広場に集まり、祝祭の準備をしていた数万の民衆。

 市場で取引をしていた商人。

 そして、北の外れのスラムで、絶望の中でうずくまっていた亜人たち。

 全ての者の脳裏に、俺の意思が、雷のように轟く。


『我は、聖獣などではない。ましてや、お前たちの汚らわしい戦争の道具でもない』


 街の喧騒が、一瞬にして静まり返った。

 人々が何事かと空を見上げ、スラムの亜人たちは、自分たちの頭の中に直接響いたその声に、怯えながらも耳を澄ませる。


『我は、ただの風竜ヴァイスだ』

『そして、お前たちが「穢れている」と蔑み、虐げている亜人たちは、かつて我と共に魔王と戦い、この世界を救った英雄の子孫たちだ!』


 聖都の広場に、ざわめきが波紋のように広がる。「そんな……」

「聖獣様が何を言っているんだ?」

という混乱と驚愕の声。


『お前たちがやっていることは、英雄への冒涜であり、我が友カイルへの裏切りだ。神の教えなどとほざく前に、己の薄汚い鏡を見てみるがいい!』


 教皇が顔面蒼白で、ガタガタと震えながら何かを喚いているが、そんな声はもう誰にも届かない。


『……この街を今すぐ破壊するのは、やめておいてやろう。それは、カイルが愛した民を悲しませるだけだからな』


 俺は、足元で力強く俺を見上げているリリを前足で優しく掬い上げ、背中に乗せた。彼女は震えながらも、俺の背中でしっかりと前を見据えていた。


『だが、覚えておけ。次に我の前にその汚れた面を見せた時が、お前たちの最期の時だ。……我は、友を裏切る者を、決して許しはしない』


 そう言い放つと、俺は大地を強く蹴った。


 ズガァンッ!!


 大聖堂の豪奢な屋根瓦を蹴散らし、凄まじい爆風を巻き起こしながら、俺は聖都の偽りの青空へと舞い上がった。


 眼下で、教皇が腰を抜かして這いつくばり、人々が呆然と口を開けて俺の白い腹を見上げている。


 聖獣の反逆。

 いや、真実の暴露。

 彼らが信じ込まされていた「人間中心の物語」が、今、当の本人によって完全に否定され、音を立てて崩れ去った瞬間だった。


「ヴァイス様……!かっこよかったです……!」


 背中で、リリが涙ぐみながら、しかし誇らしげな声で俺の鱗にしがみついた。


『行くぞ、リリ。しっかり掴まっていろ』


 俺は一度も振り返ることなく、東へ。

 かつての魔境、今は迫害された者たちの砦となっている『アーベル亜人連合』の領土へと、力強く翼を向けた。

 俺の戦うべき相手は決まった。

 この歪んだ「偽りの平和」を終わらせるため、俺は再び、戦乱の嵐の中へと飛び込んでいく。




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