第三十四話 竜の咆哮、友の剣
ズシンッ……!!
カイルの放った合図の光を道標に、玉座の間の天井を突き破り、降り注ぐ瓦礫と砂塵の雨を巨大な翼で払いのけて、俺は舞い降りた。
着地の衝撃で、床に敷き詰められていた無数の髑髏が粉々に砕け散り、部屋全体が大きく揺れる。
『随分と待たせやがって。待ちくたびれたぞ、魔王』
俺の重厚なテレパシーが、玉座の間全体をビリビリと震わせた。
その場にいた全員の動きが、時間が凍りついたかのようにぴたりと止まった。
魔王ゼノンは、振り下ろそうとしていた死神の鎌を止め、俺の予想外の乱入に初めてその美しき冷徹な顔に、驚愕の色を浮かべていた。
そしてカイルは血塗れの顔を上げ、震える唇で安堵の笑みを浮かべ、俺の名を呼んだ。
「……ヴァイス、殿……。来てくれたんですね……」
『ふん。お前からのあんな派手な合図、見逃すはずがなかろう』
俺はテレパシーで、死にかけの友に敢えて憎まれ口を叩き、活を入れた。
『お前が戻らなかったら、俺がケリをつけると約束したはずだ。お前がいつまでもこのカビ臭い城の奥で油を売っているから、痺れを切らして迎えに来てやったんだ。……立てるか、相棒』
俺はボロボロになったカイルと、深手を負って意識がないソロモン、片膝をつくレイヴンを一瞥し、そして目の前の魔王へと、殺意のこもった視線を向けた。
「……なるほど。これが貴様の切り札か、勇者よ。外の竜を呼び込むための合図だったというわけか」
ゼノンはすぐに落ち着きを取り戻し、俺とカイルを交互に見ながら、面白そうに口の端を吊り上げた。
「竜と人間が手を取り合うか。万年の眠りの間に、世界も随分と滑稽なことになったものだ。互いに裏切り、憎み合う定めの種族同士が、命懸けの友愛ごっこか?」
『貴様が眠っている間に、時代は変わったということだ、古の魔王』
俺は威嚇するように、喉の奥で低い唸り声を上げた。
『確かに、人間は愚かで身勝手だ。我も人間を憎んでいた。だがな……こいつらは、俺の背中を預けるに足る、馬鹿げたほどの強さとお節介さを持っている。この世界は、もはや貴様の好きにはさせん。過去の遺物は、大人しく土に還れ』
「……面白い」
ゼノンは心底から楽しそうに笑った。その笑い声だけで、空気が重く震える。
「よかろう。初代勇者との戦い以来だ。我がこの身の全霊をもって戦うに値する相手が現れたのは。……まとめて相手をしてやろう。竜と勇者、二つの希望が我が漆黒の絶望の前に同時に砕け散る様は、さぞ見物であろうな!」
ゼノンの身体から、先ほどとは比較にならない、禍々しくそして巨大な魔力が奔流となって湧き上がった。
城が、いや、この大地そのものが彼の魔力に共鳴し、悲鳴を上げている。玉座の間の壁に亀裂が走り、重力さえも歪み始める。
これこそが、魔王ゼノンの真の力。世界を滅ぼす災厄の顕現。
『カイル! まだ戦えるか!』
「……ああ。ヴァイス殿のその声を聞いたら、目が覚めたよ!」
カイルは俺の声に呼応し、折れた心にもう一度火を灯した。
震える足に無理やり力を込め、立ち上がる。ヒビの入った聖剣を強く握りしめる彼の手からは、再び白銀の闘気が溢れ出していた。
「ソロモン!レイヴン!まだやれるか!」
「……ゲホッ。ご心配なく、カイル殿。この老骨に鞭打って、最後までお供しますぞ!」
「この命、ここで燃え尽きようとも!」
満身創痍の二人の勇者も、最後の覚悟を決めて立ち上がる。
戦いの構図は変わった。
魔王ゼノン、対、風竜ヴァイスと、三人の勇者たち。
世界の運命を賭けた最終ラウンドのゴングが今、高らかに鳴り響く。
「まずはその目障りな翼から、引きちぎってくれるわ!」
ゼノンが俺に向かって、指先から無数の闇の槍を放った。
『させん!』
俺は翼を大きく羽ばたかせ、暴風の壁を展開する。
凄まじい風圧が闇の槍を弾き飛ばすが、ゼノンの魔力は異常に重く、鋭かった。数本の槍が風の壁を強引に突き破り、俺の白銀の鱗に深々と突き刺さった。
『グゥッ……!』
激痛が走る。
これまで、いかなるAランク冒険者の刃も、超巨大ゴーレムの砲撃すらも弾き返してきた俺のオリハルコン級の鱗が、ただの魔法の槍であっさりと貫かれたのだ。
こいつの魔力は、異常に重く、鋭い。俺の風の防御をいとも容易く貫通してくる。
『舐めるなよ、亡霊がッ!』
俺は痛みを怒りでねじ伏せ、床を蹴ってゼノンへと突進した。
極限まで圧縮した無数の真空の刃を放ちながら、その死角へと回り込み、鋼をも易々と引き裂く右前足の爪を全力で振り下ろす。
だがーー。
ガギィィィンッ!!
俺の渾身の爪撃は、ゼノンに届く数センチ手前で、見えない壁に阻まれ激しい火花を散らした。
ゼノンの身体を覆う不可視の闇のオーラ『絶望の帳』。それは、俺の質量と魔力を乗せた一撃を、微動だにせず受け止めていた。
「遅い。そして、軽いな」
ゼノンが冷たく見上げ、そのまま俺の巨大な前足を片手で掴んだ。
直後、想像を絶する力で俺の巨体が持ち上げられ、玉座の間の太い黒曜石の柱へと無造作に投げ飛ばされた。
『ガアアアアッ!?』
凄まじい衝撃と共に柱がへし折れ、俺は床に叩きつけられる。
あんな細腕のどこにこれほどの力が。いや、純粋な「魔力出力の差」が、物理法則すら捻じ曲げているのだ。
最強の種族であるはずのドラゴンが、ただの人間サイズの魔王に、赤子のようにあしらわれるという絶対的な絶望感。
『今だ、カイル!』
瓦礫の中から俺が叫ぶ。俺がゼノンの意識を引きつけ、隙を作ったその一瞬。
カイルが疾風のごとき速さでゼノンの死角へと回り込んだ。
「聖剣技『連光閃』!」
ヒビの入った聖剣から、無数の光の斬撃がゼノンに叩き込まれる。
しかし、その全てが『絶望の帳』によって阻まれ、届かない。
「無駄だと言っている!」
ゼノンがカイルを見ることすらせず、マントを翻す。それだけで発生した魔力の衝撃波が彼を吹き飛ばす。
カイルの身体が壁に激しく叩きつけられ、ぐったりとなる。
『カイル!』
俺が叫ぶのと同時に、ソロモンとレイヴンが動いた。
「喰らいなさい! 『メテオ・スウォーム』!」
「影技、奥義! 『エンドレス・ナイトメア』!」
ソロモンが上空に巨大な魔法陣を展開し、燃え盛る無数の隕石を召喚する。
同時に、レイヴンが自らの影をゼノンの足元へと這わせ、魔王の精神に直接攻撃を仕掛ける幻術の罠を張った。
物理も魔法も通じないのなら、直接「心」を壊す。二人の勇者の、命を削った捨て身の同時攻撃だった。
レイヴンの意識が、ゼノンの精神世界へとダイブする。
魔王の心の中。そこに広がっていたのは、想像を絶する虚無だった。
レイヴンは、ゼノンが最も恐れる記憶や弱点を引きずり出し、内側から精神を崩壊させようと試みた。だが、そこにあったのは、かつて人間に裏切られ、愛する者たちから石を投げられたという「数万年分の凝縮された孤独と憎悪」の海だった。
(な、なんだ……この深く、暗く、重すぎる絶望は……ッ!)
レイヴンの精神が、そのあまりにも巨大な負の感情の奔流に耐えきれず、悲鳴を上げる。幻術をかけるはずが、逆にゼノンの絶望の海に飲み込まれ、レイヴン自身の自我が圧壊しそうになる。
「他者の心に土足で踏み込むとは、無作法な鼠だ」
現実世界のゼノンは天を仰いで、ただ冷酷に笑った。
「ハッハッハッハ!見事、見事!だが、児戯に過ぎん!」
ゼノンがその場で一度、強く手を叩いた。
パァン!!
乾いた音が響く。
たったそれだけで、ソロモンの召喚した隕石は全て塵となって空中で消滅し、精神世界でレイヴンを捕らえていた幻術のリンクは、凄まじい逆流現象を起こして彼自身に跳ね返った。
「ぐあっ……!」
「がぁぁぁぁ……ッ!!」
二人は血を吐いて倒れ、今度こそピクリとも動かなくなった。
強い。
強すぎる。
次元が違う。
俺たち四人が束になってかかっても、最強の竜である俺の渾身の一撃すらも、まるで歯が立たない。
「……終わりだ」
ゼノンが再び、漆黒の魔力でできた巨大な死神の鎌をその手に作り出した。
今度こそ、本当の終わりか。
俺もカイルも、もはや次の一撃を防ぐ力は残されていなかった。
「……ヴァイス、殿……」
その時、壁際で倒れていたカイルが、掠れた声で俺に語りかけてきた。
「……一つだけ……一つだけ、方法があります……」
『……何?』
俺はゼノンを睨みつけたまま、テレパシーで応じた。
「あなたが以前……俺に戦い方の稽古をつけてくれた時、言っていましたね……。ただの全力攻撃ではなく、魔力を一点に極限まで圧縮して、解放しろ、と……」
彼は血を吐きながら、狂気的とも言える最後の作戦を俺に伝えた。
「俺の……聖剣の最後の力と……あなたのその強大な魔力を……一つにするんです……」
「あなたの最強のブレスの中心に、俺の聖剣の全魔力を注ぎ込む。あなたの風の推進力と圧縮力を使って、光の矢としてゼノンの『絶望の帳』のただ一点に撃ち込むんです。風で光を加速させ、一点突破で防御ごと貫く合体技……。名付けて『聖嵐の極光』」
カイルの提案に、俺は絶句した。
それは、かつて俺が前世の物理法則(流体力学)を応用してブレスを習得した理屈と、全く同じものだった。カイルは俺の教えを、この極限状態の中で、竜と人間という種族を超えた合体魔法へと昇華させようというのだ。
『……正気か? お前の聖剣はすでにヒビが入っている。俺のブレスの圧力に耐えられるわけがない』
「成功率は……五分と五分……といったところでしょう。失敗すれば、エネルギーの暴走で俺たちは二人とも消し飛びます。いや、成功したとしても、魔力の反動で俺たちの命は……」
それはあまりにも馬鹿げた、玉砕覚悟の賭けだった。
だが、ゼノンが冷酷な目でこちらを見下ろし、鎌を振り上げている今、俺たちにはもう、その賭けに乗るしか道は残されていなかった。
『……ふん。面白いじゃないか』
俺は、痛む体を起こし、牙を剥き出して不敵に笑った。
『五分もあるのなら十分だ。……それに、お前のそのイカれた発想、嫌いじゃない。やろうぜ、相棒』
俺のその言葉に、カイルも血まみれの顔で最後の力を振り絞って立ち上がり、ニカッと笑った。
「ああ。行こう、相棒! 俺たちの絆が、あいつの絶望を上回ることを証明してやる!」
俺たちは、最後の希望を互いの絆と命に託した。
カイルが俺の鼻先の直前に立ち、ゼノンに向けてヒビ割れた聖剣を真っ直ぐに構える。
俺は大きく口を開き、周囲の大気とマナを限界を超えて吸い込み始めた。
俺の喉奥の風の魔力と、カイルの聖剣の切っ先の光が、同時に極限の輝きを放ち始めた。




