第三十一話 魔王城、到達
死の渓谷での攻防は熾烈を極める。
俺一人だけでは、あるいは勇者たちだけでは、決して突破できないこの死線。だが今、俺たちは種族の壁を超えた「一つ」のチームとなって突き進んでいた。
俺の背中の上で、強風に耐えながら魔法を放ち終えた特殊部隊の兵士が、興奮冷めやらぬ声で叫ぶ。
「すげえ……! 俺たち、伝説の竜に乗って、魔王軍のど真ん中を飛んでるぜ!」
その声に滲むのは死の恐怖ではなく、この極限状況を戦い抜いているという武者震いにも似た高揚感。
前方の視界が僅かに開け、魔境の淀んだ光が差し込み始める。長く苦しい死の渓谷の「出口」が見えたのだ。
だが、魔王軍もただ指をくわえて俺たちの突破を許すほど甘くはない。
渓谷の出口、ようやく光が差し込み始めたその瞬間のこと。
周囲の空気が急激に熱を帯び、同時に鼻が曲がるほどの強烈な腐臭が漂ってくる。出口を完全に塞ぐように、三体の巨大な影が地響きと共に立ち塞がった。
一体は、全身が煮えたぎる赤黒い溶岩で構成された、身長二十メートルほどの灼熱のゴーレム『ラーヴァ・ゴーレム』。歩くたびに足元の岩盤をドロドロに溶かし、強烈な熱波を放ち続けている。
もう一体は、その横で鎌首をもたげる巨大な多頭蛇『キング・ヒュドラ』。九つの首がそれぞれ独立した意思を持つように蠢き、炎、氷、雷、毒など、異なる属性のブレスを吐く準備をしてシューシューと威嚇音を立てる。
そして、それら二体の巨大な怪物を従え、空中にフワリと浮いている禍々しい人影。
漆黒のボロボロのローブを纏い、フードの奥には肉のない骸骨の顔が覗く。その眼窩に燃えるのは、紫色の不気味な鬼火だ。
「……あの骸骨の顔に、底知れぬ死の魔力。間違いない」
大賢者ソロモンが、杖を握る手に力を込めて鋭く告げる。
「あれは最上位の死霊魔術師にして、魔王軍最高幹部である魔将軍の一角……『屍王ネクロス』ですぞ!」
ソロモンの言葉を肯定するように、ネクロスがカタカタと顎の骨を鳴らして笑い声を上げた。
『ククク……。我が配下のドラゴンゾンビを倒し、この死神の喉笛を抜けようとするとは。見事な連携だ、西の虫けらども』
ネクロスが両手を広げると、周囲の空間から光が奪われ、その手に漆黒の魔力が急速に収束していく。その魔力の純度と圧力は、先ほど谷底で俺が吹き飛ばした魔将軍とは比較にならない。
『だが、ここまでよ! この渓谷の出口こそが、貴様らの冥府への入り口となるのだ!』
ネクロスの合図と共に、ラーヴァ・ゴーレムが両腕を振り上げ、巨大な溶岩弾を機関砲のように放ち始める。同時に、九つの首を持つヒュドラが一斉に息を吸い込み、極彩色のブレスを放つ構えを見せる。
真正面から迎え撃てば、足止めを食らうのは確実。
このまま突っ込めば、背中の人間たちがブレスと溶岩の直撃を受けて全滅は免れない。
俺が判断に迷いかけた、まさにその時。
「ギルバート! ルナミリア!」
カイルの悲痛な、しかし揺るぎない決意を込めた声が響く。
「「応!!」」
ドワーフの戦士とエルフの精霊使いが、強風の吹く俺の背中からスッと立ち上がり、それぞれの武器を構える。彼らは、カイルが何を言いたいのかを完全に理解していた。
「カイル! ここは我ら二人に任せて、お前は先に行け! ヴァイス殿、速度を落とすな!」
ギルバートが、死地に赴くとは思えないほど豪快な笑顔を見せつける。
「なっ……二人とも、残る気か!?」
「勇者がこんな所で足止めを食ってどうする! あの九つ首のトカゲ野郎は、俺様が全部切り落としてやる!」
ギルバートはそう叫ぶや否や、巨大な戦斧を構え、俺の背中からヒュドラの首の一つに向かって人間砲弾のように飛び降りていく。
「あのうるさい溶岩人形は、私の水魔法でカチカチに冷やしてあげますわ」
ルナミリアもまた、世界樹の杖を掲げた。大地から巨大な樹木を斜めに召喚して空中の足場を作ると、そこへ向かって軽やかに跳躍する。
飛ぶ直前、彼女はカイルを振り返り、柔らかく微笑んでみせた。
「……カイル。必ず魔王を討って。そして、一緒に平和な世界を見るって約束……忘れないでね」
「ルナミリア、ギルバート……! 死ぬなよ! 絶対に生きて帰れ!」
仲間を信じ、自らの命を犠牲にしてでも、勇者のために道を切り開く。
それが、一ヶ月の死闘で培われた勇者パーティの強い絆の証。
俺は二人の覚悟を無駄にしないよう、速度を一切落とさずに空を切り裂いていく。
二人の勇者が命懸けで作ってくれた、攻撃の薄い一瞬の活路。俺とカイル、ソロモン、レイヴン、そして残りの精鋭部隊を乗せたまま、本命である魔将軍ネクロスへと一直線に肉薄する。
『小賢しい真似を! 虫けらどもが、消え失せろ!』
ネクロスが、両手に溜め込んでいた漆黒の巨大な魔力球『デス・スフィア』を、俺の顔面に向かって放つ。触れれば肉体はおろか、魂ごと消滅する即死魔法。
「ソロモン!」
「わかっておりますとも! 『聖なる鏡よ、邪悪を跳ね返せ(リフレクト・ウォール)』!」
大賢者ソロモンが杖を前方に突き出す。
俺の鼻先の空中に、鏡のような神聖な光の壁が出現する。恐るべき速度で飛来した漆黒の魔力球は、その光の壁に激突すると、威力を殺されることなく、そのまま一直線にネクロスへと跳ね返されていく。
『なっ!? 反射だと!?』
驚愕の声を上げたネクロスは、自らの即死魔法を避けるために一瞬、空中で体勢を大きく崩す。
その、ほんの一瞬の隙。
『今だ、カイル!!』
俺とカイルの意思が、完全にシンクロする。
俺は飛行速度を落とすことなく、空中で翼を半ば畳み、ネクロスの懐へと潜り込むように空気抵抗を無視した異常な「急加速」を敢行した。
凄まじい風圧がカイルの身体を後ろへ押し潰そうとするが、カイルはそれを逆に利用し、跳躍のための強靭なバネへと変えてみせる。
「おおおおおっ!!」
俺の頭部から天に向かって大きく跳躍するカイル。
その体は溢れ出る白銀の闘気に包まれ、手にした聖剣エクシードが太陽を切り取ったかのように眩い輝きを放ち始める。
「聖剣技、奥義『天墜閃』!!」
上空へ跳び上がったカイルの身体が、一筋の流星と化す。
反射された自らの魔法を避けた直後のネクロスには、その神速の光を避ける術も、防御する魔力も残されていない。
重力と落下のエネルギーを味方につけた光の流星は、回避不能の角度で、魔将軍の胸の奥にある魔力核を正確に貫き通した。
『……ば、かな……。この、私が……死の王たる私が、ただの人間ごときに……』
『こんな、あっけなく……ッ!!』
信じられないという表情を浮かべたまま、ネクロスの骸骨の顔にピキピキと亀裂が走る。次の瞬間、眩い光の粒子となって霧散し、完全に消滅した。
主の魔力を失ったヒュドラとゴーレムの動きが、目に見えて鈍り始める。
空中で身を翻したカイルは、飛行を続ける俺の背中へと軽やかに着地した。
「……やったか」
『ああ。見事だ!道は完全に開けた!全速前進だ!』
俺たちは、一瞬の隙を突いてさらに加速し、ついに死の渓谷を完全に突破する。
背後からは、ギルバートの雄叫びとルナミリアの詠唱、そして魔物たちの咆哮が入り混じりながら遠ざかっていくのが聞こえた。
「……すまん。先に行くぞ」
カイルが、小さくなっていく仲間たちの方角に向かって、祈るように呟く。
彼らを置いていく痛み。だが、ここで立ち止まることは、彼らの覚悟と命を無駄にすることに他ならない。俺たちはただ、前だけを見て進むしかなかった。
そして――。
重苦しい渓谷を抜け、視界が一気に開けた俺たちの目の前に、ついに、その禍々しい全貌が現れる。
荒涼とした魔境の最深部。周囲の生命力を吸い尽くしたかのような不毛の荒野の奥で、大地を抉り、天を突き刺すように聳え立つ巨大な黒曜石の城。
無数の尖塔が巨大な墓標のように並び、城壁はドラゴンの牙のように鋭く天を向いている。城全体が、まるで一つの巨大な生き物であるかのようにドクン、ドクンと脈動しているのが肌で感じられた。
周囲には他とは比べ物にならないほど濃密な瘴気が渦巻き、昼であるにもかかわらず、太陽の光を遮って夜のように暗い。
魔王ゼノンの居城『魔王城ゼノギアス』。
連合軍の陽動作戦開始から、わずか一時間。
過去、数多の英雄や冒険者が挑み、誰一人として生きてたどり着くことのできなかった魔王の本拠地の眼前に、俺たちは到達したのだ。
「あれが……魔王城……」
「なんてデカさだ。息が詰まりそうだ……」
背中の兵士たちが、その絶望的な威容に息を呑み、身震いする。
恐怖がないと言えば嘘になるだろう。だが、ここまで来た以上、引き返す道など俺たちの背後にはもう存在しない。
『……降りるぞ。準備はいいか?』
俺は城の敷地内ではなく、正門の手前に広がるひび割れた荒野に狙いを定め、静かに降下を開始した。
ここから先は、俺の巨体では城を壊すだけで中へは入れない。彼ら自身の足で踏み込むしかないのだ。
「ああ。いつでもいける」
カイルが、これまでで最も強く聖剣を握りしめ、静かに、しかし力強く答える。
長く熾烈な戦争は、もうすぐ終わる。
世界と、人類の未来を懸けた最後の戦いが、魔王城の巨大な門の向こうで、今まさに始まろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます
雰囲気が伝わるよう自分で描いた挿絵を最後に入れました。
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