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白き風竜はときをゆく〜ドラゴンに転生した俺の悠久譚〜  作者: やまぐっち
【第一部 魔王大戦編】降臨する白き災厄

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第二十八話 希望の翼と新たな波紋

【重要:第二十六話の投稿順修正とお詫び】


本作の大きな山場である第二十六話『名もなき英雄と絶望の戦場』が、投稿ミスにより一時的に抜けて公開されておりました。


物語の核心に迫る重要な戦いが描かれる回ですので、もし『急に話が飛んだな?』と感じられた方がいらっしゃいましたら、お手数ですが第二十六話から改めて読み直していただけると、より物語を楽しんでいただけるはずです。


ご迷惑をおかけして申し訳ありません。


2026/03/06 21:16


 風竜ヴァイスの振るった圧倒的な暴力は、崩壊寸前だった対魔王大陸連合軍に、劇的な勝利とそれ以上の「希望」をもたらした。

 無敵と思われた超巨大ゴーレムを一撃で粉砕され、精鋭部隊を竜巻で文字通り空の彼方へ吹き飛ばされた魔王軍は、完全に戦意を喪失していた。

 上空から響き渡る指揮官クラスの魔族たちの切羽詰まった撤退命令を受け、アンデッド兵たちも一斉に踵を返した。

 無言で背を向け、退潮していく黒い波。

 それを見た連合軍の兵士たちは、一時的に忘れていた疲労と痛みをアドレナリンでねじ伏せ、怒涛の追撃を開始した。


「逃がすなァッ! 地の果てまで追い詰めろ!」


 復讐の炎に燃える兵士たちの刃が、逃げる魔物の背中を次々と切り裂いていく。

 その光景は、ほんの数刻前までの絶望が嘘のような、人間側による圧倒的な蹂躙劇だった。

 

 この日、「嘆きの平原」の戦いは、開戦以来最大の歴史的な大戦果をもって幕を下ろした。


 戦いが一段落し、血の匂いを孕んだ夕闇が平原に迫る頃。

 戦場の喧騒は、生き残ったことへのけだるい安堵と、死者を悼む重い静寂へと変わりつつあった。

 俺は、連合軍の本陣近くにある小高い丘を選び、静かに舞い降りた。


 ズシン……。


 俺が着地すると、大地が重く唸りを上げる。

周囲で怪我人の手当てをしていた兵士たちは、ビクリと身を竦ませ、蜘蛛の子を散らすように慌てて距離を取った。

彼らの瞳に浮かんでいるのは、強烈な感謝と、それ以上に根源的な「畏怖」の色だ。


無理もないだろう。つい先ほどまで、天災と見紛うばかりの規格外の力で戦場を蹂躙していた怪物が今、目の前に鎮座しているのだから。

彼らにとって俺は救世主であると同時に、一歩間違えば自分たちをも簡単に飲み込みかねない、制御不能な爆弾に映っているはずだ。


(……やれやれ。手放しの歓迎ムードとはいかないか。まあ、当然だが)


 俺が巨大な翼を畳み、小さく鼻を鳴らして溜息をついた時だった。

 張り詰めた空気の中、一人の青年が、兵士たちの作った人垣を押し分けるようにして現れた。

 全身の銀の鎧はひしゃげてボロボロに砕け、応急処置の包帯からは赤黒い血が滲んでいる。足取りもひどく重く、今にもその場に倒れ伏してしまいそうだ。

 だが、その顔は煤と泥に汚れながらも、瞳だけはどんな宝石よりも力強く、安堵の光に満ちて輝いていた。

 勇者カイルだ。


「勇者様、危険です!」

「まだ近づいてはいけません!」

 

 止める兵士たちの制止も聞かず、カイルはふらつく足で真っ直ぐに俺に向かって歩いてくる。

 その表情は、極限の疲労の色は濃いものの、抑えきれない再会の喜びでほころんでいた。

「ヴァイス殿……! 本当に、あなただったのですね!」

 カイルは俺の巨大な足元まで来ると、泥だらけの兜を取り、深々と頭を下げた。

 その声は、微かに震えていた。


「このご恩、何と言って感謝すればいいか……。あの絶望の中で空を見上げた時、あなたの姿が見えた瞬間……俺は、神の奇跡を見たと思いました。あなたがいなければ、我々は間違いなくここで全滅していました。連合軍を代表して、心から礼を言わせてほしい。……ありがとう、俺の友よ」


 『友』というその言葉に、遠巻きに見ていた兵士たちがどよめいた。


「友だと? 勇者様があの規格外の竜と?」

「嘘だろう、あの伝説の風竜と知り合いだったのか?」

「俺たちは、とんでもないお方と一緒に戦っていたのか……」


 俺は、カイルの真っ直ぐすぎる視線と、周囲のざわめきに、少しだけ気恥ずかしさを感じた。


『ふん。礼を言われる筋合いはない』

 

 俺はテレパシーで、わざとそっけなく、ぶっきらぼうに答えた。


『我は、お前があの黒い鉄塊の前で無様に死ぬところを見たくなかっただけだ。それに、あの鉄屑どもが、いずれ我の静かな庭を荒らしに来ないとも限らんからな。先手を打ったまでだ。……勘違いするなよ』


 俺の素直でない物言いに、カイルは堪えきれないようにクスクスと笑った。


「はははっ、相変わらずですね、あなたは。……だが、本当に助かりました。また、命を救われてしまったな。これで俺の借りはいくつになっただろう」

『勘定するのは後にしろ。それより、お前の仲間たちは無事か?』

 

 俺が視線を巡らせると、少し離れた場所から、他の四人の勇者パーティの面々が、複雑な面持ちでこちらを見守っていた。

 彼らは武器こそ構えていないが、いつでも動けるよう体内で密かに魔力を練り上げているのが気配でわかる。

 ギルバートが、ボロボロになった巨大な戦斧を肩に担ぎ直し、呆れたように太い髭をさすった。



「おいおい、カイルの奴、あんな規格外の化け物とマブダチだったのかよ? 聞いてねえぞ。俺様の戦斧よりデカい爪を持ってるじゃねえか。……だがまぁ、俺たちの命の恩人には違いないな」


 ルナミリアは、冷静だが警戒心を隠さない声で分析する。


「……信じられない。あのドラゴン、古代竜エンシェントドラゴンクラス……いえ、それ以上の純度の高い魔力を秘めています。下手に刺激すれば、魔王軍より厄介な天災になるわ。カイルは一体、あの竜とどういう関係なの?」


 レイヴンが、腕を組みながら短く呟く。



「だが、あの竜がいなければ俺たちは死んでいた。それは紛れもない事実だ。……主が友と呼ぶのなら、拙者にとっても友ということ。命の借りは、いずれ返さねばならん」


 長い白髭を蓄えた老齢の魔術師、大賢者ソロモンは、興味深そうに目を細めて俺の鱗の構造や魔力の流れを観察していた。


「ホッホッホ。いやはや、長生きはするものですな。伝説の風竜をこの目で、しかもこれほどの至近距離で見られるとは。あの竜巻の術式、実に興味深い……。後でカイル殿を通じて、こっそり教えを請いたいものですな」


 彼らにとって、俺の存在はまさに未知そのものだ。

 強力な味方であることは間違いないが、同時に、人類という枠組みを超えた畏怖すべき超越者として映っているのだろう。



 やがて、遠巻きに見ていた兵士たちの列が、まるで海が割れるように大きく開いた。

 黄金の甲冑を纏った巨漢が、数人の近衛兵と各国の将軍たちを引き連れて、俺の元へと悠然と歩いてきたのだ。

 その歩調は堂々としており、揺るぎない自信に満ちている。

 

 連合軍の最高指揮官、グランツ皇帝ヴァルカンだ。

 彼は俺の山のような巨体を前にしても、眉一つ動かさず、一切臆することなく堂々とした態度で俺を見据えた。その全身から放たれる圧倒的な覇気は、並の人間なら気絶してしまうほどのものだ。


 彼からは、「王の中の王」としての絶対的な自負を感じる。


「……貴公があの『白き風竜』か。噂以上の力、誠に見事であった」


 皇帝は俺に対して、魔物に対する見下した態度ではなく、対等な強国の王に語りかけるかのような口調で言った。


「我が名は、グランツ皇帝ヴァルカン。この対魔王大陸連合軍の総司令官である。貴公の絶大な助勢に、心より感謝する」

『……』

 

 俺は黙って彼を見下ろした。

 皇帝は、俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、口元に微かな笑みを浮かべた。


「我が軍の窮地を救ってくれたこと、重ねて礼を言う。だが、軍を預かる長として、一つだけ聞かせてほしい」

 

 皇帝の鋭い眼光が、俺の青色の瞳を真っ直ぐに射抜く。


「貴公は、なぜ我らに力を貸した? 気まぐれか? それとも、我ら人間に対して何らかの別の目的があるのか?」


 単刀直入な問いだった。腹の探り合いをするつもりはないらしい。

 俺は皇帝のその胆力と、為政者としての判断の早さに、少しだけ感心した。


『……我はただ、そこにいる『友』の窮地を救ったまで。人間たちの戦争に、これ以上深入りするつもりはない』


 それが、俺の偽らざる正直な気持ちだった。

 今回の介入はあくまで例外中の例外。けじめはつけた。俺はまた、誰にも邪魔されない静かな山の巣に戻るつもりでいた。

 友の無事を確認した今、俺がこの血生臭い場所にいる理由はもうない。

 俺が翼を広げ、飛び立とうとした、その時。

 カイルが慌てて俺の前に飛び出した。


「待ってください、ヴァイス殿!」


 彼は、傷ついた体を引きずって俺の前に進み出ると、真剣な顔で俺を見上げ、そして皇帝に向き直って膝をついた。


「陛下! ヴァイス殿を行かせてはなりません! 彼は、我々人類にとって最大の切り札となりうる存在です! 魔王ゼノンを討伐し、この世界に平和を取り戻すためには、彼の力が絶対に必要なのです!」

『カイル、お前……』

「どうか、彼を連合軍の正式な一員として、最高の賓客としてお迎えください! 私が命に代えて保証します。彼は決して、我々を裏切りません!」


 カイルの必死の訴えに、ヴァルカンは太い腕を組んで、しばし沈黙した。

 だが、周囲の将軍たちからは、即座に猛烈な反発の声が上がる。


「馬鹿な! 意思を持つ竜を軍に加えるなど、前代未聞だ!」

「危険すぎます! もし我々の陣営で彼が暴れ出し、制御できなくなったら、誰が責任を取るのですか!」

「そうだ! 今は気まぐれで味方をしてくれたが、次は我々にその牙を剥くかもしれないぞ!」

「魔王軍と同じ化け物だ! 信用などできるものか!」


 彼らの反応は当然だ。

 俺のような規格外の怪物を自軍の懐に入れるのは、喉元に鋭い刃物を突きつけられているようなものなのだから。

 カイルは唇を噛みしめ、なおも食い下がろうとするが、将軍たちの怒号にかき消されそうになる。

 その時、これまで黙って事態を見守っていた大賢者ソロモンが、杖をついて静かに進み出た。

 カツン、という杖の音が、不思議と場の喧騒を鎮めた。


「……陛下。僭越ながら、私も勇者殿の意見に賛成です」

「ほう、ソロモン。教国の頭脳たるお前もか」

 

 皇帝が面白そうに眉を上げる。


「はい。先ほどの戦いで現れた、あの黒い超巨大ゴーレム……あれは古代の失われた魔法技術『マギ・テクノロジー』の産物です」


 ソロモンは丸眼鏡を押し上げ、極めて冷静に続けた。


「あのような出鱈目な戦略兵器を、魔王軍がまだ複数所有している可能性は否定できません。もし、あんなものが同時に何体も現れれば……今の我々の通常戦力では、どう足掻いても対応しきれないでしょう」

「……ふむ」

「そして、あの硬い装甲を内部から一撃で完全に破壊できる力はおそらく、この大陸広しと言えど、このヴァイス殿をおいて他には存在しないでしょう。毒を以て毒を制す……ではありませんが、規格外の脅威には、規格外の力が必要なのです」


 ソロモンの論理的で冷静な分析は、将軍たちの感情的な反対論をいくらか鎮静化させた。

 皇帝ヴァルカンは深く頷き、再び俺の瞳をじっと見つめた。

 その目は、俺という存在の軍事的な価値を、冷徹に、かつ正確に測りきっていた。


「……竜よ。貴公が我ら人間を信用できぬ気持ちは、よくわかる。人間はこれまで、貴公たち気高き竜族に対して、自らの欲のために数々の愚行を繰り返してきただろうからな」

 

 彼は意外なほど、物事の本質と歴史を理解していた。


「だが今は、種族の垣根や過去の遺恨を越えて、手を取り合うべき時だ。魔王ゼノンは、我々人間だけでなく、この世界に生きる全ての生命にとっての敵だ。貴公の住まう静かな山も、いずれは奴らの毒牙にかかり、死の大地と化すだろう。……我らに、力を貸してはくれまいか」


 皇帝は一度言葉を切り、そして、深く頭を下げた。

 連合軍の頂点に立つ男が、一匹の異種族に対して、衆人環視の中で臣下の礼を尽くしたのだ。

 周囲の将軍たちから、信じられないものを見たというように息を呑む音が聞こえる。


「もちろん、貴公をただの兵隊として扱い、命令で縛るつもりはない」


 顔を上げた皇帝は、カイルを一瞥してから俺に向かって提案した。


「勇者カイルのパーティは、もともと遊撃任務を帯びた特殊部隊だ。貴公には、カイルたちと共に連合軍の象徴たる『特務独立遊撃部隊』として動いてもらうのはどうだ?」

『特務独立遊撃部隊……?』

「そうだ。誰の指揮下にも入らず、貴公とカイルの判断で戦場を選び、戦う権利を持つ。我々は貴公の住処や生活を保障し、必要な物資を全て提供する。貴公は、ただ友であるカイルと共に戦ってくれるだけでいい」


 皇帝の言葉には、一切の嘘や誤魔化しはなかった。

 彼の瞳は、ただ純粋に世界を救い、勝利を掴み取るという、王としての強い意志と覚悟に満ちていた。


 俺は迷った。

 静かな暮らしに戻りたい。だが、皇帝の言う通り、魔王が世界を征服してしまえば、俺の平穏もいずれは脅かされるだろう。あのゴーレムのような兵器が、俺の巣を襲う日が来るかもしれない。

 何より、俺の足元で、俺の答えを祈るような、すがるような目で見つめている、このお節介な友人の顔があった。


(……こいつを見捨てるわけにはいかないしな)


『……はぁ。本当に、面倒なことになったものだ』


 俺は本日何度目かわからない、とびきり大きなため息をついた。


『……よかろう。ただし、条件がある』

 

 俺のその一言に、その場の全員が固唾をのんだ。


『我は、誰の命令も受けん。王だろうが皇帝だろうが、我を縛ることは許さん。我の意思で飛び、我の判断で戦う。そして、我の友であるカイルの頼み以外は決して聞かん。……それでも良いというのなら』


 俺はカイルを見下ろし、ニヤリと牙を剥き出しにして笑った。


『魔王を討つその時まで、お前たちの『翼』となってやろう』


 その傲慢とも取れる答えに、皇帝ヴァルカンは気を悪くするどころか、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。


「……結構! それでこそ、天災の化身よ! 我が連合軍に必要なのは、従順な兵士ではない。絶望の世界をひっくり返すほどの絶対的な力と、孤高の意志だ!」


 皇帝は俺に向かって、そして夕焼けに赤く染まる空に向かってその拳を突き上げた。


「全軍に告ぐ!」


 皇帝は腰の剣を抜き、高らかに宣言した。

 魔法で増幅されたその声は、平原の隅々まで響き渡る。


「今この時より、風竜ヴァイスは、我ら対魔王大陸連合軍の、希望の翼となった! 最強の友を得た我らに、もはや敗北はない!勝利の時は、近いぞ!!」


「「「うおおおおおおおおおおおおっ!!」」」


 兵士たちの、地鳴りのような歓声が、夕暮れの嘆きの平原に轟いた。

 それは、遥か遠くの野戦病院で傷ついた兵士たちの耳にも届き、彼らの心に確かな希望の灯火をともした。



 それは、絶望を乗り越えた者たちが上げる、魂の凱歌だった。

 カイルが、俺の足元で深く安堵の息をつき、崩れ落ちそうになるのを必死に堪えながら、満面の笑みを浮かべた。


「ありがとう、ヴァイス殿。……本当に、ありがとう」


 こうして、俺は、望んだわけではなかったが、人類の存亡をかけた戦いの中心人物の一人として、歴史の表舞台に立つことになったのだった。

 一人の友を守るという、ただそれだけのために。

 そしてその翼が、やがて世界そのものを背負うことになるなど、この時の俺はまだ知る由もなかった。




 勝利の歓喜が波のように引き、夜の闇が戦場を完全に覆い尽くす頃。

 瓦礫と死臭が漂う戦場跡を、松明を手にした数人の冒険者たちが、何かを必死に探して歩き回っていた。

 ベルンの酒場でガントと席を並べていた、あの若い冒険者たちだ。


「ガントさん! どこですか!」

「返事をしてくれよ! ベルンに帰って、一緒に美味い酒を飲むって約束したじゃねえか!」

「……おい、あそこだ!」


 一人が叫び、崩れた投石機の瓦礫の山へと駆け寄る。

 そこには、泥と血にまみれて、ピクリとも動かなくなった巨漢の男の姿があった。

 ガントだった。

 全身の骨が砕けているであろうその体はすっかり冷たくなっていた。だが、その右手だけは、無残に砕けたバスターソードの柄を、万力のような力で握りしめたまま固まっていた。

 その顔は、恐怖に歪むことなく、安らかで、どこかやり遂げたという誇らしげな表情ですらあった。


「……うぅ……ガント、さん……嘘だろ……」

「馬鹿野郎……! 俺たちを置いて、一人でカッコつけやがって……!」


 彼らは松明を落とし、男の亡骸に取りすがって涙を流した。

 やがて彼らは涙を拭い、動かなくなった大男の体を、丁寧に担架に乗せた。ずしりと重いその質量は、彼が必死に生きた証そのもののようだった。

 彼らは無言で担架を担ぎ、連合軍本陣の裏手に設けられた、臨時の遺体安置所へと運んでいった。

 その頃、カイルは自身の傷の治療もそこそこに、戦場の巡回を行っていた。

 この戦いでどれほどの犠牲が出たのか。勝利の裏にある悲惨な現実から、決して目を背けないためだ。


「勇者様……ご報告があります」



 巡回の途中、包帯を巻いた小隊長らしき初老の兵士が、涙ながらにカイルに声をかけてきた。その後ろには、まだあどけなさの残る数人の新兵たちが、俯いて肩を震わせている。



「どうかしましたか?」

「はい……。あのゴーレムが本陣に現れた際、我々が逃げ遅れそうになったのですが……一人の冒険者殿が、自らの命と引き換えに、殿しんがりを務めてくださったのです」

「冒険者が……?」

「はい。ガントと名乗る大剣使いの男でした。彼がオーガ・ロードの足止めをしてくれなければ、この若者たちは全滅していました。……立派な最期でした」


 その報告を聞き、カイルの胸が締め付けられた。

 ガント。その名には聞き覚えがあった。ベルンの酒場で見かけた、あの無骨なベテラン冒険者だ。

 カイルは小隊長に頭を下げると、急ぎ足で遺体安置所へと向かった。

 白い布が幾重にも積み重なる安置所の一角に、ガントは下ろされていた。周囲を取り囲む若い冒険者たちが、膝をついて肩を震わせている。彼らの慟哭が、静かな夜の空気に吸い込まれていく。

 カイルが近づくと、冒険者の一人が顔を上げ、ハッとして道を空けた。



「勇者様……」

「……彼に、会いに来た。少しだけ、時間をくれないか」


 カイルは静かに歩み寄ると、ガントの前に片膝をついた。

 個人的な親交はない。言葉を交わしたこともほとんどない。ただ、出陣前の酒場で見かけたくらいだ。

 だが、カイルは躊躇うことなく、ガントの泥だらけの、すっかり冷たくなった手を、そっと両手で包み込んだ。

 その手はゴツゴツとしていて、分厚い剣ダコがあり、最後まで不器用に、しかし誇り高く剣士として生きた男の手だった。


「ガントさん……」


 隣にいた若い冒険者が、泣きはらした声でガントの遺体に語りかけた。


「あんたが命懸けで守った新兵たち、無事に本陣に辿り着いたってよ……。ほら、勇者様も、あんたに会いに来てくれたぞ。……自慢できるじゃねえか」


 カイルは短く息を吐き、静かに目を閉じた。

 涙は流さなかった。ただ、深い敬意と、決して忘れはしないという感謝を込めて、頭を垂れた。


「……見事な最期でした。あなたの勇気は、俺が必ず引き継ぎます」


 この勝利は、勇者や竜の圧倒的な力だけで掴んだものではない。

 こうした名もなき英雄たちの、泥臭く、尊い献身と犠牲の上に成り立っているのだと、その冷たい手がカイルに教えてくれていた。

 夜風が、安置所の白い布を静かに揺らして吹き抜けていく。

 その風は、どこまでも優しく、戦士たちの疲れた魂を撫でるように穏やかだった。




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