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白き風竜はときをゆく〜ドラゴンに転生した俺の悠久譚〜  作者: やまぐっち
【第一部 魔王大戦編】世界に忍び寄るもの

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第二十六話 名もなき英雄と絶望の戦場

 嘆きの平原に開戦の角笛が鳴り響いてから、一週間が経過していた。

 当初、魔王軍の圧倒的な物量と、倒しても倒しても起き上がるアンデッド兵の波を前に、連合軍は劣勢を強いられ、防戦一方の泥沼に陥っていた。だが、ここ数日、戦況は奇跡的な持ち直しを見せていた。

 その中心には、常に一人の青年の姿があった。

 勇者カイルだ。

 夕闇が迫る頃、カイルは連合軍本陣に設営された巨大な作戦司令テントへと歩を進めていた。


 すれ違う泥だらけの兵士たちは、彼の銀髪と背の聖剣を見るや否や、疲れ切った顔にパッと希望の色を浮かべ、次々と敬礼をしていく。


「勇者様! 今日も俺たちの部隊を助けていただき、ありがとうございました!」

「あなたがいれば、俺たちは絶対に勝てます!」


 口々に投げかけられる称賛と期待の声。カイルは歩みを止めず、一人一人に「君たちの奮闘のおかげだ。共に生き残ろう」と温かく微笑み返した。

 しかし、誰もいなくなった幕舎の入り口で、彼はそっと重い溜息をこぼした。


(皆の期待が痛い……)


 英雄という仮面の裏で、彼の疲労は限界に達しつつあった。それでも、立ち止まるわけにはいかない。カイルは自らの頬を軽く叩いて気合を入れると、重い天幕をくぐった。

 薄暗い魔力灯に照らされたテントの中では、巨大な大陸地図を囲み、各国の将軍たちが深刻な顔で議論を交わしていた。彼らの顔にも濃い疲労の色が張り付いている。だが、カイルが入ってきた瞬間、その瞳に確かな信頼の光が宿るのがわかった。


「前線の状況はどうなっていますか?」


 カイルは地図の東側を指差して問うた。


「東部戦線、ドワーフ重装歩兵団の消耗が激しい。魔王軍の猛攻で地上ルートの補給線が断たれ、食料と武器の供給が完全に滞っている。もってあと二日といったところか……」


 ドワーフの将軍が、己の髭を苛立たしげに引っ張りながら報告する。


「分かった。……ボルガ、君の出番だ」


 カイルは傍らの暗がりに控えていた巨漢の戦士に向き直った。


「おうよ! 俺様の出番だな?」

「ああ。ドワーフ族がかつて鉱脈探索に使っていた古い地下坑道が、この平原の地下深くにも走っているはずだ。それを使えば、敵の目をごまかして安全に前線へ物資を運べるのではないか?」

「へっ、あの古臭い穴蔵がか? ……悪くねえアイデアだ。崩落してる箇所もあるだろうが、任せとけ、俺の戦斧でぶち抜いて道を通してやる!」


 ボルガが豪快に笑い、背中を叩き合いながらテントを飛び出していく。


「ソロモン、レイヴン。君たちは引き続き遊撃部隊として、敵の指揮系統の撹乱をお願いしたい」

「ホッホッホ、老骨に鞭打ちますな。承知しましたぞ」

「……御意」


 二人が影に溶けるように消える。


「それから、負傷兵の件ですが……」


 カイルは最後に、地図の端で黙って戦況を見つめていたエルフの賢者、ルナミリアに視線を移した。


「負傷者を後方まで運んでいては時間がかかりすぎ、助かる命も落としてしまう。ルナミリア、君に頼みたい。エルフの治癒部隊を分散させ、前線の各拠点へ直接配置してほしい。即座に治療を施せば、彼らはまた剣を握れる」

「……ええ、分かっているわ。すぐに手配する」


 ルナミリアは静かに頷いた。だが、カイルはその時、彼女の顔色が蝋のように白く、手元が微かに震えているのを見逃さなかった。


 深夜。

 作戦会議が終わり、将軍たちがそれぞれの持ち場へ戻った後。

 カイルは自分のテントには戻らず、野営地の隅にある負傷兵の治療区画へ向かった。そこには、血と泥にまみれた兵士たちに囲まれ、一人で淡い緑色の治癒魔法を展開し続けるルナミリアの姿があった。

 最後の兵士の傷を塞ぎ終えた彼女は、ふらりとよろめき、近くの木箱に手をついた。


「ルナミリア」


 カイルが声をかけると、彼女はビクリと肩を揺らし、警戒するように振り返った。


「……カイル。何の用かしら。明日の出撃に備えて、あなたも休むべきよ」

「君こそ。顔色がひどい。……これを」


 カイルは、手に持っていた温かいハーブティーの入った木杯を彼女に差し出した。


「ドワーフの野戦食の中に入っていたんだ。少しは疲れが取れると思ってね」

「……結構よ」


 ルナミリアはフイと顔を背けた。


「私はエルフよ。人間の淹れた飲み物なんて必要ないわ。それに、私の魔力はまだ十分に残っている。同情される筋合いはないわ」


 ツンケンとした彼女の態度。しかし、カイルはその手を引っ込めず、静かに言った。


「同情じゃない。心配しているんだ。……君はここ数日、人間の兵士たちを治癒するために、大気中のマナだけでなく、エルフの命の源である『固有マナ』まで削っているだろう?」


 図星を突かれ、ルナミリアの緑の瞳がわずかに見開かれる。


「エルフの治癒魔法は強力だが、自らの生命力を変換して限界を超えれば、術者自身の寿命を削ることになる。……人間のために、そこまで無理をしないでくれ。君が倒れたら、俺は……俺たちは、悲しい」


 その真っ直ぐで、一点の曇りもないカイルの青い瞳に、ルナミリアは唇を強く噛みしめた。


「……馬鹿ね。私が倒れたら、貴重な回復要員が減って困るからでしょう? 人間はいつだって、私たちを道具としてしか見ていないわ」

「違う」


 カイルはきっぱりと否定した。


「俺は『エルフの賢者』としてじゃなく、『大切な仲間のルナミリア』として、君に生きていてほしいんだ。俺が背中を預けられるのは、君しかいない」


 その言葉に、ルナミリアの心の中に百年間張られていた分厚い氷が、ピシリと音を立ててひび割れた。

 彼女は差し出された木杯を、震える両手でそっと受け取った。ハーブティーの温もりが、冷え切っていた彼女の指先をじんわりと温める。


「……人間は、恐ろしい生き物よ」


 ルナミリアは、木杯を両手で包み込んだまま、ぽつりと語り始めた。


「百年ほど前……人間の帝国軍が、自分たちの領土を広げるために、私たちの森の端に火を放ったの。燃え盛る木々、悲鳴を上げる精霊たち……。逃げ遅れた私を庇って、大好きな姉は焼け落ちる大樹の下敷きになったわ」


 彼女の声は微かに震えていた。


「だから、私は人間を憎んでいた。身勝手で、愚かで、自分たちの利益のためなら他者を平気で犠牲にする傲慢な生き物だと。……この連合軍に参加したのも、ただ魔王から森を守るという打算のためだけだった。人間なんて、どうなってもいいと思っていたのに……」


 ルナミリアは顔を上げ、潤んだ瞳でカイルを見つめた。


「でも……あなたは、違う。私がどれだけ冷たく突き放しても、あなたは人間とかエルフとか関係なく、ただ『私』を見てくれる。どうして、そんなに優しくできるの? 自分が傷つくかもしれないのに」

「俺は、ただの不器用な男だよ」


 カイルは苦笑し、彼女の隣に腰を下ろした。


「過去の人間が君たちにした過ちは、決して消えない。俺が謝って済む問題じゃないこともわかっている。……だけど、一緒に新しい未来を作ることはできるはずだ。この戦いが終わったら、種族の壁がない、誰もが笑い合える世界を、君と一緒に見たいんだ」

「一緒に……」


 ルナミリアの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは長きにわたり彼女を縛り付けていた、悲しみと憎しみの呪縛が解けた証だった。


「……ええ。そうね。もしこの戦いが終わって、平和が訪れたら……」


 彼女は涙を拭い、初めて、花がほころぶような柔らかく美しい微笑みをカイルに向けた。


「私の故郷の森の一番奥にある、精霊の泉を案内してあげるわ。……人間は立ち入り禁止の、とっておきの場所よ」

「ああ。約束だ」


 月明かりの下、二人の間に、種族を超えた確かな絆が結ばれた夜だった。


翌日。

 カイルの的確な指示と、勇者パーティの活躍により、淀んでいた戦場の血流が一気に流れ出していた。

 ボルガの開拓した地下通路から兵站が回復し、ルナミリアの治癒部隊によって傷ついた兵士たちが次々と戦線に復帰する。

 ジリジリと、だが確実に、連合軍は魔王軍を押し戻し始めていた。

 最前線は、敵の波が一時的に引いたことで、束の間の小康状態を保っていた。

 血と泥にまみれた塹壕の中で、兵士たちは座り込み、息を整えている。そこへ後方から、久々の温かい配給が届けられた。


「いけるぞ! 勇者様の作戦通りだ!」

「飯が届いたぞ! 温かいシチューだ!」


 泥まみれの兵士たちの間に、小さな歓声と安堵の空気が広がる。

 その最前線で、地面に大剣を突き立てて座り込む一人の男の姿があった。

 Bランク冒険者、ガントだ。

 彼は血と泥で固まった髪を乱暴にかき上げると、配給されたシチューの入った椀を、隣で疲労困憊している新兵の少年に押し付けた。


「ほら、俺の分もやる。食える時に食っとけ。腹が減ってちゃ剣は振れねえぞ」

「あ、ありがとうございます、ガントさん……!でも、ガントさんは……」

「俺はさっき乾パンを囓ったところだ。いいから食え」

 ガントがそう言って水筒の水をあおった、まさにその時だった。


 ブォォォォォォッ!!


 けたたましい角笛が、束の間の休息を無残に切り裂いた。


「敵襲!敵襲ゥゥッ! オークの重装部隊が接近!」


 見張りの兵士が喉を枯らして叫ぶ。地平線の向こうから、新たな黒い波が砂塵を上げて猛スピードで押し寄せてくるのが見えた。


「へっ、ようやくまともな飯にありつけたと思ったら、もう大運動会の再開かよ!」

 ガントは舌打ちをすると、飲みかけの水筒を放り投げ、地面に突き立てていた大剣を力強く引き抜いた。


「おい若造ども!陣形を組め!勇者様やあの綺麗なお嬢ちゃんたちが、俺たちを死なせまいと必死に支援してくれてるんだ! 無様な死に方すんじゃねえぞ!」

「おう! ガントさんもな!」


 ガントは迫り来るオークの群れに向かって先陣を切って駆け出した。彼の剣が唸りを上げ、先頭のオークの首を次々と飛ばしていく。

 彼の周りには、いつしか自然と兵士たちが集まり、ひとつの小隊のような強固な結束が生まれていた。誰もが、このまま勝利への道を切り開けると信じていた。

 しかし、魔王軍の悪意は、そんな人類のささやかな希望をあざ笑うかのように、とっておきの切り札を密かに準備していた。


 ズゥゥゥン……ズゥゥゥン……


 突如、連合軍本陣の目と鼻の先で、大地そのものが悲鳴を上げるような地響きが轟いた。



「な、なんだ!? 地震か!?」

「いや、地面が……盛り上がっている!?」


 連合軍が前線を押し上げ、手薄になっていた本陣のすぐ前の地面が、爆発するように吹き飛んだ。



 立ち込める大量の砂煙と、魔王軍の死霊術師たちが展開した「視界遮断の濃霧ダークフォッグ」を切り裂いて姿を現したのは、見る者の理性を吹き飛ばすほどの、超巨大な人型の影だった。


「な、なんだあれは……!?」

「山が……動いている!?」


 それは、全長百メートルを優に超える、超巨大ゴーレムだった。

 魔王軍は、この規格外の巨体を連合軍に気づかれずに接近させるため、数万のアンデッド兵を犠牲にして巨大な『削岩ワーム』に地中深くを掘らせ、本陣の真下まで地下ルートを進軍させていたのだ。

 人の形を模してはいるものの、生き物としての温かみは微塵も感じさせない、無慈悲な破壊の塔。

 全身は、黒曜石よりもさらに深く黒い、艶消しの装甲板で覆われている。



 アダマンタイト。神話の時代に精製されたとされる伝説の金属。ダイヤモンドよりも硬く、あらゆる魔法を無効化する特性を持つその希少な鉱石が、あろうことか全身に使われている。

 特に異様なのは、その胴体部分の異常な膨らみだ。

 まるで巨大な聖堂をそのまま直立させたかのような、分厚く、四角い胸部装甲。その中央には、装飾に見せかけた微細な「継ぎ目」が縦に走り、左右対称の幾何学模様を描いている。

 頭部には目や鼻といった器官はなく、真横に裂けた巨大なスリットの奥から、禍々しい深紅の光が漏れ出し、戦場を冷徹にスキャンしている。

 これは数千の魂をすり潰して動力とする『禁忌の魔力炉』によって自律稼働する、古代の殺戮マシーンの再現だった。


「撃てぇッ! 本陣に近づけるな!」

 

 連合軍の投石機が一斉に巨岩を放つ。魔道士部隊が空を焦がすほどの火球を放つ。

 だが、その全てが分厚いアダマンタイトの装甲の前には無力だった。巨岩は粉々に砕け散り、炎は表面を舐めるだけで消え失せる。

 ゴーレムは足を止めることすらなく、ゆっくりと、しかし着実に連合軍の本陣に向かって歩を進めてくる。


「くっ……! あんなものを本陣に入れるわけにはいかない!」


 カイルが叫び、聖剣を抜いて飛び出す。

 それに呼応するように、五人の勇者パーティが一斉に前に出た。


「オラァッ! 止まりやがれデカブツ!」



 ボルガが戦斧を地面に叩きつける。大地が割れ、ゴーレムの足を生き埋めにしようとする。



「動かないで! 大地の戒めよ!」



 ルナミリアが地脈から極太の茨の蔦を生み出し、その巨体を縛り上げる。



「神の雷よ!」

 

ソロモンが空から雷雲を呼び寄せ、最大級の雷撃魔法を脳天に叩き込む。

 そして、カイルとレイヴンが、ゴーレムの体を駆け上がり、動力源である胸部のコアを目指して疾走した。

 彼らの連携は神業だった。だが、ゴーレムはあまりにも硬く、そして強大すぎた。

 雷撃は表面を焦がすだけ。拘束の蔦は、ゴーレムが軽く身じろぎしただけでブチブチと引きちぎられる。

 胸部に迫ったカイルとレイヴンは、ゴーレムの表面から発生した強烈な魔力反発によって、木の葉のように弾き飛ばされてしまった。


「がはっ……!」



 地面に叩きつけられたカイルが、苦悶の表情で巨体を見上げる。

 万策尽きたか――。

 連合軍の誰もが絶望に顔を染めた、その時。

 事態は、さらに最悪の方向へと動いた。

 ゴーレムは、連合軍の陣地のど真ん中を目前にしてぴたりと動きを止めると、


ギギギギ……

という不快な駆動音と共に、その巨大な胸部装甲が、観音開きに開き始めたのだ。

 それは、巨大な門だった。


「「「キェエエエエエエエッ!!」」」


 開かれた門の奥から、おびただしい数の、重武装した魔王軍の精鋭部隊が、鬨の声を上げながら蟻のように雪崩れ込んできた。


「なっ……!?」



 カイルが目を見開く。

 あのゴーレムは単なる破壊兵器ではなかった。

 連合軍の強力な魔法障壁や勇者たちの攻撃を完全に無効化し、魔王軍の精鋭部隊を無傷で敵陣の懐深くまで送り込むための、巨大な『トロイの木馬(装甲輸送機)』だったのだ。

 外側は堅牢な防御を誇っていた連合軍だったが、最も手薄な内側から食い破られ、大混乱に陥った。指揮官が次々と倒され、指揮系統は麻痺。兵士たちはパニック状態となって逃げ惑う。

 その混乱の中、ガントは喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。


「逃げるな! ここで食い止めろ! 背中を見せたら殺されるぞ!」

 だが、彼の声は阿鼻叫喚の悲鳴にかき消される。

 目の前で、昨日ベルンの街から一緒に来た若い冒険者が、オークの曲刀に腹を裂かれて倒れた。



「あ……が……」

「おい! しっかりしろ!」



 助け起こそうと手を伸ばしたが、虚ろな目はもう何も映していなかった。



「……クソッたれがぁ!」

 

ガントは舌打ちし、そのオークの首を力任せに薙ぎ払った。返り血が顔にかかるが、拭う暇もない。

 ここは地獄だ。陣形の崩れた連合軍はただの烏合の衆だった。

 その時、硝煙と砂塵の向こうから、ひと際大きな絶望の影が近づいてきた。

 身長三メートルはあろうかという、全身を鋼鉄の鎧で固めた重装オーガだ。その手には、人の胴体ほどもある巨大な戦槌ウォーハンマーが握られている。

 その進行方向に、投石器の瓦礫の下敷きになって動けない数人の新兵たちがいた。

 先ほどガントからシチューをもらっていた、まだあどけなさが残る少年たちだ。


「ひぃっ……来るな……!」



 恐怖で這うことすらできない彼らを、オーガは嘲笑うように見下ろし、ゆっくりと戦槌を振り上げた。

 死の影が、少年たちを覆う。

 ガントの体は、思考するよりも先に動いていた。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 喉から血が出るほどの咆哮を上げ、ガントは新兵たちの前に割って入った。

 Bランク冒険者の意地。歴戦の勘。それら全てを捨て去り、ただの「壁」となって。

 ガキンッ!!

 耳をつんざくような金属音が響き渡った。

 オーガの全力の振り下ろしを、真下でガントは愛剣一本で受け止めていた。

 だが、質量差は歴然だった。ミシリ、と嫌な音がして、しゃがんでいるガントの膝の骨が悲鳴を上げる。全身の血管が破裂しそうなほどの圧力がかかる。


「ぐ……ぐぅぅぅ……ッ!」


 歯の間から血が溢れ出す。

 剣の刀身に亀裂が走り、次の瞬間、パキンッという乾いた音と共に砕け散った。

 勢いを殺しきれなかった戦槌が、ガントの左肩を砕く。激痛が脳髄を焼く。


「ガ、ガントさん!!」

 

背後で、新兵の一人が悲鳴のような声を上げた。


「……へっ、情けねえ声出すんじゃねえ……」


 ガントはふらつく足で踏ん張り、血の泡を吹きながらニヤリと笑った。

 折れた剣を投げ捨て、残った右腕一本で、あろうことかオーガの太い足にしがみついたのだ。



「なっ……!?」



 予想外の抵抗に、オーガが苛立ちの唸り声を上げ、ガントを振り払おうと暴れる。だが、ガントの指は鉄の万力のように食い込み、離れない。


「行け……! 早く、行けぇッ!!」


 ガントは血走った目で背後の少年たちを睨みつけた。



「お前らはまだ若い……! こんなところで死んでいい命じゃねえんだよ!走れ!後ろを振り返るな!」


 その鬼気迫る形相に押され、少年たちは涙を流しながら、転がるように走り出した。

 彼らが安全圏へ逃げ込むのを見届けると、ガントの体からふっと力が抜けた。

 オーガが、邪魔な虫ケラを始末しようと、再び巨大な戦槌を高く振り上げる。

 その影が、ガントの視界を黒く塗りつぶしていく。

 恐怖はなかった。

 あるのは、奇妙なほどの充足感。


(……へっ、酒場の隅で管を巻いて死ぬよりは、よっぽどマシな最期だぜ……)


 ガントは霞む空を見上げた。

 そこには、戦場の煙の隙間から、一筋の美しい白い雲が見えた気がした。


「あばよ……クソッたれな世界……」


 ガントは最期に、冒険者らしく不敵に笑って目を閉じた。

 次の瞬間、無慈悲な戦槌が振り下ろされ、一人の男の魂の灯火を消し去った。



「固まれ! 背中を見せるな!」

 カイルが叫ぶが、その声は悲鳴と怒号にかき消される。

 ガントのような名もなき英雄たちの犠牲も虚しく、戦線は崩壊していく。

 五人の勇者たちも、混乱する陣地の中央で分断され、四方八方から押し寄せる敵の精鋭に完全に包囲されてしまった。


(カイル……!)


 戦場から少し離れた丘の上で、事の顛末を見守っていた俺は、無意識に唇を噛み締めた。

 これ以上ないほどの絶体絶命。

 もはや、戦術や個人の武勇でどうにかなる状況ではない。

 このままでは、カイルも、あの五人の仲間たちも、そしてここにいる一千万の命も、全て蹂躙され尽くすだろう。

 

俺は、人間が嫌いだ。

 彼らの戦争に巻き込まれるのは御免だ。

 

 だが。

 あの時、カイルが見せた屈託のない笑顔。

 焚き火を囲んで語り合った、静かな夜の温もり。

 「ヴァイス殿」と、友として呼んでくれたあの声。

 それを、このまま見殺しにして、俺は平穏な眠りにつけるだろうか?

 いや、できるわけがない。

 

俺の心の中にある「友人」への想いは、もはや「傍観者」という理性の檻を、完全に破壊していた。


『……行くか』


 俺は低く呟き、そして、この世界の運命を決める戦いに、風竜ヴァイスとして介入することを決意した。

 俺は大地を強く蹴り、巨大な白銀の翼を広げた。

 目指すは、混乱と絶望の渦中にある、連合軍の本陣。

 絶望に染まる戦場に、第三の勢力、「天災の化身」が今、降臨する。
























【お詫びと訂正】

いつも読んでいただきありがとうございます!


第二十六話『名もなき英雄と絶望の戦場』について、投稿順序に誤りがあり、一時的に話が飛んでしまっておりました。


本作の中でも非常に重要な『山場』となるエピソードだったため、混乱させてしまい大変申し訳ありません。現在は正しい順序に修正済みです。


絶望の戦場でヴァイスがどう立ち向かうのか……

物語の大きな転換点となりますので、ぜひ改めてじっくりとお楽しみいただければ幸いです!

引き続き、熱い展開をお届けできるよう全力を尽くします!


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