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白き風竜はときをゆく〜ドラゴンに転生した俺の悠久譚〜  作者: やまぐっち
【第一部 魔王大戦編】世界に忍び寄るもの

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第二十五話 丘の上の観戦者

 それは、対魔王大陸連合軍が正式に結成された直後のことだった。

 グランツ帝国の首都、ガイアポリス。その白亜の城内にある重厚な一室に、大陸中から選りすぐられた四人の実力者たちが集められていた。彼らは皆、各種族の王から直々に推薦を受けた一騎当千の英傑たちだ。

 しかし、部屋の空気はひどく張り詰めていた。種族も生まれも、これまでの来歴も全く異なる彼らは、腕を組み、あるいは壁にもたれかかりながら、互いに品定めをするような鋭い視線を無言で交わしていたからだ。


 やがて、重厚な木製の扉がゆっくりと開き、一人の青年が入ってきた。

 太陽のような銀髪に、空を映したような青い瞳。背には神々しい光を帯びた聖剣。

 勇者カイルだ。彼は張り詰めた部屋の空気を肌で感じ取りながらも、真っ直ぐに皆を見渡し、緊張をほぐすように柔らかく、だが芯のある声で口を開いた。


「待たせてしまってすまない。……俺が、今回この遊撃部隊の隊長を務めることになったカイルだ。皆、各国の命運を背負ってここに集まってくれたことに、心から感謝する」


 その謙虚な姿勢に、部屋の沈黙を破る豪快な笑い声が響いた。


「ガハハ! 噂の勇者様ってのは、随分と腰の低い優男じゃねえか!」


 自身の背丈ほどもある巨大な戦斧を軽々と肩に担ぎ、樽のような分厚い体を揺らして歩み寄ってきたのは、ドワーフ族の戦士、ボルガだ。



「俺はボルガ。巷じゃ『剛腕』なんて呼ばれてる。ドワーフの王に尻を叩かれてな、お前の盾になってやれと言われたんだ。……まあ、見たところヒョロヒョロのお前さんには、俺の頑丈な盾が必要だろうさ。背中は預けていいぜ。その代わり、勝利の後の酒代はお前持ちだかんな?」

「ああ、頼りにしているよ、ボルガ。いくらでも奢ろう」

 

 カイルが苦笑して手を差し出すと、ボルガはその手を痛いくらいに力強く握り返した。

 その様子を、部屋の隅から冷ややかな目で見つめる女性がいた。

 長い銀色の髪に、森の木々を思わせる深い緑の瞳、そして尖った耳。エルフの賢者、ルナミリアだ。


「……馴れ合いは結構よ。私は人間を、ましてや帝国や王国の人間なんて、これっぽっちも信用していないわ」



 彼女は手にした世界樹の杖をトンと床に突き、カイルを鋭く睨みつけた。



「人間は過去に、自らの欲のために私たちの森を焼いた歴史がある。……でも、世界が魔王の闇に飲まれれば、私の愛する森も守れない。だから、仕方なく力を貸すだけ。あくまで一時的な共闘よ。勘違いしないでちょうだい」

「……分かっている。過去の過ちは消せないが、今は君のその広大な魔力が必要なんだ、ルナミリア。どうか……共に戦ってほしい」



 カイルが誠実に頭を下げると、彼女はフンと顔を背けたが、それ以上の拒絶の言葉は口にしなかった。

 次に、音もなくカイルの背後の影から、一人の男がスッと姿を現した。

 東方の異国の装束に身を包み、腰には二振りの漆黒のダガーを帯びている。暗殺者、レイヴン。


「……カイル殿」



 男はその場に音もなく片膝をつき、感情の読めない低い声で告げた。



「拙者の刃は、主君のためにある。……我が主の命により、今日、この刻より、貴殿が拙者の新たな主だ。命ある限り、その影となって敵の首を掻き切ろう」

「頭を上げてくれ、レイヴン」



 カイルはしゃがみ込み、彼の肩に手を置いた。



「俺たちは主従じゃない。互いの命を預け合う仲間だ。君の刃は、君自身の意思で振るってほしい」



 その言葉に、レイヴンの瞳がわずかに揺れたように見えた。

 そして最後に、窓際で分厚い魔導書を読んでいた老人が、パタンと本を閉じてゆっくりと顔を上げた。

 深い皺が刻まれた顔に、底知れぬ知性の光を宿した鋭い眼光。西方教国から派遣された最高位の頭脳、大賢者ソロモンだ。


「ホッホッホ。若いというのはいいものですな。熱気がある。……しかし勇者よ、熱気だけでは魔王は倒せませんぞ」

 ソロモンは丸眼鏡の位置を直し、カイルを値踏みするように見つめた。

「私は聖職者ではないので、神への祈りは捧げませんぞ。全ては計算と確率です。……正直に申し上げましょう。この戦い、魔王軍の物量と質を考慮すれば、我々が勝利する確率は極めて低い……私の計算では万に一つもないでしょう」

「万に一つも、ですか……」

「ええ。ですが、盤面をひっくり返す『不確定要素』こそが世界を変えるのです。勇者よ、あなたのその強き意志と『可能性』という数値を、私の計算式に組み込ませてもらいましょう。期待していますよ」

 種族も、生まれも、戦う理由さえもバラバラな五人。

 初対面の彼らの間には、まだ見えない壁があった。だが、カイルという一本の揺るぎない「芯」が中心に立つと、不思議とそこには、反発し合いながらも強固な結びつきを持つ、一つの完成された武器のような雰囲気が漂い始めていた。

「みんな、集まってくれて本当にありがとう。……行こう。俺たちの戦場へ!」

 

 これが、後に人類の希望の象徴として伝説となる「勇者パーティ」の結成の瞬間だった。



 それから、一ヶ月が過ぎた。

 季節は巡り、エルロード山脈を吹き抜ける風には、微かに鉄と血の匂いが混じり始めていた。

 洞窟の奥でまどろんでいた俺、ヴァイスは、ふと奇妙な気配を感じて目を開けた。

 空が、ひどく騒がしいのだ。

 のっそりと巨体を起こし、洞窟の外へ顔を出す。

 見上げれば、俺の住む山脈の上空を、グリフォンやワイバーンに乗った伝令兵たちが、まるで巣を突かれた蜂のように、昼夜を問わず慌ただしく行き来している。

 以前ならば、伝説の風竜である俺の姿を見れば、恐怖に悲鳴を上げて逃げ出すか、あるいは名誉を求めて無謀にも挑みかかってくるかのどちらかだっただろう。

 だが、今の彼らは俺が岩場に姿を現しても、一瞥もくれることなく完全に無視し、血相を変えて東へ、西へと飛び去っていく。

 その必死な形相と見開かれた瞳は、風竜という災害にかまけている余裕など微塵もないほど、切迫した、そして絶望的な事情があることを雄弁に物語っていた。

(……無視、か。何とも面白くないな)

 一体、下界の人間どもの間に何が起きているのか。

 抑えきれない好奇心と、胸の奥でチリチリと燻る微かな胸騒ぎに突き動かされ、俺は巨大な翼を広げた。

 風を操り、雲を纏って自らの気配を完全に消すと、彼らが向かう先――東の大地へと飛翔した。

 そしてたどり着いたその場所で、俺は信じがたい光景を目の当たりにしたのだ。

 大陸中央部、『嘆きの平原』。

 かつては黄金色の小麦が波打ち、収穫の時期には農民たちの穏やかな歌声が響く豊かな穀倉地帯であったその大地は、今や見る影もない。

 無数の軍靴と魔法によって踏み荒らされた大地は泥濘ぬかるみ、鉄と脂、そして血が混じり合った強烈な腐臭が鼻を突く。

 そこは、人類と魔王軍の存亡を懸けた、巨大な処刑場と化していた。

 平原の西側を埋め尽くすのは、無数の旗印が乱立する連合軍一千万の陣営。地平線の果てまで続く白いテントの群れは、まるで大地に降り積もった雪のようだ。だが、そこから立ち昇る兵士たちの熱気と殺気は、陽炎となって空気を歪ませている。

 対する東側には、不気味なほどの静寂を保ったまま、黒い重油の津波のように広がる魔王軍五百万の軍勢。


 ズゥゥゥゥン……という地響きと共に、両軍が激突している最中だった。

 上空から見れば、それは蟻の群れのような細かな点がぶつかり合い、散発的に魔法の爆発の光が瞬いているようにしか見えない。

 俺は、遥か上空の雲間から、その無数の点の一つに視線を凝らした。

 戦場の最前線、泥濘んだ地面。

 一人の男が、肩で激しく息をしながら大剣を振るっていた。

 使い込まれた革鎧は泥と敵の血で汚れ、愛用のバスターソードは既に無残に刃こぼれしている。無精髭を生やしたその顔には、隠しきれない深い疲労と、それ以上の恐怖が刻まれていた。

 以前、辺境の酒場で見かけた男――Bランク冒険者のガントだ。


「っらぁ! どきやがれ豚共ぉ!!」


 ガントの咆哮が戦場に響く。

 彼の剣が、突進してくるオークの硬い皮膚を裂き、鮮血が舞う。

 だが、倒しても倒しても、次から次へと新たな敵が黒い波のように湧いてくる。

 視界が汗と血で霞む。剣を握る腕が鉛のように重い。

 ガントの脳裏に、数週間前の酒場での光景がフラッシュバックした。

 


ぬるいエールの味。使い古された木のテーブルの感触。

『俺たちが逃げれば、ここで酒を飲んでいる間に、家族や恋人が魔物の餌になる』

 震える若手たちを鼓舞し、カッコつけて威勢よく飛び出したあの日。



 だが、あの時の威勢の良さは、この圧倒的な暴力の奔流の前では、嵐の中の木の葉のようにあまりにも頼りない。


「ガントさん! 右! 右からオークの別動隊が来ます!」


 背後で戦う若い冒険者の悲鳴に、ガントは反射的に体をねじった。

 風を切る重い音。

 一瞬遅れていれば、首が飛んでいた。オークの巨大な棍棒が彼の頬をかすめ、地面をすり鉢状に砕く。

 衝撃で吹き飛ばされ、泥水の中に無様に転がる。口の中に、ジャリッとした土と鉄の味が広がった。


「ちくしょう……終わるかよ、こんなところで……!」


 ガントは泥だらけの手で、震える膝を叱咤し、剣を杖代わりにして再び立ち上がった。


「おい若造ども! 陣形を崩すな! 互いの背中を守れ!」


 ガントは息を切りながら、パニックになりかけている部下たちを一喝した。


「ビビってんじゃねえ! 俺たちは冒険者だ、しぶとさだけが取り柄だろうが! 生きてベルンの酒場に帰るんだろ!」

「は、はいっ! ガントさん!」


 英雄になんてなれなくていい。ただ、この若者たちと共に、生きて帰りたい。

 その一心だけで、彼は再び剣を構えた。その姿は、あまりにも小さく、そして痛々しかった。

 俺は、この戦いをただ静観することに決めていたはずだった。

 だが、ガントのような名もなき兵士たちが、恐怖に震えながらも必死に命を燃やし、仲間を庇い合う姿を見ていると、俺の心は奇妙なほどざわついた。

 人間は、弱い。本当に脆い生き物だ。

 だからこそ、その小さな命を懸けて何かを守ろうとする瞬間の魂の輝きは、俺の目を焼くほどに眩しいのだ。


 俺の視線は無意識に、連合軍の最前線、最も激しい戦闘が繰り広げられている一点へと吸い寄せられた。

 そこには、一際まばゆい輝きを放ち、泥沼の戦場を切り裂きながら進む一団がいた。

 一ヶ月前に結成された、あの五人の勇者パーティだ。

 風が、彼らの連携する声を鮮明に運んでくる。


「カイル! 左翼の歩兵部隊が崩れそうだ! 俺が行って援護する!」

「わかっている! ボルガ、正面のオーガ重装部隊は俺が引きつける! ルナミリアは後方支援と結界の維持を!」

「おうよ! 任せておけ! この戦斧の錆にしてくれるわ!」

「承知しました。精霊たちよ、彼らに大地の守りと癒しを!」


 その中心で、白銀の聖剣を太陽のように輝かせ、獅子奮迅の働きを見せている銀髪の青年。

 勇者カイル。

 彼が聖剣を振るうたびに、強烈な光の斬撃が魔物の群れを薙ぎ払い、絶望に沈みかけていた兵士たちの瞳に再び希望の光が灯る。

 俺と洞窟の前で稽古をしていた頃の、どこか青臭さの残る剣筋とは、比べ物にならない。

 その動きは洗練され、無駄がなく、何より迷いが完全に消えている。


 この過酷な戦場が、彼を少年から真の英雄へと成長させたのだろう。

 そして、仲間たちとの連携も、たった一ヶ月という短期間で恐ろしいほどに熟成されていた。


「ふんぬぅぅぅッ!! ドワーフを舐めるなァ!」

 

ボルガが戦斧を大地ごと横なぎに振るう。

 たった一振りで、分厚い鋼の盾を構えた重装オークの集団が、盾ごと紙屑のように粉砕され、吹き飛ぶ。敵陣に巨大な穴が開いた。


「……隙あり」


 そのわずかな隙間を、レイヴンが疾風のごとく駆け抜ける。

 影のように音もなく、後方に控えて魔法の詠唱を始めていた指揮官級のデーモンの背後を取り、その首に漆黒のダガーを一閃。詠唱を完了する前に、紫色の血が噴き出す。

 空からは、ガーゴイルの群れがカイルの背後を狙って急降下してくる。

 だが、それを老いた大賢者の瞳が見逃すはずがない。


「分析完了。対象高度、速度、風力係数……計算終了。そこですな」


 ソロモンが杖を掲げる。彼は空中で複雑な幾何学模様を描き、高速で術式を編み上げた。

「『重力崩壊グラビティ・コラプス』」


 彼が杖を振り下ろすと同時に、ガーゴイルたちの周囲の空間が歪んだ。

 重力が局地的に数倍へと膨れ上がる。悲鳴を上げる間もなく、彼らは自らの重さに耐えきれず、潰れた果実のように地面へと叩きつけられた。


「ふむ、計算通り。……ルナミリア殿、前衛の損耗率が上がっていますぞ」


「ええ、分かっているわ。……大地の精霊よ、傷つきし戦士たちに緑の加護を」


 ルナミリアが澄んだ声で精霊に呼びかけ、傷ついたボルガや周囲の兵士たちの足元から淡い緑色の光を及ぼす。瞬時に傷が癒え、活力が戻る。

 そして、カイル。

 仲間たちが作った道を、彼は迷うことなく駆け抜ける。

 目の前に立ちはだかるのは、身長五メートルを超える、全身を鋼の鎧で覆った巨大なオーガ・ロード。


「はぁぁぁぁっ!!」


 カイルの聖剣が閃く。

 ただの一撃。しかし、そこには仲間たちの想いと、彼自身の決して折れない心が込められていた。

 光の軌跡が走り、オーガ・ロードの巨体と鋼の鎧が、一刀両断にされ、左右に分かれて崩れ落ちた。


「おおおおおっ! 勇者様だ! 勇者様がやってくれたぞ!」

「勇者カイルに続けぇっ!!」


 兵士たちの間に、爆発的な歓声が沸き起こる。

 泥だらけのガントも顔を上げ、涙ぐみながら剣を掲げているのが見えた。

 彼らの活躍は、確かに目覚ましい。

 個人の武勇と連携としては、もはや神話の領域に達していると言っても過言ではないだろう。

 だが。

 遥か上空から戦況全体を冷徹に俯瞰する俺の目には、残酷な現実が映っていた。

 勇者パーティが前線を押し上げ、局地的に勝利を収めても、それは広大な戦場のほんの一点、分厚い布に空いた針の穴のようなものに過ぎない。

 他の戦線では、無限とも思える魔物の数が人間を圧倒し、戦線が確実に崩壊しつつある。

 倒したはずの魔物が、不気味な紫色の光と共にアンデッドとして蘇り、再び襲いかかってくる。連合軍の体力だけが削られていく、終わりのない消耗戦。

 

 押されている。

 明らかに、連合軍は劣勢に立たされていた。

 カイルという一点の輝きが、全体を覆う分厚い絶望の雲に、今にも飲み込まれようとしている。


(カイル……。お前の剣は届くのか? この底なしの深淵の底まで)


 俺は雲の切れ間から、豆粒のように小さく、けれど必死に輝く友の姿を見つめ、無意識のうちに岩肌に爪を食い込ませていた。

 助けに行くべきか、見守るべきか。

 俺の心臓が、早鐘のように嫌な音を立てて脈打ち始めていた。




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