第二十三話 大魔王世界連合軍
アルマード国王アルフォンスの決死の呼びかけを発端として、人類史上かつてない規模の緊急会談が実現した。
場所は、大陸中央部に位置し、最も強大な軍事力を誇る覇権国家・グランツ帝国の首都『ガイアポリス』。
その中心に聳え立つ、鉄壁の要塞都市でもある白亜の城『ガイアポリス城』の大広間には、今、大陸中の国々の王たちが円卓を囲むように顔を揃えていた。
鋼のような筋肉と立派な髭を蓄えた、屈強なドワーフの王。
深い森の叡智を宿した瞳を持つ、美しきエルフの女王。
そして、発起人であるアルマード国王アルフォンスをはじめとする、十数カ国の人間の王たち。
普段であれば、領土問題や種族間の確執から、決して一堂に会することのない顔ぶれである。まさに歴史的な光景だった。
しかし、彼らの顔に友好や祝祭の色は微塵もない。そこにあるのはただ、目前に迫った世界の破滅への恐怖と、肌を刺すような焦燥感だけだった。
「現状は、極めて絶望的だ」
上座の玉座に座るグランツ皇帝、ヴァルカン・フォン・グランツが、地を這うような低い
声で口火を切った。
身の丈二メートルを超える巨躯に、歴戦の傷跡が刻まれた黄金の甲冑を纏う生粋の武人。その全身から放たれる皇帝としての覇気と威厳は、並み居る王たちをただ座っているだけで圧倒していた。
「魔王軍の進撃速度は、我らの最悪の予想すら遥かに上回っている。たった一ヶ月の間に、東方の五つの王国が陥落した。逃げ遅れた国民は皆殺しにされるか、あるいは忌まわしき死霊術によって、アンデッド兵として敵の戦力に組み込まれた。このまま手をこまねいていれば、あと半年も経たずに、大陸の東半分は完全に魔王の手に落ちるだろう」
皇帝の冷徹な事実確認に、広間は鉛のように重い沈黙に包まれた。
誰もが、黒く塗り潰されていく大陸地図の未来を幻視し、息を呑む。
「……何か、何か手はないのか! 我が国の騎士団は、隣国と共同で東の国境に必死に防衛線を張っている! だが、敵の数は無限とも思えるほど湧いてくるのだ!」
小国の王の一人が、耐えきれずに悲痛な叫びを上げた。彼は本来なら、この円卓の隣の席に座るはずだった長年の戦友の訃報を、今朝聞いたばかりだったのだ。友の国は、王城を出る直前に魔王軍の黒い波によって包囲され、無残に滅亡してしまったという。
「脅威は、数だけではありません」
エルフの女王が、静かに、しかし凛とした声で言葉を継いだ。
「我が同胞の斥候からの報告によれば、魔王軍を率いる魔将たちは、一体一体が古代の英雄、あるいは神話の怪物に匹敵する力を持つとのこと。それに加えて、見たこともない攻城兵器まで投入してきています。各国の並の軍隊が個別に当たったところで、足止めすら叶いますまい」
「うむ……。ワシのところの鍛冶師たちが、不眠不休で対魔族用の特殊合金を用いた武具を開発しておるが、全軍に行き渡るまで果たして間に合うかどうか……」
ドワーフの王も太い腕を組み、長い髭を苛立たしげに撫でながら深く唸った。
議論は完全に手詰まりだった。
個々の国がそれぞれの誇りや力で抵抗したところで、巨大な津波の前に砂の城を築いているようなものだ。絶望の波は、確実に彼らの足元まで迫っている。
その重苦しい空気を切り裂くように、グランツ皇帝ヴァルカンが玉座からゆっくりと立ち上がった。
「もはや、我々が生き残る道はただ一つしかない」
彼の力強い声が、広間の空気をビリビリと震わせる。
「我らは今この瞬間より、全ての国境、全ての過去の利害、全ての種族の垣根を完全に取り払い、ただ一つの巨大な軍隊を組織する!その名は『対魔王大陸連合軍』!」
その高らかな宣言に、王たちの顔にかすかな、しかし確かな希望の光が宿った。
「連合軍、だと……?」
「そうだ。我がグランツ帝国が誇る百万の帝国正規軍を中核とし、各国は拠出できる限りの兵員、武器、食料の兵站を、このガイアポリスに集結させるのだ!エルフは、その精緻な魔法と弓の技を。ドワーフは、その屈強な肉体と至高の鍛冶技術を。そして人間は、その数と決して諦めぬ不屈の魂を!」
ヴァルカンは力強く拳を握りしめ、円卓を見渡した。
「我らが持つ力の全てを結集し、一つの巨大な拳となって魔王軍を打ち砕く!人類の存亡を懸けた、最後の聖戦だ!」
皇帝の言葉は、絶望の泥沼に沈みかけていた王たちの心を奮い立たせるのに十分すぎるほどの熱量を帯びていた。
そうだ、まだ終わりではない。自分たちは独りではないのだ。
「……アルマード王国も、全面的に協力しよう」
アルフォンス王が、その熱に当てられたように立ち上がり、最初に賛同の意を示した。
「我が国には『勇者カイル』がいる。我が国の至宝であるが、この未曾有の危機にあって出
し惜しみはすまい。彼を連合軍の先鋒として、惜しみなく差し出そう」
その言葉に、広間が大きくどよめいた。
神に選ばれし勇者の存在は、絶望の闇を照らす何よりも強力な「希望の象徴」だったからだ。
これを皮切りに、各国の王たちが次々と立ち上がり、賛同を表明していく。
「我らエルフの森も、精鋭の魔道士部隊と弓兵部隊を即座に送ろう!」
「ドワーフの戦斧兵団も黙ってはおれんわい! 自慢の重装歩兵を、最前線の盾として送り込んでやる!」
こうして、人類史上最大規模となるであろう『対魔王大陸連合軍』の設立が、満場一致で正式に決定された。
総兵力は各国からかき集め、実に一千万に達する見込みとなった。
しかし、軍議が進むにつれ、グランツ帝国の軍務大臣が渋い顔で進言した。
「陛下、各国の正規軍を合わせても一千万。対する魔王軍の物量と、倒した端からアンデッドとして蘇る性質を考慮すれば、戦線を維持するにはまだ数が足りませぬ」
「ならば、どうする?」
「民間の力も徴用すべきかと存じます。すなわち……『冒険者ギルド』です。彼らは日々魔物と戦っており、実戦経験は下手な新兵よりも遥かに豊富です」
その提案に、アルフォンス王が懸念を示す。
「しかし、彼らは金と自由を重んじる荒くれ者だ。国同士の戦争に、素直に従うだろうか?」
「要請ではなく、義務とするのです」
「なるほど」
ヴァルカン皇帝が、冷徹に断を下した。
「今は一国の存亡ではない。人間、エルフ、ドワーフ……この大陸に生きる、命ある者全ての存亡を懸けた戦いだ。平時の法など通用せん」
皇帝は威厳に満ちた声で、広間に響き渡るように宣言した。
「これより、大陸全土を対象とした『大陸非常事態宣言』を発令する!並びに『全種族総動員令』を敷き、大陸中の冒険者ギルドに対し、Cランク以上の戦闘力を持つ冒険者全員に強制召集をかけよ。……拒否する者は、人類への反逆罪として容赦なく処断しろ」
「はっ! 直ちに各国のギルドへ通達を出します!」
冷酷だが、必要な処置だった。もはや、戦力をかき集めるためになりふり構っていられる状況ではないのだ。人類は今、その歴史上初めて、全ての国境を取り払った「世界規模の戒厳令」の下に置かれたのである。
そして会議の終盤。各国の部隊配置の調整が終わろうとしていた時、アルフォンス王がふと思い出したように、苦い顔で皇帝に問いかけた。
「……ところで、ヴァルカン皇帝陛下。一つ、我が国からの懸念がございます」
「何だ、申してみよ」
「我がアルマード王国の領内、エルロード山脈に、極めて強力な『白き風竜』が巣食っております。我らが魔王軍との戦いに全軍を向けている最中に、背後からあの竜が王都を突くような事態になれば……」
アルフォンスの脳裏には、カイルが庇ったあの風竜ヴァイスの存在があった。カイルは無害だと言ったが、王としては巨大な不確定要素を背負ったまま出陣するのは恐ろしかった。
しかし、皇帝ヴァルカンはその懸念を、鼻で笑い飛ばした。
「アルフォンス王よ。貴公は、目の前から己を喰い殺そうと迫りくる『巨大な虎』の心配をするか、それとも裏庭で丸くなっている『猫』の心配をするか、どちらが先だと思う?」
「……それは、もちろん虎ですが」
「ならば、話は決まっておろう。我らが今全力を挙げて対峙すべきは、世界を飲み込もうとしている魔王という巨大な虎だ! 裏庭の猫など、今は放っておけ。もしその猫が我らの邪魔をするようなら、その時に、虎と一緒にまとめて踏み潰してくれるわ!」
皇帝のあまりに豪胆な言葉に、アルフォンス王は一瞬毒気を抜かれ、何も言い返せなかった。
確かにその通りだ。今は、目前の巨大な脅威にのみ集中すべき時なのだ。
こうして、風竜ヴァイスの存在は、世界規模の危機の前にあっては取るに足らない些事として、人間たちの中から一時的に、完全に忘れ去られることになった。
ガイアポリスに向けて、大陸中の道という道から兵士たちや冒険者たちが重い足取りで集い始め、世界が血みどろの「戦争」へと大きく傾いていく。
一方、その頃。
世界が未曾有の危機に陥り、大陸全土が悲壮な覚悟と鉄の匂いに包まれようとしている、まさにその真っ只中。
エルロード山脈の山頂付近。
岩肌にある広場のような場所で、風竜ヴァイスは
『……ふぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……』
ぽかぽかと暖かい春の陽光を全身に浴びながら、とびきり大きなあくびを一つしていた。
彼のお腹の中には、先ほど近くの森で狩ってきたばかりの、丸々と太った巨大な猪の肉が収まっており、心地よい満腹感が眠気を誘っている。
白銀の美しい鱗は春の光を反射してきらきらと輝き、彼の鼻先では、のんきな紋白蝶が一匹、ヒラヒラと舞っていた。
(……最近、人間どもがパッタリと来なくなったな。静かでいいことだが……)
ヴァイスは巨大な前足に顎を乗せ、うとうとと目を細める。
(カイルの奴、無事に王都に着いただろうか。まあ、あのしぶとさなら大丈夫だろうが。……それにしても、退屈だ)
遥か眼下の大地で、自分と敵対していたはずの人間たちが、魔王という絶望的な敵と血みどろの死闘を繰り広げる準備をしているなど、彼は夢にも思っていない。
世界の終わりのカウントダウンが鳴り響く中、このエルロード山脈の頂だけが、まるで時間が止まったかのような、絶対的な平和と退屈に包まれていたのだった。




