第二十話 言葉を交わして見えるもの
俺が一方的に始めた戦闘指南は、カイルが呆然としながらも、俺の言葉を一言一句逃さぬよう熱心に聞き入るという、奇妙な形で続いていた。
俺は地面に鋭い爪で図を描きながら、あるいは実際にゆっくりとした動作でブレスの構えを見せながら、対ドラゴン戦の基礎から応用までを、丁寧に、そして容赦なく叩き込んでいく。
『いいか、ブレスの予備動作をよく見ろ。喉元の魔力の光の色と、収束するまでの秒数で、次に来るブレスの種類と威力がある程度予測できる。それを見極めずに、いきなり最大防御を展開するなど、魔力の無駄遣いも甚だしい愚か者のすることだ』
「……なるほど。光の密度と収束時間で威力を……。青白い光なら速度重視のカッター、赤い光なら爆発系のファイア……」
カイルは俺の言葉を反芻するように、真剣な顔で頷き、ぶつぶつと復唱している。
もはや彼の頭の中から、俺が討伐対象であるという意識はどこかへ吹き飛んでしまっているようだった。その姿は、ただ純粋に強さを求める求道者のそれであり、同時に新しい玩具を与えられた子供のような無邪気ささえ感じさせた。
一通り、俺が言いたいことを言い終えると、洞窟の前には気まずいような、しかし悪い気はしない不思議な沈黙が流れた。
カイルはしばらく、自身の聖剣を見つめながら何かを考え込むように俯いていたが、やがて顔を上げると、俺に向かって深々と頭を下げた。
「感謝する、風竜殿。貴公の教え、まさに目から鱗が落ちる思いだった。俺は……俺は、自分の才能と聖剣の力を過信し、驕っていたようだ」
『ふん、今更気づいたか。遅すぎるくらいだ』
俺はそっけなく返したが、彼のその素直さには、少しだけ好感を持った。力ある者が自らの弱さを認めることは、そう簡単なことではない。
「……だが、なぜだ?」
カイルは、純粋な疑問といった顔で俺に問いかけた。
「なぜ、敵であるはずの俺に、そこまで手の内を明かすような真似をする? 貴公に、何の得があるというのだ?」
その問いに、俺は少しだけ言葉に詰まった。
自分でも、よくわからなかったからだ。
ただ、この若く、才能に溢れた勇者が、このまま才能を開花させることなく無様に負け続けるのを見るのが、我慢ならなかった。それだけなのかもしれない。
『……勘違いするなよ、勇者』
俺は、照れ隠しのように、ぶっきらぼうに答えた。
『我は、ただ退屈しているだけだ。毎日毎日、代わり映えのしない雑魚ばかりを相手にするのは、もう飽き飽きしていた。……お前は少しは骨がありそうだ。だから、我の暇つぶしに付き合えるくらいには、強くなってもらわねば困る』
それは、半分は本心で、半分は言い訳だった。
俺の答えを聞いて、カイルは一瞬きょとんとした顔をしたが、やがてふっと、柔らかく笑った。
それは、彼が俺に初めて見せた、敵意も警戒もない、年相応の青年の自然な笑顔だった。
「……はは、そうか。暇つぶしか。貴公、面白いことを言うのだな。まるで……人間のようだ」
その言葉に、俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。
人間のようだ、か。
この男は俺の異形の外見ではなく、その内面を見てそう言ったのだ。
百年間、誰にも理解されることなく、ただの「恐るべきドラゴン」として生きてきた俺にとって、その何気ない言葉は、何よりも深く心に突き刺さった。
「……竜よ。いや、ヴァイス殿、と呼ばせていただいても?」
『……好きにしろ』
「ヴァイス殿。俺は貴公と戦い、そして言葉を交わして、わからなくなった。貴公は、本当に我々人間が討伐すべき『邪竜』なのだろうかと」
カイルは真っ直ぐな瞳で俺に語りかけた。
「貴公はただ静かに暮らしたいだけだと言った。それなのに、我々は一方的に貴公を脅威と決めつけ、排除しようとしている。……それは本当に『正義』なのだろうか」
彼の言葉は、俺がずっと抱えていた疑問を代弁してくれているかのようだった。
そうだ。俺は、何もしていない。
ただ、ここにいるだけだ。
それなのに、なぜ、戦わなければならないのか。
その日の夜、カイルは俺の洞窟の前でそのまま野営をした。
太陽が完全に沈み、エルロード山脈の冷気が洞窟の入り口まで忍び寄ってきた頃、カイルは手慣れた手つきで小さな焚き火を起こした。爆ぜる木の音と、オレンジ色の柔らかな光が、巨竜の鱗と青年の銀の甲冑を交互に照らし出す。
「……勇者よ。我の目の前で火を焚くとは、いい度胸だ。ブレスの種火にでもするつもりか?」
俺が皮肉混じりに鼻を鳴らすと、カイルは焚き火に枝をくべながら、ふっと口角を上げた。
「これがないと、人間は夜の寒さに耐えられないのですよ、ヴァイス殿。……それに、貴方が本気で俺を焼こうと思えば、焚き火などあろうとなかろうと同じでしょう?」
その信頼の重さに、俺は沈黙で答えるしかなかった。カイルは揺らめく炎を見つめたまま、独り言のように語り始めた。
「俺は、物心ついた時から『勇者の再来』と呼ばれてきました。剣を握れば大人を打ち負かし、魔力を練れば教会の神父さえ驚愕させる。周囲の期待は、いつしか俺自身の意思を塗りつぶしていった。」
「……カイルという一人の人間ではなく、平和を繋ぎ止めるための『揺るぎない礎』として、俺は生きてきたんです」
カイルの手が、傍らに置かれた聖剣の柄にそっと触れる。
「人々を守ることは、俺の誇りです。ですが、時に息が詰まる。負けることは許されず、弱音を吐けば民の希望を奪うことになる。常に『正しく、強く、高潔であること』を求められる日々は、まるで底なしの深い闇を一人で歩いているようでした」
彼は顔を上げ、俺の大きな青色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ヴァイス殿。貴方の瞳の中に、俺と同じ色を見た気がしたんです。圧倒的な力を持ちながら、その力ゆえに誰とも交われず、ただ一人で高みに取り残されている者の色を」
心臓の奥が、熱い鉄を流し込まれたように疼いた。俺は長い首をもたげ、夜空に浮かぶ月を仰ぎ見る。
『……我も、かつては温もりを知っていた。だが、それはあまりに脆く、あっけなく奪われた』
俺は、自分が元は人間であったという事実は伏せつつも、心の奥底に沈めていた記憶を、静かに吐き出した。
『母なる竜は、人間を愛そうとしていた。だが、人間にとっての竜は、恐怖の象徴か、あるいは金に変わる素材でしかなかった。……母が殺されたあの日、我の中で何かが死んだ。それからは、ただ奪われないために、近づく者をすべて力でねじ伏せてきた。百年間、我が見てきたのは、欲望にまみれた討伐者たちの醜い顔ばかりだ』
俺の低く響く声に、カイルは悲しげに目を伏せた。
『お前は人々を守るために孤独になり、我は自分を守るために孤独になった。……皮肉なものだな。守る対象が違うだけで、我らは同じ闇の中にいたというわけだ』
「……ああ。だが、不思議だな。今、こうして貴公と話していると、その闇が少しだけ明るく見える」
カイルは焚き火に手をかざし、穏やかな声で続けた。
「ヴァイス殿、俺は決めました。この戦いが終わったら……いや、俺が勇者としての役割を果たしたその先で、人間と竜が、剣ではなく言葉を交わせる場所を作りたい。貴公が望む『平穏』を、誰も脅かさないような、そんな世界を」
『ふん、大言壮語を。まずは我の暇つぶしに耐えられるほど、その剣を磨くのが先だろう』
胸の奥に灯った火は、目の前の焚き火よりもずっと温かく、力強く燃えていた。
夜が更けるにつれ、会話は途切れがちになったが、その沈黙は決して不快なものではなかった。カイルは俺の足元で、丸くなるようにして眠りについた。
討伐対象の目の前で、無防備に眠るなど、普通に考えれば狂気の沙汰だ。
だが、彼は俺が彼を襲わないと、信じてくれていた。
そして俺もまた、彼が寝込みを襲ってくるような、卑怯な男ではないと、信じることができた。
この奇妙な出会いが、俺たちの、そしてこの世界の運命を、どこへ導いていくのか。
それはまだ、誰にもわからない。
ただ、俺の冷え切っていた心の中には、百年ぶりに温かい灯火がともり始めたことだけは確かだった。
毎日たくさんの方にお読みいただき、本当にありがとうございます!
おかげさまで初投稿から4日で累計500PVを突破し、執筆の大きな励みになっています。
本日まで『1日5回更新』のスタートダッシュ期間でしたが、明日からは物語をよりじっくり楽しんでいただくため、以下の時間に【1日3回の定期更新】へ移行いたします!
・毎日 6:00 / 12:00 / 21:00 更新
、
完結までこのペースで毎日欠かさずお届けします!
風竜ヴァイスが千年後の世界でどう羽ばたいていくのか……。
続きを見逃さないよう、ぜひこの小説が面白いと感じたら【ブックマーク】や、評価で応援をいただけると、ものすごく嬉しいです!




