第十八話 折れない心
俺が放った最大級のブレス『天衝く嵐の咆哮』は、天を裂く巨大な竜巻と化し、地上へと殺到した。
木々は根こそぎ引き抜かれ、大地は抉られ、俺自身が生み出した天災は、勇者カイルの小さな姿を完全に飲み込もうとしていた。いかに勇者と言えど、これほどの破壊の奔流をまともに受ければ、ひとたまりもないはずだ。
だが、カイルは逃げなかった。
彼は、迫りくる絶望的なまでの破壊を前に、静かに聖剣エクシードを正眼に構える。
そして、その青い瞳に決して揺らぐことのない決意の光を宿して叫んだ。
「聖剣解放『セイクリッド・フィールド』!!」
カイルの言葉に応えるかのように、聖剣が太陽のように眩い光を放った。
その光は、彼の足元からドーム状に広がり、半透明の黄金の障壁を形成する。それはこれまで俺が見てきたどの魔法障壁よりも神々しく、そして強固なものだった。
次の瞬間、俺のストームブレスがその障壁に激突する。
ゴオオオオオオオオオッッ!!
天地を揺るがすほどの凄まじい轟音が響き渡り、視界が白一色に染まる。
暴風が障壁に当たり、渦を巻き、せめぎ合う。黄金の障壁はミシミシと悲鳴のような音を立てて軋むが、決して砕け散ることはない。
中心に立つカイルは奥歯を噛み砕くほどの力で食いしばり、全身全霊を賭して聖剣の力を支えていた。
彼の足元の地面は、その凄まじい圧力に耐えきれず、蜘蛛の巣のようにひび割れていく。
(……防ぎきる、だと!?)
俺は信じられない思いでその光景を見下ろしていた。
俺の最強のブレスが、たった一人の人間に止められている。
やがて、ブレスの威力が尽き、嵐が過ぎ去った後。
そこには、全身から滝のような汗を噴き出し、肩で大きく息をしながらも、確かにその足で大地に立つ勇者カイルの姿があった。
彼の周囲だけが、まるでそこだけ時間が止まっていたかのように、無傷のまま残されている。
「……はぁ……はぁ……。さすがは、伝説の竜……とんでもない、威力だ……」
カイルは掠れた声で呟き、膝から崩れ落ちそうになる身体を、聖剣を杖代わりにして必死で支えた。
彼の魔力は今の防御でほとんど使い果たしてしまったのだろう。指先は震え、もはや満身創痍と言っていい。
勝負は決した。
俺はゆっくりと彼の前に降下し、白銀の翼を畳んだ。
『……見事だ、勇者カイル。我がブレスを正面から防ぎきった人間は、お前が初めてだ』
それは偽らざる本心からの、最大限の称賛だった。
『……だが、それまでだ。お前にもう戦う力は残されていまい。素直に負けを認め、立ち去るがいい』
しかし、カイルは俺の慈悲の言葉に、ゆっくりと首を横に振った。
そして、震える足に無理やり力を込め、再び立ち上がったのだ。
その青い瞳の光は少しも衰えていない。それどころか、先ほどよりもさらに強く、内なる炎が燃え盛っているように見えた。
「……まだだ。まだ、終われない」
彼は、ほとんど魔力が残っていないはずの重たい聖剣を、再び構えた。
「俺がここで倒れれば、この脅威は誰にも止められなくなる。俺は勇者だ。人々を守る最後の砦なんだ。だから……絶対に負けるわけにはいかない!」
その姿に、俺は息を呑んだ。
かつての母の姿が、一瞬、彼と重なって見えたのだ。
守るべきもののために、己の限界を超えてなお立ち上がろうとする、その強靭な意志。自己犠牲をも厭わない覚悟。
この男は本物だ。
王の命令だからとか、名誉のためだとか、そんなちっぽけな理由で戦っているのではない。
ただ純粋に、人々を守りたいというその一心で、ここに立っている。
俺はそんな彼に対して、初めて「戦う対象」以外の感情を抱いた。
それは敬意と、そしてかすかな羨望だったのかもしれない。
だが、戦いは終わらせなければならない。これ以上の無理は、彼自身を壊してしまう。
『……その心意気や、よし。だが無駄なことだ』
俺はこれ以上彼を傷つけないよう、最小限の力で彼を無力化することにした。
翼を軽く羽ばたかせ、ピンポイントで突風を発生させる。
それは、満身創痍のカイルが抵抗できるものではなかった。彼の身体はなすすべもなく宙を舞い、地面に叩きつけられる……はずだった。
しかし、カイルは空中で信じられない動きを見せた。
彼は俺が起こした風の流れを、まるで目に見える足場のように捉え、風に乗って体勢を立て直すと、俺に向かって一直線に聖剣を突き出してきたのだ。
「うおおおおおおっ!」
最後の力を振り絞った、捨て身の突撃。
その気迫は凄まじいものがあった。風竜の風を利用するとは、恐るべき戦闘センスだ。
俺はその折れない心と才能に、本日二度目の称賛を送った。
だが、やはり届かない。
彼の剣先が俺の喉元に届く寸前で、俺は巨大な前足の平で、彼の身体を優しく、しかし確実に払い落とした。
ドサッという鈍い音と共に、カイルは地面に大の字に倒れ、今度こそぴくりとも動かなくなった。
聖剣がカランと寂しい音を立てて、彼の手から離れ転がる。
俺は気絶した勇者を見下ろし、静かに深い長いため息をついた。
(本当に厄介で、面倒で……そして、どこか好ましい人間だ)
俺は彼をこのまま放置すれば、夜の冷気や他の魔物にやられてしまうだろうと考えた。
巨大な前足の爪で、彼の服を器用に引っ掛けると、壊れ物を扱うように慎重に洞窟の入り口まで運んでやることにした。
この戦いは俺の勝ちだ。
だが、俺の心の中には勝利の高揚感ではなく、何かこれまで感じたことのない奇妙な温かい感情が、芽生え始めていた。




