第十七話 聖剣と竜鱗
勇者カイルの清冽な闘気は、洞窟の奥深くにいる俺の惰眠を完全に吹き飛ばした。
なんだ、こいつは。
これまでやってきた連中とは、力の「質」がまるで違う。彼らが濁流のような欲望と殺意の気を放っていたのに対し、今度の男から感じるのは、どこまでも澄み切った鏡のような、静かで、しかし底知れない力だ。
(……面白い)
百年の孤独と、連日の退屈な作業ですっかり錆びついていた俺の闘争本能が、久しぶりに疼くのを感じた。
俺はゆっくりと巨体を起こし、洞窟の入り口へと向かう。一歩踏み出すごとに、大地が俺の期待に応えるかのように低く唸った。
洞窟の外に出ると、そこに立っていたのは、あまりにも小柄な一人の青年だった。
太陽の光を吸い込んだような眩い白銀の髪、全てを見透かすような澄んだ青い瞳。歳は人間でいうならまだ十代後半といったところか。
しかし、その小さな身体から放たれる存在感は、これまで俺が相対したどの歴戦の戦士や魔導士よりも強大だった。
そして、彼が手にしている剣。白銀に輝くその剣からは、神聖としか言いようのない、強烈な力が溢れ出している。
あれが聖剣か。おとぎ話でしか聞いたことのない代物だ。
「……ようやくお出ましか、風竜」
カイルと名乗った青年は、俺の山のような巨体を見上げても、臆する素振り一つ見せなかった。その青い瞳は、ただ真っ直ぐに俺の瞳を見据えている。
「我が名はカイル。問おう、竜よ。なぜ数多の冒険者を退けながら、命を奪わなかった? 貴公に人間を害する意思はないのではないか?」
彼は戦う前に、まず剣を下げて対話を試みようとしてきた。
これも今までの連中とは違う点だった。
俺は少し意外に思いながらも、テレパシーで重々しく答える。
『……いかにも。我はただ、静かに暮らしたいだけだ。お前たち人間が、勝手に押し掛けてくるに過ぎん』
「やはり、意思の疎通が可能なのか……!」
俺の返答に、カイルの瞳がわずかに見開かれる。
「ならば話は早い。このエルロード山脈から立ち去ってはくれまいか。貴公ほどの力を持つ者がこの地に留まることは、王国とそこに住まう民にとって、拭い去れぬ脅威となる。穏便に去るというのなら、私も剣を振るう理由はない」
彼の提案は、人間側の論理としては理に適っていた。
だが、俺には彼の提案を受け入れる気は毛頭なかった。
『断る。ここは我が見つけた安住の地だ。追い出される理由はない。脅威と感じているのは、お前たちの身勝手な都合だろう』
「……そうか」
カイルは、心底残念そうに呟くと、聖剣を静かに構え直した。
「対話の余地なしと判断する。……ならば力で、我が使命を果たすまで。覚悟!」
交渉は決裂した。
次の瞬間、カイルの身体から闘気が爆発的に噴き上がった。
(速い!)
彼が地面を蹴ったかと思うと、その姿は残像を残して一瞬で俺の懐へと潜り込んでいた。目で追うのがやっとの、まさに神速の動き。
「聖剣技 『閃光』!」
閃光が迸る。
カイルの振るった聖剣が、俺の右前足の鱗に一筋の光の軌跡を描いた。
キィィィィンッ!
金属同士が擦れ合う音よりもさらに甲高く、鼓膜を引き裂くような音が響き渡る。
そして、俺の右前足に、チリッとした鋭い痛みが走った。
見ると、百年間、どの魔物の牙も、どの冒険者の剣も、傷一つ付けることのできなかった俺の白銀の鱗に、一本の細く、確かな亀裂が入っていた。
そこから赤い血が一筋、滲み出ている。
(……ほう)
驚きと、それ以上の歓喜が俺の心を支配した。
この俺に傷をつけた。
この小僧、本物だ。
「グルオオオオオオオオッッ!!」
俺は喜びのあまり、天に向かって咆哮した。
それは、ただの威嚇ではない。好敵手に出会えたことへの、魂の歓喜の雄叫びだ。
咆哮と共に俺は翼を大きく羽ばたかせ、意図的に暴風を巻き起こす。
周囲の木々が根こそぎ薙ぎ倒され、岩が宙を舞う、まさしく天災そのものの風圧。
だが、カイルはその暴風の中心にありながら、聖剣を地面に突き立てて耐え、微動だにしなかった。その髪とマントだけが激しくたなびいている。
『……面白い。小僧、少し本気で遊んでやろう』
俺は初めて本気で、目の前の人間を「敵」と認識した。
殺すつもりはない。だが手加減も、もうしない。
持てる力の全てをぶつけて、この勇者を叩き伏せる。
俺は風を操り、無数の真空の刃『ウィンドカッター・ストーム』を生み出し、カイルに撃ち放った。
一つ一つが、鉄をも切り裂く威力を持つ、不可視の刃の嵐。
対するカイルは、聖剣を流れるような動きで振るい、迫りくる風の刃を、一つ、また一つと、完璧に弾き、切り裂いていく。
その剣技は、もはや武術を超え、芸術の域に達していた。
『ならば、これはどうだ!』
俺は上空へと舞い上がると、大きく息を吸い込んだ。
喉元に、膨大な魔力が収束していく。光が溢れ出し、周囲のマナが渦を巻いて吸い込まれていく。
狙いを定め、地上に立つ豆粒のような勇者に向かって、これまで誰にも見せたことのない最大級のブレスを、放った。
『喰らえ! 『天衝く嵐の咆哮』!!』
それはもはやただの風ではない。
竜巻そのものを極限まで凝縮したかのような、螺旋を描く破壊の奔流。
俺の最強のブレスが、地上最強の人間が持つ聖剣と、今、激突する。
勝敗の行方は、まだ誰にもわからなかった。




