第122話 嵐を泳ぐ龍
その時だった。
穏やかだった船内の空気が、突然の甲高い警報音によって切り裂かれた。
ウウウーッ! ウウウーッ! ウウウーッ!
ハンガー内の照明が緊急用の赤色灯に切り替わり、全てのモニターに『WARNING』の文字が激しく明滅する。
「なんだ!? 敵襲か!?」
アキラが手すりから飛び降り、通信機に叫ぶ。
『艦長! 前方、予測不能な高エネルギー反応を検知! ……亜空間の嵐です!!』
ブリッジのリオンから、悲鳴に近い声が響いた。
「嵐だと……!? このルートはアークの航路図でも最も安全なはずじゃなかったのか!?」
アキラが窓の外を見る。さっきまで穏やかだった光の粒子が、突如として牙を剥き、荒れ狂う津波となって船に襲いかかってきていた。光の粒子が互いに衝突し、激しい放電を繰り返しながら巨大な渦を形成していく。ただの乱気流ではない。それはまるで、巨大な生き物がこの次元で暴れ回っているかのような、明確な意思を感じさせるエネルギーの奔流だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
船体が激しく揺さぶられ、俺の巨体も床から浮き上がるほどの凄まじい衝撃が走る。
『ぐっ……!』
「シールド最大出力! エンジン出力を上げて嵐を正面から突破するんだ!」
アキラが叫び、ミカサがすぐさまブリッジのコンソールを叩く。だが、亜空間の嵐は、俺たちの想像を絶する威力だった。
バリバリバリバリッ!
船体を守るエーテルシールドが、嵐のエネルギーに耐えきれず悲鳴を上げ、表面に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。船内のあちこちから火花が散り、短い爆発音が断続的に響き渡った。
『艦長! ダメだ! 第3エンジンの出力が急激に低下! 冷却系がイカれた! このままじゃ推力が足りん、嵐に飲み込まれるぞ!』
機関室のボルツから、絶望的な報告が入る。まずい。この亜空間でシールドを失えば、船体は瞬く間に崩壊し、俺たち全員が次元の狭間に消えてなくなる。俺とて、生身でこの嵐を耐えられる保証はない。
絶体絶命の危機。その時、俺のドラゴンの感覚が、嵐の中に奇妙な「脈動」を感じ取った。ただの自然現象ではない。このエネルギーの渦には、規則性がある。まるで、呼吸をしているかのような……。
『……そうか』
俺は、一つの確信を得た。
『アキラ! ミカサ! 聞こえるか!』
嵐の干渉で通信機がノイズだらけになる中、俺は最大出力のテレパシーをブリッジへ送った。
『……案ずるな! それより今すぐ『レゾナンス・モード』の準備をしろ!』
「レ、レゾナンス・モード……!? 魔力共鳴航法のことですか!?」
ブリッジでミカサが驚愕する。それは、理論上は可能とされていたが、シミュレーションですら成功率が低く、まだ一度も実戦で試されたことのない、最も危険な航法だった。俺の魔力と、船のエーテルドライブを完全に同調させ、船全体を俺の身体の一部のように操る究極のシステム。
だが、制御を誤れば、俺自身の魔力が逆流し、エンジンが連鎖的に爆発しかねない、諸刃の剣。
『何言ってやがる! こんな不安定な空間で共鳴だと!? シールドすら安定しねえのに、エンジンの制御なんざできるか! 自殺行為だぞ!』
機関室のボルツが、通信越しに怒鳴り返す。
『黙れドワーフ! この我を誰だと思っている!』
俺は一喝した。その声は、恐怖に揺れるクルーたちの心を無理やり鎮めるほどの、絶対的な自信に満ちていた。
『この嵐は、ただのエネルギーの奔流ではない。……これは生き物だ。この亜空間に棲む、我々の知らない巨大なエネルギー生命体の「通り道」、あるいは「呼吸」そのものなのだ!』
『力で抗っても無駄だ。正面からぶつかれば砕け散る。……だが、風と同じだ。流れを読み、その流れに逆らわずに乗ることができれば……!』
『我ならばできる! この嵐の「呼吸」を読み、この船を導くことが! だから……我を信じろ!』
俺の言葉に、ブリッジは一瞬、静まり返った。命を預ける決断。その重圧が、全てのクルーの肩にのしかかる。最初に口を開いたのは、やはりアキラだった。
「……わかった。やろう、ヴァイスさん!」
彼は艦長席から立ち上がり、迷いのない目で、ブリッジのクルーたち一人一人を見渡した。
「俺たちは、この竜の翼に未来を託して、この果てしない宇宙へ旅立ったんだ。……今更、この翼を信じないなんて選択肢は、俺たちにはないだろう!」
その言葉に、ミカサが、ボルツが、そして通信モニターの向こうのリオンが、力強く頷いた。
「……了解しました! 全クルー、艦長の指示に従います! レゾナンス・モード、スタンバイ!」
ミカサが凛とした声で応じる。
「ちっ、いちいち肝を冷やすぜ、この船はよぉ! だが、面白くなってきたじゃねえか! エンジン出力、手動制御に切り替え! ヴァイス、あとは頼んだぞ!」
ボルツの、嬉々とした声が響く。
『任せておけ!』
俺は、ハンガーの床に力強く爪を立て、意識を深く、深く沈めていった。船の神経系である制御システムと、俺自身の神経を接続する。
ドクン……!
俺の心臓の鼓動と、エーテル・ウィング・ドライブの鼓動が、完全に一つになった。船体が、俺の皮膚のように感じられる。船体の各所に配置された小型スラスターが、俺の翼の羽根一枚一枚になる。
「―――レゾナンス・モード、起動! 全制御権を、ヴァイスへ!」
アキラの号令と共に、アルゴス号全体が、俺の魔力と同じ、生命力に満ちた翠緑のオーラに包まれた。
俺の意識は、船の外へと一気に拡大する。見える。荒れ狂う光の渦の中に、一本の細い、しかし確かな「道」が。それは、エネルギーの流れが淀むことなく、滑らかに流れている、嵐の「血管」のようなものだ。
『……行くぞ、アルゴス! 我に続け!』
俺は、巨大な魚が激流を遡るように、しなやかに身を翻した。正面から嵐を受け止めるのではなく、流れに逆らわず、しかし飲み込まれず、そのエネルギーの波に乗って加速する。
右へ、左へ。
予測不能なエネルギーの乱気流を、俺の竜としての直感と、数千年をかけて磨き上げた魔力制御で、紙一重でかわしていく。
船内のクルーたちは、激しいGに身体を椅子に押し付けられながら、窓の外で繰り広げられる奇跡のような光景を見ていたはずだ。巨大な宇宙船が、まるで伝説の海竜のように、しなやかに、優雅に、光の海を泳いでいく様を。
そして。永遠にも思えた長い長い緊張の果てに、俺たちはついに嵐の中心、その嘘のように静かで、星の光さえ見える安定した空間、『嵐の目』の部分へと飛び込んだ。
『……抜けたぞ』
俺が安堵の息をつくと同時に、船内の赤い非常灯が通常の白い照明に戻り、耳障りな警報音が止んだ。
「……助かった……のか?」
「抜けた……! 嵐を抜けたぞ! 信じられん……!」
ブリッジから、爆発するような歓声が聞こえてきた。泣き出す者、抱き合う者、へたり込む者。俺たちは、この旅における最初の、そして最大の試練を、全員で乗り越えたのだ。
アキラが、通信越しに話しかけてきた。その声は、興奮と安堵でまだ震えていた。
「……すごかった……。ヴァイスさん、あんたやっぱり……とんでもないよ。本当に、船と一つになっちまった」
『ふん。これくらい、朝飯前だ』
俺は強がって見せたが、実際には全神経を集中させたせいで、魔力を使い果たしてヘトヘトだった。だが、この出来事はクルーたちの心に、揺るぎない事実を刻み込んだ。
この船は、ただの機械の塊ではない。ヴァイスという魂と共にある時、初めてその真価を発揮する「生きた船」なのだと。そして、俺と、この船のクルーたちとの間に、本当の意味での最初の絆が生まれた瞬間だった。
俺たちは、ただの乗組員と、乗せられている竜ではない。共に嵐を乗り越え、互いの命を預け合った、一つの「家族」になったのだ。
俺たちは、また一歩前進した。まだ見ぬ銀河の彼方、失われた同胞が待つかもしれない、希望の星へと向かって。
「さあ、行こうぜ、アルゴス!」
アキラの、未来への希望に満ちた声が、静かになったブリッジに、そして俺の心に、力強く響き渡った。




