第120話 銀河を駆ける翼
様々な候補が挙がり、議論が紛糾する中、それまで黙って皆の意見を聞いていた俺が、ホログラムの姿のまま、静かに口を開いた。
『……一つ、提案がある』
俺の静かな声に、白熱していた議論がすっと静まる。全員の視線が、プロジェクトの特別アドバイザーである俺に集まった。
『……船の名は、『アルゴス』。それはどうだろう』
アルゴス。その聞き慣れない言葉の響きに、ボルツは訝しげに眉をひそめ、エルウィンは小首を傾げた。地球人であるミカサでさえ、すぐにはピンとこない様子だった。
唯一、歴史オタクであるアキラだけが、ハッとしたように目を見開き、食い入るように俺のホログラムを見つめている。
俺は、自らの魂の奥底に眠る、二千年以上前の記憶――レンとして生きた時代の知識を、ゆっくりと紐解くように語り始めた。
『俺が人間だった頃……俺がいた時代の、さらに遥か昔の地球には「ギリシャ神話」という物語があった。そこには、歴史上最も有名で、最も偉大な冒険譚が記されている。その冒険の舞台となったのが、一隻の伝説の船……その名も、アルゴ号だ』
俺は、自らの記憶から帆船のイメージを抽出し、魔力で空中に精巧なホログラムを映し出した。竜骨をむき出しにした、現代の船とは似ても似つかない、しかし力強い生命力に満ちた船の姿。
『その船には、ありとあらゆる出自の英雄たちが乗り込んだ。神々の血を引く半神、国を追われた悲劇の王子、誰よりも強い怪力自慢の男、未来を見通す予言者、竪琴を奏でる音楽家……。彼らは「アルゴナウタイ」、つまりアルゴ号の乗組員と呼ばれ、出自も性格もバラバラだったが、一つの目的のために力を合わせた』
「……その目的とは、何だったんですか、ヴァイスさん?」
アキラが、物語の続きを読むよう、興奮を隠しきれない様子で尋ねた。
『竜が守るという伝説の秘宝、『金羊毛』を手に入れるためだ』
俺のその言葉に、会議室の空気が微かに揺れた。誰もが、俺自身が「竜」であるという事実に、改めて思いを馳せた。
『彼らは、眠らない竜の番人を退け、決して越えられないと言われた海を渡り、次々と襲い来る困難や怪物を、それぞれの特技と知恵、そして勇気で乗り越えていった。そうして、誰もが不可能だと思っていた前人未到の航海を成し遂げたんだ』
俺はそこで一度言葉を切り、会議室にいる仲間たちの顔を一人ひとり見渡した。
地球の超科学を継承する天才科学者、ミカサ。
頑固だが誰より頼りになるドワーフの機関士、ボルツ。
生命の神秘を司るエルフの賢者、エルウィン。
ナノテクノロジーの権威である獣人の博士、アーニャ。
そして、俺の言葉の意味を誰よりも深く理解し、瞳を輝かせている青年、アキラ。
『……どうだ? なんだか、俺たちの境遇に、似ていないか?』
俺の問いかけに、アキラが大きく頷き、立ち上がって言葉を継いだ。
「ええ、そっくりです! これから俺たちが乗り込むこの船にも、様々な種族の、それぞれの分野の『英雄』たちが集う。俺たちは、新しい時代のアルゴナウタイなんです!」
彼は、俺の想いを代弁するように、熱を込めて語った。
「そして、俺たちの隣には……今度は敵としてじゃなく、最強の仲間として、本物の竜がいてくれる!」
アキラは、俺のホログラムに向かって、満面の笑みでウインクしてみせた。
「タカギ司令がこの計画を『プロジェクトアーク・アルゴナウティカ』と名付けたのも、きっと同じ想いからだ。神話では、『アルゴナウティカ』はこの英雄たちの冒険を記した叙事詩のタイトルなんだ。つまり、司令はこの計画そのものを『アルゴ船の冒険譚』と名付け、俺たちの旅が未来の神話になることを、最初から信じてくれていたんだ。俺たちの旅もまた、ただの探査行じゃない。きっと未来の神話になるはずだ。……だから、アルゴス号。ヴァイスさんの提案するこの名が、俺たちの船に一番ふさわしい!」
ヴァイスが語り、アキラがその意味を熱く説く。二人の絆が生み出したその提案に、もはや誰も異論を唱える者はいなかった。
自分たちの旅が、ただの科学的な探査行ではなく、未来永劫語り継がれる「英雄譚」になる。そのロマンと誇りが、皆の心を強く、そして確かに一つにしたのだ。
「……ちっ。……竜の旦那の言うこっちゃ、文句のつけようがねえな」
ボルツが葉巻の煙を満足げに吐き出し、エルウィンも優しく微笑んだ。
『……アルゴス、か。悪くない』
俺もまた、その壮大な名に、静かに同意した。
竜の守る宝を求める船。その船に、当の竜が乗っているというのも、面白い巡り合わせではないか。
その日から、俺たちの挑戦が始まった。
それは、気の遠くなるような、しかし熱気に満ちた日々の連続だった。ボルツとミカサが夜を徹してエンジン理論を戦わせ、エルウィンとアーニャが生命維持システムの限界に挑み、アキラがプロジェクト全体を奔走しながらまとめ上げていく。
月面の静かな基地は、銀河中の叡智が集う、最も熱い場所となった。
そうして、十年という歳月が流れた。
季節の移ろいもない無機質な月面で、俺たちはただひたすらに、一つの船の完成だけを目指して時を重ねた。
俺たちの夢の船は、ルナ・ベースの巨大ドックの中で、少しずつ、だが確実にその形を成していった。
俺の翼の構造を模した、優美な可変翼。
俺の鱗の硬度と、アークのシールド技術を組み合わせた、鉄壁の多層式複合装甲。
そして何よりも、俺の風の魔力と共鳴し、星の海を渡るための心臓部『エーテル・ウィング・ドライブ』。
そして、今日。
ついにその船は完成の時を迎えた。
ルナ・ベースのドックで、その巨体が拘束具を解かれようとしていた。
全長約四千メートル。
空港の滑走路並の長さだ。
それは、ただの宇宙船という枠を超えた、空飛ぶ都市そのものだった。
数千人のクルーとその家族が数十年、あるいは世代を超えて生活できる居住区画。
未知の惑星を開拓するためのテラフォーミング施設や、巨大な植物園。
そして、あらゆる脅威に対抗するための強力な武装。
その全てを内包し、なおかつ優美な流線型を描く白銀の巨体は、人類の英知の結晶だった。
その名は、『アルゴス』。
神話の時代、多くの英雄たちが乗り込み、数々の冒険を繰り広げた伝説の船の名から取られた。
まさしく、俺たちの新たな冒険の船出に相応しい名前だった。
俺は今、その巨大な船の内部にいた。
全長四十メートルを超える俺の巨体が、余裕を持って動き回れるほどの広大な空間。
それは、アルゴス号の船体下部に設けられた、巨大な『多目的ハンガー』だ。
通常の宇宙船であれば小型艇の離発着に使われるような場所だが、この船のスケールでは、俺専用の個室、または発進デッキとして機能している。
天井の高さは百メートル以上あり、壁面には俺がいつでも外へ飛び出せるよう、巨大なエアロックゲートが備えられている。
部屋の隅には俺専用の食料保管庫や、アキラたちが訪ねてきた時のためのテラスまで完備されていた。
『……悪くないな。まるで動く城だ』
俺は広々としたハンガーを見渡し、満足げに鼻を鳴らした。
その時、ハンガーの入り口にある人間用のエレベーターが開き、アキラとミカサが入ってきた。
彼らは新しい制服に身を包んでいる。アキラの胸には船長を示す記章が、ミカサには副長を示す記章が輝いていた。
「……気に入ってもらえましたか、ヴァイスさん」
アキラが、俺の足元のテラスから見上げて笑う。
「……ここなら、どんな長旅でも窮屈な思いはさせませんよ。……いつでも好きな時に宇宙へ飛び出せるし、疲れたらここでゆっくり休める」
「……ええ。貴方は私たちの船の一部であり、同時に最も大切な乗員ですから」
ミカサも微笑む。
「……さあ、ブリッジへ行きましょう。……出航の時間です」
『……ああ。行くか』
俺は、意識を船内ネットワークに接続した。
俺の本体はこのハンガーに残るが、俺の意識はホログラムとなって、アキラたちのいるブリッジへと転送されるのだ。
ブリッジの中央。
ホログラムとして投影された俺の姿が、キャプテンシートの横に立つ。
窓の外には、美しい青い地球と、無限に広がる星空が見えている。
アキラは居住まいを正し、艦内放送のマイクを握った。
「全クルーに告ぐ。船長のアキラだ」
彼の声は、かつての頼りない少年のものではなく、数千名の命を預かる指揮官の、落ち着いた響きを持っていた。
「これより、アルゴス号は第一次深宇宙探査計画を開始する。……当面の目標は、アルファ・ケンタウリ星系。地球からの移民船団が目指したかもしれない、希望の星系の一つだ」
船内の至る所で、クルーたちが緊張した面持ちで聞き入る。
「我々の旅は、この星の生命が初めて、自分たちの足で星々の海へと漕ぎ出す偉大なる一歩だ。危険もあるだろう。困難もあるだろう。……だが、恐れることはない。我々には最高の翼がついている」
アキラは俺の方を見て、ニヤリと笑った。
「そうだろう? ヴァイスさん」
『……ふん。当たり前だ』
俺も笑って答えた。
『俺がついている限り、銀河の果てだろうと地獄の底だろうと、必ず連れて行ってやる。そして、必ず生きて帰してやるさ』
「よし! 総員、各配置にて最終チェック……発進準備!」
アキラの鋭い声がブリッジの空気を切り裂く。
「了解! 第1から第4スラスター、プレヒート開始。出力安定。
「全燃焼室、正常」
「航法システム、エーテル・パスを固定。座標誤差、コンマ零零三……許容範囲内です。」
「慣性中和装置、起動。安定率98%を維持!」
「エネルギー伝達系、バイパス接続完了。魔力回路の同期、全セクターにおいて同調を確認」
クルーたちの研ぎ澄まされた返事が、静まり返ったブリッジに力強く響き渡る。計器類が放つ無数の光が、アキラの横顔を鋭く照らし出した。
「外部ドッキング・クランプ、全12基、解除準備よし」
「機関部より報告。エーテル・コンデンサーの充填率、限界突破10秒前! いつでもいけます!」
「よし、全クルーへ。対G・耐衝撃防護、最終確認。……衝撃に備えろ!」
アキラの指がコンソールを叩くと、船体の底からクゥンンンと微かに沈み込むような重低音が突き上げてきた。
眠れる巨人が目覚めを告げる咆哮を上げ、アルゴスの全システムに命の火が灯る。
「これより外部電源を遮断、本船独立稼働に移行する。……エンジン始動!」
アキラの指がメイン・イグニッションを叩く。
次の瞬間、アルゴスの心臓部が咆哮を上げた。
地響きのような振動がシートを通じて全身に伝わり、静止していた巨船が「生き物」へと変わる。
「外部電源、遮断! アルゴス、完全独立」
「カウントダウン、最終シークエンスへ移行!」
ブリッジのメインスクリーンに、赤く巨大な数字が刻まれる。
「……5」
「クランプ、強制解放!」
「4」
「スラスター、出力80パーセント……90パーセント……!」
「3」
「全アーム離脱! アルゴス、フリーになります!」
「2」
「慣性制御、最大! 全員、来るぞ!」
「1」
「―――アルゴス号、発進!!」
アキラの号令が飛ぶ。 船体を繋ぎ止めていた巨大な固定アームが火花を散らして解放され、重力から解き放たれたアルゴスがゆっくりと、しかし確かな意志を持って宇宙ドックを滑り出した。
メインスラスターが青白いプラズマを噴き上げ、漆黒の宇宙を切り裂く。
眼下には、愛しき故郷の青い星が、宝石のような輝きを放ちながら遠ざかっていく。
さらばだ、我が故郷よ。
リリの子孫たち、かつての仲間たち、そして、今この瞬間も地上で生きる名も知らぬ多くの人々。
俺たちは行く。必ず、この銀河の果てで手に入れた素晴らしい土産話を持って帰ってくるからな。
アルゴス号は重力の檻を振り切り、太陽系の境界へと加速を早めていく。
「エーテル・ウィング・ドライブ、最大出力。亜空間ゲート、オープン」
俺が全身の魔力を込めて叫ぶ。
船体両翼のバインダーが眩い光を放ち、前方の空間が極彩色に歪み始めた。
次元の壁が悲鳴を上げ、未知の深淵へと続く穴が開く。
「……全システム、同調。ワープ開始」
光が流れる線となり、星々が後方へとすっ飛んでいく。
俺たちは、光の壁を超え、未知の領域へと突入した。
風竜ヴァイスの、最後の、そして最大の冒険が始まった。
目指すは星の海の彼方。
伝説の翼は今、銀河を駆ける風となる。




