第114話 未来への架け橋
『……ようこそ、地球の同胞たちよ』
俺が放ったテレパシーは、静寂に包まれた地下空洞に、音なき波紋となって広がった。
その流暢な英語の発音と、心の奥底に直接響く懐かしい響きに、ミカサは驚愕に目を見開いた。彼女は、信じられないという顔で俺を見つめ、そして隣に立つタカギに視線を向けた。
「……頭の中に……直接、声が……? それに、この言葉は……英語……? これが、あなたが言っていた『彼』……?」
タカギは、ただ静かに頷いた。
全ての答えは、この竜が語るだろう、と。
ミカサは再び俺に向き直った。その瞳には、もはや単なる怪物への恐怖はない。理解不能な現象を前にした、軍人としての鋭い観察眼と、そして心のどこかで、この竜が敵ではないと感じ始めているかのような、わずかな戸惑いが浮かんでいた。
彼女は、俺の青い瞳の奥に宿る、計り知れない知性と、そしてどこか懐かしい哀しみの色を読み取ろうとしていた。
『驚くのも無理はない。……我が名はヴァイス。この世界の守護竜だ』
俺は穏やかに語りかけた。俺が言葉を紡ぐたびに、ミカサの表情が驚きから困惑へ、そして深い興味へと変わっていくのが、アキラのカメラを通して手に取るようにわかった。
『……だが、俺の魂の根源は、かつて地球で生きていた人間だ。「レン」という名のな』
その一言は、決定的な一撃だった。
ミカサの、鉄仮面のように固まっていた表情が、ついに崩れた。
「……人間? あなたが……地球の……?」
『ああ。……千七百年以上も昔の話になるがな。俺は二十一世紀の日本という国で、ごく普通の高校生として生きていた。お前たちのような、遥か未来の科学も、この強大な力も持っていなかった。ただ、友とくだらない話で笑い、テストの点数に一喜一憂し、将来に漠然とした夢と不安を抱く、どこにでもいる少年だった』
俺は懐かしむように目を細め、記憶の糸を手繰り寄せた。もう二度と戻れない、愛おしい日々の断片が、鮮やかに脳裏をよぎる。
『だがある日、不慮の事故で俺の人生はあっけなく終わった。そして次に目覚めた時、俺はこの世界で竜の卵の中にいたのだ。……俺も最初は信じられなかった。だが、俺を温かい翼で包んでくれた母竜の愛は本物だった。彼女は、生きる術を知らない俺に、狩りを、飛行を、そして竜としての誇りを教えてくれた。この世界での、俺の本当の母親だった』
俺の脳裏に、優しかった母竜の姿が蘇る。
『だが、その幸せな日々も、人間の手によって無残に引き裂かれた。ほんのわずかな富と名誉のために、俺たちの巣は襲撃され、母は俺を庇って命を落とした。俺は、人間という種の醜さ、その底知れぬ強欲さを憎んだよ。理不尽に家族を奪われた怒りに燃え、百年もの間、深い森で孤独に生き、力を蓄え続けた。いつか、この星の人間全てに復讐するために』
俺の言葉は、ミカサの心の最も柔らかな部分に触れたようだった。故郷を奪われ、同胞を殺された者の怒りと悲しみ。彼女の瞳が、わずかに揺れる。
『だが、そんな復讐心に凝り固まっていた俺の前に、一人の風変わりな勇者が現れた。カイルという名の、太陽のように明るく、お節介で、誰よりも真っ直ぐな男だ。最初は殺し合う敵同士だったが、奴の折れない心、仲間を守ろうとする純粋な想いに触れるうち、俺の凍てついた心は少しずつ溶かされていった。やがて俺たちは、互いの背中を預け、種族を超えて肩を並べる、かけがえのない友となった。そして、頑固だが義に厚いドワーフの王や、聡明で美しいエルフの女王といった仲間たちと共に、世界を闇に沈めようとする魔王との絶望的な戦いに身を投じたのだ。……そこで俺は学んだ。人間は愚かだが、それ以上に眩しいほどの強さと優しさを持つ、矛盾した生き物なのだと』
ミカサは、俺の言葉に吸い込まれるように聞き入っている。彼女の瞳から、警戒の色が少しずつ薄れていくのが分かった。
『魔王を倒し、世界に平和を取り戻した後、俺は長い眠りについた。……次に目覚めたのは五百年後。そこではまた、人間の愚かさが新たな争いの火種を生んでいた。かつての仲間だった亜人たちを差別し、歴史を捻じ曲げて自分たちの正義を振りかざす、偽りの平和が罷り通っていた。俺は怒り、そして悲しんだ。だが、そこでもまた、俺を支えてくれる新たな仲間たちが現れた。歴史の真実を追い求める、小さな狐の獣人の少女や、かつての友の志を継ぐ子孫たちだ。……俺は、過去の過ちから学んだ。力で世界を正すのではなく、対話によって、時には自らの身を盾にしてでも、再び種族の壁を壊し、真の平和の礎を築く道を選んだ』
俺は、アキラや彼の隣に立つタカギに視線を移した。
『……そして、さらに千年後。……俺は三度目の眠りから覚め、この変わり果てた鋼鉄の世界を見た。……お前たちが今、感じているであろう衝撃と、同じものだ。山はなくなり、空は汚れ、人々は小さな箱の中で、かつての俺のように生きていたからな。だが、この時代にも、俺の心に響く魂を持つ奴らがいた。……歴史を愛するあまり、国家の機密を盗んでまで俺を探しに来た変人のトレジャーハンターや、愚直なまでに市民を守ろうとする、石頭の指揮官だ。……彼らのおかげで、俺はこの時代にも、自分の居場所を見つけることができたのだ』
俺の長い長い身の上話が、ようやく終わった。ミカサは、その物語にすっかり心を奪われていたが、ふと我に返り、彼女の心に重くのしかかる最大の懸念を、絞り出すように口にした。
「……あなたの話は、信じられないことばかりですが……その瞳を見れば、嘘ではないとわかります」
彼女の表情が、再び不安の色に染まる。
「……ですが、だからこそ伝えなければなりません。私たちが記録した航行日誌の最後には、恐ろしい警告を遺しました。私たちが残してしまった超空間航行の航跡……それを、地球を滅ぼした怪物、デボアラーが追っている可能性が極めて高いのです。この星も、いずれ奴らの脅威に……!」
その必死の警告に、今度はタカギやアキラが少しバツの悪い顔をし、互いに顔を見合わせた。俺は、まるで忘れていた用事を思い出したかのように、軽く首を傾げた。
『ああ、その怪物のことか。そういえば、そんな奴もいたな』
「 ご存じなのですか!?」
ミカサは俺のあまりに軽い口調に戸惑い、最悪の事態を覚悟して身構えた。
「あれは我々人類が……!」
『いや、もういない』
俺は、あっさりと告げた。
『……つい先頃、この星にやってきたが、俺とこいつらで返り討ちにしてやった』
「……え?」
ミカサの思考が、完全に停止した。彼女の口が、間の抜けた音と共に半開きになる。
「……か、返り討ち……?倒した、と……? ……馬鹿な!ありえません!デボアラーは、我々人類の誇る宇宙艦隊のあらゆる攻撃を無効化し、星すら喰らう、神に等しい怪物です! この星の文明レベルで……いったい、どうやって……!?」
彼女は錯乱したように叫んだ。その反応こそ、デボアラーの脅威がどれほど絶望的であったかを物語っていた。
俺は、言葉の代わりに、自らのボロボロの身体を見せるように、わずかに翼を広げた。
『まあ、タダでは済まなかったがな。……こいつらの科学と、俺の魔法。それを合わせて、ようやく奴の心臓部を破壊できた。……お前たちの故郷の仇は、俺たちが討っておいたぞ』
俺の言葉は、静かだが、絶対的な事実の重みを持っていた。
ミカサは、信じられないという顔で俺を見つめ、そして、俺の全身に残る生々しい傷跡に気づいた。焼け爛れた鱗、いまだ完全には再生しきれていない翼の皮膜。それらが、俺の言葉が真実であることを、何よりも雄弁に物語っていた。
俺は、ミカサたちを真っ直ぐに見つめ直した。その瞳には、万感の想いを込めた。
『……俺はずっと、この星を守ってきた。……友との約束のために。……そして、心のどこかで、いつかお前たちのような「同胞」が来ることを、待ちわびていたのかもしれない』
「……待って……いてくれたのですか? 私たちを……」
ミカサの声が、震える。
『ああ。……俺たちの故郷はもうない。だが、俺の魂の半分は、まだ地球人だ。……お前たちの痛みも、孤独も、俺には痛いほどわかる』
俺は、巨大な前足をそっと彼らの方へ差し伸べた。その爪は凶器ではなく、ただ、彼らの前に静かに置かれた。
『……安心しろ。ここの人間たちは、かつての地球人のように愚かではない。……いや、愚かなところもあるし、過ちも犯す。だが、それ以上に温かく、過ちから学び、信じるに足る連中だ。俺が、この千七百年の時をかけて、保証する』
俺は、隣に立つアキラやタカギに視線を向けた。
『……こいつらは、俺の友人だ。……千年、二千年と時を超えて、俺が選び、俺を選んでくれた、かけがえのない仲間たちだ。……そして、お前たちを「友人」として迎えるために、ここまで来たんだ』
瞳から警戒の色が完全に消え、代わりにこらえきれなくなった大粒の涙が、次から次へと溢れ出した。
それは、長い長い宇宙の孤独な旅の果てに、ようやく「理解者」に出会えた安堵の涙だった。故郷を失い、時空の迷子となり、見知らぬ世界でたった一人、絶望の淵に立たされていた彼女が、初めて見せた弱さだった。
「……ああ……。私たちは、独りでは……なかったのですね……」




