第113話 遥かなる故郷
「……単刀直入に伺います。私たちはあれから、どれくらい眠っていたのですか?」
ミカサ船長の問いは、驚くほど冷静で、芯の通った声だった。だが、その声の奥に隠された、自らの運命に対する言いようのない不安が、ブリッジの冷たい空気を震わせる。
彼女の問いに、その場にいた誰もが息を飲んだ。アキラもアーニャも、固唾を飲んでタカギ司令の次の言葉を待っている。
ここからが、最も残酷で、そして避けられない真実を告げる時だ。
タカギ司令が一歩前に進み出た。彼は被っていた軍帽を脱ぎ、胸に当てる。それは、一人の人間として、これから告げる言葉の重みを全て背負うという、彼の覚悟の表れだった。
「……ミカサ船長。……どうか、心を強く持って聞いていただきたい」
彼のその厳粛な態度に、ミカサの表情がわずかに強張る。ただ事ではないと、彼女の軍人としての直感が告げていた。
「……何ですか? 悪い報告なのですか? 船の損傷が激しいとか、クルーに何か……」
ミカサの目が、一瞬、背後に並ぶ霜に覆われたカプセルへと向けられる。リーダーとして、眠り続ける仲間たちの安否を何よりも案じているのだ。
「……いいえ。クルーの皆さんの生命維持は、我々が引き継ぎ、万全を期しています。船体も、エンジンは沈黙していますが、主要な区画は奇跡的に原型を保っています」
タカギはそこで一度言葉を切り、彼女の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「……問題は、船の外……。時の流れです」
「……時の、流れ?」
「はい。……あなた方が、この星に不時着し、眠りについてから……」
タカギは、一言一句、慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと告げた。
「正確な記録はありませんが、地層の堆積状況、宇宙放射線の残存量、そしてこの施設の建築様式から総合的に推測するに……およそ、二千五百年以上の時が流れています」
「……にせん……ごひゃく、ねん……?」
ミカサの唇から、か細い声が漏れた。その言葉を、彼女の理性が理解することを拒絶しているようだった。彼女の瞳が大きく見開かれ、信じられないという感情がありありと浮かぶ。
「そ、そんな馬鹿な……! 緊急スリープの設定は最大でも数百年のはず……! システムはなぜ、なぜ私たちを起こさなかったのですか!?」
ミカサはコンソールに手をつき、よろめく身体を必死で支えながら、信じられないという顔で叫ぶ。
「……おそらく、墜落の衝撃で船のメインクロックが破損したのでしょう。あるいは、船外の環境があなた方の生存に適するまで、AIが安全プロトコルに従い、再起動を無限に延期し続けたのかもしれません」
アーニャが、冷静に、しかし痛ましげに分析結果を述べる。
タカギは、さらに追い打ちをかけるような、非情な事実を続けた。
「……そして、その長い、あまりにも長い年月の間に、この星では我々人類をはじめとする独自の文明が興り、栄えました。今、あなた方の前にいる我々は、その文明の住人です」
二千五百年。
その数字が持つ絶望的な重みが、ようやくミカサの全身を打ちのめした。
彼女はふらりとよろめき、その場に崩れ落ちそうになる。アキラが咄嗟にその肩を支えた。
「……二千五百年……」
ミカサは虚ろな目で、天井の照明を見上げた。
「では……地球からの後続船団は……? 我々の遭難信号は……届かなかったのですか……?」
それは、最後の望みを託した、か細い問いだった。
だが、タカギはその小さな希望さえも、無慈悲に断ち切らなければならなかった。彼は、痛恨の表情で、静かに首を横に振る。
「……残念ながら、後続の船団は確認されていません。……そして、あなた方の故郷である地球からの通信も、この二千五百年間、我々の観測網が捉えたことは一度もありません」
「……え?」
「……墜落後にあなた方が記録した、最後の航海日誌のデータ、そして我々が先日行った宇宙観測の結果……。申し上げにくいのですが……あなた方の故郷である地球は……」
タカギは、残酷な真実を告げた。
「……もう、この宇宙のどこにも存在しません。……恐らく、あなた方が出発した直後、デボアラーによって完全に……」
シン……と、ブリッジ内が凍りついたような静寂に包まれた。
ミカサの顔から、血の気が引いていく。
彼らは地球が滅びの危機にあることは知っていた。だからこそ、種を存続させるために、断腸の思いで故郷を脱出したのだ。だが、心のどこかで、奇跡が起きて故郷が残っていることを、あるいは誰かが生き延びていることを信じていたはずだ。
その、最後の、蜘蛛の糸のような希望が、二千五百年という絶対的な時間の壁によって、完全に断ち切られた。
「……ああ……あ……」
ミカサの口から、声にならない嗚咽が漏れた。
帰る場所も、待っている人も、思い出の場所も。全てが、遥か過去の塵となって消え失せてしまったのだ。
彼女は、まだ霜に覆われたままの仲間たちのカプセルを、悲痛な表情で見つめた。
(私だけが……私だけが、この絶望を先に知ってしまった……。この真実を、どうやって彼らに伝えればいいというの……?)
リーダーとして一人先に目覚めたことの残酷な意味を、彼女は今、痛いほど理解していた。
ミカサは震える手で顔を覆い、その肩が小刻みに震えていた。だが、彼女は泣き叫ばなかった。リーダーとしての矜持が、それを許さないのだろう。やがて彼女は、ギリギリと奥歯を噛み締め、ゆっくりと顔を上げた。
その美しい瞳には、深い絶望の色と共に、もはや失うものは何もないという、ある種の諦観と、そして自分たちを待ち受ける未知の運命への、強い不安の色が宿っていた。
彼女は、自分たちを取り囲むタカギたちを見た。その視線は、もはやただの遭難者ではなく、異郷の地で百人の同胞の運命を背負う、孤立した部隊の指揮官のそれだった。
「……わかりました。……私たちは、過去の亡霊だというのですね」
彼女の声は、先ほどとは打って変わって、微かな震えさえも感じさせない、鋼のような響きを帯びていた。
「……それで、あなた方は我々に何を望むのですか?」
彼女は、タカギたちを鋭く見据える。
「……この船には、あなた方の文明を遥かに凌駕する技術が眠っています。……それを奪いに来たのですか? それとも、私を捕虜にし、その知識を搾り取るために?」
彼女の懸念はもっともだった。
圧倒的な技術力を持つ異邦人。現地人にとって、それは喉から手が出るほど欲しい「力」であり、同時に排除すべき「脅威」でもある。歴史上、そうした出会いが悲劇的な結末を迎えた例は数え切れない。
彼女は、自分たちがこの星で、新たな争いの火種になることを何より恐れていたのだ。
「……待ってください!」
アキラが、両手を挙げて敵意がないことを示した。
「……我々は、決してあなた方の技術を悪用したりはしない! あなた方を支配するつもりもないのです!」
「……言葉では何とでも言えます。あなた方の善意を、どうやって我々に信じろと?」
ミカサは警戒を解かない。彼女は一人だが、その背後には百人の眠れる仲間がいる。その全てを守るために、彼女は誰であろうと疑い、戦う覚悟を決めていた。
「……ならば、彼に会ってください」
タカギは静かに言った。その声には、絶対的な自信がこもっていた。
「……彼なら、あなた方の痛みを、そして我々の誠意を、誰よりも雄弁に証明してくれるはずです」
「……彼?」
「ええ。……あなた方と同じ魂を持ち、この星を守り続けてきた者です。……さあ、船の外へ」
ミカサは躊躇した。この見知らぬ人々に従い、唯一の安全地帯であるこの船から出るべきか。だが、彼らの瞳には、少なくとも敵意や侮蔑の色は見られない。それどころか、自分たちの境遇に対する深い同情と敬意が感じられた。
そして、彼らが言う『同じ魂を持つ者』とは一体何なのか。
彼女は、意を決した。ここで疑心暗鬼に囚われていては、何も始まらない。
「……わかりました。……お会いしましょう」
ミカサは、まだ覚醒したばかりでふらつく身体に鞭打ち、凛とした態度でタカギに促されるまま船外へと向かった。
プシューッと音を立てて巨大なハッチが開かれると、ひんやりとした、しかし新鮮な空気が流れ込んできた。
彼女が最初に見たのは、想像を絶する光景だった。
そこは、自然の洞窟ではなかった。無数の投光器に照らされた、ドーム球場がいくつも入りそうなほど広大な、人工の地下空洞。壁面には巨大な昇降機や、無数のケーブル、そして戦闘の痕跡と思われる生々しいクレーターが刻まれている。
「……これは……。我々が眠っている間に、あなた方がこれを……?」
彼女は、呆然と呟く。
「ええ。あなた方の船を発見し、そして……この星を襲った別の脅威と戦うために」
タカギが簡潔に答える。
そして、彼女が広場の中央へと歩みを進めた時、その『脅威』よりもさらに巨大で、圧倒的な存在が、静かに横たわっていた。
宇宙船アークの横に横たわる、山のように巨大な、純白の鱗を持つ竜。
風竜ヴァイス。
「……ッ!!」
ミカサは、さすがに息を呑み、硬直した。
彼女の知識にある地球の生物とはかけ離れた、ファンタジー映画や神話の中にしか存在しないはずの生き物が、現実に目の前にいるのだ。その圧倒的な存在感に、百戦錬磨の軍人である彼女でさえ、一瞬、呼吸を忘れた。
だが、俺は彼女を威圧しないように、ゆっくりと、音を立てずに頭を下げ、その目の高さに視線を合わせた。
その瞳は、獰猛な獣のそれではなく、知性的で、どこまでも深く、澄み渡った青色をしていた。
その瞳には、彼女の絶望を理解し、その痛みに共感するような、深い哀しみの色が浮かんでいた。
『……ようこそ、地球の同胞よ』
俺は、あえてこの世界の言葉ではなく、彼らの故郷の言葉、かつての俺の母国語を使って、直接脳内にテレパシーを送った。
その流暢な発音と、懐かしい響きに、ミカサが驚愕に目を見開いた。
「……頭の中に……直接、声が……?」
彼女は、信じられないという顔で俺を見つめ、そして隣に立つタカギに視線を向けた。
「……これが、あなたが言っていた『彼』……?」
タカギは、ただ静かに頷いた。
全ての答えは、この竜が語るだろう、と。
ミカサは再び俺に向き直り、その青い瞳の奥に宿る、計り知れない知性と、そしてどこか懐かしい哀しみの色を読み取ろうとしていた。
二千五百年の時を超えた、最初の対話が始まろうとしていた。




