第101話 星を渡る船
俺の口から、魂の奥底に眠っていた響きが漏れ出た。
『―――EARTH(地球)』
それは、この世界の誰にも理解できないはずの、遠い故郷の言葉。
だが、その一言は、地底の闇に満ちていた重い沈黙を、さらに深く、冷たく凍てつかせた。投光器の光が舞う埃を照らし、まるで時が止まったかのような錯覚に陥る。俺の巨大な身体のすぐそばで、アキラが、タカギ司令が、そしてアーニャ博士をはじめとする調査団のクルーたちが、呼吸さえ忘れたように硬直し、ただ俺の顔を見上げていた。
彼らの視線が、痛いほどに突き刺さる。驚愕、困惑、そしてかすかな畏怖。その全てがないまぜになった視線が、俺という存在の「異質さ」を改めて突きつけてくるようだった。
「……故郷……?」
最初に我に返ったのは、やはりタカギ司令だった。いかなる時も冷静さを失わないこの男の声が、わずかに震えている。
「ヴァイス殿、それは一体……どういうことだ……? その言葉の意味は? 貴殿の故郷は、この星のエルロード山脈のはずでは……」
どう説明すべきか。俺の心に、一瞬、深い躊躇がよぎった。
俺が元は別の世界の人間だったなどという、おとぎ話にもならない与太話。科学を信奉し、現実を生きる彼らが、果たして信じてくれるだろうか。狂人の戯言だと思われはしないか。これまで築き上げてきた信頼関係に、修復不可能な亀裂が入ってしまうのではないか。
千七百年。この世界で竜として生きてきた。その事実が、この星こそが俺の故郷なのだと、魂に刻み込まれている。だが、目の前にある、未知の金属でできた巨大な船体。そこに刻まれた、懐かしくも切ない故郷の名。それは、俺がこの世界の理から外れた「イレギュラー」であることを示す、動かぬ証拠だった。
もう、隠し通せるものではない。
そして、隠すべきではない。
アキラ、タカギ、アーニャ。彼らは、ただの部下や協力者ではない。共に死線を乗り越え、この星の未来を託し、託された、かけがえのない仲間たちだ。彼らに対して、これ以上偽りの自分でいることは、むしろ裏切りに等しい。
俺は、腹の底で渦巻く葛藤を、静かな呼気と共に吐き出した。覚悟は、決まった。
『……信じ難い話だろうが、聞いてくれ』
俺は、彼らの顔を一人一人見つめるように、静かに語り始めた。俺の声はテレパシーとなって、彼らの脳内に直接響き渡る。
『俺は……最初から、この世界の竜だったわけではない。……遥か昔、別の宇宙、別の銀河に浮かぶ、水の惑星。そこで、俺は「レン」という名の人間として生きていた』
「……人間? ヴァイスさんが……人間だった……?」
アキラが、素っ頓狂な声を上げた。その瞳は大きく見開かれ、信じられないという感情と、何か腑に落ちたような奇妙な納得感が混じり合っている。
『ああ。「レン」それが俺の名前だった。黒い髪と黒い瞳を持つ、どこにでもいる平凡な高校生だったよ。魔法もなければ、翼もない。ただ毎日、学校へ行き、友人とくだらない話で笑い、そして将来に漠然とした夢と不安を抱いていた……お前たちと何ら変わらない、ただの人間だ』
俺は、遠い記憶の風景を思い出すように、少しだけ目を伏せた。アスファルトの匂い、夕暮れのチャイム、自販機の缶コーヒーの味。もう二度と戻れない、愛おしい日々の断片。
『だがある日、俺は不慮の事故に遭った。……そして、命を落とした。……次に意識が戻った時、俺は温かい殻の中で、何かの鼓動を聞いていた。それが、この世界で竜の卵の中にいた、俺の二度目の生の始まりだった。……お前たちの時代の言葉で言うなら、「転生」というやつだ』
「転生……」
タカギ司令が、厳しい表情でその言葉を繰り返す。彼の知る歴史書にも、神話の中にはそういった概念が登場する。だが、それはあくまで物語の中の話のはずだった。
『そして、その「レン」が生きていた星の名前こそが……』
俺は、目の前の船体に刻まれた文字を、万感の想いを込めて再び告げた。
『……そこに刻まれている、「地球」なのだ』
俺の告白を聞き終え、地下空洞は再び深い沈黙に包まれた。
あまりに荒唐無稽な物語。ファンタジー小説の中だけの、空想の産物。
だが、目の前には、神話そのものである俺がいて、未知の超技術の塊である宇宙船が鎮座している。この現実を前にして、彼らは俺の言葉を一笑に付すことはできなかった。
「……そうか……。そうだったのか……」
沈黙を破ったのは、アキラだった。彼は、松葉杖に体重を預けながら、まるで長年解けなかったパズルの最後のピースがはまったかのように、深く、深く頷いた。
「……だからヴァイスさんは、どこか人間臭かったんだな……。最強の竜なのに、俺みたいな若造の冗談に付き合ってくれたり、タカギ司令の苦労を察してため息をついたり、美味い飯の話になると機嫌が良くなったり……。時々、俺たちの考えや感情を、俺たち以上に見透かしているような気がしてた。……それは、元々俺たちと同じだったからなんだ……」
彼の言葉に、俺は少し照れくさくなって、ふいと顔をそむけた。
アキラはそこでふっと笑うと、今度は少し羨むような、複雑な眼差しを俺に向けた。
「いいなぁ、ヴァイスさん。……あんた、竜に生まれ変わっても、人間だった頃の記憶があるんだよな。俺なんて、この世界で生きて、この世界の歴史しか知らない。でもあんたは、全く違う世界の空の色も、風の匂いも、人の営みも知ってる。……俺が一生かけても追い求められない『未知』を、あんたは最初から持ってるんだ。……羨ましいよ。」
彼の言葉は、俺の胸に温かく、そして少しだけ切なく染み渡った。俺が失った故郷は、彼にとって未知の宝物にみえるのか。そうだ、俺は竜の身体を得ても、人間としての心を完全に捨てることはできなかった。だからこそ、カイルやりり、そしてアキラたちと、種族を超えた絆を結ぶことができたのかもしれない。
一方、俺の突拍子もない告白は、調査チームのリーダーであるアーニャ博士に、一つの閃きを与えたようだった。彼女は、血走った目で興奮を隠しきれない様子で、震える手で眼鏡の位置を直すと、宇宙船の船体を指差した。
「……もし、ヴァイス殿の言うことが真実だとすれば……。もし、異世界からの魂の転移が実在するとすれば……! この全ての謎が、一つの線で繋がります!」
彼女は、まるで世紀の発見をしたガリレオのように、その瞳を輝かせた。
「……この巨大な船は、異星人のものではない! ヴァイス殿の故郷、『地球』から遥かなる時空を超えて飛来した、恒星間航行船に違いありません!」
「……宇宙船……だと?」
タカギが、信じがたいという顔で眉をひそめる。
「はい!」
アーニャは確信に満ちた声で続けると、手元のタブレットに次々とデータを表示させながら、自身の仮説を熱っぽく語り始めた。
「……そして、この地下施設に残されていた数々のロストテクノロジー! アンチ・マナ・フィールド、高度な生命工学……。これも全て、この宇宙船からもたらされたオーバーテクノロジーだったと考えれば、説明がつきます!」
彼女の言葉は、まるで堰を切ったように溢れ出した。
「考えてもみてください。今から約千年前、この星の人類の技術レベルは、優れた金属加工の技術こそ持っていましたが、動力といえば人力や畜力に頼るのが限界で、蒸気機関のような化学的な動力機関は夢のまた夢でした。そんな彼らが、どうやってこれほど巨大で精密な地下施設を建設できたのか? 答えは、できなかった、です。自力では絶対に不可能でした」
「ですが、もし……彼らが偶然、地中深くに埋もれていたこの船を発見したとしたら? 墜落の衝撃で破損した船体の一部、例えば、積み荷を保管していたカーゴベイがこじ開けられ、そこからいくつかの『遺産』が漏れ出したとしたら?」
アーニャは、仮説に真実味を与える具体例を挙げた。
「例えば、自己増殖と自己修復機能を持つ、ナノマシンのコロニー。あるいは、基礎的な科学知識が記録された、教育用の情報端末。……それらを偶然手に入れた当時の権力者や学者が、その未知の力を『神の啓示』や『魔法の道具』と解釈し、利用し始めたのかもしれません。最初は小さな技術革新だったものが、世代を重ねるうちに指数関数的に発展し、彼らの手に余るほどの超技術へと変貌を遂げた。この地下施設は、その暴走した科学技術の、いわば『巣』だったのではないでしょうか」
「そして彼らは、ついに禁断の領域に足を踏み入れた。古代の竜の遺伝子情報、おそらく、この星に太古から棲んでいた竜の化石か何かを解析し、手に入れた生命工学の知識と融合させ、神をも超える生命体、デストロイドラゴンを『自らの手で』生み出してしまったのです。しかし、その力はあまりに強大すぎた。制御不能な怪物は暴走し、創造主もろとも文明を破壊し、技術は歴史の闇に葬られた……」
それは、恐るべき、しかし妙に納得のいく仮説だった。この星の、異常なまでに早い技術発展の速度。千年前、突如として現れ、そして消えた数々のロストテクノロジー。その全ての根源に、この沈黙する鋼鉄の巨人がいたのだ。
「……だが、なぜ地球の宇宙船がこんな場所に……?」
アキラが、最も根源的で、そして俺自身も抱いていた疑問を口にした。俺の転生と、この宇宙船の漂着。それは、何か見えざる糸で結ばれているのか。それとも、ただの天文学的な確率の偶然なのか。
「……答えは、この中にあるはずです」
アーニャが、船体を指差した。
「この船を調査すれば、全ての謎が解けるかもしれません。……まずは外観から徹底的にスキャンし、侵入経路を探しましょう!」
タカギの号令一下、調査団はすぐさま行動を開始した。
だが、彼らの挑戦は早々に壁にぶつかることになる。
「ダメです、司令! 船体の継ぎ目らしき箇所にレーザーカッターを当ててみましたが、傷一つ付きません!」
「地中レーダーも、高周波ソナーも、全て表面のエネルギーフィールドに吸収されて、内部構造が全くスキャンできません!」
最新鋭の調査機材が、この古代の遺物の前では全くの無力だった。船体には、ハッチと思われる滑らかなラインがいくつも走っているが、物理的な取っ手も、電子的なロックパネルも見当たらない。完全な一枚岩のように、外部からのアクセスを一切拒絶していた。
「……千年前の人類が手を出せなかったのも無理はないな。これは、我々の科学が到達した遥か先を行く代物だ」
タカギが悔しそうに呻いた。
手詰まりか。
誰もがそう思い始めた時、俺は、何か見えざる力に引かれるように、ゆっくりと船体へと近づいていった。
そして、無意識のうちに、俺の巨大な白い前足の爪先が、その滑らかな金属の表面に、そっと触れた。
その瞬間。
ピィン!
澄み切ったクリスタルのような電子音が響き、俺が触れた場所を中心に、青白い光の幾何学模様が走った。まるで、長い眠りから覚めた主人の手に、忠実なペットがじゃれつくように。
『―――生体認証、確認。……シークエンス・コード:EARTH。……認証完了。……ようこそ、同胞よ』
合成音声でありながら、どこか温かみを感じさせる声が、船体から直接、俺たちの脳内に響き渡った。
「……開く……!」
アキラが息を呑む。
絶対に開かなかったはずのハッチが、プシュゥゥゥ……という圧縮空気の抜ける音と共に、内側へと静かにスライドし、暗い通路がその口を開いたのだ。
「ヴァイスさんだからだ……!」
「この船は、地球人にしか心を開かないんだ!」
と、調査員たちの驚きと興奮の声が上がる。
俺の魂に刻まれた、レンとしての遺伝子情報か、あるいは魂の波長そのものか。この船は、俺を「同胞」だと認識したのだ。
千年の沈黙を破り、ついに過去への扉が開かれようとしていた。その暗い通路の奥に、一体何が待ち受けているのか。俺たちは、固唾を飲んで、その深淵を見つめていた。




