第102話 箱舟の眠り
開かれたハッチの向こうは、数千年の時を封じ込めた深淵の闇だった。外の投光器の光も、その入り口で力なく吸い込まれてしまう。俺たちは、まるで古代遺跡の墓所の入り口に立ったかのように、言いようのない緊張感と、歴史の重みに圧倒されていた。
『……残念だが、俺はこの図体だ。中には入れん』
俺は、内部を興味深そうに覗き込むアキラたちに言った。
『アキラ、タカギ、頼んだぞ。……お前たちが、俺の目になってくれ』
「え? どうやって?」
『俺の魔力で、お前のヘルメットカメラと俺の視覚をリンクさせる。少し頭がクラクラするかもしれんが、我慢しろ』
「うおっ、面白そう! 任せとけ、相棒! ヴァイスさんのための特等席で、バッチリ実況中継してやるよ!」
俺は、アキラのヘルメットに装着された小型カメラに意識を集中させ、魔力の糸を伸ばした。糸がカメラのレンズと繋がり、その映像情報が、光の奔流となって俺の脳内へと流れ込んでくる。視界がアキラのものと重なり、目の前の光景が二重に見える奇妙な感覚。だが、すぐに俺の脳がその情報を処理し、安定した一つの映像として結像させた。
タカギとアーニャ、そして数名の武装した兵士を先頭に、アキラたちが恐る恐るその中へと足を踏み入れる。
船内は、外の瓦礫の山とはまるで別世界だった。
塵一つない、純白の通路。天井からは、光源が見えない柔らかな光が降り注ぎ、隅々まで明るく照らしている。循環する空気は清浄そのもので、数千年という時を感じさせない、完璧な保存状態だった。
彼らは迷路のような通路を進み、やがて船の中心部、ブリッジ(艦橋)と思われる巨大なドーム状の部屋へとたどり着いた。
そこには、壁一面を覆う巨大なメインスクリーンと、それを取り囲むように設置された無数のコンソールがあった。そして、ブリッジのさらに奥、分厚い隔壁の向こう側には、白い霧のような冷気に覆われた、数百体もの人型のカプセルが整然と並んでいるのが見えた。
コールドスリープカプセルだ。中には、人間が眠っている。
千年前の人類が到達できなかったこの聖域で、彼らは静かに、目覚めの時を待っていたのだ。
「……すげえ……。これが、全部……」
アキラが、埃をかぶったメインコンソールの表面を指でなぞる。
「……電源は、まだ生きてるみたいだ。でも、表示言語が……見たこともない記号の羅列だ。これじゃ読めないぞ……!」
「待って、アキラ君」
アーニャが彼の肩を押し退け、自らコンソールに向き合った。
「……全ての知的生命体の文明は、根源的な論理構造……数学と物理法則を共有しているはず。ならば、共通のプロトコルでアクセスできるかもしれないわ」
彼女は、自身の端末をコンソールに接続し、猛烈な勢いでコマンドを打ち込み始めた。
数分後。メインスクリーンに激しいノイズが走り、やがて船のAIが再起動したことを示すメッセージが表示された。
『……外部システムとの接続を確認。言語データベースをスキャン…対象言語を特定。自動翻訳モードを起動します』
「やった!」
アーニャが小さくガッツポーズをした。
スクリーンに、彼らの知らない言語で書かれた航海日誌が、瞬時にこの世界の公用語へと翻訳されて表示されていく。
『―――航行記録、最終エントリー。記録担当、恒星間移民船アーク船長、ミカサ。……この記録が、未来の誰かの目に触れることを、そして、我々人類が犯した過ちと、それでも失わなかった希望の証となることを、心から願う』
その一文から始まる記録は、勝利の報告ではなく、絶望的な敗北の記憶だった。
『我々の母星、太陽系第3惑星・地球は、終わりなき戦争の末に、ついに力尽きた。敵は、我々が『デボアラー』と呼称した、たった一つの宇宙の災厄。星そのものを喰らう、あまりにも巨大で、あまりにも異質な存在だった。我々の物理学では説明のつかない位相転移シールドは、人類の誇る宇宙艦隊のあらゆる攻撃を嘲笑うかのように弾き返し、その巨体に傷一つ負わせることすら叶わなかったのだ。』
『奴は自らの身体を分裂させるのか、その周囲からはカマキリに似た小型の迎撃機が無限に湧き出し、我々の艦隊はまるで嵐の中の木の葉のように蹂躙されていった。英雄的なパイロットたちが、命を賭して特攻を仕掛けても、その大群に阻まれ、本体に近づくことすら許されなかった。』
『そして、ついに奴の牙が我らの母星に突き立てられた時、我々は悟ったのだ。地球はもう助からないと。星の核から生命エネルギーを根こそぎ吸い上げられ、青い輝きを失っていく故郷を前に、我々に残された選択肢は、種の存続という最後の使命を背負い、この星を見捨てることだけだった。』
『我々は、開発中であった最後の希望、恒星間移民船団――『アーク計画』を急遽実行に移した。完成していた数隻の移民船と、それを護衛する最後の艦隊。我々は、まだ地上に残る同胞に別れを告げることもできず、ただ泣きながら、死にゆく故郷を後にした。』
『だが、デボアラーは、我々という最後の「餌」さえも見逃してはくれなかった。執拗な追撃を振り切るため、我々『アーク』は、殿を務めてくれた勇敢な護衛艦隊を盾にするという、断腸の思いで、未完成であった超空間航行を強行した。……その結果、我々は敵の手から逃れることには成功したが、航行システムは深刻なダメージを負い、ワープアウトした先は、予定していた航路から大きく外れた、全く未知の恒星系だった。』
『……そして、数千年の孤独な航海の果てに、我々はこの奇跡の星を発見した。だが、デボアラーとの戦闘で受けた傷と、無理なワープアウトの負荷は、我々の船を蝕んでいた。大気圏突入の摩擦熱に耐えきれず制御を失い、この大陸の東端に激突。地中深くへと突き刺さり、二度と飛べない鉄の棺桶となってしまったのだ。』
船体が原型を保っていたのは、超硬度合金の装甲と、墜落の瞬間に展開された絶対防御フィールドのおかげだったようだ。だが、エンジンは完全に沈黙し、二度と空を飛ぶことはできない。
『……船外の環境は、当時の我々には過酷すぎた。大気成分も、微生物も、我々にとっては未知の脅威だった。……我々最後の地球人は、ここでコールドスリープに入り、未来のいつか、この星の知的生命体が我々を発見し、友好的に目覚めさせてくれることを祈るしかない。……我々が持つ科学技術の全てを、この船に封印して』
『……どうか、我々の遺産が、争いのためではなく、この星の平和のために役立ちますように……』
記録は、そこで終わっていた。
アキラを通してその全てを見ていた俺は、言葉を失った。
俺の故郷、地球は、もうこの宇宙のどこにも存在しない。
そして、この船に眠る人々は、その最後の生き残り。
ミカサと、彼女が率いる百人の同胞たち。
俺と、同じ魂を持つ、遠い同胞だったのだ。
俺の心に、新たな、そしてあまりにも重い使命が、静かに、しかし確かに芽生えた。
彼らを目覚めさせなければならない。
そして、彼らに伝えなければならないのだ。
お前たちの故郷は失われたかもしれないが、ここが、お前たちの新しい故郷になれる場所なのだと。
俺が、千七百年の時をかけて、仲間たちと共に守り抜いてきた、この世界が。
だが、それは同時に、新たな混乱の始まりでもあった。千年の時を超えた超技術を持つ異星人――古代地球人の復活。それは、この世界のパワーバランスを再び根底から揺るがす、危険な火種ともなりうる。
俺たちの前には、デストロイドラゴンとは比べ物にならないほど巨大で、そしてあまりにもデリケートな問題が、静かに横たわっていた。
俺の、そして俺たちの本当の冒険は、まだ、始まったばかりなのかもしれない。




