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第39話:エリート魔導士の胃袋防衛戦と、極上とろけるカスタードプリン

 魔導都市エテメンアンキの空は、今日も雲一つない快晴だった。

 朝の爽やかな空気が満ちる裏路地の奥深く、カフェ・エルの店内には、甘くてどこか懐かしい、幸せな香りが漂っていた。

「ポポ、カラメルソースの火加減は完璧よ。焦げる一歩手前の、一番香ばしくてほろ苦いところで止めてね」

『マカセテ! ニガクテ、アマーイ、ドロドロニ、スルヨ!』

 ポポが真剣な表情で炎を操っている。

 小鍋の中で熱された砂糖と水が、黄金色から琥珀色へ、そして深みのある焦げ茶色へと変化していく。

 ――ジュワッ……。

 最後に少量の差し湯を入れた瞬間、甘く香ばしい、少しだけ大人びたカラメルの匂いがふわりと立ち昇った。

「とってもいい匂い。次はカスタード液の準備ね」

 エレインは大きなボウルに新鮮な卵黄をたっぷりと割り入れ、砂糖を加えて泡立て器で丁寧にすり混ぜていく。

 シャカシャカというリズミカルな音が、静かな店内に心地よく響く。

 そこに、少しだけ温めた濃厚な牛乳を少しずつ加え、さらに混ぜ合わせた。

「ラム、バニラビーンズの香りを引き出してくれる?」

『……フニャァン……マカセテ……トベキリノ、アマイカオリ、ヒキダスゥ……』

 ラムが、ボウルの上にふわりと浮かんだ。

 黒い粒々がたくさん入ったバニラのさやが、ラムの琥珀色の光に包まれる。

 ただ煮出すだけでは得られない、何ヶ月もかけて熟成させたような脳をとろけさせるほどに甘く芳醇な香りが、カスタード液全体に行き渡った。

「これを細かな網で裏ごしして、とびきり滑らかにするの」

 黄金色のカスタード液を、カラメルソースを敷いた耐熱の陶器のカップに静かに注ぎ入れた。

 そして、お湯を張った深い天板にカップを並べる。

「今日はドランの石窯じゃなくて、お湯の力でじっくりと『湯煎焼き』にするわ。ドラン、石窯の余熱だけを優しく保ってくれる?」

『……ウン。……ヤサシク、アタタメル。……ユックリ、ヤクノネ』

 裏庭のドランが、石窯の口を少しだけ開けて温度を完璧に調整してくれた。

 エレインが天板ごと石窯に滑り込ませると、あとは待つだけだ。



  カフェ・エルが甘い匂いに包まれ、平和なプリン作りが進んでいたのと同じ頃。

 魔導院・本塔の最上層、最高幹部会議室では、非常に重苦しい空気が流れていた。

「……特別査察局長、アリスターよ。最近の君の行動について、少し耳に入ってくる噂があるのだが」

 長い円卓の上座に座る、恰幅の良い魔導院の副総帥が、鋭い鷹のような目でアリスターを睨みつけた。

「君は最近、定時で仕事を切り上げ、下層の不衛生な裏路地に頻繁に出入りしているそうではないか。……まさか君、違法なアーティファクトの取引を黙認し、甘い汁を吸っているのではあるまいな?」

 周囲の幹部たちも、疑念の目を向けてざわめき始める。

 視線を一身に浴びながら、アリスターは表情一つ変えずに優雅に金髪をかき上げた。

(……まさか私が、あの至福の「カフェ・エル」に通い詰めていることがバレかけているのか!?)

 アリスターの内心は、かつてないほどの焦りに支配されていた。

 違法取引などと疑われていることはどうでもいい。彼にとっての最大の問題は、あの奇跡のような美味さを誇るカフェの存在が、この貪欲な上層部の連中に知られてしまうことだった。

(もしあそこがバレてみろ。この傲慢なエリートどもがこぞって押し寄せ、平和な空間が台無しになるどころか、私の分のプリンやカツサンドが減ってしまうではないか! 断じて、それだけは阻止せねばならん!)

 アリスターは、エリート魔導士としての全頭脳をフル回転させ、完璧な「でっち上げ」の弁明を開始した。

「……フッ。浅はかですね、副総帥。私がそのような小銭稼ぎをするはずがありません」

 アリスターは立ち上がり、芝居がかった手振りで円卓を見渡した。

「私が裏路地に通っているのは、極秘の『長期内偵調査』のためです。……あの辺りでは最近、未知の魔力波動が観測されています。下級魔導士どもが関与している可能性はありますが、背後には他国の大規模な組織が絡んでいる可能性が高い」

「な、なんだと……? 他国の組織だと?」

「ええ。安易に突入して証拠隠滅されれば、魔導都市の根幹を揺るがす事態になりかねません。ゆえに、この私が直々に、身分を偽ってあの不衛生な路地裏に潜入し、奴らの懐深くに入り込んでいるのです。……すべては、魔導院の平穏を守るため。私が泥を被って、孤独な戦いを続けているのですよ」

 アリスターの堂々とした、そして悲壮感すら漂う見事な演説に、会議室の空気が一変した。

「そ、そうであったか……! 疑ってすまなかった、アリスター局長。さすがは我らがエリートの鑑だ!」

「お気遣い感謝します。……あそこは非常に過酷な環境(※毎日極上の料理が出てくる)ですが、魔導院のため、私は今日も潜入調査(※おやつの時間)に向かわねばなりません。失礼する」

 アリスターは完璧な一礼を残し、会議室を後にした。

 廊下に出た瞬間、彼は額に浮かんだ冷や汗を拭い、小さくガッツポーズをした。

(よし、完璧だ! これで当分、誰もあの路地裏には近づかん! 私の胃袋の平和は、この私が頭脳で守り抜くのだ!)



  カラン、コロン……。

「……はぁっ、はぁっ。店主、私だ……。魔導院の魔の手から、この店を守り抜いてきた孤独な戦士に、至高の休息を与えてくれ……」

 カフェ・エルの扉を開けるなり、アリスターはカウンターの席に倒れ込むように突っ伏した。

「あら、いらっしゃいませアリスターさん。お仕事、お疲れ様です。……ちょうど今、とびきり甘くて冷たいおやつが完成したところなんですよ」

 エレインがふにゃりと笑い、冷蔵用の魔導庫から、冷たく冷やされた陶器のカップを取り出してきた。

 お皿の上にカップを裏返し、底をトントンと軽く叩く。

 ――ぷるんっ。

 お皿の上に姿を現したのは、完璧な黄金色に輝く、特製のカスタードプリンだった。

 少しだけ揺れただけで「ふるふる」と震えるその柔らかさ。

 頂点からは、深みのある琥珀色のカラメルソースが、とろりと滑り落ちて黄金色の肌を染めている。

「お待たせいたしました。カフェ・エル特製、『極上とろけるカスタードプリン』です。アッサムさんの淹れてくれたダージリンティーと一緒にどうぞ」

 アリスターの死んだ魚のようだった目に、一瞬にして光が宿った。

「おおおっ……! なんと美しく、そして儚い揺れ方だ……! この甘いバニラの香りが、私のすり減った神経を包み込んでいく……!」

 アリスターは震える手で銀のスプーンを握り、プリンの端にそっと差し込んだ。

 スプーンを入れた瞬間に分かる、その圧倒的な滑らかさ。

 弾力はあるのに、抵抗感がまったくない。

 たっぷりのカラメルソースを絡めて、一口分をすくい上げ、口の中へと運んだ。

「――――ッッ!!??」

 とろけた。

 噛む必要など一切ない。舌の上に乗せた瞬間、プリンは極上のクリームのように「とろり」と溶け崩れ、濃厚な卵のコクとミルクの甘みが口いっぱいに広がった。

 ラムの魔法で引き出されたバニラビーンズの香りが、鼻腔を突き抜けていく。

 そして、単に甘いだけではない。

 ポポが絶妙な火加減で仕上げたカラメルソースの「ほろ苦さ」が、プリンの濃厚な甘さをキュッと引き締め、味に完璧な立体感を生み出している。

 甘い、苦い、とろける。

 その無限のループが、先ほどまでの会議のストレスを文字通り一瞬で消し去ってしまった。

「美味い……ッ! 美味すぎる……ッ! 口の中に入れた途端に消えてしまうというのに、この圧倒的な満足感はどうだ! 卵と牛乳という素朴な素材が、ここまで高貴な芸術品に昇華されるとは!」

『……お口に合って何よりでございます。さあ、こちらのお茶で、甘い余韻をさらに深めていただきましょう』

 アッサムが、透き通るような紅茶をカップに注ぐ。

 ダージリンの爽やかな渋みが、プリンの甘さを優しく洗い流し、次の一口をさらに美味しく感じさせる完璧なマリアージュを完成させていた。

『ガウッ!! エレイン、俺の分のこの黄色い塊はどこだ! スプーンですくった時の「ぷるん」という感触が、俺の狩猟本能を謎に刺激しおるぞ!』

 隣の席では、ギルがヨダレを垂らしながら、自分の前にある特大サイズのプリンをスプーンでペシペシと叩いて遊んでいた。

『エヘヘッ! アマーイ! ツメタァーイ!』

『……フニャァン……トケルゥ……』

『キュルルッ! カラメル、オイシイ!』

 ナギやラムたちも、小さな器に入ったプリンを顔中につけながら、大はしゃぎで食べている。

「ふふっ。ゆっくり食べてね、おかわりもたくさんあるから」

 エレインは、ソラの優しい木漏れ日が差し込むカウンターで、自分の分のプリンを小さくすくい、その多幸感にふにゃりと頬を緩ませた。

 口の中で溶けていく甘さは、王城で過ごした冷たい日々を完全に忘れさせてくれる、絶対的な優しさだった。


「……店主。いや、エレイン」

 プリンを三つ平らげたアリスターが、紅茶のカップを置き、ふと真面目な顔で口を開いた。

「この店の平和は、私が必ず守り抜いてみせる。……魔導院の連中が束になろうと、この頭脳で必ず煙に巻いてやるからな。だから君は、明日も美味しいご飯を作ってくれればいい」

 彼なりの、最大限の敬意と決意表明だった。

 エレインは少し驚いたように瞬きをした後、花が咲くような笑顔を向けた。

「ええ。頼りにしていますね、アリスターさん」

 魔導都市のエリートたちの思惑をよそに、裏路地のカフェ・エルは今日も平和だった。

 冷たくて甘いプリンと、精霊たちの楽しそうな笑い声、そして少しだけポンコツなエリート魔導士の奮闘に守られながら。

 氷の令嬢のスローライフは、ゆっくりと、しかし確実に、都市の冷たい常識を甘く溶かし始めていた。

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