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第38話:ナギの秘密の入り江と、熱々シーフードマカロニグラタン

 魔導都市エテメンアンキの休日は、抜けるような青空と共にやってきた。

 カフェ・エルの裏庭では、朝日をたっぷりと浴びた精霊たちが元気いっぱいに飛び回っている。

 巨大なシンボルツリーの青々とした葉が風に揺れてシャラシャラと心地よい音を立てる中、エレインはテラス席で真っ白なシーツを干しながら、ふにゃりと柔らかい笑顔を浮かべていた。

『エレインー!! ネエネエ、キイテ、キイテ!』

 水樽の中から、ナギが勢いよく飛び出し、エレインの肩にピトッと張り付いてきた。

「おはよう、ナギ。どうしたの、そんなに嬉しそうにして」

『アノネ、トシノハズレニネ、ダーレモシラナイ、スッゴクキレイナ「ヒミツノイリエ」ヲ、ミツケタノ! スナハマガマッシロデ、オミズガ、キラキラシテルノ! ミンナデ、イコウヨ!』

『オデカケ!! お外デ、ご飯ツクル!』

『……フニャァン……ピクニック……サンセイ……』

『キュルルッ! 海ノ風、気持チ良サソォ!』

 ポポ、ラム、チャイがエレインの足元でピョンピョンと跳ね回る。

 カウンターの特等席で微睡んでいたギルも、耳をピンと立てて目を開けた。

『……フン。潮風で俺の美しい毛並みがベタつくのはご免だが、外で食うお前の飯は格別だからな。護衛として同行してやらんこともないぞ』

「ふふっ、ありがとうギル。……それじゃあ、今日はみんなで秘密の入り江にピクニックに行きましょうか!」

 エレインは厨房の棚から、小麦粉、バター、牛乳、そしてたっぷりのチーズを取り出し、大きな編み込みのバスケットに詰め込む。

 今日は海に行くのだから、メインディッシュの食材は海で直接調達する予定だった。


  魔導都市の喧騒から離れ、人気のない寂れた岩場を抜けていく。

 都市の住人は魔法陣を使った便利な交通網しか利用しないため、このような未舗装の辺境に足を運ぶ者はいない。

 波の音が、少しずつ近づいてくる。

『コッチダヨ、エレイン!』

 ナギに導かれて細い岩の割れ目を抜けると、そこには言葉を失うほどの絶景が広がっていた。

「わあ……! すごい……っ!」

 両側を高い絶壁に完全に囲まれた、半月型の小さな入り江。

 波の荒い外海とは遮断された内海は、サファイアを溶かしたように透明で深い青色をしており、太陽の光を反射して水面が宝石のようにきらきらと輝いていた。

 打ち寄せる波はとても穏やかで、雪のように真っ白な砂浜がゆるやかな弧を描いている。

『……エレイン。……ココ、アタタカイ。……スナモ、フカフカ』

 背後についてきていたドランが、苔むした顔をほころばせて砂浜に座り込んだ。

「ええ、本当に素敵な場所ね。……ソラ、お願いできる?」

 ソラが入り江の絶壁からせり出した一本の大きな木の枝にふわりと宿った。

 すると、強すぎた夏の日差しが優しく和らぎ、砂浜に極上の木漏れ日が作り出される。

『ヨシッ! ワタシ、トビキリオイシイ、ウミノタカラモノ、トッテクルネ!』

 ナギが水しぶきを上げて海へ飛び込むと、ものの数分で両手いっぱいの海鮮を抱えて戻ってきた。

 大人の腕の太さほどもある立派な海老、手のひらよりも大きな肉厚のホタテ、そして色鮮やかなカニ。

 どれも深海の冷たい海流で育った、極上の食材たちだ。

「ありがとうナギ! こんなに立派な海の幸があるなら……今日は『熱々シーフードマカロニグラタン』を作りましょう!」


『グラタン!! ワタシ、オテツダイスル!』

 しかし、グラタンを作るには「オーブン」のような全体を包み込む強い熱が必要だった。

「ドラン、少しだけ貴方の土をお借りしてもいいかしら?」

『……マカセテ。……スグニ、ツクル』

 ドランが大きな手で入り江の岩と砂をこね合わせると、あっという間に、砂浜の真ん中に立派なドーム型の即席石窯が完成した。

 そこにポポが飛び込み、パチパチと炎を上げて内部の温度を一気に上昇させる。

 ザザァ……と心地よい波の音がBGMとして流れる中、青空の下のキッチンで調理が始まった。

 まずは、グラタンの命とも言える「ホワイトソース(ベシャメルソース)」作りだ。

 エレインは持参した厚手のフライパンをポポの火にかけ、たっぷりのバターを溶かす。

 ジュワァッと黄金色のバターが溶け、甘く芳醇な香りが潮風に乗って砂浜に広がった。

「ここに小麦粉を入れて、焦がさないように炒めるのよ」

 サラサラの小麦粉がバターを吸い込み、ふつふつと泡立ってくる。

 粉っぽさがなくなったところで、冷たい牛乳を少しずつ加えていく。

 通常ならば、ダマにならないように付きっきりでかき混ぜ続けなければならない、手間の掛かる工程だ。

「ラム、お願いできる?」

『……フニャァン……マカセテ……トベキリ、ナメラカニ、スルゥ……』

 ラムがフライパンの上にふわりと浮かんだ。

 琥珀色の光がソースを包み込む。ラムがぷるぷると震えるたびに、牛乳と小麦粉が完璧に結合し、一瞬にしてダマの一つもない、シルクのように滑らかな極上のホワイトソースへと変化した。

 長時間コトコトと煮込んだような深いミルクのコクが、ソース全体に行き渡る。

「完璧だわ……! 次は海の幸よ!」

 別のフライパンにオリーブオイルとニンニクを熱し、チャイのスパイスを少し振りかけて、ナギが獲ってきた海老やホタテ、カニの身をソテーする。

 ――ジュウゥゥゥッ!!

 熱された海鮮から、暴力的なまでの海の旨味と香ばしい匂いが弾け飛び、青空に立ち昇っていく。

「炒めた海鮮の旨味を白ワインでこそぎ落として、ソースに全部混ぜ合わせるの!」

 ラムの極上ホワイトソースに、海の幸のエキスがたっぷりと溶け込んだ。

 真っ白だったソースが、ほんのりと海老の赤いエキスを吸い込んで美しい象牙色に染まる。

 茹で上げておいたマカロニをソースに絡め、大きな耐熱皿にたっぷりと流し込む。

 その上にとろけるチーズを山のように盛り付け、最後にチャイがパセリをパラパラと振りかけた。

「よし! ドラン、ポポ、お願い!」

 エレインが耐熱皿をドランの即席石窯へと滑り込ませた。

 ポポが火力を限界まで引き上げ、窯の中を超高温の熱気で満たす。

 数分後。

 チーズが焦げる尋常ではないほどに香ばしい匂いが漂ってきた。

 ソースがグツグツと沸騰する音が、波の音を掻き消すほどに激しく響き始める。

「完成よ! 秘密の入り江の特製、『熱々シーフードマカロニグラタン』!!」



  ドランの石窯から取り出された巨大な耐熱皿の中では、「マグマ」のようにホワイトソースがグツグツ、ボコボコと泡を立てていた。

 表面を覆い尽くすチーズは、見事な黄金色に焼き上がり、ポポがつけた完璧な焦げ目が点在している。

 その隙間から、ホワイトソースと海鮮の濃厚な香りが熱い蒸気となって噴き出しており、見ているだけで胃袋が限界を突破しそうだった。

「さあ、熱いうちに取り分けましょう!」

 エレインが大きめの木製スプーンをグラタンに差し込むと、表面の焦げたチーズが「パリッ」と小気味良い音を立てて割れた。

 持ち上げると、とろとろのホワイトソースに絡みついたチーズが、どこまでも長く滝のように糸を引く。

「熱いから、気をつけてね」

 エレインも自分の分をすくい、ふーふーと息を吹きかけてから口へと運ぶ。

「――――ッッ!!」

 瞳が、驚きと歓喜に丸く見開かれた。

 熱い。火傷しそうなほどに熱い。

 しかし、その熱さを超える圧倒的な旨味の暴力が、口内を完全に支配したのだ。

 ラムの魔法で極限まで滑らかになったホワイトソースは、舌の上でふわりと溶け、濃厚なミルクとバターの甘みを強烈に残していく。

 噛み締めれば、ナギが獲ってきた肉厚のホタテから海の冷たいエキスがジュワッと溢れ出し、海老のプリプリとした弾力が歯を心地よく押し返す。

 マカロニの中心までしっかりとソースが染み込んでおり、焦げたチーズの香ばしさと塩気が、すべての味を完璧なオーケストラのようにまとめ上げていた。

「う、美味ぇぇぇぇッ!! 口の中が熱いというのに、海の底知れぬ旨味が押し寄せてきて、スプーンが止まらんぞ!」

 ギルが涙目になりながら、ハフハフと熱い息を吐き出してグラタンを貪り食っている。

 普段は肉しか食べない幻獣の舌を、ホワイトソースの深いコクが見事に陥落させていた。

『エヘヘッ! アツイ! ケド、オイシイ!』

『……フニャァン……ワタシノ、ソース……サイコォ……』

『キュルルッ! エビ、プリプリ!』

 ナギやラムたちも、熱さに口をパクパクさせながら夢中になってお皿を舐め回している。

 ドランも、特大の耐熱皿に入ったグラタンを嬉しそうに飲み込み、頭の若葉を揺らしていた。

 そしてアッサムが、クーラーボックスの氷水で冷やしておいた特製のアイスティーをグラスに注いでくれた。

 冷たくて爽やかな柑橘系の香りが弾けるアイスティーを流し込むと、熱くなっていた口の中が完璧にリセットされ、またすぐにグラタンが食べたくなってしまう極上の無限ループが完成した。



「……はぁぁ……。お腹いっぱい……。もう動けないわ」

 巨大な耐熱皿が完全に空になり、最後はこびりついたチーズのおこげまで綺麗に舐め取った一行は、ソラが作り出す涼しい木漏れ日の下で、砂浜にごろんと横たわっていた。

 お腹は限界まで満たされ、グラタンの熱気でポカポカと温まった身体を、入り江を吹き抜ける涼しい海風が優しく冷ましてくれる。

 ザザァ……、ザザァ……という規則的で穏やかな波の音が、極上の子守唄のように鼓膜を揺らしていた。

『……フン。たまにはこういう場所で、波の音を聞きながら腹を出して寝るのも悪くないな』

 ギルが大きなあくびをして、エレインの隣に丸くなる。

 そのふかふかの尻尾に、ポポやラム、チャイたちが次々と潜り込んで、すぅすぅと平和な寝息を立て始めた。

「ふふっ。ナギ、素敵な場所に連れてきてくれてありがとう」

『エヘヘ。エレインガ、ヨロコンデクレテ、オミズモ、エビモ、スッゴクウレシイッテ、イッテルヨ!』

 ナギが嬉しそうに微笑み、エレインの頬にすりすりと身を寄せた。

 王城の地下室で、一人ぼっちで冷たいパンを齧っていた日々。

 あの頃は、海に行くことも、こんなに温かくて美味しいものを食べることもできなかった。

 けれど今は、大好きな家族たちと、青空の下で笑い合いながら、熱々のグラタンをハフハフと食べることができる。

(……幸せだなぁ)

 エレインは、サファイアのように青く透き通った水面を見つめながら、ふにゃりと目を細めた。

 波の音と、精霊たちの温かい体温に包まれながら、氷の令嬢と呼ばれた少女の午後は、秘密の入り江の絶景の中で、どこまでもゆったりと溶けていくのであった。

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