第34話:精霊感謝祭。カルツォーネ完売と、夜空の花火
年に一度、魔導都市エテメンアンキが最も熱狂に包まれる日。
『精霊感謝祭』の朝は、抜けるような青空と、色とりどりの魔法の紙吹雪と共に幕を開けた。
都市の中心に位置する広大な『中央広場』には、何百という色鮮やかな天幕が張り巡らされ、大通りは夜明け前からお祭り気分に浮かれた人々でごった返している。
普段は魔導院の威厳を示すための冷たい石畳も、今日ばかりは無数の屋台から漂う香ばしい匂いと陽気な音楽に完全に支配されていた。
「すごい……! これが、お祭り……!」
特別査察局の権限(職権濫用)によって確保された特等地のスペースで、エレインは感嘆の声を漏らした。
今日の彼女は、いつもの薄藍色のワンピースではなく、新大陸特有の鮮やかな赤い刺繍が施された、動きやすいお祭り用のチュニックドレスを身に纏っている。
氷の令嬢と呼ばれていた王城時代には決して着ることのなかった、陽気で可愛らしい装いだ。
「店長さん、屋台の骨組みは完成したぜ!」
「ドランの石窯も、傷一つつけずに運んできたからな!」
灰色のローブを腕まくりしたティルとザックが、汗を拭いながら満面の笑みで親指を立てた。
魔法陣を使わずに精霊たちと協力し合い、一晩で立派な木造の屋台を組み上げてくれたのだ。
屋台の奥には、苔むした古いレンガでできたドランが、どっしりと頼もしく鎮座している。
『……エレインノ、オミセ。……ワタシ、ココデ、イッパイ、アタタカイ、イシガマニ、ナルヨ』
「ありがとう、ドラン。ティルさんたちも、朝早くから本当にありがとう! ……さあ、みんな! いよいよ『カフェ・エル』の出張屋台、オープンよ!」
『オォォォーッ!!』
精霊たちが一斉に歓声を上げた。
ポポがドランの石窯の中でパチパチと元気よく炎を弾かせ、ラムが大量の生地の上でぷるぷると震え始める。
チャイがスパイスの瓶を器用に並べ、ナギが獲れたての海鮮を氷水で冷やして準備を整えた。
そして屋台の看板の下では。
『……フン。気高き幻獣であるこの俺が、客寄せの看板狐などと……。だがまあ、エレインの美味い肉を食うためだ、今日だけは特別にモフらせてやろう』
ギルが銀色の美しい毛並みを風に揺らしながら、どっしりと香箱座りをして通行人の視線を集めていた。
「なんだあの屋台? すっげえ綺麗な狐の精霊がいるぞ」
「魔法陣もないのに、精霊たちが自分から料理を手伝ってる……?」
物珍しさに、数人の客が屋台の前に立ち止まる。
「ポポ、一気に温度を上げるわよ!」
『マカセテ! サイコウノ、ヒカゲン、イクヨォッ!』
エレインが、ラムの魔法で極限までモチモチに発酵した半月型の生地を、ピザピールに乗せてドランの石窯へと滑り込ませた。
――ジュワァァァァッ……!!
石板にオリーブオイルが触れ、凄まじいシズル音が広場に響き渡る。
と同時に、石窯の煙突から、暴力的なまでに食欲を刺激する香ばしい匂いが噴き出した。
焦げた小麦粉の甘い匂い。とろけるチーズの濃厚な香り。チャイのスパイスが効いた牛肉の肉汁が煮えたぎる匂いと、ナギの海鮮がガーリックバターで炒められる圧倒的な海の香り。
それらが混ざり合い、お祭りの喧騒を切り裂いて、周囲の客の鼻腔を直接殴りつけた。
「うおぉっ!? な、なんだこの尋常じゃない美味そうな匂いは……ッ!」
「並べ! 売り切れる前に絶対に買うんだ!」
またたく間に、カフェ・エルの屋台の前には、広場を横断するほどの長蛇の列が形成された。
「はい、お待たせいたしました! 熱々チーズの包み焼きピザです、火傷に気をつけてくださいね!」
エレインが、見事なきつね色に焼き上がったカルツォーネを油紙に包んで手渡す。
受け取った客が、大きく口を開けてかぶりついた。
サクッ……!!
「――――ッッ!!??」
客の動きが、雷に打たれたようにピタリと止まった。
サクッとした極限に軽い表面の食感を突破した直後、モチモチの生地の内側から、熱気と共に「マグマのように熱い旨味の嵐」が噴出したのだ。
ドロリととろけ出す純白のモッツァレラチーズ。
濃厚なトマトソースと完璧に絡み合った、ホロホロに崩れる牛肉からの強烈な肉汁。
閉じ込められていたスパイスの香りが一気に解放され、脳の芯まで痺れるような快楽が口内を支配する。
「う、美味ぇぇぇぇッ!! パンの中から熱々の肉汁とチーズの滝が溢れてきやがる!!」
「こっちの海鮮もヤバい! 噛むたびに海老とホタテの旨味が爆発するぞ!!」
客たちが涙目になりながら、ハフハフと熱い息を吐き出して歓喜の悲鳴を上げる。
その尋常ではないリアクションと、周囲に充満する強烈なシズル感は、最高にして最強の宣伝となった。
「ふん。下民どもめ、たかが屋台飯一つで騒々しいことだ」
その行列を、少し離れた場所から見下ろしている集団がいた。
金糸の刺繍が入った純白のローブを纏ったエリート魔導士たちである。
「魔法陣による完璧な温度管理もされていない、土塊の窯で焼いた不衛生なパンなど、我々エリートの口に合うはずがありません」
「……ほう。それが『不衛生なパン』に見えるのか。それはひどく哀れなことだな」
ふいに、集団の背後から落ち着いた声が響いた。
振り返ると、アリスターが片手に油紙で包まれたカルツォーネを持ち、もう片方の手で口元のチーズを拭いながら立っていた。
「ア、アリスター様!? なぜご自身がそのような立ち食いを……ッ!」
「無知とは恐ろしい。まあよい、一口食ってみるがいい。その凝り固まったエリートの常識が、いかに底の浅いものであったか思い知るだろう」
アリスターは、買ってきたばかりの熱々のカルツォーネを強引に彼らの手に押し付けた。
「そ、そこまで仰るなら……」
高位魔導士たちは渋々といった様子でカルツォーネに軽く口をつけた。
こんな泥のような飯、一口食べて捨ててやろう。そう思っていた彼らの脳を、ドランの石窯と精霊たちの魔法が結集した圧倒的な旨味の暴力が容赦なく粉砕した。
「――――ッッッ!?!?!?」
サクッ、モチッ、ジュワァァァッ!!
軽快な食感と共に、彼らの口腔内に溢れ出したのは、エリート専用の宮廷料理人でさえ到達できない、素材のポテンシャルを極限まで引き出した肉汁とチーズの奔流だった。
「な、なんだこれは……ッ! 美味い……美味すぎるッ!!」
「はふっ! チーズが止まらんッ! エリートの威厳などどうでもいい、もう一個買ってこい!!」
純白のローブをトマトソースと肉汁でドロドロに汚しながら、顔をテカテカに光らせてカルツォーネを貪り食うトップエリートたちの姿。
アリスターは「ふっ、また同志が増えたな」と優雅に金髪をかき上げていた。
やがて日が落ち、広場に無数の魔法のランタンが灯り始めた頃。
用意していた数百個のカルツォーネは、見事にすべて完売となっていた。
「ふう……っ。終わったぁ……。みんな、本当にお疲れ様!」
エレインは額の汗を拭い、やり切った笑顔で振り返った。
『エヘヘッ! ゼンブ、ウレタ!』
『……フニャァン……ワタシタチノ、ゴハン……ダイニンキ……』
『キュルルッ! オマツリ、タノシイ!』
「店長さん、俺たちの屋台が、間違いなく今日一番の行列だった!」
ティルとザックが、ずっしりと重くなった売上金の袋を持ち上げて歓声を上げる。
ドランも石窯の奥で『……ヨカッタ……』と嬉しそうに火を落としていた。
「ええ、みんなのおかげよ。……さあ、片付いたし、最後はみんなでお祭りを見に行きましょう!」
エレインは精霊たちを連れて、屋台の裏手にある静かな丘へと登った。
そこからは、光に包まれたお祭り広場が一望でき、夜空には色鮮やかな魔法の花火が次々と打ち上げられていた。
ドーン、パラパラパラ……。
夜空を染め上げる大輪の光の花。
王城の暗い地下室で、小さな窓から一人ぼっちで見上げていた、あの冷たい光とは違う。
今は隣に、もふもふのギルがいる。ポポやラム、ソラ、ナギ、チャイ、ドランという大切な家族がいる。
ティルやザックのような、優しくて温かいお客さんたちがいる。
(ああ、私……今、すっごく幸せだわ)
エレインは夜風に薄藍色の髪を揺らしながら、打ち上がる花火よりもずっと眩しい、心の底からの笑顔を咲かせた。
精霊感謝祭の夜。
美味しい料理と確かな絆で紡がれた、氷の令嬢のスローライフは、新大陸の熱気と優しさに包まれながら、最高のフィナーレの時間を迎えていた。




