第32話:ドランの石窯と、極上とろとろチーズピザ
魔導都市の喧騒から完全に切り離された、裏路地の『カフェ・エル』。
その裏庭には、昨日から頼もしい新しい家族が加わっていた。
古い大地の精霊、ドランである。
噛まずにとろける絶品ビーフシチューによって心身ともに救済されたドランは、すっかり元気を取り戻し、背中や肩から美しい緑色の若葉を芽吹かせていた。
『……エレイン。……デキタヨ。……ワタシノ、トクセイ・イシガマ』
「わあ……! すごいわドラン、とっても立派ね!」
エレインは、裏庭の一角に完成したドーム型の建造物を見て歓声を上げた。
それは、ドランが自身の持つ古いレンガと「熱を逃がさない特別な土」を使って、一晩で組み上げてくれた特製の『石窯』だった。
魔導都市の冷たい機械的な魔導炉とは違う、土の温もりと大地の呼吸を感じる、昔ながらの美しい窯だ。
『……ムカシハ、コウヤッテ、ニンゲンノタメニ、イッパイ、ガマヲツクッテイタ。……エレインガ、オイシイゴハン、モットツクレルヨウニ……ワタシカラノ、オレイ』
ドランが苔むした大きな顔を少しだけ赤らめるようにして言うと、エレインはドランの大きな手にぎゅっと抱きついた。
「ありがとう、ドラン! これがあれば、パンもお肉も、今まで以上に美味しく焼けるわ。……よし! 今日はこの石窯の完成記念パーティーにしましょう!」
エレインが厨房から運び出してきたのは、上質な小麦粉と、大きな塊のチーズ、そして色鮮やかな夏野菜たちだった。
「ラム、この生地をふっくらと発酵させてちょうだい」
『……フニャァン……マカセテ……フワフワ、モチモチニ、スルゥ……』
ラムがボウルに入った生地の上でぷるぷると震えると、数時間かかるはずの発酵が瞬く間に進んでいく。生地は生き物のようにふわりと膨らみ、甘く香ばしい匂いを漂わせ始めた。
「ポポは、石窯の中の温度を上げてくれる? 強い火力が欲しいの」
『ウンッ! ワタシト、ドランノイシガマ、サイキョウノコンビダヨ!』
ポポが石窯の中に飛び込むと、ドランの特別な土が熱を完璧に反射・循環させ、窯の内部は一瞬にして理想的な超高温状態へと達した。
「さあ、生地を伸ばして……トッピングしていくわよ!」
エレインはラムが発酵させた極上の生地を空中でくるくると回しながら、薄く均等な円形に広げていく。
そこに先日作った特製のトマトペーストをたっぷりと塗り広げた。
その上に乗せるのは、大きくちぎった真っ白なモッツァレラチーズと、市場で買ったバジルの葉。
別の生地には、ナギが海から持ってきたプリプリの小海老と貝柱をたっぷりと乗せ、オリーブオイルを回しかける。
「よし、準備完了! いくわよ!」
エレインは長い柄のついた木製のピザピールに生地を乗せ、ポポの熱気が渦巻くドランの石窯の中へと滑り込ませた。
――ジュワァァァァッ……!!
生地が熱い石板に触れた瞬間、水分が一気に蒸発する強烈なシズル音が裏庭に響き渡る。
縁の生地がぷくぷくと膨らみ始め、香ばしい焼き色がついていく。トマトの酸味が熱されて甘みを増し、純白のチーズがグツグツと音を立ててとろけ出す。
「うおぉぉっ……! なんなんだ、この暴力的に食欲をそそる匂いは……!」
「腹の虫が……限界突破しそうだ……!」
カフェ・エルの裏庭のテラス席には、すでに常連の下級魔導士ティルやザックたちが、鼻をヒクヒクさせながら陣取っていた。
そして彼らに混じって、アリスターも見慣れた私服姿でフォークとナイフを握りしめて待機している。
「店主! まだか! チーズとトマトの焼ける匂いが、私の理性を削り取っていくぞ!」
「ふふっ、もうすぐですよ! ……ポポ、今よ!」
『オッケェー!』
ポポが最後に一瞬だけ炎を強くして、チーズの表面に完璧な焦げ目をつける。
「はい、お待たせいたしました! ドランの石窯で焼いた、特製『極上とろとろチーズピザ』と『海鮮ガーリックピザ』です!」
エレインが、熱々のピザを乗せた大きな木のプレートをテーブルに置いた。
焼き立てのピザからは、凄まじい熱気と、小麦の焼けた香ばしい匂いが立ち昇っている。
生地の縁はカリッと黄金色に焼け上がり、中央部分はトマトソースの赤、バジルの緑、とろけ出したチーズの白が、美しい絵画のように混ざり合っていた。
チーズの表面にはポポがつけた極上の焦げ目が点在し、グツグツと音を立てながら小さな泡を弾かせている。
「さあ、熱いうちに!」
エレインがピザカッターで生地を八等分に切り分けると、サクッ、ザクッという心地よい音と共に、生地の中から熱い湯気が噴き出した。
「い、いただきますッ!!」
ティルとザック、そしてアリスターが一斉に手を伸ばし、熱々の一切れを持ち上げた。
「――っ! チーズが……伸びるッ!」
とろとろに溶けたモッツァレラチーズが、滝のように長く長く糸を引いた。
彼らは火傷も気にせず、大きく口を開けてかぶりついた。
「――――ッッッ!!?!?」
全員の脳内で、言葉にならない歓喜のファンファーレが鳴り響いた。
サクッ。
最初に訪れたのは、ドランの石窯がもたらした、極限まで軽く香ばしい生地の表面の食感だ。
しかし噛みしめると、ラムの発酵魔法によって空気を含んだ生地の内側は驚くほどモチモチとしており、小麦の深い甘みが口いっぱいに広がる。
そして、主役である極上の具材たちが一気に味覚を制圧にかかった。
熱々のトマトソースの爽やかな酸味が、濃厚なチーズの塩気と脂分を完璧に包み込む。
バジルの香りが鼻腔を抜け、噛むたびに溢れ出す具材の旨味が、モチモチの生地と絡み合って、脳を直接殴りつけるような快楽を生み出していく。
「う、美味ぇぇぇぇッ!! なんだこれ、パンなのに、パンじゃない! 口の中で具材と生地が完全に一つになって溶けていくぞ!」
「海鮮の方もヤバい! ガーリックの香りと海老のプリプリ感が、生地の香ばしさと合いすぎる……ッ!」
下級魔導士たちが涙目になりながら夢中でピザを口に押し込む。
「ふん……たかが丸いパンに具材を乗せただけの野蛮な料理……」
アリスターは強がりながらも、手と口を止めることができずにいた。
「……だが、この生地の軽さと旨味はどうだ。高温で一気に焼き上げられたことによる素材のポテンシャルの極限突破。エリートの宮廷料理人でも、ここまでの絶妙な火加減と生地の旨味は出せんぞ……!」
アリスターは口の周りをトマトソースで汚すのも構わず、二切れ目、三切れ目へと手を伸ばしていく。
またしてもエレインの料理の前に、エリートの常識が無残に粉砕されていた。
『ガウッ!! 美味い!! 美味いぞエレイン!! この伸びる白いドロドロ、肉に劣らぬほどの強烈なコクがあるではないか!』
足元ではギルが、大きなピザを二つ折りに丸めて豪快に丸呑みし、顔をテカテカに光らせていた。
普段は肉しか食べない幻獣をも虜にする、圧倒的なシズル感。
『エヘヘッ! ワタシノモッテキタ、エビ、オイシイ?』
『……フニャァン……ワタシノ、キジ、サイコォ……』
『キュルルッ! バジルノカオリ、イイニオイ!』
ナギやラム、チャイたち精霊も、みんなで小さなピザを分け合いながら大はしゃぎしている。
「ふふっ、たくさん焼いたから、どんどん食べてね!」
エレインはソラが作り出す涼しい木漏れ日の下で、自分の分のピザを一口食べ、その多幸感にふにゃりと目を細めた。
『……エレイン。……ミンナ、オイシソウニ、タベテル』
背後から、ドランが嬉しそうに苔むした目を細めて声をかけてきた。
かつて人間から捨てられ、死を待つだけだった彼が作った石窯。それが今、こんなにもたくさんの人たちと精霊たちを笑顔にしている。
「ええ。ドランの作ってくれた石窯のおかげよ。……本当に、最高の焼き加減だわ」
『……ワタシ、コノオニワ、ダイスキ。……ずっと、エレインノタメニ、アタタカイ、イシガマニ、ナルヨ』
ドランの背中で、新しい緑の葉が風に揺れてシャラシャラと心地よい音を立てた。
熱々のピザを頬張りながら、身分も種族も超えて笑い合う、穏やかな裏庭のテラス席。
魔導都市の冷たい常識は、エレインが提供する美味しい料理と精霊たちとの確かな絆の前に、今日もまた一つ、優しく溶け去っていくのだった。




