第30話:エリート魔導士の休日案内と、極上トロピカルかき氷
魔導都市エテメンアンキの中心部に位置する『大魔導バザール』は、数え切れないほどの屋台と店舗がひしめき合う、新大陸最大の巨大市場である。
石畳の大通りには色とりどりの天幕が延々と連なり、旧大陸では決して見ることのできない珍しい香辛料、色鮮やかな織物、活きの良い新大陸の食材たちが所狭しと並べられている。
行き交う人々の熱気と、あちこちから漂う香ばしい匂いが混ざり合い、市場全体がひとつの巨大な生き物のように鼓動していた。
「わあ……! すごい熱気ね。海鮮市場も楽しかったけれど、ここはさらに活気があるわ」
薄藍色の軽やかなワンピース姿に着替えたエレインは、好奇心に満ちた瞳をキラキラと輝かせながら周囲を見渡した。
本日は『カフェ・エル』の定休日。
エレインは家族である精霊たちを連れて、新しい食材を仕入れるためのお買い物(という名目の食べ歩き)にやって来ていた。
『クンクンッ……。おいニンゲン、あっちから肉を香ばしく焼く匂いがするぞ!』
足元を歩くギルが、ピンと耳を立ててエレインのスカートを引っ張る。
その巨大で美しい銀色の毛並みに、すれ違う人々が驚いて道を開けるが、ギル本人は屋台の串焼きにしか興味がないようだった。
「ふふっ、ギルったらもうお腹が空いたの? でも今日は、お肉よりもっと『涼しいもの』を探したいのよね」
新大陸の夏は日差しが強く、ひどく蒸し暑い。
エレインは額に滲んだ汗をハンカチで拭いながら、日除けの天幕が張られた果物通りへと足を踏み入れた。
「店主。そこの左の果物屋は避けた方がいい。観光客向けのぼったくり価格で、鮮度も落ちている。……新鮮な果実を求めるなら、少し奥まった右の老舗へ行くべきだ」
エレインの背後から、低く落ち着いた声が響いた。
振り返ると、仕立ての良い上質な麻のシャツを着た、金髪の長身の青年が立っている。
両手には、エレインが買い込んだ食材の入った大きな麻袋をいくつも提げており、まるで有能な荷物持ちのような姿だった。
「ありがとうございます、アリスターさん。魔導院のトップの方に、お休みの日の市場案内から荷物持ちまでさせてしまって……本当に申し訳ないです」
「気にするな。……私も、たまにはこうして下界の空気を吸うのも悪くないと思っていたところだ」
魔導院・特別査察局のトップエリート、高位魔導士アリスターは、フッと優雅に金髪をかき上げた。
数日前、カフェ・エルに乗り込んで『極上シーフード・パエリア』の前に無残にも陥落した彼は、すっかりカフェの常連と化していた。
今日は店の定休日だと聞き、「エリートである私が、この複雑な市場の案内役をしてやろう」と自ら押しかけてきたのである。
……本音を言えば、エレインが今日仕入れた食材で明日どんな美味を作ってくれるのか、一秒でも早く知りたくて仕方がなかったのだが。
「それに、エリート魔導士としては、都市の経済状況を視察することも重要な任務の一つだからな」
アリスターが言い訳がましく咳払いをした時、エレインの目が、ある屋台の店先でピタリと止まった。
「あっ……! アリスターさん、見てください! あの果物、すっごく綺麗……!」
エレインが小走りで駆け寄った先には、木箱の中に山積みにされた、見たこともない珍しい果実があった。
一つは、大人の拳よりも大きく、太陽のように鮮やかな黄金色をした果実。
もう一つは、燃え盛る炎のような真紅の皮に、緑色のフリルがドラゴンの鱗のようについている果実だ。
「いらっしゃいお嬢ちゃん! お目が高いね。新大陸の南方の密林でしか採れない魔法果実、『太陽の琥珀果』と『真紅の竜果』だよ!」
陽に焼けた店主が、ナイフで黄金色の『太陽の琥珀果』を二つに割った。
中からねっとりとした濃い黄色の果肉が顔を出し、むせ返るほどに濃厚で甘い南国の香りが弾けた。
「うわぁ……! なんて濃厚な香りなの。桃とも違う、もっと力強くてとろけるような匂い……!」
差し出された果肉を、エレインはパクリと口に含んだ。
「――っ! 美味しい……!!」
舌に触れた瞬間、果肉はトロリと溶け、暴力的なまでの甘さと華やかな香りが口いっぱいに広がった。
強烈な日差しをたっぷりと浴びて育った、生命力そのもののような果実だ。
「おじさん、これ、両方ともたくさんください!」
エレインは満面の笑みで財布を開いた。
極上のトロピカルフルーツ。これがあれば、新大陸の暑い夏を吹き飛ばすとびきり冷たくて美味しいスイーツができると確信していた。
両手いっぱいの荷物を抱えたアリスターと共に裏路地の『カフェ・エル』へと帰還したエレインは、早速厨房に立った。
「外はすっごく暑かったわね。……みんな、お待たせ! 今からとびきり冷たくて甘いおやつを作るわよ!」
『オヤツ!! ワタシモ、オテツダイスル!』
『……フニャァン……マカセテ……』
「ギル、お願いできる? 貴方の氷の魔法で、とびきり透明な『氷の塊』を作ってちょうだい」
『フン。このうだるような暑さの中、俺の美しく気高き氷の芸術を所望するか。……よかろう』
ギルが作業台に飛び乗り、大きく息を吸い込んだ。
サファイアの瞳が青白く輝き、三本の尾から絶対零度の冷気が放たれる。
――ピキィィィンッ!!
空中の水分が一瞬にして凍りつき、作業台の上に、スイカほどの大きさがある長方形の氷柱が姿を現した。
不純物を一切含まない、まるで最高級のクリスタルガラスのように透き通った、ギル特製の『霊峰の純氷』だ。
「わあ……! ありがとうギル、とっても綺麗な氷ね!」
『当然だ。俺の氷は、そこらの濁った水とは格が違うからな』
ギルが誇らしげに胸を張る横で、エレインは市場で調達してきた「氷削り器(かき氷機)」をセットした。
「次はシロップ作りね! ポポ、ラム、チャイ、お願い!」
『マカセテ! アマ~イ、ミルクソース、ツクルヨ!』
『……フニャァン……カジツノ、ウマミ……ヒキダスゾォ……』
『キュルルッ! サワヤカナ、カオリヅケ、イクヨォ!』
ポポがコンロで牛乳と砂糖を煮詰め、焦がさない絶妙な火加減で、とろとろの濃厚な特製練乳を作り上げる。
ラムは市場で買ってきた果肉をペースト状にし、発酵の魔法で甘みとコクを限界まで引き出した「極上フルーツソース」を完成させる。
最後にチャイが、ほんの少しだけミントに似た爽やかなスパイスの粉を振りかけて、味を引き締めた。
「完璧だわ……! それじゃあ、削っていくわよ!」
エレインが氷削り器のハンドルを勢いよく回し始めた。
――シャリッ、シャリシャリシャリシャリッ……!!
静かな店内に、氷が薄く削り取られる心地よい音が響き渡る。
刃を通って器に舞い落ちる氷は、まるで新雪のように白く、綿毛のようにフワフワとした、極薄の氷の結晶だ。
ガラスの器に、こんもりと美しい氷の山が築かれていく。
「ここに、ラムの極上フルーツソースを、たっぷりと……」
真っ白な氷の山に、黄金色のマンゴーソースと真紅のドラゴンフルーツソースが、鮮やかなツートンカラーを描きながらかけられていく。
氷の白、黄金色、真紅のコントラストが、視覚的にも美しすぎるシズル感を生み出した。
「さらに、ポポの特製練乳を回しかけて……最後に、大きくカットした果肉をトッピングすれば!」
三つの器を銀のトレイに乗せ、アリスターと精霊たちの前へ運んだ。
「お待たせいたしました! カフェ・エル特製、『極上トロピカル・フワフワかき氷』です!」
器の底から冷気がふわりと立ち昇り、甘く濃厚な南国の香りとミルクのまろやかな匂いが鼻腔をくすぐる。
「な、なんだこれは……!? 氷を削っただけだというのに、この美しさと甘い香りは……!」
アリスターは、エリートとしての冷静さを完全に失い、ゴクリと大きく喉を鳴らした。
「さあ、溶けないうちに食べてくださいね!」
アリスターは木のスプーンを手に取り、氷とソースと果肉をたっぷりとすくって口の中へ運んだ。
「――――ッッ!!??」
舌に触れた瞬間、目をひん剥いた。
冷たい。
だが冷たさを感じるよりも早く、その氷は「フワッ」と綿毛のように口の中で消え去ったのだ。
ガリガリとした嫌な食感は一切ない。純度100%の氷が瞬時に溶け、喉を潤す極上の冷涼感へと変わる。
そして氷が消えた直後、ラムの魔法で旨味が凝縮された『太陽の琥珀果』の暴力的なまでの濃厚な甘みと、『真紅の竜果』のみずみずしい酸味が、津波のように押し寄せてきた。
ポポの作った練乳のミルキーなコクが果実の酸味を優しく包み込み、最後にチャイのスパイスが鼻腔を抜ける爽快な余韻を残していく。
「う、美味ぇぇぇぇッ!! なんだこの、頭を突き抜けるような冷涼感と、それを優しく包み込む暴力的な甘さは……ッ!」
ズキィィンッ!!
「い、痛いッ!? 頭が……額の奥が割れるように痛いぞ!? もしや呪いが……!?」
冷たいものを勢いよく食べすぎたことによる、かき氷特有の「頭痛」がアリスターを襲った。
エリート魔導士が額を押さえて悶絶するが、その手は決してスプーンを置こうとはしなかった。
「痛い……痛いが、スプーンが止まらんッ! この冷たさと甘さの無限ループ……まるで私の脳髄を直接マッサージされているかのような快楽だァァッ!」
涙目になりながらも、顔をテカテカに光らせて一心不乱にかき氷を口に運び続けるアリスター。
『ガウッ! 冷たい! だが美味い!! 俺の生み出した氷が、これほど甘く溶ける芸術品に進化するとはな!!』
隣では、ギルも自分の分のかき氷に顔を突っ込み、鼻の頭を真っ白な練乳とソースまみれにしながら歓喜の声を上げている。
自分が作った氷が褒められたことがよほど嬉しいのか、三本の尾をバサバサと誇らしげに振っていた。
『エヘヘッ! アタマー、キーンッテスルケド、オイシイネ!』
『……フニャァン……ワタシノ、ソース……サイコォ……』
「ふふっ、急いで食べると頭が痛くなっちゃうから、ゆっくり食べてね」
エレインは、ソラが作り出す涼しい木漏れ日の下で、自分の分のかき氷を一口食べ、その多幸感にふにゃりと目を細めた。
極上の冷たさと南国の果実の甘みが、市場を歩き回って火照った身体を、芯から優しく冷やしてくれる。
王城の地下室にいた頃、夏になっても冷たいデザートを食べたことはなかった。
季節の移ろいを、美しい景色と美味しい食べ物で実感できる喜び。
それが今の彼女には、王族の婚約者という地位よりも、ずっとずっと価値があった。
「……はぁぁ……っ、食った……。もう、外の暑さなどどうでもよくなるほどの至福だ……」
器をすっかり空にしたアリスターが、満足げなため息をついてカウンターに突っ伏した。
エリートの威厳など、もう彼のどこを探しても見当たらない。
「お疲れ様でした、アリスターさん。今日は市場の案内と荷物持ち、本当にありがとうございました」
「ふん。……これほど美味い氷菓が食えるのなら、荷物持ちくらい安い御用だ。……次のお休みの時も、私が案内してやろう」
アリスターがそっぽを向きながらも、耳を少し赤くして答える。
その言葉に、エレインは「ふふっ、頼もしいですね」と花が咲くような笑顔を向けた。
魔導都市の喧騒から切り離された、裏路地のカフェ・エル。
氷の令嬢と呼ばれた少女の休日は、冷たくて甘いかき氷と、家族である精霊たちの笑い声に包まれながら、どこまでも平和に過ぎていくのだった。




