8.叔父の家で
次の日も朝早くから、リゲル達は『自由の家』にやって来た。集う場所があると、確かに気持ちが違うのが分かった。二人は家から持ってきたビラ作りの道具や食器を以前は薬等が入っていたのだろう、収納庫に並べていった。
その日の午後に事務机や椅子、ソファーセットが荷物で届いた。これもアリーシャが送ってくれた物だ。梱包を解いてみると、どれも中古だがしっかりとした作りだった。荷物を片付けたら改めてアリーシャに礼を言いに行こうと話している所に、その本人が又数人の男達を連れて現れた。彼女のすぐ後ろには、細身の体にぴったりの黒いスーツを着たマシューズも居る。リゲルは親しげに彼女の名前を呼ぶと、手に持っていた雑巾を置いて走って行った。
「本当に、何てお礼を言っていいか、アリーシャ」
「気にしないでと言ったでしょ?新品を送ると、あなたが気にするかと思って中古品にしたの。でもどれも良品よ。それより名前は決まった?」
「とりあえずここは『自由の家』と呼ぶ事にました」
「いい名だわ」
アリーシャは微笑むと周りをぐるりと見回した。埃をかぶっていた床や壁も全てが綺麗に磨かれていた。
「私は今日メリッサに帰らなきゃならないの。でも又イオに寄る事があったらここにも顔を出すわね。それまで元気で頑張るのよ」
リゲルはちょっと寂しそうな顔をすると、アリーシャに手を差し出した。
「頑張ります。アリーシャもお元気で」
握手を交わした後、アリーシャは自由の家の外に出て歩き出した。ふと隣を見ると、マシューズがいつもの数倍むっつりした顔をして歩いている。
「何?あの子達の支援をするのが気に入らないの?」
「いいえ。社長の酔狂には慣れておりますから」
そう言いつつも、彼はまだむっとした顔をしていた。
「だって面白いと思わない?今度イオに来た時の楽しみよ。あの少女達があの事務所を足場に成長しているか、それとも壁にぶつかり挫折して諦めているかね」
「私は後者の方だと思いますがね。あの子のやっている事がパウロ二世(カンターヴェラ帝国二代目の皇帝)の目に付く事になったら、会社に影響が出るかもしれませんよ」
「それは無いわね。あそこは彼女の名義にしてあるし、社名は一切出していない。それにドン・パウロ・セグンド(パウロ二世のカンターヴェラでの呼び名)。あの坊やが自分と同じ年頃の女の子達がやっている事を知って、どうするのか見てみたいものだわ」
― やれやれ。この人にとってはあの娘の真剣な戦いも、ゲームの一つしでしかないようだな・・・ ―
ニヤッと笑いながら鼻歌交じりに馬車に乗り込む女社長を見てマシューズは思った。
それからもリゲルとルマは同じように活動していたが、アリーシャに言われた言葉を忘れずに、今度は仲間を作る事にも専念した。話を聞いてくれる人達に新しい事務所が出来た事を伝えたのだ。
それからリゲルにはもう一つ目標が出来た。自分の活動が決して自己満足にならないようにする為には、一番話しを聞いてもらわなければならない人物に会う事だ。この国の皇帝、パウロ二世に・・・・。
今日はその為に一人でカンターヴェラ軍の司令部がある町外れにやって来た。そこから数キロの所に叔父のジェイリスの家があるのだ。以前司令部に行った時、家の場所を教えてもらっていた。
初めて訪れたジェイリスの家は、沢山の窓がある古い屋敷であった。一階に付けられたベランダには何本も柱が並んでいて、二階の天井を支えていた。
リゲルは馬を適当につなぐと玄関のドアを叩いたが、誰も出てくる様子は無かった。もう一度叩いてみたが返事が無いのでドアを開けてみた。玄関ホールは広く、二階まで吹き抜けになっていて、中央から二階に上がる階段が伸びている。リゲルは階段の奥に向かって歩き出した。ドアの向うは食事を取る為のダイニングテーブルと、奥には広々としたキッチンがあった。とても綺麗に片付いていたが、どちらかというと余り使っていないようだ。そこにも誰もいないのでリゲルは二階に上がってみる事にした。
三つあるドアの内の一つが半開きになっていたので入ってみると、寝室になっている。部屋の中央にある重厚なアンティーク調のベッドに、シーツに包まるようにジェイリスが寝ていた。
― 叔父様ったら、もうお昼前よ ―
リゲルは半分呆れながら彼に近付いた。
「ジェイリス叔父様?」
突然布団がめくれ上がってジェイリスが枕の下から銃を取り出し、リゲルに向かって構えた。
「お・・・叔父様・・・」
リゲルのびっくりしたような顔を見て、ジェイリスは力が抜けたように銃を下ろし溜息を付いた。
「ああ、リゲルか・・・。びっくりさせないでくれ」
「ごめんなさい。ドアをノックしても誰も出てこないから、勝手に入って来てしまったの」
ジェイリスは昨日の夜の事を思い出して頭を掻いた。休みの前日だったので部下達と散々飲んで帰り、玄関の鍵を閉めるのさえ忘れてしまっていたらしい。リゲルはまだ眠そうな顔でベッドの上に起き上がってぼうっとしている叔父から、恥ずかしそうに顔を逸らした。夜遅く戻って来たジェイリスはベッドの足元に服を脱いだまま寝ていたらしく、上半身が裸だったからだ。
「あの、私、スコーンを作ってきたの。紅茶を入れるから、目が覚めたら降りて来てくださる?」
リゲルは急いで部屋を出たあと階段を駆け降り、さっき覗いたキッチンに入った。動悸を収めるように胸に手をやると、まだ赤い顔のままで呟いた。
「変ね。叔父様なのに、どうしてドキドキするのかしら・・・」
暫くしてダイニングに現れたジェイリスは、姪に醜態を見られたのが恥ずかしかったのか、きちっとプレスされたシャツを着ていた。
「さっきはすまなかった。驚かせてしまって・・・。軍人を長い事やっていると、つい物音なんかに反応してしまうんだ」
ジェイリスは銃を向けてしまった事を謝っているのだろう。リゲルは気にしていないというように笑いながら首を振った。
「叔父様は銃の名手なんですってね。この間会いに行った時、ボビーが出口まで送りながら話してくれました」
「外国人が違う国の軍隊の中で生きて行こうと思ったら、それくらいの特技がないと駄目なんだよ」
彼は穏やかに笑っているが、見知らぬ国でただ一人生きていくには大変な苦労があっただろう。それに彼がこの国へ来たのはまだ十九歳の時だ。若さ故に見下されたりして辛い思いをしたに違いない。
テーブルの上には温めたスコーンにジャムとクロテッドクリームを添えたものと、キューカンバーサンドイッチ(きゅうりのサンドイッチ)を並べた皿があり、久しぶりに懐かしいグランブリラスのアフタヌーンティーを味わえそうだ。リゲルは温めたティーカップに丁寧に紅茶を注いでいった。
「懐かしいな。こんな風にゆっくりとお茶をしたのはトーマス・・・君のお祖父さんと一緒に、庭のガゼボ(西洋風東屋)で飲んだのが最後だった」
「お祖父様と叔父様は、とても仲が良かったのね」
「そうだな。六年間だけだったが、本当に可愛がってもらった」
ジェイリスの寂しそうな顔で、彼が祖父の事を本当に愛していたのだと分かった。そういえばジェイリスがカンターヴェラへの移住を決めた時、父がまだ十代の彼を心配して話していた事がある。
「きっとジェイリスはもう家族の誰も失いたくないんだろう。彼は両親と、そして恩人であるトーマスを失った。もし今度私達に何かあったらと思うと怖いのだろうな」
その時リゲルはまだ九歳でその言葉の意味を全て計り知る事は出来なかったが、今では良く分かる気がした。だからだろうか。思わず椅子から立ち上がって叫んだ。
「大丈夫よ、叔父様。私もパパも丈夫だから、簡単に死んだりしないわ。もう叔父様は家族を失ったりしないから!」
ジェイリスが驚いたように顔を上げたので、リゲルは興奮して立ち上がっていた自分が恥ずかしくなった。
「ごめんなさい。私ったら・・・」
ジェイリスは赤くなっているリゲルに優しく笑いかけた。
「ありがとう、リゲル。俺はいい姪を持ったな」
しばらくジェイリスと父の研究の話をした後、リゲルは本題を切り出す事にした。
「叔父様、皇帝に会った事はある?」
「皇帝って、パウロ二世陛下に?いや、一度も無いが」
「そう。叔父様なら陸軍の少佐だから、会った事があると思ったんだけど」
リゲルはひどく残念そうな顔をした。
「将軍ならまだしも、少佐ごときが皇帝に会うなんてまず無理だな。まさか、パウロ二世に会いたかったのかい?」
「ええ。私皇帝に会って、奴隷制を廃止して下さいってお願いするつもりだったの。噂では、パウロ二世は父親のパウロ一世と違って、温厚で芸術を愛する学者肌の人だって聞いたから・・・」
リゲルの言葉にジェイリスは面食らったように黙り込んだ。
― 奴隷制を廃止?一体何処からそんな考えが出てきたんだ? ―
叔父が黙っているので、リゲルは今自分が行なっている活動の事を話した。身内がそんな事をやっていると軍人の彼は余りいい顔をしないだろうが、一生懸命説明すれば分かってくれると思った。だがジェイリスは難しい顔で、話が終わった後も暫く考え込んでいた。
「リゲル。君は知らないかもしれないが、パウロ二世が父の跡を継いで即位したのは、わずか五歳の時だ。君主が幼少の場合、代わって政務を行なうのが摂政だ。当初三人の摂政が任命されたが、うまくいかなかったので一年交代で一人の摂政を任命する事となった。その後パウロ二世は十四歳で親政を開始した。G歴七三九年の事だ。分かるかい?つまりパウロ二世は現在十八歳。君と同じ年齢という事だ」
リゲルは驚いたようにジェイリスの顔を見つめた。このカンターヴェラの皇帝がわずか十八歳だという事など、全く知らなかったのだ。
「知らなかったわ。だって今年ご成婚なさったから、もっと年上の方だと・・・」
「それにしたって議会がカンターヴェラ帝国の為に決めた事だ。彼に断る権限は無かっただろう。いいかい?彼はまだ若すぎる。それに親政を摂り始めてからまだ四年だ。今は自分の政権を維持するのが精一杯だろう。もし奴隷制を廃止などと言えば、まず各地のファゼンデイロが黙っていない。議会は彼等の反乱を恐れて反対するに決まっている。お前の気持ちも分かるが、今のカンターヴェラでそれは不可能に近い願いだ」
『不可能』というショックな言葉に、リゲルは思わず黙り込んだ。アリーシャはこれが言いたかったのだろうか。活路を見出すつもりが、いきなり壁に突き当たってしまったのだ。




