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6.活動開始

 その不安はロベルトも同じであった。荷馬車に乗って家に帰る途中、危ない事はやめる様に言ったが、リゲルはただ微笑んで「大丈夫よ、パパ。危ない真似はしないから」と言うばかりであった。もとより一度決めた事は最後までやり通す娘の性格を知っているロベルトは、何を言っても彼女がそう答える事は分かっていたが、今度ばかりは許すわけにはいかなかった。


 この国の産業は奴隷制の上に成り立っているのだ。カンターヴェラ帝国がその制度を認めている以上、それは国の法律なのである。それに逆らうという事は、皇帝に逆らうという意味なのだ。


「リゲル、分かっているのかい?我々はここでは外国人なんだ。グランブリラスの法律もこの国までは及ばない。誰も君を守ってはくれないんだよ」

「でも、誰かが何かをやらなければ、何も動かないし、何も始まらないわ。どんな小さなことからでもいい。動き出せば、必ず答えは返ってくるはずよ」

「小さな事って、何をやるつもりなんだい?」


 リゲルは隣に座っているルマの顔を見てにっこり笑うと答えた。

「そうね。まずビラを作るわ。それを持って一軒一軒、家を回るの。奴隷制がいかに間違った法律か、人々に分かってもらうまで説明を続けるの」

「随分と・・・地道な活動だね」

「そうよ。だって私が出来るのはそれくらいだもの。最初はみんな話を聞いてくれないだろうけど、それでもいいのよ。一日の内のほんの少しの時間でも、奴隷達の事を考えてくれればね」


 それくらいなら大丈夫だろうとロベルトは思った。外国人の宣教師もそうやって布教して回るのだ。だがルマは、それでも不安をぬぐいきれないようにリゲルを見つめていた。






 怒りに肩を震わせた娘が自分の部屋に引き上げた後、アルジャーノは廊下に散らばった沢山の箱や、割れた花瓶の破片を使用人に片付けさせ、ゆっくりと廊下を歩き始めた。先ほどの娘達の喧嘩など、アルジャーノにとっては取るに足りない出来事であったが、一つだけ大きな収穫を得られた。


 リゲルは奴隷制を廃止すると豪語したが、あんな小娘に何が出来るはずも無いだろう。だが彼女の存在はミランダの成長に役立つはずだ。コリンズ博士が自分の研究と仕事を手伝わせたい男が居ると言って来た時、その男に一人娘が居ることを聞いて彼のお荷物くらいにしか思っていなかったが、いや、なかなか面白い小娘だ。私でさえなかなか言う事を聞かせられないわがまま娘のミランダが、あの娘の質問に答えられなくて悔しさにはちきれそうになっている姿は見ものだった。


 おかげで農場の経営や、ファゼンダのコーヒーに関して今まで全く興味を示さなかった娘が、リゲルに対抗していく内に自分の役目を見出し、最後には “私のファゼンダを守る” とまで言ったのだ。マッカーニオ博士の為に大きな家を建てて出費はあったが、彼が来たおかげで工場も予定より早く建ち上がって、明日から稼動することが出来る。何もかも順調だ。


 シニョール・パドロードは自らの商才に満足げに微笑むと、自分の部屋に姿を消した。


 次の日、リゲルは昨日夜遅くまでかかって作ったビラを持って、ルマと共にイオサンパルスの中心街であるアリージャへ出かけた。奴隷のルマは許可がなければ農場から出る事は出来ないが、奴隷監督のガレーニにリゲルが街に行くお供をして良いか聞きに行ったところ、すぐにアルジャーノは許可を出してくれたそうだ。昨日娘のミランダと喧嘩をしている所を見ていたアルジャーノは、きっと怒っているだろうとリゲルは思っていたので、彼の対応は不思議であった。


 リゲルはまず道路など、道端で店を出している露店から回ることにした。しかし彼等はリゲルが客ではないと知ると、大抵むっとした顔をしてビラを突き返した。大体何処も同じ対応で、最後には「忙しいから帰ってくれ」と言われた。そうやって半日足を棒にして歩き回ったが、ビラの内容に目を止めてくれた人は殆どいなかった。

 

 余り無理をしても長続きはしないので、昼過ぎには家に戻った。ローネが昼食を用意して待っていてくれた。ローネはリゲルのことを心配しているようで、近頃ロベルトが家に帰って来ない事を不満に思っていた。


「全く、ロベルト先生は何をしているんでしょうねえ。もう工場も建ち上がって、忙しさも一段落ついたでしょうに」

「パパはポール先生と新しい研究を始めたのよ。ポール先生はサトウキビから塗料や燃料を作る研究をしていて、サトウキビ畑が出来たら豊富な材料を使って研究が出来るのを楽しみにしていたの。塗料は少し前に製品化できたらしいけど、サトウキビから燃料を作るのがなかなか難しいらしくて、それでパパを呼んだのよ。パパも新しい研究が出来るって楽しみにしていたわ」


 リゲルは笑いながらカンターヴェラ風コロッケのカッタロにフォークを刺した。

「でも、サトウキビ農場からここまでそんなに距離はありませんのに」

「パパは一度研究に入ると、家にいても殆ど研究室から出て来なくなるの。だからここに居てもポール先生の所に居ても一緒よ。ポール先生の家にもちゃんとメイドが居るから食事はちゃんと取っていると思うし、私は安心しているわ」


 心配なのは先生よりもリゲルお嬢様のことなのに・・・と思いながら、ローネはキッチンに戻って行った。



 昼食を済ませると、勉強をすることにしている。リゲルはルマにこの半年でアルファベットを教え、今ルマは単語の綴りを覚えている最中だ。リゲルもルマの向かいで医学書を読みながら一緒に勉強した。

 夜になると奴隷は仕事をしている以外は、自分達の小屋に戻っていなければならないので、リゲルはルマを送りがてら、一緒に星の輝く道を歩いた。


「うーん、やっぱり見えないわ」

 リゲルが空を見上げて呟いた。

「何が見えないんだ?」

「オリオン座よ。やっぱり北半球と南半球では見える星座が違うのね。オリオン座は冬の星座でグランブリラスからは良く見えたの。でもここから見る星座は、グランブリラスで見るのと全く違っているわ」

「オリオン座が見たいのか?」


 星座というものがこの世に存在することすら知らなかったルマは、何故リゲルがそんなものを見たがるのか分からなかった。


「オリオン座の中に二つのとても美しい星があるの。真っ赤なペテルギウスと青白く輝くリゲル。私の名前はそのリゲルという星から付けられたのよ。ルマにも見て欲しかったんだけど」

 ルマはやっとリゲルの気持ちが分かって嬉しく思った。

「その星ってここからは見えないのか?」

「うん。北半球に行かないと多分見えないと思う。どうして?」

「ルマも・・・見てみたいな。リゲルの星」


 リゲルは嬉しそうに笑うと、ルマの前に回ってその手を握り締めた。


「見れるわ。奴隷制が廃止になったら、ルマも自由になれる。そうしたら一緒にグランブリラスへ渡りましょう。メイクフィールドは歴史と伝統のある建物が一杯あって、とても美しい街なのよ。沢山の尖った塔が並ぶ大学の建物があって学生達が行き交う活気のある街なの。レイン川とチャーイル川がとうとうと流れるのを見ていると時間も忘れてしまうわ。その川を渡るパント舟に乗ってパンティングを楽しむのもいいわね。そして夜は天体観測をしましょう。カンターヴェラとは全く違う星座が見られるわ」


 幾ら説明されても、ファゼンダとイオサンパルスの街の一部しか知らないルマには、メイクフィールドがどんな場所か想像もつかなかった。生まれてからずっと奴隷として生きてきた自分が、自由になれる日が来るとも考えた事は無かった。どんなに遅くまで家の外で星を眺めていても、奴隷監督がやって来て鞭で打たれる事は無い。それがルマにとっての自由であった。その自由を本当に手に入れた時の事を考えると、希望で胸が熱くなる反面、何だか怖くもあった。


― でもきっとリゲルがいれば大丈夫。だってリゲルは心の中にメルキセデク(平和と正義を司る天使)を宿している人だから・・・ ―


 ルマは幼い頃、農場の端に捨ててあった絵本の中で見た天使をリゲルに重ねて見ていた。





 それからもリゲルはルマと共にイオサンパルスの街で活動を続けた。住宅街に行って一軒一軒家を回ったり、建物の中にある会社の事務所を訪ねたりしながら、奴隷達の現状や理不尽な扱いを受けていること、彼等にも人間として普通に生きる権利があるのだと説いて回った。大抵の人はビラを見て眉をひそめるくらいだが、酷い時は目の前でビラを丸めて投げつけられたこともあった。港で奴隷を働かせている貿易業者の船を回った時には、体の大きな男達に「出て行け!」と乱暴に追い返されたこともあった。時には彼女の後ろに居るルマを見て「お前だって奴隷を連れているじゃないか」と非難されることもあった。


 実際、奴隷を使っている人々にとって、リゲルの意見は耳が痛いものであった。そういう人々の家に二度三度と行くと、使用人を使って「今度来たらただじゃ済まないぞ」と脅されたり、酷い時には頭から水を掛けられたりもした。

 だがリゲルはそれでも全くめげなかった。それらの家から出て来ると必ずルマの事を気遣って、彼女に笑顔を向け、こう言った。


「さあ、次の家に行きましょう」

 

 リゲルの強さは一体何処から来るのだろう。人種も違う、会った事も無い人々の為にどうしてそこまで出来るのだろう。その理由をルマはリゲルには聞かなかった。聞いても彼女は笑ってこう答えるだろう。


「私は人間として当然の事をしているだけよ」


 彼女はそういう人だ。だからルマは答えを聞く代わりに、心の中で誓いを立てた。


 どんな事になっても、この人についていこう。どんな事が起きても、この人を守っていこう。この人が私たち黒人の為に人生を捧げてくれるのなら、私の人生もこの人の為に捧げよう。これからもずっと・・・。



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