4.八年ぶりの再会
厩舎に馬を借りに行ったリゲルであったが、友達になれそうだと思っていたミランダの言動に腹を立て、すぐ家に戻って来た。多分あの少女のことだ。最初の日にアルジャーノの部屋に居なかったのも、ただ単に私達に会うのが嫌だったからに違いない。
リゲルは奴隷を買って働かせているファゼンデイロの馬を借りるのはもう嫌だった。特に彼の厩舎へ行って、またあのミランダというとんでもない娘に会うのはもっと御免だった。そこでリゲルは自分で馬を買うことにした。厩舎はサムに手伝ってもらって自分で建てるつもりだ。
次の日からリゲルはファゼンダのコーヒー農園を見て回ることにした。高校に行くよりも、今はそうするほうが大事だと思ったからだ。
コーヒーの樹は500メートル以上の高地に植えるのが適しており、しかも傾斜地に生えているので、広い農園の中を見て回ればかなりいい運動になる。
リゲルはルマと一緒に朝早くから家を出て、明るい日差しと心地よい風が吹く中、軽い傾斜の続く道を歩いていった。
コーヒーは今丁度収穫期で、農園のあちこちで奴隷達が小さな赤い実を手で摘み取っていた。
「まあ綺麗。あれがコーヒーの実?」
「は、はい。成熟すると・・赤く色付くので『チェリー』と呼ばれて・・・います」
リゲルに聞かれてルマはおどおどしながら答えた。
「あれは何?コーヒーの樹じゃないわね」
リゲルは農園の側にずらっと並んでいる背の高い樹を指差した。
「あれは・・シェードツリー・・です。樹が直接日光を受けないように植えられて・・ます」
「ふうん。そうだ。私も実を摘むのを手伝いたいわ。ルマ、あの人達に頼んでくれる?」
リゲルはルマがびっくりして止める間もなく駆け出した。
「あ、あのでも、手が汚れて・・・」
「構わないわ」
手摘みの作業を行なっていた奴隷達は、いきなりリゲルがやってきたので驚いていたが、彼女がどうしてもと言うので自分達の持っていた籠を手渡した。
「ルマも一緒にやりましょうよ。以前はここで働いていたんでしょ?」
リゲルは脚立に登って働いていた男に実の摘み方を教わりながら、一つ一つ丁寧に実を摘み取っていった。
それからもリゲルは毎日ファゼンダに出て、奴隷達と交流を持った。最初は白人のリゲルを恐れている者や白人と言うだけで嫌っている者も居たが、次第に奴隷達も彼女と会話を交わすようになった。しかし一番近くに居るルマだけは、いつまでたってもよそよそしく、リゲルから何かを尋ねるまでは自分から口を開くことは決してなかった。
ある日、夕食の後リゲルは、ルマに紅茶を二つ持ってくるように頼んで、自分の寝室に引き上げた。ルマはいつものように白い手袋をはめ、リゲルの部屋をノックして入ってきた。
「ありがとう、ルマ。どうぞ、そこに座って」
紅茶をテーブルに置いたルマにリゲルはソファーを勧めたが、ルマは首を振ってじっと立っていた。
「この紅茶はあなたと飲もうと思って運んでもらったのよ。ここにはあなたと私しか居ないのだから遠慮は要らないわ。あなたと少しお話がしたいの。どうか座ってちょうだい」
ルマはソファーとリゲルの顔を交互に見ていたが、やがて遠慮しながらソファーの端に腰掛けた。
「この一週間、ファゼンダを回って、私色々な人と話をしたでしょ?だって私って本当に無知だったから。このカンターヴェラの法律のことも良く知らないし、奴隷制度のことも良く分からないの。だからそれを教えて欲しかったんだけど、みんなその事になると口をつぐんじゃうのよね。余程辛い思い出があるのかしら。それともファゼンデイロに口止めされているのかしらね」
ルマはまるで叱られている子供のようにうつむいたまま、テーブルの上の紅茶を見ていた。
「それとも私が白人だからかしら。ルマが私に遠慮して話をしてくれないのも、私が白人だから」「ち・・違います!」
ルマはびっくりしたように立ち上がった。
「あた・・私は、その、言葉が悪くて・・・。だから、お、お嬢様に失礼があったら駄目だって言われてて・・・」
「ああ、そうだったの」
リゲルはホッとしたように微笑んだ。
「そんな事、気にすること無いのに。ルマはちゃんと綺麗な言葉を話せていたわよ」
リゲルはルマに笑い掛けると紅茶を一口飲んだ。
「私ね。この一週間で出会った人の名前をみんな覚えたの。みんなと友達になりたいから。でも一番近くに居るあなたと友達になれなかったら、みんなとも友達になれないと思うわ」
ルマはただ驚いたようにリゲルの顔を見つめた。この人はどうしてこんな私と友達になりたいと言うのだろう。ルマが今まで出会った白人には、そんな人は誰ひとりとして居なかった。自分のことをシニョールと呼ばせているアルジャーノも奴隷に名前を呼ばれるのが嫌だからだし、その娘のミランダも、気に入らないことがあるとすぐに奴隷を殴ったりする女の子だと聞いている。以前街にお使いに出された時も白人達は皆、ルマを汚いものでも見るような目で見ていた。
きっとこの人は綺麗な国で生まれ育って、ずっと綺麗なものばかり見てきたから何も知らないんだ。私達奴隷が、どれ程みんなに嫌われているかなんて・・・。
ルマはもう一度、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
「あたしは・・・奴隷です」
「知っているわ。でも奴隷だって人間でしょ?」
「いいえ、違います。奴隷は家畜と一緒なのです」
その言葉はリゲルにとって衝撃的であった。頭の中にミランダが鞭で何度も打ちのめしていた男の姿が浮かんだ。彼女のした事は、まさに家畜に対する扱いと同じだった。ルマは膝の上の手をぎゅっと握り締めると、幼い頃両親から聞いた奴隷狩りの話を始めた。
「あたしはここで生まれたけど、父さんと母さんの故郷は黒人達の国ベントレです。二人が奴隷狩りにあったのは別々の時期だったけど、二人とも丁度十六歳の時だったらしいです。今は分からないけど、当時奴隷狩りをしていたのはカカ族という部族で、父さん達の両親は捕まる時に抵抗して殺されました。その後、六歳以下の弟や妹達も殺されるんです。売り物にならないから・・・」
リゲルも両手をぎゅっと握り締めた。
「それから数週間掛けて西海岸にある『奴隷の家』に連れて行かれます。その小さな部屋に何十人も押し込められて過ごした後、奴隷商人に売られるんです。その後、彼等は手と足に手枷と足枷をはめられ、奴隷船に乗せられます。まるで魚みたいにぎゅうぎゅうに詰め込まれて・・・。奴隷は害虫が湧くのを防ぐ為に殆ど裸にされ、二週間に一度まとめてシャワーをかけられます。その時も自殺したりしないように足枷ははめられたままだそうです。途中で病気になったら、生きたまますぐに船の外に捨てられました。
そんな風にして二ヵ月後、カンターヴェラに到着したら、次はせりに掛けられます。そこで買い取られた奴隷は『銀の焼き鏝』で新しい主人のイニシャルを背中に押されます。父さんと母さんの背にもアルジャーノ・パドロードのA・Pという文字が焼き付いています。これが済むと奴隷は呼びやすくする為に新しい名前を付けられます。サムとローネも新しく付けられた名前です。本当の名前はタマルとハルタでした」
リゲルはもうやめてと叫びたくなるのを堪えて、ルマの話をじっと聞いていた。何度も目頭が熱くなった。故郷で幸せに暮らしていたのに、突然捕まって本当に家畜のように焼き鏝を押され、名前さえも付け替えられてしまう。ルマは私のことを気遣って白人という言葉を一切入れなかったが、きっとベントレに彼等を買いに来た奴隷商人も、カンターヴェラで彼らの背に焼き鏝を押したのも、みんな白人だったのだ。その中には自分と同じグランブリラス人も居たに違いないだろう。
「今でもあたし達の寝ている小屋には見張りが時々やってきます。奴隷が脱走しないようにする為です。それから他のファゼンダの奴隷同士で結婚する事はできません。八時以降の外出も駄目です。ファゼンデイロは常に奴隷の反乱を恐れていて・・・」
リゲルの目から涙が流れているのに気がついて、ルマは話すのをやめた。リゲルはただ悲しかった。どうして人は自分の欲や必要の為に、そんな酷い事ができるようになるのだろう。リゲルはルマの膝の上に乗せられた手をそっと握った。
「この手袋も、アルジャーノがはめろと言ったのね」
「シニョールは、あたし達の黒い手で食器を触ったら汚れるって」
激しい怒りを感じて、リゲルはルマの手から手袋を抜き取った。
「ルマ、あなたの手はちっとも汚れてなんかいないわ。さあ、手をかして」
驚いて引っ込めたルマの手をリゲルは優しく掴んで、もう一度彼女の膝の上に持ってきた。
「ルマ。人は人として生まれた時から、自由に、そして幸せになる権利を持っているの。それを他人が犯すことなんて、決して許されるものではないと私は思うわ。あなたの両親も、あなたも自分の足で立って生きている立派な人間よ。絶対に家畜と同じなんかじゃない。それを決して忘れないで」
リゲルが一つ一つの言葉を噛み締めるように話すのを、ルマは目を見開いて聞いていた。
「例えば、ファゼンデイロの前では私のことをお嬢様と呼ばなければならなかったとしても、私達二人きりの時は、私の事はリゲルと呼んで。それからこの家では手袋もはずしましょう。手袋の上からでは、あなたの温かさは伝わってこないから」
涙が出るのは、悲しい時とかひもじい時だけだと思っていた。この世の中に神様や天使は存在しないと思っていた。例え居たとしても、奴隷の自分には微笑みかけてくれる事はないと思っていた。でも違ったのだ。きっと天使が居たらこんな風に笑うのだろう。いや、もしかしたらこの人が・・・。
「リゲル・・・」
「そうよ、ルマ。これで私達、やっとお友達になれたわね」
それからもリゲルはファゼンダに出て奴隷達と一緒に働いた。ひどい病気にならないと医者にも掛からせてもらえない彼等の為に薬を買ったり、自分でも医学書を買ってきて勉強したりした。
そして冬が過ぎ、春が訪れる頃、リゲルは奴隷達ともすっかり打ち解け、このファゼンダの事は殆ど何でも知るようになった。
一方、この半年でロベルトはポールと共に新しい農場にサトウキビを植え、それを精製する工場を建て始めた。サトウキビ農場はそれを栽培する300エーカーほどの農場と、その絞り汁から砂糖、糖蜜、ラム酒を製造する工場が一体となっており、農業というより工業に近いものがあった。工場の中はサトウキビの絞り汁の濃縮、浄化、結晶化を行なう精糖作業場になっている。いずれ工場が稼動すれば、ここでも黒人奴隷達は、朝は夜明け前に奴隷監督が鳴らす鐘の音で起こされ、夜の7時までみっちりと働かされる。収穫期になると作業は深夜まで及ぶこともあるのだ。
その工場がいよいよあさってから竣工することとなり、ずっと農場のほうに泊りがけで行っていたロベルトは久しぶりに休みを取って、リゲルと共に義弟のジェイリスに会いに行くことにした。以前、ジェイリスはメリッサのカンターヴェラ軍支部にいたのだが、出世してイオサンパルスの指令本部に配属になったそうだ。
帰ってきてからアルジャーノに工場の竣工式を知らせに行かなければならないので、親子は朝早くから馬車に乗ってイオサンパルスの中心街アリージャまでやって来た。
カンターヴェラ軍の司令部は街の中心街から少し離れた所に建っていた。周りは全て高い塀で遮られ、中の様子を知る事は出来なかった。その閉鎖された空間を守るように、巨大な鉄格子の門が中央にそびえており、その前には先端の長い銃を肩から吊り下げた兵士が二人立っていた。ロベルトがジェイリスに会いに来たことを伝えると、中から兵士が一人出てきて彼等を案内してくれた。
部屋の前で兵士は靴のかかとをカツンと鳴らして敬礼をすると、開いているドアから中の人物に呼びかけた。
「失礼致します、少佐。お客様であります」
部屋の中央で部下らしき男に話をしていた人物は、ゆっくり振り向くと「兄さん?」と呟いた後、走り寄ってきてロベルトの手を取った。
「お久しぶりです。お元気で居られましたか?」
「ああ、ジェイリス。君も元気そうだね」
「すみません。僕の方から挨拶に行かなきゃならないのに」
「いや、『忙しいから時間が取れたらこちらから行く』と手紙を出したのは私だから」
リゲルは父と随分年の離れた叔父の顔を見比べながら、幼い頃、祖父の葬式で久しぶりに彼と会った日を思い出していた。顔や、彼が父と何を話していたのかは覚えていないが、確かとても背の高い人だった印象がある。九歳の子供からすればどんな大人でも大きく見えるのだろうが、叔父はあの頃と変わらず今も背が高かった。ジェイリスはじっと自分を見上げているリゲルのほうを振り向くと、ロベルトに向けたのと同じ笑顔を彼女に向けた。
「随分大きくなったね、リゲル。僕のことを覚えているかい?」
「あの、少しだけ。お顔までは覚えてないんですけど」
「ああ、当然だ。君はまだ幼かったからね」
彼は笑いながら彼らを部屋の中に導いた。そして部屋の中央で直立したまま待っている部下の所へ連れて行くと彼を紹介した。
「ボビー・アトラス軍曹だ。僕の一番の部下かな」
「光栄であります。少佐」
十代後半の若い軍曹は、生真面目な顔で答えた。
「ボビー、すまないが・・・」
「紅茶ですね。すぐにお持ちいたします」
彼は敬礼すると大股で部屋を出て行き、ドアを閉めた。
「ここはコーヒーの国だけどやっぱり僕は紅茶が好きなので、彼には入隊した時一番に紅茶の入れ方を伝授しましたよ」
ジェイリスは気さくに笑いながら、リゲル達とソファーに座った。
「ジェイリス叔父様って本当にお若いのね。パパの弟というより、私のお兄様って感じだわ」
「そうだね。両親にとって僕は随分年を取ってからの子供だったから」
「ねえ、パパ。いっそのこと叔父様をパパの養子にしたら?私叔父様みたいなお兄様が欲しいわ」
「それはいいな。兄さんのことを父さんと呼ぶのも悪くない」
リゲルの冗談をジェイリスが引きついだ。
「ええ?そ、それは法律的にどうなのかな。いや、別に私は構わないけど・・・。でもいきなりこんな大きな息子が出来るというのも・・・」
ロベルトは頭に手をやって真剣に考え始めた。
「いやだわ、パパ。冗談よ。いくらなんでも二回も養子になんてなれないわよ」
「兄さんは昔から真面目だからなあ」
リゲルはジェイリスと顔を見合わせて大声で笑った。




