3.ファゼンデイロの娘
馬車が屋敷に着くと黒人の使用人が三人やって来てリゲルを馬車から下ろし、その馬車も彼等の手で何処かに引いて行かれた。その内の一人に案内されて屋敷の大きなドアを入りながら、ポールが再び説明をしてくれた。
「ここのファゼンデイロはアルジャーノ・パドロードといって、オズワルド系移民でね。オズワルド人はペレト人よりも半世紀遅れで入植してきたので南部には入れず、中部辺りに農園を築いたんだ。アルジャーノはその中でも大きな成功を収めた一人だ。彼がこれから作るサトウキビ農園には、それは大きな工場が建つ予定だよ」
ポールが話をしているうちに、ファゼンデイロの待つ部屋に到着したようだ。召使いが部屋をノックしドアを開けると、そこは広い客間になっており、金と白の豪華なリビングセットや珍しい調度品が目を引いた。部屋の中央のソファーに座っていた小太りの男が立ち上がると、両手を広げてロベルトの方に歩いてきた。
「これはこれは。遠い所をようこそ、マッカーニオ博士。久しぶりのカンターヴェラはどうですかな?」
「初めまして、ミスター・パドロード。ええ、イオサンパルスは随分発達したようでびっくりしています」
パドロードは農場主というより商売人という雰囲気で、ロベルトがリゲルを紹介した後、ソファーに座ってすぐに新しい農園の話を始めた。リゲルは父の横に座って、良く分からない農場の経営の話を聞きながら心の中で溜息を付いた。てっきりここでパドロードの娘に会えると思っていたのだ。リゲルのつまらなそうな顔に気付いたのか、パドロードがふと言葉を止めて彼女に微笑みかけた。
「お嬢さんには、こんな話はつまらなかったですかな?」
「いえ、そんな事は・・・」
「構いませんよ。私にも娘が一人居りましてな。ミランダというのですが、農園の経営等に全く興味を示さない。いつか私の後を継いでもらわなければならないのに困ったものです」
パドロードの方から娘の話をしてくれたのでリゲルは思い切って聞いてみた。
「あの、お嬢さんは今何処に・・・」
「今日は・・・ちょっと用があって出かけております。その内ご紹介できると思いますよ」
パドロードが少し言葉をにごらせた時、部屋をノックしてさっきここまで案内してくれた召使いがコーヒーを持って入ってきた。
「この農園で取れたコーヒーです。今年は特に出来が良かった。どうぞ召し上がって下さい」
コーヒーカップからは彼の言う通り、芳醇な香りが漂ってきた。
「本当に。良い香りだ」
ロベルトがカップを覗き込んだ。リゲルも同じように召使いの差し出したカップを見たが、その時ふと妙なことに気がついた。カップを差し出している召使いは、何故か白い手袋をはめているのだ。そういえば、屋敷の入り口に居た召使いも皆白い手袋をはめていた。
コーヒーカップを持つのに手袋をはめるなんて、滑ったりしたら大変なのに・・・。
ここには不思議な風習があるものだとリゲルは思った。
その後、ポールの案内でこれから住むことになる家に向かった。パドロードがリゲル達の為に特別に建てた物だ。新居は新しい農場からそんなに遠くない場所にあった。リゲルもロベルトも仮住まいのような小さな家を想像していたのだが、玄関の所は石造りになっており、二階建てでしっかりした造りである。一階はリビングダイニングとキッチンがあり、二階はロベルトとリゲルの寝室になっていた。ロベルトが「随分と立派な家だなあ」と申し訳なさそうに言うと、ポールが「僕の家の倍はあるぞ。僕は独り身だからな。まあ、遠慮することはない。その分働けって意味さ」と片目を閉じて笑った。
彼らが到着して暫くすると、黒人の夫婦とその子供らしき少女がやって来た。パドロードに言われてリゲル達の世話をする為にやって来たのだ。男はサム、妻はローネ、娘はルマと名乗った。
「私達二人に三人も?パパの世話くらい私がするわよ」
リゲルは驚いたように言った。
「お嬢様にはお勉強もおありでしょうし、それに薪割りや庭仕事は男手がないと大変ですよ」
サムが言うと、妻のローネも続けた。
「私達はだんな様の用事や家のことをやらせていただきます。娘のルマはお嬢様のお世話を。なんでもおっしゃってください」
パドロードの気遣いは嬉しかったが、ロベルトとリゲルは戸惑ったように顔を見合わせた。
次の日の朝、ロベルトはポールと朝早くから出かける予定にしていたので、リゲルは父より早く起きて食事の用意をしようと一階に降りた。しかし既にサム達はやって来ていて、ローネとルマは朝食の用意を、サムは外で掃除をしているようだ。
「ごめんなさいね、ローネ、ルマ。朝早くから大変だったでしょう?」
リゲルが降りて来たのに気付くと、彼等は急いで手袋をはめ、深々と頭を下げた。
「とんでもございません、お嬢様。お早うございます」
ローネが椅子を引いてくれたが、リゲルは何となく居心地の悪さを覚えた。
「食事の用意をしてくれたのなら、パパを起こしてくるわ」
「だんな様は私がお起こし致します。ルマ、お嬢様にお食事を」
ルマは昨日会った時から一言もしゃべらなかった。リゲルと変わらない年に見えるが、いつもうつむきかげんなのは、きっととても気の弱い少女だからだろう。彼女は何も言わずに椅子の背もたれを掴んでリゲルに頭を下げた。
昨夜はポールが歓迎会だと言って、リゲル達をイオサンパルスまで食事に連れて行ってくれたので分からなかったが、朝からローネとルマはかいがいしく世話を焼いてくれた。
「ミルクはいかがですか?」
「パンのおかわりをお取り致しましょうか」
まさにかゆい所に手が届く状態である。召使いに世話をされたことのない親子は、申し訳なさそうに頷いていた。ルマがリゲルの紅茶(グランブリラス人は紅茶が主食と同じくらい大切である)を継ぎ足した時、リゲルは昨日から気になっていたことを口にした。
「カンターヴェラには変わった習慣があるのね。使用人はみんな白い手袋をしなければならないの?」
ハッとしたようにローネは娘と顔を見合わせた。
「それは・・・習慣ではないのですが・・・。ここではそうすることになっているのです」
「ふうん、そうなの」
リゲルは良く分から無かったが、一応頷いた。
ロベルトが迎えに来たポールと新しい農場に出かけた後、リゲルも出かける用意を始めた。ルマが着替えを手伝おうとしたので、リゲルは恥ずかしそうに手を振って断った。
「自分の着替えくらい自分で出来るわ。あなたはもう充分働いたんだから休んでいていいのよ」
「でも・・・私は・・・」
小さな声で呟くように言った後、ルマはうつむいた。
なんだ、ちゃんとしゃべれるのね。リゲルはホッとしたようにルマに笑いかけた。
「ねえ、ルマ。あなた年はいくつなの?」
「は、はい。十七歳・・・です」
「まあ、じゃあ私と同じ年ね!仲良くしましょう、ルマ」
「と、とんでもありません。私のようなものが、お嬢様と仲良くだなんて・・・」
ルマは恥ずかしそうに頬を染めると、逃げるように一階に駆け降りて行った。その後姿を見ながら、リゲルは溜息混じりに呟いた。
「ミランダには会えないし、ルマには怖がられているみたいだし、友達を作るのがこんなに難しいとは思わなかったわ」
リゲルは家を出ると、ファゼンデイロの屋敷に向かって歩き始めた。今日はイオサンパルスの高校を見学するつもりだった。もしグランブリラスの高校と同じレベルなら、通ってもいいと思ったのだ。
イオサンパルスまではかなり距離がある。昨日パドロードがいつでも好きな時に馬を使っていいと言ってくれたので、彼の所有する馬を借りて行くつもりだった。厩舎は屋敷の建っている小高い丘を下った所にあった。屋敷と同じく厩舎も立派なもので、リゲルの高校にある乗馬部の厩舎の倍ほど大きい建屋であった。
だが入り口を入ってすぐに、リゲルはびっくりしたように立ち止まった。立派な乗馬服に身を包んだ少女が、馬を叩く鞭で黒人の男性を殴っているのだ。少女は抵抗することも出来ない男をののしりながら、何度も鞭を振り上げては叩き下ろした。
「この、愚か者!どうしてくれるのよ!この、この!」
リゲルはすぐに走り寄ると、少女の腕を掴んだ。
「何をしているの?あなた。この人、血を流しているじゃない」
「はあ?あんた誰?」
少女はむっとしたように顔を上げた。
「私はリゲル・マッカーニオよ」
「ああ、あなたね。パパが呼んだメイクフィールド大学の教授の娘って。お客さんが余計な口出しをしないで。私は今、こいつを教育しているんだから」
その言葉で彼女がアルジャーノの娘のミランダだと分かった。友達になりたいと思っていた少女に文句を言うのは嫌だったが、言わずにはいられなかった。
「教育?あなたのような少女が、大人の男性をどう教育するというのかしら」
「大人の男性ですって?こいつは奴隷よ。奴隷はこうやって躾けるものじゃない」
奴隷・・・。
その言葉は決して初めて聞く言葉ではなかったが、リゲルはその存在を忘れていたのだ。確かにグランブリラス王国にも黒人奴隷は居る。しかし彼等を雇っているのは農場などのある南部の田舎の地域か、都会では余程の貴族や一部の富裕層なので、メイクフィールドではほとんど見る事はなかった。つまりサムもローネもルマも、ここに居る全ての黒人はみんな奴隷だったのだ。
リゲルにはやっとルマの言葉の意味が分かった。何故かおどおどと、恐れているように瞳を逸らしていた訳も・・・。
「奴隷だから殴ってもいい訳はないでしょ?この人が一体何をやったというの」
「こいつはね。事も有ろうに、この私の靴に馬糞をつけたのよ。いくら掃除をしていたからって許せないわ」
そんなつまらないことで人を殴っているミランダを見て、リゲルは呆れてしまった。乗馬をやる者は厩舎の掃除もしなければならないので、馬糞などいつも踏みつけてしまっている。その為に汚れてもいい乗馬用ブーツを履いているのではないか。
「ねえ、ミランダ。乗馬をやる以上、馬糞なんて時々踏んじゃうし、泥と同じようなものでしょう?そんなことで人を殴ってはいけないわ」
「あなたは何も分かってないのね。奴隷が私の靴を汚した、これがいけないことだと言っているんじゃない。まあいいわ。今日のところはこれで勘弁してあげる。でも今度やったら、もっと酷い目に遭うわよ」
ミランダは男とリゲルを一瞥すると、鞭を振り回しながら厩舎を出て行った。
「大丈夫?あなた・・・」
リゲルはポケットからハンカチを取り出すと、彼の頬に流れる血を拭き取った。
「け、結構です、お嬢さん。ハンカチが汚れる」
「構わないわ、ハンカチくらい。じっとして。額からも血が出ているわ」
リゲルは男の血を拭おうとしたが、彼は立ち上がって頭を下げた。
「申し訳ねえです。申し訳ねえです」
何度も謝りながらまるで逃げるように男が出て行った後、リゲルは赤く染まったハンカチを見つめながら呟いた。
「奴隷・・・・」




