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11.新しい命

 外出の許可はちゃんと取っているはずだ。ルマはそう思いながらも、何かやってしまったのかもしれないという恐怖に小さく震えた。だがガレーニの後ろから響いてきた声にルマはもっと青くなった。


「ちょっと、ガレーニ。その体をどかせなさい。私が入れないじゃないの」

「あいすいません、お嬢さん」

 ミランダは相変わらず高そうなドレスの裾を掴んで、ガレーニの後ろから割り込むように入って来た。頭には最近流行の大きな白い羽のついた、ドレスと同じ若草色の帽子を被っている。


「まあまあ、事務所を開いたと聞いたからわざわざ来てあげたのに、随分と古くて汚くて埃っぽい建物ね」

 その無礼な物言いに、おしゃべりのジェシカでさえ驚いて黙り込んだ。


「事務所を開いたのはもう一年前よ、ミランダ。でも来てくれて嬉しいわ。今丁度お茶の時間なの。あなたも一緒にどう?」

「結構よ。私は父と同じくエスプレッソ派なの。それにしてもあれから二年も経っているのに、たったこれだけ?それも揃いも揃ってあなたに似合いの貧乏そうな人達ばかり。これじゃいつになったら奴隷を解放できるか分からないわねえ」


 ジェシカがむっとして立ち上がろうとしたが、リゲルはそっと彼女の肩を押さえてミランダに微笑みかけた。


「でも、少しずつ効果は出ているのよ。奴隷の間でも自分達を解放しようとしている人が居るって、勇気付けられている人が沢山居るの。それだけでも良かったと思うわ」

「そうね。うちの奴隷達もあなたの事は大好きみたいよ。自分達の事を本当に考えてくださるのはリゲル様だけだって。でも白人はあなたの事をどう言っているかしらね」

「さあ。余計な事を言いふらして規律を乱す人間とでも言っているのかしら。それとも政府の反逆者?」

「あら、自分の立場を良く分かっているじゃない。それなら父親の立場も少しは考えられるでしょう。あなたのせいでお父様の立場が悪くなるとは思わないの?」


 リゲルはドキッとして言葉を止めた。ロベルトは相変わらず研究が忙しいようで、家に戻ってくるのは月に一度位だ。その時に色々話をするのだが、リゲルのせいで父の立場が悪くなっているとは聞いた事が無かった。


「父は父、私は私よ、ミランダ。父はあなたのファゼンダの為に、ただ一生懸命研究に励んでいるだけだわ。この間も新しい塗料が商品化されて、あなたのお父様も喜んでおられるって聞いたところよ」


 ミランダは内心チッと舌打ちした。確かにアルジャーノはロベルトの事をとても気に入っている。彼が来てからポールの研究が飛躍的に進んだからだ。だからどれ程ミランダが彼を追い出そうとしても、アルジャーノは聞いてはくれないのだ。ロベルトを追い出せば、目障りなこの女も居なくなるというのに・・・。


 ミランダは二年前より更に美しく、女性らしくなったリゲルを憎々しげに見つめた。どんなに豪華なドレスを着ても美しい飾りで飾り立てても、彼女の内側から溢れ出る、毅然とした美しさだけには敵わないような気がして仕方なかった。それに一部の奴隷の間で彼女を聖母と呼ぶ者もいる。いずれ自分が所有する事になるファゼンダで、奴隷が自分以外の女性の事をそんな風に呼ぶのは許せなかった。


「いい気になっているのも今のうちよ、リゲル。あんたなんてその内皇帝に目を付けられて、牢屋にでも入れられるのがオチだわ。覚悟しておくのね」


 ミランダは最後のセリフを吐くと、ガレーニを従えて去って行った。彼女の言葉が怖かったのか、急に泣き出したカーラを抱いて、リゲルは寂しそうにミランダの背中を見送った。


 彼女とはずっとこうやって憎しみ合うしかないのだろうか。同じ年に生まれ、同じ国で同じ時代を共に生きていくのに、一生友として笑い合う事は無いのだろうか。

 


 ムカムカしながら自由の家を出てきたミランダは、暫く歩いた後ふと足を止め、自分の後ろに居るガレーニを呼んだ。


「誰でもいいからここを見張るのよ。何かあったら逐一報告しなさい」




 リゲルはさっそくルチアーノから貰った寄付金で買い物をした。風邪をひいている四歳のニーナには風邪薬。初めてのお産で少し緊張気味のライラには、緊張を和らげるハーブと豚の耳と足。奴隷にはそれ以外、自分達が作った農作物と豚の尻尾や豆、キャッサバの粉などの安価な物しか与えてはいけない事になっていた。肉屋のおかみさんのご好意で、豚の尻尾は無料で分けてもらった。これと黒豆やキャッサバがあれば、カンターヴェラの伝統料理、マルミルが作れるのだ。それだけ買ったら、少ない寄付金はあっという間になくなってしまった。


 総督のファゼンダに行くと、丘の上からいつも遊んでいる小さな奴隷の子供達が転がるように走ってきた。

「オリオーネ!」

「オリオーネ!」

 近頃カーラも時々ここへ連れてくるので、奴隷達はみんなリゲルの事をオリオーネと呼ぶようになっていた。

「オリオーネ、大変なの!」

「ライラが凄く苦しんでるんだ!」


 リゲルはびっくりしてルマとライラの居る奴隷小屋へ駆けつけた。中へ入ると、ライラが苦しそうにおなかを右手で抱え、ひざを床に付いて壁にもたれかかっている。側に駆け寄ってリゲルは大変な事に気が付いた。破水しているのだ。既に陣痛が始まっている。


「いきまないで。お医者さんが来るまで我慢できる?」

「分からない。出来ないかもしれない」

 ライラはもう泣き出しそうだ。リゲルはオロオロしているルマと子供たちに叫んだ。


「シリヤ、すぐに奴隷監督の所に走ってお医者さんを呼ぶように言うのよ。ルマ、お湯を沸かして。出来るだけ沢山よ。ルディ、ファゼンダに居る女の人達を呼んで来て。男の子達は外に出て、男の人が近付いて来ないようにしてちょうだい」


 リゲルはライラの手を握り締めるとゆっくりと彼女の体を横に寝かせた。

「ライラ、大丈夫よ。ゆっくり息を吸って。苦しいわね。横になりましょうか。大丈夫よ」 

 ライラはヒーッヒーッと苦しそうなうめき声を上げながら、リゲルの手を握り締めた。

「気分をゆっくりさせて。赤ちゃんの事を考えましょうね。こうしたら少し楽?」

 

 リゲルはライラのお尻を押してあげた。こうすると楽になると聞いた事があったからだ。


 中学生の頃、隣の家の娘が子供を生む時付き添った事があった。彼女の母親は産婆をしていたので、家でお産をしたのだ。だから一度だけ子供が生まれるのを間近で見たが、実際に子供を取り上げた経験はもちろん無かった。それでも必要が無いとは思っていたが、ライラが妊娠してからリゲルはずっとお産の勉強をしてきた。もしかしたら本当に自分が取り上げなければならないかもしれない。


「さあ、ゆっくり息を吸って、吐いて。そうよ。いきまないで。我慢して。もう少しよ」

「だめ、待てない。もう出てきそう」   

 リゲルは彼女の手を側で見守っていたマギーに手渡し、後ろに回ってびっくりした。赤ちゃんのお尻が出てきている。逆子なのだ。


 逆子は頭より先にへその緒が出てしまうので、産道にへその緒が挟まって脳へ血液が行かなくなり、悪くすれば死んでしまうのだ。もう一刻の猶予も無い。リゲルは決意を固めた。

 子供達に呼ばれてやって来る事が出来たのは、ライラの母、スーだけだった。他の者はお産は病気じゃないと言われて、持ち場を離れられなかったのだ。スーはすぐに苦しがっている娘の側にやって来た。


「スー、ライラの手を握って、身体をさすってあげて」

 リゲルに言われてスーはすぐに娘の手を握り締めさすり始めた。

「ライラ、お母さんも来たわ。大丈夫。気持ちをゆったりさせて。さあ、行くわよ」


 早く、だけど急ぎすぎないで・・・。リゲルは生暖かい子供の体温を感じながら神に祈り続けた。この子は生きる為に生まれてくるんです。新しい自由の未来を見るために。お願い。この子を殺さないで・・・・!


 取り出した子供は息をしていなかった。リゲルはぎゅっと歯を噛み締め、子供を逆さにして背中を叩いた。


― 息をするのよ。お願い!・・・ ―



「おぎゃあああああっ!」


 赤ちゃんの元気な叫び声にリゲルはほっとしたように溜息を付いた。赤ちゃんを産湯につけ、清潔な布でくるんでライラの側に連れて行った。

「ライラ、あなたの赤ちゃんよ」


 ライラが目を潤ませて子供の顔を覗き込んだ時、やっと医者が到着した。医者はうら若いリゲルが、逆子の子供を取り上げたのだと知って非常に驚いていた。彼は一通りライラの様子を診察した後、リゲルに尋ねた。


「もしかして君はお産の経験があるのかい?」

「一度見ただけです。後は本の知識だけで・・・」

 リゲルは力が抜けたように答えた。


 外に居た少年達も赤ちゃんが見たくて入ってきた。

「オリオーネ、赤ちゃん生まれたの?」

「僕達にも見せてよ」

「余り騒いでは駄目よ。赤ちゃんがびっくりしてしまうから」


 子供に注意を与えた後、彼らの様子をほほえましく見つめているリゲルを、医者もじっと見つめた。


「オリオーネ?もしかして君が奴隷を解放しようとしている人かい?」


 リゲルはドキッとして彼の顔を見た。ミランダの『でも白人はあなたの事をどう言っているかしらね』という台詞(せりふ)が頭の中に響いてきた。きっとこの人も、私を余計な事を言いふらす外国人だと思っているのだろう。リゲルは黙って頷いた。


「そうか。僕は診察で忙しくて君の話を聞いた事は無いけど、妻が君の事を言っていたよ。若いのに感心なお嬢さんだとね」

「え?」


 リゲルは驚いて言葉を詰まらせた。


「私も奴隷制には反対だ。人は皆平等に生きていく権利があるはずだよ。他の医者は奴隷を診るのを嫌がる人も居るんだが、私は依頼されれば誰でも診るようにしている。おかげで大忙しだがね」


 明るく笑った医師をリゲルは頼もしそうに見上げた。こんな人が医者で居てくれて本当に良かったと思った。彼は「そうそう、忘れていた」と言うと、自分の名を名乗った。イオサンパルスで開業しているダニエル・クライストという名で、妻と三歳になる息子が一人居るそうだ。クライスト医師は改めてリゲルの勇気と医療の知識を褒めた後、医学を勉強していて分からない事があったら何でも聞きなさいと言ってくれた。


 リゲルとダニエルが話している間に休憩時間になったのか、奴隷達が小屋に戻って来た。彼等は次々にライラの小屋に訪れて、彼女の赤ん坊の顔を覗きこんだ。そして口々にリゲルに感謝の言葉を述べたのだった。



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