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12.ジェイリスのぬくもり

 総督の屋敷の前の噴水を回って、四頭立ての立派な馬車が止まった。中から降りてきたのは、この屋敷の主人であるクリスチャン・アルトラスである。彼の馬車が到着するまでにこの屋敷の執事は主を出迎えに出て、目の前に止まった馬車の扉を開いた。総督は午後から客が来る事を執事に告げると、頭を下げている彼の横を通り過ぎて屋敷に入ろうとしたが、ふと遠くにあるファゼンダを振り返った。


「医者が来ているようだな。何かあったのか?」

「奴隷の子供が生まれたのです。丁度リゲル様が来られていて、あの方が取り上げなければ逆子だったので死んでいただろうと下男が話しておりました」

「ほう・・・」


 総督は興味を持ったようで、馬を引いてくるように命じた。


「あなたが奴隷の小屋に行かれるのですか?皆びっくりしますよ」

「上着を脱いでいけばいい。私の顔を見知っている奴隷など居らん」

 驚いている執事に上着を投げると、彼は馬を走らせた。



 奴隷の小屋から少し離れた所に馬を止めて、総督は歩いてあちこちに小屋が点在する場所までやって来た。子供が生まれた小屋の周りは、沢山の奴隷達で溢れていたのですぐに分かった。中に居たリゲルは、子供が生まれた喜びではちきれんばかりに泣いているライラの夫に子供を手渡され、赤ん坊の名前をつけて欲しいと頼まれていた。

 戸惑ったようにリゲルは辺りを見回した。周りを取り囲んでいる人々は、子供達も含めて彼女がどんな名前をつけるのか興味津々の顔をして待っている。赤ん坊は透き通るような黒い瞳でリゲルを見つめていた。


 新しい時代に生まれてきた子供。この子の未来には、奴隷という言葉など忘れ去られているようにしたい・・・。


「ウィング。私の国の言葉で『翼』という意味よ」


 奴隷達の間から「わっ」と歓声が上がった。総督はその歓声の中、そっとその場を離れた。今見た風景はずっと昔、何処かで見た事があった。あれはいつの事だったか・・・。

 

 まだ子供の頃だった。

 このファゼンダの中には奴隷の為だけの教会がある。亡くなった父は敬虔なクリスチャンで、奴隷も祈りを捧げられるように小さな教会を作った。父親には近付くなと言われていたが、興味本位で何度か覗いた事があった。教会の中にはイエス・キリストを抱いたマリア像があり、彼等はその周りで静かに祈りを捧げていたものだ。


 今ではその教会がこのファゼンダの何処にあったのかさえ忘れてしまったが、あの厳かな雰囲気は今でもはっきりと覚えている。さっき見たリゲルはまさにそのマリア像だった。慈愛に満ちた表情で赤ん坊とその周りの人々を見つめていたのだ。


「女とは怖い生き物だと思っていたが、あの娘も然りだな。戦う時は嵐のように激しいくせに、赤ん坊を抱くと聖母に変わるのだから・・・」



 こうしたリゲルの活動や行為は、広く奴隷達の間に知れ渡っていった。やがて彼等は親しみをこめて彼女をこう呼ぶようになった。『カンターヴェラのオリオーネ。聖なる星』と・・・。   


 





 ジェイリスが休みの日に、リゲルはいつもイオサンパルスの彼の家に行く事にしていた。初めてジェイリスの家に来た時に気がついたのだが、彼は家で食事を取る事が殆ど無いのだ。ジェイリスに聞くと、軍の兵舎で部下達と一緒に取っているらしいのだが、それでは好きな物ばかりしか食べないで栄養が偏っているに違いない。


 奴隷達が作った野菜を良く貰うので、それとアフタヌーンティーの用意をして叔父の家に訪れるのはリゲルの習慣になっていた。おかげでジェイリスは休みの日の前日に部下を連れてよく飲みに行っていたのに、最近は早めに帰るようになってしまった。もちろんこの間のような醜態を姪に見られたくないからだ。おまけに休みの日はいつも昼ごろまで寝ていて食事も適当にしか食べていなかったのに、リゲルが来るようになってから朝早くからきちんとモーニングを食べさせられ、昼食も時間通り、その後ボリュームたっぷりのティータイム、夕食はディナーのフルコースだ。


「このコロッケ、凄くおいしいな。こんなに食べていたら太ってしまいそうだよ」

「ちゃんとカロリーを考えて作ってあるから心配しないで。全部残さず食べてね」


 本当はそのコロッケの中に、叔父の嫌いなにんじんが判らない様に入っているのだが、もちろんそれは秘密である。


「こちらのスープもいかが?」

「ああ、ちょっとくせはあるけどいけるな。何のスープだい?」

「え・・と、ハーブの一種よ」

 本当はこれもまた彼の大嫌いなセロリのスープだったが、もちろん秘密である。


 こうして休みの日の一日をジェイリスと過ごすのは、リゲルにとっていい息抜きになっていた。それはジェイリスも同じで、彼等は食事の間、この一週間に起こった色々な話をするのだ。今日の一番の話題は、リゲルが産婆をしたという話だ。それにその子供の名付け親にもなった。リゲルの話にジェイリスは驚くやら心配するやらで、時々食事を喉に詰まらせそうになった。


「もっともっと勉強して、みんなの役に立てるようになりたいわ。ファゼンダによっては酷い病気でも放置されたりするんですって」

 リゲルは悲しそうに言った。そんな姪を見ながら、やはりジェイリスは不安に思った。そんな風に人の心配ばかりして、自分の事をあまり省みないリゲルが心配だった。


 アフタヌーンティーの後、リゲルは片付けと夕食の用意をして叔父の部屋に行ったが彼の姿は無かった。ここに居ない時ジェイリスは玄関横のデッキで、籐の椅子にゆられながら昼寝をしているはずだ。


 リゲルはひざ掛けを持って玄関に出てみた。午後の優しい日差しを遮るシェードの影で、彼は静かに眠っていた。少し冷たい風がジェイリスの柔らかな髪を揺らしながら通り過ぎていく。リゲルもロベルトも明るい茶色の髪なのに、やはり血が繋がっていないからか、彼の髪は太陽の光を受けてキラキラと輝く金色の髪だ。それでも眠っている横顔は不思議と父と似ているような気がした。


 又彼をびっくりさせてはいけないので、足音を忍ばせてそっとひざ掛けを掛けたが、ジェイリスは目を覚ましてしまった。やはり軍人は人の気配に敏感なようだ。


「ごめんなさい、叔父様。冷えるかもしれないと思って」

「ああ・・・」


 ジェイリスは微笑むと遠い目をして空を見上げた。もうすぐ初冬を迎えるイオの空は、いつもより少し和らいだ水色だった。


「トーマスの夢を見ていた」

「お祖父様?何かおっしゃられていました?」

「いや、ただ遠くからじっと俺の事を見ていた。何か言いたげでもあったし、ただ微笑んでいるようでもあった・・・」


 ジェイリスはふと言葉を止めると、自分の隣にしゃがんで話を聞いているリゲルを見た。トーマスと暮らしている頃、こんな風にゆったりと椅子に座った彼の側に膝を付いてよく話をしたものだ。今リゲルがそうしているように。


「俺はトーマスと暮らしている間、何だか照れくさくて一度も父さんと呼んだ事が無いんだ。それが心残りで、時々こんな夢を見るのかもしれないな」

「でもお祖父様は叔父様をとても愛していらっしゃったわ。時々手紙を送ったけど、返事にはいつも叔父様の事ばかりが書いてあったもの。パパも叔父様にはいつも感謝していたのよ。ジェイリスが父さんの世話をしてくれるから、私は好きな研究に打ち込んでいられるって」


 ジェイリスは今の言葉が信じられないような顔でリゲルを振り返った。


「兄さんが?本当にそう言ったのかい?」

「そうよ、どうして?」

 リゲルの質問に彼は答えにくそうに瞳をそらした。


「兄さんがカデラの本宅に来ないのは、俺が養子になったせいだと思っていた。俺が養子に入らなければ、トーマスの財産だって全部兄さんの物になったはずだ。俺が居たから兄さんは遠慮してカデラに帰って来なくなったんだって・・・」

「それは誤解だわ!」


 リゲルは思わず立ち上がった。ジェイリスがそんな風に考えているなんて思いもしなかった。パパもお祖父様も、新しい家族が出来て喜んでいたのに・・・。


「パパがカデラに帰らなかったのは本当に忙しかったからよ。だってあの頃、丁度メイクフィールド大学に招かれて、自分の研究以外に生徒の講義までしなくちゃいけないから毎日大変だったもの。それにパパは一旦研究に入ると他のものは何も見えなくなってしまうの。今だって月に一度家に戻って来たらいいほうで、この間なんか三ヶ月も帰って来ないから様子を見に行ったら、実験農場で稲を作っているのよ。つい最近までサトウキビの研究をしていたくせに、いつからそうなったのかサッパリ分からないわ。


 それに財産だって、貰ってから初めてお祖父様にそんなお金があったって分かったみたいで、全然期待なんかしてなかったのよ。私だってもう少し大きかったら一人でカデラまで行って、お祖父様や叔父様に会いたかったわ。でも今みたいに蒸気機関車も走っていなかったし、子供には無理だったのよ」


 リゲルは興奮して一気にまくし立てた。大好きな叔父にそんな誤解をされているなんて、絶対に嫌だったのだ。

 リゲルの目に悔し涙が光っているのを見て本当に悪いと思ったのか、ジェイリスは立ち上がってリゲルを抱きしめた。


「すまない、つまらない事を言って。一人暮らしが長いと、ついくだらない事を考えてしまうんだ。本当にすまなかった」

「いいの。これからも何かあったら何でも話して。私達は家族なんだもの。叔父様が十三歳で私が三つの時からずっと・・・。今までは余り会えなかったけど、これからはいつだって会えるわ。もう一人ぼっちじゃない。そうでしょ?」

「うん。そうだね」


 家族だと思っているのに、ジェイリスの腕のぬくもりに、胸の鼓動が高まっていくのがリゲルには少し怖かった。



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