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42.異変は来たる

 

 ある朝のドレイクヒルは、いつもより酷く騒がしかった。


 普段なら、小鳥の囀りと風が木々を揺らす音くらいしか聞こえない長閑な辺境の村だというのに。

 今日ばかりは外から子供たちのはしゃぐ甲高い声や、大人たちの浮き足立ったざわめきが絶えず聞こえてくる。窓の外を何人もの村人が慌ただしく駆け抜けていき、その異常なまでの落ち着かない空気にアルスもそわそわと落ち着きをなくしていた。


「アルスー!!」


 外から、友人の弾んだ声が飛んでくる。


「早く来いよ! 街の人が来てるぞー!!」


「街?」


 朝食の固いパンを頬張っていたアルスは目を丸くした。口の中のものを水で無理やり飲み込み、勢いよく椅子から飛び降りる。


「ちょっとアルス! お行儀わるいわよ──!」


 背中に投げかけられる母の小言を右から左へ聞き流しながら、アルスは風のように外へ飛び出した。


「おいアルス、どこ行くんだヨ!? 急に連れ出しやがっテ!」


 訳も説明されないまま、いつも通りカバンの底へ押し込まれたレッドが不満げに抗議の声を上げる。


「ごめんごめん! でも、なんか村がすごい事になってるんだ!」


 村の中心である広場へ向かうにつれ、人の熱気はどんどん強くなっていった。

 村の入口近くにある開けた土地には既に黒山の人だかりができており、大人も子供も一様に興奮した様子で空を指差している。


 つられるように顔を上げたアルスは思わず息を呑み、足を止めた。


「……わぁ」


 太陽を遮るように、空に巨大な影が浮かんでいた。


 それは鳥ではなく、雲でもない。

 空を悠然と滑空しているそれは、紛れもなく巨大な『艇』だった。


 左右に大きく張り出した白亜の帆。精巧に組み上げられた金属の骨組み。朝の陽光を受けて鈍く輝く、重厚な装甲。

 船底から青白く噴き出す魔力の光が風を押し退け、空気を震わせるような重低音を響かせながら、その巨大な質量がゆっくりと下降してくる。


 あれが王都で普及し始めているという新しい空飛ぶ車──飛空艇だ。

 行商人の持ってくる古新聞でしか見たことのない幻の乗り物が、今、目の前にある。


「すっごいなぁ……!」


 アルスの瞳が、宝石のようにキラキラと輝いた。

 村では絶対にお目にかかれない、大都会の最先端技術。その圧倒的なスケールを見上げるだけで、胸の奥が高鳴って破裂しそうだった。


「なんだァあレ……」


 カバンの隙間から顔を出したレッドも、同じように空を見上げていた。

 しかし、アルスとは違う。その声にはいつもの生意気な軽口の響きがない。得体の知れない巨大な無機物に対して、生物としての明らかな警戒心が見て取れた。


「飛空艇だよ。最近王都で凄い人気なんだって」


「へェ~……生き物でもねェのに空を飛ぶなんて、変なもんだナァ……」


 やがて飛空艇は、村外れの広場へ静かに着陸した。

 その瞬間に巻き起こった凄まじい突風に村人たちがわっと声を上げ、周囲の草木が千切れんばかりに大きく揺れる。


 舞い上がった土埃の向こうでプシューという排気音と共に重厚な金属の扉が開き、中からお揃いの白衣を着た人々が次々と姿を現した。


 大きな木箱を何人かがかりで運ぶ者。

 ガラスと金属でできた奇妙な器具を大事そうに抱える者。

 分厚い紙束を整理しながら、忙しなく周囲を見回す者。


 まるで王都最先端の研究室がそのまま辺境の村へ丸ごと降ってきたみたいだった。

 そしてその慌ただしい集団の中央を割るようにして、一人の男がゆっくりと歩み出てくる。


 年齢は五十前後だろうか。

 灰色混じりの髪は無造作で、綺麗に整えられた髭の口元にはひどく穏やかな笑みを浮かべている。

 細身の体躯を包む白衣からは威圧感など微塵も感じられず、むしろ、学校の優しい先生のような柔らかい雰囲気すら漂わせていた。


「初めまして」


 男は集まった村人たちをゆっくりと見渡し、胸に手を当てて丁寧に頭を下げる。


「私はティンバーゲン=ロレンツ。王都ブレイズにある、魔物生態科学館の主任研究員です」


 その名前と肩書きを聞いた瞬間、大人たちの間でどよめきが走った。


「ティンバーゲン博士……!?」

「おい、あの有名な先生か!?」


 ただ事ではないと察した村長が、慌てた様子で群衆の最前列へ進み出る。


「ま、まさか、貴方のような高名なお方が、こんな辺境までお越しになるとは……!」


「はは、どうかお気になさらず。大したことではありませんよ」


 ティンバーゲンは村長の恐縮ぶりを見て困ったように、人懐っこく笑った。


「この辺りの森には珍しい魔物や、古くから手つかずの生態系が残っていると聞きましてね。少しばかり、調査をさせていただければと思いまして」


 随分とゆっくりとした、あえて言えば間延びした穏やかな口調の人物だった。

 王都のエリート研究者なんてもっとツンケンして偉そうな人間だと思っていたのに、存外その辺にいる優しいおじさんじゃないか。

 アルスは自分の偏見を少し反省し、認識を改める。


 事実、ティンバーゲンは興味津々で近づいてきた子供たちにも優しく目線を合わせて話しかけていたし、村人たちの歓迎の言葉にも丁寧に耳を傾けている。


 けれど。

 カバンの奥でごそごそと動いていたレッドの気配が、ピタリと、不自然なほど完全に止まっている事に気が付いた。。


「……レッド?」


 アルスは胸元のカバンへ、周囲に聞こえないよう小さく呼びかける。

 返事はない。


 不思議に思ってカバンの口をわずかに開くと、レッドは一番奥の暗がりで、身体を限界まで小さく丸めていた。

 明らかに様子がおかしい。


「……」


 グルルル……と、喉の奥で極めて低い声で唸っている。

 出会ってから今まで一度も聞いたことのない、獲物を前にした獣のような、あるいは天敵を前にしたような声色。アルスは思わず瞬きをした。


「嫌な臭いダゼー……」


「え?」


「血と……腐肉と……魔物の、死体の臭いダ」


 レッドは眉間に深いシワを寄せ、カバンの隙間から飛空艇の集団──正確には、ティンバーゲンの方をじっと睨みつけていた。


 しかしアルスにはその意味が分からず、首をかしげる。


「……そりゃ研究家さんなんだし。魔物の死体を調べたりもするだろうから、匂いくらい染み付いてるんじゃないかな」


「そういうもんなのカ? なんていうかヨー」


 レッドは苛立ったように言葉を探しているようだった。

 レッド自身にも、なぜ自分がこれほどまでに底知れぬ悪寒を感じているのか、上手く説明できなかった。


 ただ、全身の鱗の奥が粟立つようにざわついている。


 白衣の研究者たちは、笑顔で村人たちと交流しながら荷物を運んでいるだけだ。変なところなんてどこにもないように見える。

 しかしレッドは、それからずっと警戒を解かず、落ち着かない様子で尾を揺らしていた。


 やがて歓迎の挨拶を終えた村長が、こほんと咳払いをしながら村人たちへ声を上げる。


「皆さん、科学館の調査団は数日間このドレイクヒルへ滞在されるそうだ。危険な魔物が出ていないかの調査と、この辺りに古くから残る伝承について調べに来られたらしい」


「特に、ドラゴンにまつわる話を探していましてね」


 ティンバーゲンが村長の言葉を穏やかに続けると、アルスの肩が氷を当てられたようにびくりと震えた。カバンの中でも、レッドの小さな身体が石のように硬直したのが分かる。


 騒めく村人たちの中。

 ティンバーゲンは、相変わらずあの人の良さそうな柔らかい微笑みを顔に貼り付けたまま。

 静かに、そして値踏みするように、村の隅々を見渡していた。


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